今、スギダラ天草が熱い!!
 

天草しもうら弁天会の未来

文/宗像 和久・桂子

   
 
   
  熊本県天草市について
 

ここ一ヶ月間、天草は活気付いていた。
天草全編映画ロケ「のさりの島(プロデューサーは天草出身の小山薫堂さん)」が行われ、京都造形芸術大学映画学科学生さん20名程と監督(映画学科長の山本起也さん)や、プロの俳優さん方との混成チームが一ヶ月間滞在されていた。
思い起こすと天草全編映画ロケは、46年前の「藍より青く」、7年前の「女たちの都〜ワッゲンオッゲン」以来。普段は本渡の中央銀天外街はシャッター通りで、そのアーケード街は数えるほどの人しかいない。今回の撮影では、初めて天草中央の本渡銀天街が舞台になったことや、都会から若い人達が来てくれたことで町中が賑わったようだ。
映画題名「のさり」(注1)という言葉のように、天草の人達は、代わる代わるスタッフさん方へ差し入れなど届けるという現象も興り、天草上げてのお祭りムード満載となったのである。

 天草は熊本県南西部に位置し、藍色の海を隔てて北は長崎県、南は鹿児島県と接している。大小120の島々からなり、総面積は佐渡、または壱岐対馬を合わせたよりも広い。野生のイルカが群れ泳ぐ自然と共生の島で、天草市・上天草市・天草郡苓北町がある。
下浦町が位置する天草市は、人口は80.961人、世帯数37.024件、65歳以上31.404人、高齢化率38.8%という、少子高齢化と社会構造の変化に伴う多くの課題を抱えた日本の典型的な地域である。
天草には大学がないので地元高校を卒業した若者の大半は都会へ出て行ってしまい、卒業後も、魅力ある企業や働く場所の選択肢がないのか故郷へのUターンが少ない。
2018年6月には天草市崎津集落が「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」として世界文化遺産の登録を受けクローズアップされているが、人口は減るばかりの天草で住民達は50年前30年前はこんなではなかったはずと言い、現在のさびしい町とその将来に不安を抱えながら生活をしている。

   
 
  天草の美しい風景
   
 
   
  下浦弁天会とスギダラケの出会い
 

 下浦弁天会と、若杉氏率いるスギダラケ倶楽部との出会いは2014年に遡る。
月間杉104号に「天草市下浦フィールドワーク2014」特集が組まれ、九州大学芸術工学研究院の藤原惠洋教授が「地域再生の処方箋はあるのか?〜天草石工のふるさと下浦フィールドワークの意図と趣旨〜」を執筆された。
そのフィールドワーク参加者に、当時はよくわからない社会人デザイナー集団がおられ、その集団こそ、スギダラケ倶楽部であった。

2014年〜2016年のフィールドワーク3か年で学んだ歴史や文化の中で、世界文化遺産の建物などに「下浦石」が使われていたことが一番の驚きだった。
長崎大浦天主堂、グラバー邸、リンガー邸、オランダ坂など長崎居留地が1860年に出来、そこに天草下浦石と下浦石工が大きく関わっていた。また世界産業文化遺産の熊本県三角西港も手がけているなど、先人の素晴らしさを知ることとなった。
ところが歴史的伝統的な地場産業であったはずの石工産業も時代の波で仕事量が減り廃業が目立ち、後継者不足となっている。この下浦にしかない大切なものをなくしていって良いのだろうか、下浦石を切り出し加工していた「下浦弁天石切丁場」という下浦石工の聖地を、住民の手で整備管理しながら残し活用することで、町が少しでも活気を取り戻せないかと翌年に、参加者の住民有志で下浦弁天会を立ち上げた。
フィールドワークでは「住んでいるその地域に、誇りとプライドを持つことが大切である」とも教えていただいた。

終了後も出逢った多くの方々が財産となり、スギダラケ倶楽部の皆さんとの新たな交流も拡がっていった。2017年「天草ヒノキプロジェクト」での若杉氏講演がきっかけで、そのプロジェクトの横に相乗りさせていただき、初めて知る分野に驚くことばかりで見識が広がったように思う。
若杉氏の閃きと行動力は言うまでもなく、あれよあれよという間に、石工という職人の町に新しい文化を生み出すチャンスをくださった。
そのひとつが「下浦土(どろ)玩具」である。特に上下島堂賢(下妻賢司)氏のデザインが素晴らしく際立っている。作品は出来ても、マーケティングが難しいという世の中だと思っていたが、この「土玩具」は注文が先に来ており、その作品を作らなければならないという驚く仕掛けでスタート(詳しい内容は、下妻賢司氏、五十嶋さやか氏、下浦石工の千葉友平氏が執筆されるはず)。
プロフェッショナルな皆さんの才能と行動力に圧倒されながらの1年間。

最近は人が手間暇をかけないことが良いことのように時短が美徳化される。
「土(どろ)玩具」は手間隙かけるから、人が感動してくださるのではないかと思う。
この土台は「土」である。「土」は岩石が風化しただけである。
「土壌」には微生物がたくさんある。微生物は目に見えないが、土を作り、土に植えた作物が人を作り、人が社会を作っていく。
私たちが作る「土(どろ)玩具」はただの土で出来たのではなく、スギダラケ倶楽部メンバー、フィールドワークメンバー、地域住民、弁天会メンバーという様々な微生物が入り交ざった「土壌」で出来た「土(どろ)玩具」なのだ。
土壌は春と秋に二回作る。だから、これからも紆余曲折困難なことがあっても土壌作りは何度もやり直せると思う。
苦しみながらも過ぎてみると、そこには下浦町に「新しい文化」が創造されようとしていた。

   
 
  土玩具の型抜きの担当は下浦石工の千葉くん
   
 
  天草ローネでの着色ワークショップ。右が土玩具デザイナーの上下島堂賢先生。(かみしもじまどうけんせんせい)
   
 
  新しくできたかわいい土玩具たち。左から、弁天さま、めじろおし、ひっぱりダコ
   
 

昨年は下浦町でライブも開催した。「投げ銭ってなんね?」という住民や弁天会メンバーにとって、ギター弾き語りという初の試みに、町中が大興奮。
会場に予定していたお寺の住職が急死されたことで急遽開場変更のアクシデント発生。
しかし廃校跡の小学校体育館に会場を変更し、スポットライトは、投光機と上田氏持参のライトで雰囲気最高。生ビール、だご汁ありで、手作りライブイベントとなった。
鬼頭つぐるライブの大盛況は言うまでもないが、前座の若杉浩一氏と上田和久氏よる「嵐こいち かざおコント」は町づくりに大切な内容を笑いで伝え、参加者から大絶賛だった。

今年の夏には、江口かん監督の「めんたいぴりり」を上映し、監督のトークショーをするという仕掛けも動き出している。天草には映画館が一箇所しかない。大切な映画文化の聖地である昭和レトロな映画館「天草本渡第一映劇」での催しは意義がある。
若杉氏は「下浦コレジヨば創るバイ。ライブも映画もそのひとつたい。」と!
1566年にキリスト教が天草に伝えられ、キリシタンの最高学府である天草コレジヨが河浦葡テに置かれキリシタン文化の黄金期を迎えている。
おおう、下浦にもコレジヨが!と夢が膨らんでいく。

   
 
  MCの、嵐こいち かざお
   
 
   
  活動を続ける中での想い
 

天草市下浦町の人口は1.759人、世帯数770件、65歳以上759人、高齢化率43.1%という地域。その下浦町で暮らす私たちは、日々の生活の中で知恵を出し合い、自分たちの未来を自分たちで決めて行動を興せる集団を目指している。人は、文化やコミュニティー無しでは生きられないと想う。弁天会活動以下の想いで活動している。

1.
先人達が作られた素晴らしい伝統文化が荒廃してこうとしている。もう一度創り守って、住民の誇りとプライドを蘇らせたい。古くからの歴史や文化を知っている長老から伝統文化を学び取りとるため「歴史文化学習会」を開催し、「記憶遺産」として学習会を動画で残す活動を続けている。

2.
住民の生産性や経済的なことも含め、地域で眠っている・・・捨てられている・・・「もったいないもの」を自給率につながるような方法と知恵で、楽しい潤いを得られるようにしたい。捨てられていく晩柑を絞ってジュース販売を行う中で運営資金確保にも役立てたい。活動と生産性が結び付つき、高齢化率の高い地域の経済活性に少しでも繋がればいい。

3.
住民でなければ知らない場所を見つけ出し、町の伝統文化や歴史を入れた下浦フットパスコース「さるく(注2)」を増やしていく。現在二つのコースが出来たが、今後も増やしていきたい。

4.
年二回開催されている町のお祭りや、市が開催する行事に「弁天カフェ」をオープンし、運営資金を作っている。毎回楽しみに待っているリピーターも増えており、寂れていく町の活性化に繋がらせたい。
   
 
 
晩柑ジュースのために絞る絞る   そして売る売る
   
 
  天草の商店街に参上した、竹ひのき屋台
   
 
   
  地域再生の切り札とこれからの展望
 

弁天会は設立から3年目に入ろうとしている今、活動範囲が拡がってきた。

昨年11月初めに開催された天草陶磁器展で、金澤一弘実行委員長が「地域地場産業をどのように育てるか」について講演された。発想と視点が楽しく「爺さん、婆さんを使い倒そう。死ぬ瞬間まで働いてもらおう。お年寄は農業で米や野菜を作ってお金を使わず楽しく暮らしていける。これが地域爺(じい)婆(ばあ)産業になる」と。

「下浦土(どろ)玩具」も製作販売から二年目を迎えるが、「下浦土(どろ)玩具」を地方の田舎の「地域爺(じい)婆(ばあ)産業」にして、高齢者を巻き込むことはできないものかと思う。
高齢化率が高い下浦町では、多くが年金生活をしながら農業や魚釣り等で自給自足をしている。これからの日本を考えてみても、生産性をあげていく日本になる必要があり高齢者も自立していかなければならない。その高齢者を有力な人材として、生産性をとまではいかなくとも楽しく地域で土玩具を作ったり、晩柑ジュースを作ったりして、地域活動と経済が結び付き、僅かでも収入が得られるようにならないだろうか。
「土玩具」は、「土壌で出来た土玩具」となって今、まさに地域再生の切り札になるのかもしれない。
自分達で自分達の町を切り開く未来が今来ているように思う。子供たちも巻き込んでいき、そして、下浦町で2025年問題は怖くないと思える未来づくりをしていきたい。5年後が楽しみだ

この不便な天草へ、年間何度も通ってきてくださる不思議な集団。よそ者が入り込んで新しい風が吹き(どういうわけか、来訪時は風雨が多い)、行動を興し、天草にもスギダラケ信者が増えていく。
未来に向かって進むためにも、有能なの皆様の能力とアイデアと行動力をこれからもお願いしたい。
あたふたしている間に、弁天会は下浦町の町づくりを楽しんでいることに気づいた。

   
 
  天草しもうら弁天会メンバー
   
 
  天草の海に夕日が沈む
   
  最後に若杉語録から
「人は減っても 愛は 想いがあれば減らんし、むしろ膨らんでひろがっていくバイ」
   
 
  若杉さんの大学教授就任祝賀会&還暦祝い
   
  注1
「のさり」とは熊本弁でわが身の理性、知恵、自己本位の計算や意思、教養などのはるかに及ばぬ大いなるものの計らいによって、授けあたえられたもの
(作家 島一春氏)

注2「さるく」とは九州の方言で、歩いて回る
(全国方言辞典)
   
   
   
   
   
  ●<むなかた・かずひさ> 天草しもうら弁天会
 

●<むなかた・けいこ> 天草しもうら弁天会

   
   
 
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