スギダラ広場
 

スギダラな一生/第84笑 「考えない人々」

文/ 若杉浩一

   
 
 
 

最近思う事、続々と現れる、考えない人達、若者。
毎日を、ルールやノルマを果たすことが至上で、判断基準は売り上げや、数字。
何を問うても、自分が見えて来ない。
追い詰めると自己が破綻するので、聞かなかった事にするか、徹底的に敵とみなされる。もはや、痛いところを突かれるとわかっているので、近づきもせず、遠くから徒党を組み非難中傷を浴びせかけるのだ。
何を、そんなに怯えているのだろうか?
そうやって、僕に対して様々な面白ネタが創造された。

●「開発費使い込み事件」
本当にそうなら、刑事事件だろう。
●「家具基本色、移行の遅れに伴う被害3億円事件」 
その時は、デザインを首になっていて、OLだった、関われるはずがない。
●「人事情報リーク事件」
そんな、よその部門の人事情報を知っているはずがないのが明確。
●「勝手に、行政の支援事業を受託した。」
社長印が押してあるのに、勝手にできる訳ないだろう。
●「公共交通(電車)の中で、屯して酒を飲んでいた。」
千代田は写真に写っていたが、もはや、僕は、そこに居なかったのにだ。

等々、まだ小ネタはあるのだが、面白すぎて笑えるくらいの風評がクリエイションされる。
どうせなら、「スマップ解散に、若杉が絡んでいた!!」くらいの情報を流して欲しかったものだ。
もっとも面白ネタは、「木材活動、完全撤退宣言!!」7年前の事だ。
一度も、会社として、木材活動をしていないにもかかわらず、スギダラの活動に充てて、部門長が全員に向かって声高らかに宣言した。
子会社にいた、僕の海外出張はおろか、日々の活動さえ、木材活動してないか、監視され、締め付けられた。
よほど、暇か、嫉妬しているかどちらかだ。
乗っかる方も乗っかる方だ。もし、それが伝聞情報であったら、本当かどうか、少し自分で考えれば、真偽は直ぐ分かるはずだ。
犯罪者である筈の本人が、毎日、楽しそうに仕事をしているのだから、辻褄が合わないはずだ。
うちのメンバーが何か面白い事をやろうとしても、直ぐ「若杉の仕業」とか「会社の規律を乱す」だとか「モラルハザード野郎」とか言われるらしい。
よく中身を確認もせずに、だ。
そんな事をしても、何の創造もないし、仮にそうだとしても、言えば言うほど溝は深まる。賢い大人のする事ではない。
少し考えれば、誰でもわかるはずだ。
考えない人たちの増産。これには、本当に頭を悩まされる。
特に、いい大学で、優等生が一番危ない、実態や経験がなく知識とプライドという脆弱な鎧を着ている。
傷ついたり、失敗した事が少ないから、道を踏み外す事を、極端に恐れている。
だから、話題が、ネットや、新聞や、雑誌に踊っている言葉を取り上げ、時流を作り上げる。そこには、自分は、さっぱり存在せず、浮ついた、小賢しい話が踊る。
生きる術ばかりで、生きる力を全く感じない。
生きる事を考えないようにしているので、生きている事を、認めたくない。
だから、毎日を浪費し、大切な事を先送りにして、一休みばかりする。
しかし、みんなの前では、苦労した、頑張った、徹夜したと、状況ばかりを押しつけてくる。
そんなに苦労が嫌なら、やめればいい。
もっと、もっと好きな事に身を捧げればいい。
今まで、好きな事を求めて、考えたり、悩んだり、自らが活動する経験がなかったのだろう。
そう考えると、僕らの求められていない、余計な活動は、得体の知れない不思議なものとして見えているに違いないし、平穏を乱す、馬鹿者であると理解できる。
何が真実で、何が自分らしいか。
それは、自分で経験し、確かめ、自分らしい生き方をするしかない。
どちらが正しいということではないのだ。
何も考えず、大勢に流され、関係も無いはずの他者や、多様性を否定する方がが、そもそも、おかしいのだ。

4年前だったか?宮崎の熱い高校の先生二人に出会った。屋良先生と串間先生。
二人は高校の美術教育・工芸・デザインの先生である。
生徒のために、懸命に働き、学生の事、芸術教育の未来をいつも考えていた。
しかし、宮崎にはデザインの仕事もなく、せっかくの学びが地域や仕事に繋がらない。学生達の心には次第に、生きる術ではなく、単なる教養の一部にしか取られられないものになっていく。
「デザインや、芸術では食っていけない。」そう思うようになっていく。
そして、それを学生に教えるのが仕事だった。
仕事だから、食えるのだから、問題はないはずだし、充分に懸命に働いてきた。
しかし、心の中に抑えようのない焦燥感が生まれ始める。
「自分たちは何のために仕事をしているのか?」
そんなこと、考えなければよかった。
考えなければ楽だった。
しかし考えてしまったのだった。

そうして、悩みの中で、突然、出会った。
「若杉さん〜〜若杉さんの話をですよ〜是非高校生に聞かせたかとです。」
「デザインという、大切なものを、忘れないように生きて行って欲しいとです。」
そんな事を聞いたら、スギダラの仲間は、直ぐ行動に起こす。
あれよ、あれよと「高校生デザインワークショップ」が立ち上がった。
そして、沢山の学生達と沢山の大人達と、感動の日々を過ごした。
そして、三年目の今年のテーマは「積み木のデザイン」だった。
ごくシンプルなモノであるため、むしろ難しいテーマだ。
プロでも、直ぐに形や、色や仕掛けにこだわり、基本的に積み木の域を出ない。

しかし、高校生達は違った。
積み木を使って日南の紙芝居ならぬ、積み木芝居というデザインをしたり、積み木にダボが付いていて、繋げて不思議なバランスを取ったり、6面のサイコロが難易度に合わせて絵合せできるようになっていたり、中心に象がいて様々な動物を象のシーソーに乗せて自然のバランスをとるという深遠なテーマをはらんでいたり、積み木のお弁当箱は、詰合わせる、片付ける、楽しみを遊びにしていたりと。僕たちが、びっくりするようなモノをデザインしているのだ。
もはや、モノのデザインではなく、コトのデザイン。
いやそれどころか、生態系の深遠な本質的なテーマすら掴んでいるのだ。
それだけではない、プレゼンテーションの上手さ、楽しさが抜群なのだ。
しかも、プロトタイプの出来上がりが、また素晴らしい。
聞くと、試作は、地元のモノづくりの爺さま達が引き受けてくれたそうな。
どおりでモノといい、箱といい、出来上がりが違う。
高校生達は、自分たちのスキルを超え、純粋に思いを発散出来たわけだ。
まさしく、高校生と爺さまのコラボレーションだった。
彼らは、爺さまを「師匠」と呼び、慕い、信頼し、モノを作っていった。
そして、その素晴らしいチームワークが、このような「想像を超えたデザイン」を生み出したのであった。
高校生達の、子供への眼差し、思い、創造は、共に創る仲間と響き合い、もはやプロだとかアマだとかを超えて、本質に迫っていた。
発表会場は、誰でも理解できる、心地よい空気を創っていた。
本当に感動した、嬉しかった、心躍った。
そして、高校生達の立派なプレゼンテーションを後ろから見ていた「師匠達」の顔は喜びで溢れ、涙で溢れていた。
みんなに囲まれ、お礼を述べられ、とても素敵な空間だった。
後で、「師匠達」にお礼を言いに行った。
「本当にありがとうございました。皆さんの力で素晴らしいものができて、学生達も、僕たちも感動しました。」
「いやいや〜〜お礼を言いたかとは、私たちですたい。」
「高校生の素晴らしい発想、デザインに毎回心踊り、楽しくて、楽しくて、たまりませんでした。」
「こん年寄りに、こげん素晴らしか役割ば、与えてもらって感謝しとるとは、こっちの方です。」
「ほんとうに、有難うございました〜。」
嬉しくて、感動して、涙が出そうだった。
学生達も、大人達も、先生達も、そして「師匠」達も、会場で聞いてくれた沢山の人たちも、その素晴らしい場面に出会い、感動していた。
そして、そこには、大切な学びがあった。

「生きる術」という学びではなく、誰かのために、考え、苦労し、動き、繋がり、作り、伝えるという、逞しく、力強い、「生きる力」への学びだった。
そして、真ん中に、デザインがあった。
デザインという仕事ではなく、デザインをいう「生き方」を学んだのだった。
きっと、この経験は、彼らが、今後、生きていく上で、大切な支えになるに違いない、そう確信した。
素晴らしい時間だった。
まさしく、沢山の「考える大人たち」が創った「考える人たち」の創造だった。
自分で考え、自分で動き、自分で創っていく。
そして、そこにあった「喜び」「感謝」「敬愛」。
そして、中心にあった「自分の存在」。

「誰かのために考える」ことは、沢山の人を介して「自分を考える」事につながり、「生きる力」として人を躍動させる。
そしてデザインは、その繋ぎ手として存在した。
素晴らしい事を教えてもらった。

結局、自分の事など、未だにサッパリわからない。
しかし「誰かのために考える事」から、自分と言うものが、浮き彫りになってくる。

計画や、数字や、業績から、果たして未来は見えるのだろうか?
私たちは、見えるモノに縋り、見えない自分を、見失ってはいないだろうか?
生存する上で、数字や売り上げは必要かもしれない。
しかし生きる意味や、自分の存在は、自分で見つけなければならない。
だから、苦しみ、喘ぎ、「考える」のだ。

それは、「自分を思う事」ではなく、「他者を思う事」から始まっていた。

二人の熱い先生の、学生達への思いは、沢山の人を巻き込み、「考えない社会」に欠落していた、真実の学び「生きる力」に繋がっていた。
僕たちは、この学びを、もっと、広めなくてはならない。
続けなくてはならない。素敵な未来のために。

また、面白いコトに出会ってしまった。
これだから、やめられない。
この先どうなるのか、さっぱり判らないが、やるしかない。
さあ、また、楽しくなってきたばい。

宮崎の素晴らしい学生達、先生、関係者のみなさん、「師匠」のみなさんに感謝の気持ちを込めて。
そして、見失っている村へ(チームメンバー)。

   
 
   
 
   
 
   
 
   
 
 
     
 
     
 
     
 
   
   
   
   
  ●<わかすぎ・こういち> インハウス・プロダクトデザイナー
株式会社内田洋行 所属。
2012年7月より、内田洋行の関連デザイン会社であるパワープレイス株式会社 シニアデザインマネージャー。
企業の枠やジャンルの枠にこだわらない活動を行う。
日本全国スギダラケ倶楽部 本部デザイン部長 
月刊杉web単行本『スギダラ家奮闘記』:http://www.m-sugi.com/books/books_waka.htm 
月刊杉web単行本『スギダラな一生』:http://www.m-sugi.com/books/books_waka2.htm
月刊杉web単行本『スギダラな一生 2』:http://www.m-sugi.com/books/books_waka3.htm
   
 
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