連載
  スギダラな一生/第69笑 「ロシダラケ、スギナンテス」
文/ 若杉浩一
     
 
 
 

スギダラ倶楽部全国大会第三回吉野。
スギダラの公式ツアーの第一回が吉野ツアーだった。20名弱のメンバーでとにかく、スギダラというぐらいなら、杉の名産地ぐらい制覇しようというノリが始まりだった。それから全国を巡ることになる。
たしか、第一回スギコレのグランプリの狩野さんのつてで、こちらも、受け手も曖昧な感じで、とにかく吉野に乗り込んだのだった。そのとき迎え入れてくれたのが石橋さん、吉野中央木材の社長さんだった。宴会では、先方の計らいも考えず、「自己紹介地獄」最初から最後まで自己紹介、挙げ句の果てに、石橋社長を忘れて宴会を閉じようとした。全くひどい集団である。
よくぞこのような、ノリだけの「軽はずみ集団」を受け入れてくれたものだ。 思えば、僕たちは、いつでも、どこでもそうだった。 このいい加減な感じは、未だに継承されている。 どんな、偉い人が現れても敬意は払わないし、ケアもしない。 皆、平等に放りっぱなしである。
よく、色々な地域で、スギダラ倶楽部は、何の計画を立てるでもなく、ケアするでもなく誰かが、リーダーシップを取るでもなく、ゆるやかに連携し、楽しみ、チームが一体として動いているのが不思議だと言われる。

僕たちは、何の不思議を感じないのだが、よく言われることだ。 要は、自分たちでそれぞれ楽しみを見つけ、気がついた人が率先し、それぞれに全員が協力する。そういう人達が、自然と集まってくる。 会社で良く聞く、「あれはどうした?」だの「こうすべきだ。」「どうしたらいいのか?」「何をしてくれるのか?」「何が目的なのか?」という会話を聞いたことがないのだ。
そもそも、どうでもいいことを、楽しく過ごすコトに長けている人の集団だから、とにかく、笑いが絶えない。そして、だれとでも仲がいい。 今思えば不思議な集団である。

そんな集団に興味を持った人が現れた。川原尚之氏、元外務省付きのお医者さんである。ロシナンテスというNPOの代表である。
スーダンで地元の人達のために寝食を忘れ医療従事をしている。 根っからのラガーマン、九州大学医学部を卒業後、外務省に勤務し順風満帆だった、しかしスーダンで外務省のお医者さんとして大使館勤めをしていた時に、一歩外の医療のない世界に驚愕する。医者である自分が目の前のスーダンの人々へ医療行為の出来ない現実に愕然とする。法律、ルールだからしょうがないと思えば良かった。しかし彼は、医者として、ルール、法律以上に大切な「何か」が騒いだ。
人としてどうするか? 一個人として何をすべきか? あっと言う間に、仕事を辞め、大使館を出て、スーダンのお医者になった。 突然、そういう場に出会ってしまったのだった。 そして、何の計算も、計画もなく、お金もなく、活動を始めた。 どうにかしている、意味不明である。 一つの出会いに、全てを捨てさるのだから。 よく家族が許してくれたものだ。
それから、筋書きのない、道が始まる。なんせ、施設もなければ、道具もない、体一丁である。全てがゼロだ。しかし、医療を必要としている人達は無限大。 ゼロ対無限。果たして自分がそんなことが出来ただろうか? いや絶対出来ない、おそらく、見なかった事にするだろう。
僕は、こんな「ふとか男」に出会ってしまったのだった。

コトの始まりは、セントラルユニの宮原さんだった。セントラルユニは僕がお世話になっているクライアントであり仲間だ。そこの変態社員の一人が宮原さんである。同時にロシナンテスの一員である。
川原さんの来日の折にセミナーをやるというセッション、オモロい人と対談をやりたいと相談があった。僕は川原さんのことを良く知らずに、軽く受けてしまった。しかし、間もなく、僕は、あとでえらいことをしたと後悔した。調べれば調べるほど、すげ〜〜のである。
そして、メンバーの皆さんが、はたして、親分に合わせていいものか?と何回も来られた。たいしたことも出来ず、多分、宮原さんのゴリ押しで来たのではないかと推測した。僕は心配になり、宮原さんに相談した。 宮原さんはこう言った。

「若杉さんばですよ、知るには、月刊杉の文ば読んでもらうとがよかね〜、とおもいまして、いくつか教えました。」

「なんば、教えたとですか?」

「はい、マッチ棒でしょ、自由の女神でしょ・・・・・」 後は、覚えていない。

よりによって、始めが悪かった。 こりゃもう、最初から、じごんすだ。

「宮原さん、そりゃまずかでしょう?よりによって、マッチ棒ですか?」

「いや〜〜川原さん喜んでました。安心したって言ってました。」

「まじですか?」

「まじです。」口ごもってしまった。

もう最初から、丸裸である。いや、じごんす野郎である。そして、僕はこの対談を迎えることになる。その前に、僕が、川原さんのブログや文章を読んだ中で、書き留めた文章を。

   
 
  ● ビジネスというのは、利益を追求することを第一に考えていると一般的には思われています。 一方、我々は社会がよくなっていくことを第一に考えています。「徳」という言葉があります。 この究極的に企業とNPOと交わることは、「徳」かな、と考えます。 企業の歴史を見ると、どこも「徳」をもって、企業経営をされてきたように思います。 それが、我々とうまく交われば、と願います。

● 企画がダメになるときは、すぐにでもダメになります。 上手くいくときは、数年先か十年以上先でしょう。

● 「川原さんは日本では神格化されてきていますが、実はパンツ一丁で、でかい屁をふりまくる、単なる屁こきじじいなんですよ」

● 会が終了し、こちらの話を会長さんに聞いてもらい、散会となりました。 みなが、高級乗用車に乗って帰っていくのを横目で見ながら、私は歩いてバス停まで行き、おんぼろバスに乗って移動しました。 そして、汚い道を歩いていくのです。 スーダンの上層部、下層部(単に金銭的)ともによく見ることができました。 本当は、上も下もない世界があるんですが・・・。

● 「フレームを変えて世の中を見る。」ちょっと視点をずらせば、違った世界が見えてくる。決まったフレームでしか見ていないと現実が見えない。自分で新たなフレームをつくって見たら、本当に世界が全然違って見えたのです。

● 巡回医療では、様々な地の長に挨拶をします。色々な経験をします、濁った水を出されたり、彼らが食する物を出されたり、そのときはちゃんと頂き「おいしいですね」ってニコッとします。そこから信頼がはじまります。「医療の原点は患者との信頼関係である。」医者は患者の信頼に応えないといけない、信頼があって、医療は成立するのです。

● 私は今スーダンという人々の医療から色々なことを学んでいるのです。ここは自分にとって「学ぶべき場」なのです。それを実感しています。そういう接し方をすると、村の人達の私への接し方も変わってくるようです。

● 子供達にとって、下痢は深刻な問題を引き起こす場合があります。下痢は悪水から起こります。病気を治すには「きれいで安心して飲める水を供給しよう」と思いついたら古井戸の改修工事を行ないました。そしてきれいな水の為に皆で、水管理委員会を作りました。改修した水は水質が良くて、買いにくる人達も現れました。 何年か後には、木陰のある井戸になるでしょう。更に畑を作ります。村人達が話しあって野菜を作りはじめたのです。色々な家庭で家庭菜園ができるようになれば素晴らしい事だと思います。

●2009年に、フットサル大会を催しました。ロシナンテスを通じてサッカーを  学んだ少年がワールドカップに出場しスーダンが争いのない国になっている  事を望んでいます。

● アシーダと呼ばれる「すいとん」のような食べ物があります。旨いのもではないのですが、不思議と美味しく感じるのです。 満天の星空、聞こえて来るのは風の音と動物の鳴き声だけ。電気も水道も無い何にもないところですが、でも、食事がおいしく感じられる「何か」があるのです。

● 「お茶を飲んでいきなよ」スーダンの人達はよく話しかけてきます。 最近は、お茶を飲む時間が、必要だと思えるようになりました。全力投球ではなく、余裕が必要だと思います。かくいう私は、いつも全力投球しているような気がします。反省すべき点です。
   
 
 

読み耽っていく中で、彼の圧倒的な実体の嵐、事実の嵐に驚いた。とにかく思いついたら、直ぐに実行に移す運動能力の高さ、次から次へと連鎖して仕事が増えていく事、ついには、未来の医療を担う子供達への教育まで及んでいく。出会った、気づいた、目にしたもを、全部拾っていく様な生き方に、ホトホト関心した。参ってしまった。

対談当日、会場でお会いして、写真通りの大らかで、きちんとしていて、素敵な笑顔に、やられてしまった。お陰で、大いに緊張した。 トークのシナリオは無い、自己紹介の後はフリートーク。
うまく行くのだろうか?こんな大物と僕と。 参った、大いに参った。

先ずは、川原さんの自己紹介。短めで軽く、カジュアルな感じだった。 会場に、爽やかな風が吹いた。 続いて、僕。沢山の写真を、ベラベラと捲りながら、一気に話した。 川原さんの目が光った感じがした。 「それなら僕も」という感じで川原さんの写真が現場を伝えていく。 一気に会場の熱が上がって来た。展開する話しは違うのだが、話しの奥底に存在する言葉があまりにもシンクロする、まるで大きな一つ物語が、フラッシュバックしている様な感じだった。
青年期のハチャメチャさ、そして圧倒的な活動量と事実の数、もはや医療を軸とした大いなる未来づくり、それは医療から始まり全てに連携し果てしなく領域を超え、広がっていく。 大いなる未来のデザイン。 観客と対談が一体となり大きな空気が動き出した。 デザインと医療全く違うジャンルの上に存在するソウル、領域を超え、自らを追い込みながらも、何かに向かう力。その「何ものか」を皆で体感した。
あっという間の時間だった。 もはや、「スギダラ」「ロシナンテス」という境もないような一体感が生まれたのだった。凄い時間だった、そして、とても楽しい時間だった。 心が震えた。まるでジャムセッションだった。 終わってみると、結局、同じ血が通う同じ仲間だった。
そして、ここにいる仲間で、東北で一緒に汗を流す事を決めた。 東北ロシナンテスチームの、地元のおばちゃん達の「くつろぎの場、ゲストハウス」を創ることだ。 さあ、また楽しい出来事が増えた。 懇親会の折に、スギダラ全国大会吉野の話しをした。 「行きたいですね〜〜」「いや、行きます、調整します。」まさかだ。
しかし、本当に、川原さんはスーダンからやって来た。 あの笑顔で、いつものようにやって来た。ビックらこいた。 やはり凄い男だ。いつも走ってる、そしてボールを次々に渡していく。 もの凄い運動量なのだ。ロシナンテスとは、未来にトライするラクビーチームなのだ。
それに比べると、スギダラはダラダラである、休んだり、遊んだり、飲んだり、よく飲んだりする。ただ、誰も指示しないのに誰かがボールを進めている。一人として観客がいない、全員がプレイヤー、全員ウォーキングのようなものだ。気づいたら、ゴールを決めている。そして全員で喜び、飲む。 僕は、最初、凄いロシナンテスのメンバーから見ると、スギダラがどう見えるのか心配だった。言うならば、まるで、スーダンの村人の様なチームだからだ。 「まあ、いいから、飲んでいかないか?」というチームだからだ。

しかし、ロシナンテスのメンバーとスギダラメンバーは、繋がっていた。 向かい方や、走り方は違えども、向かっている先や、想いは一緒だった。 ロシナンテスとスーダン、スーダンの村人的なスギダラ。
「ロシダラケ」か「スギナンテス」か、二つの仲間が一つになり新たな形をつくる。面白い、ドキドキする。

もはや、何ものか?どうなるのか?どこへ行くのか?どうするのか?解らなくなって来た。 それで良い、そんな感じで。
未来は見えるものではない、創るものだからだ。
呼ばれるがごとく、流されるがごとく、心が感ずるままに、ただ動けばいい。 だれが、どうで、こうなるという筋書きより、未来に想いを馳せながら、自らが出来る事を精一杯、純粋に、コツコツやるしかない、出来上がったモノでしか表現出来ないし、それしか、未来には渡せないからだ。

また、新たな、楽しい事が出来てしまった。この出会いに本当に感謝している。

   
  出会いを創ってくれた、宮原さん。
そしてロシナンテスの大嶋さん。
川原さんへ感謝の気持ちを込めて。
   
  そして、凄いぞ!!吉野!! そして、次は、西粟倉。大島君!!頼むぞ!!
   
 
  筆者の55歳の誕生日にオフィスまで駆けつけてくれた川原さん(左)と筆者(右)
   
   
   
  ●<わかすぎ・こういち> インハウス・プロダクトデザイナー
株式会社内田洋行 所属。
2012年7月より、内田洋行の関連デザイン会社であるパワープレイス株式会社 シニアデザインマネージャー。
企業の枠やジャンルの枠にこだわらない活動を行う。
日本全国スギダラケ倶楽部 本部デザイン部長
月刊杉web単行本『スギダラ家奮闘記』:http://www.m-sugi.com/books/books_waka.htm
月刊杉web単行本『スギダラな一生』:http://www.m-sugi.com/books/books_waka2.htm
月刊杉web単行本『スギダラな一生 2』:http://www.m-sugi.com/books/books_waka3.htm
   
 
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