天草下浦フィールドワーク2014
  下浦フィールドワーク感想文集
文/写真 下浦FW参加者
   
 
 
  チシュウフウ/福岡女学院大学
 

今回のプラグラムに参加させていただいて、本当にありがとうございます。私が大学で「まちづくり、歴史的な街並み、観光まちづくり、地域活性化」を勉強していますが。このような地域住民と交流しながら、地域の良さを再発見する活動ははじめです。たくさんの刺激を受けて、出会い、学びができて、本当に感謝します。論理と実践をうまく生かしながら、バラスをよくとれるように、このようなプラグラムは自分が教室の中で勉強した内容を実際に実践していくことができました。地域再生に直接に貢献できなかったかもしれませんが、これから、「よそもの」「ばがもの」「わかもの」と呼ばれる私たちいが一緒に努力して持続すれば必ずこのプログラムが実現できると信じています。

今度のフィールドワークにもぜひ参加させてください。

   
 
 

ツ 蓮河 <チョ・ヨナ>/SONY株式会社

 

町づくりは、人が暮らす街を作ることなので、活動の全てのところにどれだけ人間力が必要なのかが分かった。藤原先生の人を巻き込む素晴らしい能力は、インフラや知識ではなく、情熱であることを学んだ。
驚いたのは、
1) 初参加だった自分を細かく面倒みてくださったこと(前日泊まり)
2) 初日、どれだけ事前準備を心を込めてやってきたのか。下浦についたら住民の皆さんが歓迎してくれたことや先生が皆の名前を書いてくださったことなど。
3) 二日目、ワークショップが始まるとき、先生は学生のようにプレゼン資料を急ぎで作り直していて、そのあと順番がきたら、皆の前で情熱的にプレゼンしてくださったこと。

'学生が先生に向かって宿題の発表をして先生がえらいコメントをくれる'ことでなく、先生がすごく熱心に学生を含んだ皆に向かって熱いプレゼンすることは、本当に驚きだった。誰もマネできないし、心が込めてないとできないことで、それが人間力・人を巻き込む能力だと思う。
その先生の姿から、皆が純粋に下浦に対してのチャレンジしたいモチベーションや人に対しての愛情と夢が膨らんで来たと思う。
上にも書いたように、実際に何かしらの商品または事業にならず、ただのイベントにしかならないことに懸念点があった。しかし「街」に対しての価値観を変えて、これから長く続く地域の歴史の中で、ただ今、この土地に集まった人たちが楽しく・自然にやっていくことが大事だと思った。
皆の歴史と地域の歴史の接点作って、人も地域も健康的に成長して行くことが本当の街つくりになるのではないか。
それは、ワークショップが終わっても、下浦にいるチームメンバーと繋がっていることからよく感じる。これからもこういったワークショップにもっと参加してみたいと思った。

   
 
  イ・インソ/韓国産業技術大学
 

始めから問題に関して討論して、問題中心の狭い視覚を持つことより、現地住民たちと村を巡ってみて下浦をより広い観点でみて考えられればいいと思います。今回の機会を通じてデザインというのは外的な美を目指すことだけではなくて、現場で学んだ感情的な表現も重要だと考えました。そして、この二つが一緒になってからこそ、デザイン文化になるだろうと思いました。

プログラムの全てが有意義で、楽しい時間でした。ワークショップのみならず、ホームステイも大切な経験でした。ホームステイを通じて下浦の住民たちと交流ができ、日本の家庭も体験できました。残念なのはグループ活動の時間が短かったことです。もっと長かったら良かったと思います。また、日本語を話せないので沢山の人と交流しなかったのが残念です。しかし、2泊3間沢山の事を学びました。下浦の美しい様子をまた見たいです。次回参加できたら、その時は日本語の勉強も頑張ってもっと積極的に参加したいと思います。

   
 
 

李 相敬<イ・サンギョン>/韓国産業技術大学

  非常に有意義で楽しい時間で、忘れられない経験になりました 。
ただ、地域の方々と触れ合える時間がもうちょっと欲しかったですね。
心残りはそれぐらいかな。
   
 
  金 智善<キム・ジソン>/韓国産業技術大学
 

2泊3日間の短いワークショップだったが、下浦の発展のために新しい人が集まって、プログラムを進行するということは有意義だと思います。韓国人として言語疎通が円滑にならなかったので、あまり積極的に参加できなかったのが残念です。

   
 
 

チェ・ヨンヒ/韓国産業技術大学

 

初めて参加してみたワークショップでしたが、とても興味深かったし、いい人たちと交流ができ、幸せでした。
ワークショップを通じて会った日本人の方々もみんなが優しかったので、また今度日本に来たいと考えました。またワークショップを通じて大切な縁を持つようになったホームステイの石井さんにとてもお世話になったので一生、記憶に残ると思います。
ワーショップで行った課題、また人と時間は一生の間忘れられません。このような機会をくださって本当にありがとうございました。

   
 
  パク・ジンソル/韓国産業技術大学
 

このように文章を書きながら、前の事を思いおこすと大切な思い出になったと思う。プログラムの構成は良かったが、時間が短かったのが少し残念である。もっと、沢山の体験をしたかった。プログラムの一つ一つが結局下浦の改善を目指しているので、それぞれのプログラムを行って、他のプログラムと結合するかたちで進化して行ってもいいと思う。

   
 
  五十嵐浩司(いがらしこうじ)/パワープレイス株式会社
 

今回参加できることになって、最初はどういう立場でワークしていこうか迷いはあった。でも実際FWが始まってみると、そんなことあまり気にせず、というかする必要もないなと思えた。参加者がそれぞれに自主的な意思を持って参加しているので、熱い人達が多く実際熱かった(笑)町の人々のニュートラルな姿勢もとてもよくて、歓迎してくれるありがたさと、普通に接してくれるありがたさがあった。
3日間はあっという間だった。
無人島PJに参加したが、結果としては「これ!」という提案・デザインができなかったなという後悔はある。もっと住民の人や参加者に響くことがしたかったなと。
ただ、一緒に参加したみんなが楽しめた、下浦町を味わえたのだろうという実感はある。そこで感じたものをそれぞれが持ち帰って、少しずつ大きくしてこれからもつながっていきたいと思う。
こういった活動は継続性が何より大事だと思うし、思うだけでなく実践しなければなと感じている。
来年と言わず今年中に、別の季節の下浦・天草にも行ってみたいと思っている。

   
 
  千代田健一(ちよだけんいち)/パワープレイス株式会社
 

今回は初めての土地で、初回訪問ということだったので、まちの人々と深く語り合う時間が殆ど無かったと言っていい。九州大学藤原惠洋研究室としての地方都市再生のための方策研究として見た場合、若者の意識を地方都市や過疎地域に向けるきっかけとしてはとても優れたプログラムだと思うし、いつかはこの経験を積んだ者が活躍社会人として実際赴いたまちに寄与したり、他の地域において実を結ぶこともあると思います。
しかしながら、純粋に地域再生を成し遂げようとするには無理があるとも感じています。下浦はまとまった規模の企業体がいる訳でもないので、けしかけて地域貢献してもらう訳にもいかないし、今回は特にこの地の行政の顔も見えなかったので地域活性化のためにどのような施策があって、どれだけの予算使えるのかイメージも持てなかった。まちづくりを論じるには役者が足りないと思います。こんな中で藤原一派またはスギダラ一派が研究を超えて、仕事を超えてできることは応援団としてこのまちを盛り上げることだけ、と言うと言い過ぎかも知れませんが、互いにもっと本気モードになって行くには年に一度のイベント(お祭り)では継続性が持てないように思います。
これはイケルかな?と双方で感じ取ったテーマに関してはイベント後も継続して活動して行けるやり方を見出さねばならないのではないかと思っています。
そのためにも仕事化するための予算取って来たり、縦割りの役所の部署を横断的に繋いで行けるような行政マンの仲間も欲しいですよね。ま、そんな人材ってどこにでもはいない逸材なんですけど・・・
それからプログラムに関しては、帰りのバスでもお話ししたように、地域の人々と一緒に過ごす時間を多く取れるようにした方がいいと思います。
例えば、合宿所のようなところで地域の皆さんと一緒に食事を作ってみんなで食べるとか、ぽんかん畑の世話をしたり、石運びやるなど現地の皆さんの仕事を手伝うとかね。現状は学生だけが民泊ホームステイですが、場合によっては社会人も皆一緒に寝泊まりしてもいいかも知れません。そうなると今回のような大所帯では無理がありますので、参加人数や人材のキャスティングももう少し練る必要があります。それから、社会人参加者と学生たちももっと深く語り合う時間があった方が良いので、3日あったら1日くらいは夜遅くまで一緒に飲み明かすようなこともできたら良いですね。とにかく、世話になる皆さんとのコミュニケーションの濃度を年々高めて行く。いつの間にか親戚のような間柄になってる。それが一番の希望です。

   
 
  大津 由理(おおつゆり)/福岡女学院大学
 

無理を言って途中から2日間参加させていただきました。
このような取り組みに参加するのは初めてだったため、びくびく、どきどきしながら参加いたしました。あまり旅行や観光に行くことがないので知識不足でしたが、天草、下浦ってこんなにいいところなんだと知らなかったことを後悔しました。
どうしていいかわからず、あまり積極的には参加することができなかったですが、
私も楽しめる雰囲気でいい汗を流しました。
今年で一番汗をかいたんじゃないかというぐらい汗だくだくでしたが、気持ちよかったです。
フィールドワーク自体だけでなく、そこで食べたものや温泉も最高でした。

   
 
  長谷川千紘 (はせがわちひろ)/愛知淑徳大学
 

今回、初めてフィールドワークというものに参加して、視野が広がりました。愛知から一人参加して、誰も知り合いがいないという状況の中、うまくやっていけるかすごく心配でしたが、みなさん本当に優しくて、参加して良かったと実感しました。民泊先のお父さんやお母さんにもとても良くしていただき、田舎の祖母の家に帰省しているような感覚でした。人生のなかで無人島に行くことなどきっとないですが、無人島に行くという貴重な体験ができたし、夜寝ていて足の上に蜘蛛が乗ってくるなんて体験もできたし、下浦で過ごした時間は非日常という感じがして、日々の学生生活の中では体験できないことづくしで、とても楽しかったです。日本にはこんな素敵なまちが残っていたんだと実感しました。そして、何よりも自分の地元と下浦が繋がっていて、本当に驚きました。下浦の石工の職人さんたちが岡崎に石工のまちをつくり、今では下浦の石工の職人さんたちが岡崎へ修業に来たりと、私が下浦へ行ったのには意味があったんだと(勝手に)思いました。笑

これも何かの縁だと思うので、岡崎の発展の過程をたどりながら、これからも下浦のまちの発展をお手伝いできたらと思います。このフィールドワークを企画してくださった藤原先生をはじめ、研究室スタッフの皆さん、本当にありがとうございました。
   
 
  内田 亮 (うちだ あきら)/パワープレイス株式会社
 

九州には旅行で何度か訪れたことがあるのですが、天草には行ったことがなかったので是非行ってみよう、という動機も半分くらいある中での今回のフィールドワーク参加でしたが、思い掛けず様々なモノ(想い、情熱、希望、期待、反省など)を持ち替える旅となりました。
考えてみると、普段の自分達の「仕事」というものも本質的には「誰かのためになること」を思い描いて実現する、ということの繰り返しです。その意味において今回のフィールドワークは決して非日常の取り組みではなく、普段の生活と地続きにあるテーマに対する取り組みであり、「自分にとっての仕事とは?」といったことを改めて考える大変良い機会でした。
過疎化、少子高齢化、人口の都市部一極集中といった問題は国内様々な地域で見られる問題です。どうにも大きすぎる問題なので、なかなか「自分ごと」としては捉えにくい問題ですが、皆が集まって「この地域の将来はこうあるべきだ!」「こうありたい!」「こうなれば良いな!」と希望と情熱を共有することで何だか突破口が開けそうな、自分にも何か出来そうな、そんなエネルギーが感じられ、また自分もエネルギー補充して帰京しました。
貰うばかりではいけないですね。ちゃんとフィードバックできるよう、この問題について日常生活の中でも継続的に考えつづけて「自分ごと」にしていきたいと思います。

   
 
  木村敏之(きむらとしゆき)/ソニー株式会社
 

少し残念だったのが、折角海外から参加してくれた韓国の学生さん達との交流やサポートが十分ではなかったように感じられたことです。Aグループは各個人での発表を行っていましたが、彼女達の経験という点では成果物までグループで導けるような流れの方が良かったかもしれません。私自身、学生時代に韓国でWSに参加し言葉が通じないながらのコミュニケーションが大きな糧になった経験があったので。

   
 
  小野裕幸/(株)こどもデザイン研究所
 

第1回目であり、これから時間をかけて掘り下げてみたいと考えています。

   
 
  金子賀寿彦/
 

前年度から計画を進めていた下浦フィールドワーク事業を無事行う事が出来ました。1年目ということで、全てが初めてでしたが、大きな問題もなくスムーズに3日間を終えました。
 今回フィールドワークに参加して、アイディアの具体的な肉付けと、地域住民の重い腰をどうやって持ち上げていただくかが重要だなと感じました。
 私は今回スタッフの立場だけではなく、実際に九州大学の方々と共に行動し発表まで参加しました。その中で、3日間の活動期間の中では、中々深いところまでアイディアが出ないことを強く感じました。
 各班ごとに沢山のアイディアが提案されましたが、すでに挑戦し上手くいかなかったものや、地形・性質・予算などで厳しいもの、現状で安定していて変化させる事が難しいものなど、現段階では様々な問題が見え隠れしている様でした。
 今後2年間を通して、フィールドワークに参加する方々は、もっと沢山の町民と交流してほしいと思います。石の商品などのアイディアならば石屋、自然を生かした地域活性なら農家や漁師など、専門分野の方に意見を求めると同時に、1人だけの意見を参考にせず、何人も交えて意見を出し合うと、より具体的なアイディアが生まれると思います。
 「できない」だけでは何もはじまらないと言いますが、田舎の人は「できない」「自分はしたくない」と考える人も少なくないので、沢山の人と交流し、来年、再来年と発表を聞いてもらい「できない」が「やってみよう」に変わるようなアイディアを町民と共に作って行きましょう。そのため、来年のフィールドワークは更により良いものにしていけるよう内容を見直し、より充実した活動が出来るよう努力していきたいと思います。

今年度のフィールドワーク本当にお疲れ様でした。また来年度も参加して下さい。お待ちしております。
   
 
  佐々木安子/
 

石工・世界遺産・グラバー邸・・・ 一つ一つの言葉はどれも知ってはいたが、これらすべてが「下浦」とつながりがある事を学んだのは、初めて参加した5月28日のコミュニティセンターの会議の席だった。
生まれ育った町にこんな財産があることがとても嬉しかった。そして、人力で頑張ってこられた先人方の威(偉)力に敬意を感じた。下浦のことをきちんと知ることができるようになりたいと思った。

フィードワーク当日は外回り的なことでしか参加できなかったが、その中でも多くのことに気付いた。
まず、冷房のない部屋での熱中症予防対策。職業柄それなりの準備と覚悟はしていたが、渡辺さんの甘夏の差し入れと会長に大量の氷を準備して頂き、心配無用で済んだ。何よりも参加者の方々の熱気が室温に勝っていたのかも知れない。次に食中毒予防。これは、女性部の方々の「母性愛」に満ちた隠し味の成果が大きかったと思う。
予想外での学びの一つはゴミ対策。これは次回につなげる課題に気付けた。資源ゴミの分別についてオリエンテーションは不可欠。
二つ目は、ちびっ子の遊び場と昼寝の場所の確保。くまもんのパズルや輪投げが石細工で作れたらいいな。

   
 
  渡邊英人/
 

皆さんは「グローカル」という言葉をご存じだろうか。
「グローバル(地球的規模の、世界的規模の)」と「ローカル(地方の、地方特有の)」を結び付けた造語で、「国境を越えた地球規模の視野と、草の根の地域の視点で、さまざまな問題を捉えていこうとする考え方」のことで、グローカリズムともいわれる。私は、この言葉を「グローバルな観点で物事を考え、地域経済・社会(ローカル)の持続的な発展に情熱を注ぐこと」として捉えている。
私のライフワークは地域づくり活動であり、その活動の根底に置いているのが、グローカルな視点で活動することである。これまでも、金焼校区活性化推進協議会をはじめ、さまざまな地域づくり活動に、地域の皆さんと一緒に取り組んできた。しかしながら、着実に進んでいく人口減少や少子高齢化に伴い、地域の活力が低下してきているのは否めない事実である。
このような中、九州大学の藤原先生のお導きにより、我がふるさと、天草・下浦の地で、九州大学と下浦地域が一体となって、地域の課題解決や地域振興策を研究する域学連携の取り組みが始まった。なんとも信じられないような有難い話である。地域づくりをライフワークとする私にとっては、「よそもの・わかもの・ばかもの」の視点がいかに重要かはよくわかっているつもりだし、いろんなところで注目され、成果を上げている地域は、そういった人たちが大いに関わっているのである。まさに、地域に住んでいる人たちだけではわからない、グローバルな視点で、ローカルな課題の解決策を一緒に考えていくことができるのである。今後、どのような地域の未来図を一緒に描いていけるのかを想うとワクワクしてくる。
グローカルな下浦フィールドワークに大いに期待するとともに、これまでになかったワクワク感を抱き、楽しみながら、「為せば成る」の精神で地域づくりに関わっていきたい。藤原先生、そして、九州大学をはじめとする関係者の皆様、本当に有難うございます。そして、末永くよろしくお願い致します!

予想外での学びの一つはゴミ対策。これは次回につなげる課題に気付けた。資源ゴミの分別についてオリエンテーションは不可欠。
二つ目は、ちびっ子の遊び場と昼寝の場所の確保。くまもんのパズルや輪投げが石細工で作れたらいいな。

   
 
  冨安 英猛/下浦調査研究事業実行委員会
 

下浦フィールドワークの最中に、藤原先生から「江戸城御用達の石山を守る」という日本経済新聞の記事をみせていただきました。
今から400年前、江戸城の大修復の際に、石垣に使われた大量の石は、静岡県の伊豆半島東海岸から切り出され、伊東市周辺にその痕跡が残っている。採石場は「石丁場」や「石切り丁場」呼ばれている。
10年以上前から仲間と石切り丁場の歴史を調べ、草木を切り払ってハイキングコースとして整備をしてきた。現在はNPO法人「宇佐美江戸城石丁場遺跡保存会」を結成して活動している。
石丁場は貴重な歴史の教材だ。子どもたちが郷土の歴史を学ぶため、地元の小学校では皇居を回る修学旅行の事前学習で、宇佐美の石丁場を見て回るようになった。一方、東京からも小学生が夏場の体験学習などで石丁場を訪れている。
地元の市では現在、石丁場が残る一帯を国指定の史跡に認定してもらう申請を、来年度に出す準備を進めている。石丁場の歴史的価値に注目する動きも各地で高まって、心強い限りだ。というような趣旨の新聞記事でした。
いままでは御所浦だけがジオパークとして認定されていましたが、この8月25日には、天草全島が日本ジオパークに認定されました。下浦石が認定されていますし、国の重要文化財祇園橋、県の文化財である楠浦の眼鏡橋、市の文化財施無畏橋も認定されています。
来年の世界遺産に三角西港や長崎の軍艦島が登録されることになれば、それの築造に深く関わった、天草石工、下浦石工の評価が高まります。
小学生が長崎のオランダ坂に修学旅行に行く前に、事前学習として下浦の石切丁場を見学に来るようになるかもしれません。

   
 
  張慶彬(ジャン・ギョンビン)/藤原研究室博士1年
 

私の故郷は韓国の釜山です。軍事独裁による黒い社会の背景や工業化によって急変する都市の中で生まれました。その後、私は韓国の民主化や脱工業化を経験しながら失った釜山の魅力や共同体に関して考えることになりました。韓国は2000年前後から「まちづくり」という概念を取り入れ、実施しています。しかし、従来住民参与の経験が少なった韓国では、住民によるまちづくりより、行政によるまちづくりが頻繁に行われ続けています。そこで私は、「まちづくりとは何か?」という疑問を持ち、アジアで初めて「まちづくり」という概念を使い始めた日本への留学を決心しました。
私が住んでいた釜山では甘川文化村という町があります。朝鮮戦争によって、釜山の山の傾斜面で避難生活を始めた人が集まり結成された町です。傾斜が60度に至る甘川文化村では、安い家賃や都心への接近が便利ということを理由に90年代末まで沢山の人が住んでいました。しかし、2000年に入り、都心の移転や工業化の衰退によって人口はどんどん減少しました。そこで、釜山は2009年より「甘川文化村」という名のもと、アートによる地域再生、又は住民によるまちづくりを行っています。そこで、私は下浦のフィールドワークを通して、釜山のまちづくりと、日本のまちづくりの違いを知りたいと思い参加を決意しました。三日間の天草下浦のフィールドワークは、韓国の留学生である私にとって、日本のまちづくりを理解するいいチャンスでした。
私がこの三日間学んだことは三つあります。一つ目は、よそものにたいして開かれたまちの重要性、二つ目は文化資源調査の重要性、三つめは課程としてのまちづくりの重要性でした。私が考えた下浦に対する感想を甘川文化村と比べながら書きたいと思います。

一. 「下浦で会いましょう」               
下浦のフィールドワークで一番驚いたのは、約50名余りの多様な方々が参加しているということでした。私が釜山で知っているまちづくりというのは、大学先生により構成されている「村企画家」または行政の教育により育成された「村活動家」などのリーダーによる運営の形態でした。しかし、下浦のまちづくりは誰も参加でき、誰も自由に自分の意見を言うのができる開かれた形式でした。そして学生の場合は住民方の家でホームステイをしながら、下浦の住民ともっとも積極的な交流ができ、よそものを暖かく受けている住民の方々に大感心しました。このような年齢、職種、国籍を問わず参加ができる中で素敵な映像作品や無人島アートプロジェクト、まるごと博物館などのテーマの中で多様なアイディアが生み出すのができたと思います。

二. 「下浦を学ぼう」
本格的なグループ活動の前に、郷土史家近藤先生のお話を聞けることや村の調査は大変貴重な体験でした。甘川文化村の場合はまず住民の生活と離れているアート作品が入り、なかなか住民の暮らしの中でアートが吸収できず、暮らしの周りに残っている気がしました。現在の甘川文化村での地域資源の活用というのは空き家を活かした作品設置に止まっています。しかし、下浦の文化資源の活用と甘川文化村の違いは、それが住民の矜持になるのかならないのかだと思います。下浦の場合は、豊かな自然環境や石工の匠を大切にしながら、下浦石を地域の特産物として把握している反面、甘川文化村は、空き家をはじめ貧しい暮らしを象徴するものだという認識が依然として根強いことも事実です。持続可能な発展のためには、下浦のようにまず地域の資源調査を行い、住民が矜持を持てる資源またはストーリーを発掘するのが重要であると考えられます。

三. 「下浦を育てよう。」
下浦のフィールドワークが終わり、常々韓国の成果重視のやり方に慣れている私にとっては、ずっと解けない疑問がありました。「下浦のワークショップの成果は何であろうか?」、「また、40年以上進行している日本のまちづくりの目的は何であろうか?」私は散々迷ったあげく、日本のまちづくりと韓国のまちづくりの大きな差に気が付きました。韓国は遅れた民主主義の発展や産業の発展のためには課程より成果を重視しなければならなかったです。一方、日本は成果と共に課程も大切にしながら発展して来たので、まちづくりという概念が生み出しやすかったと考えられます。下浦のフィールドワークでは、多様な人の参加により多くのアイディアが創出されました。私はそれが今回のまちづくりの主な目標ではないかと思い、今こそ分かるようになりました。下浦のまちづくりワークショップは、モノを何か生産することより、まちを育てようという気持ちを生み出すのが大切だということを。大勢の人が下浦に集まったのは、まちの可能性を住民の方々に紹介するためではないでしょうか。それによって、住民参与による下浦まちづくりの目標は達成されるわけです。
私の感想は、留学生として下浦のフィールドワークから学んだことでした。最初は下浦の発展のために何か作るべきだろうという考えが強かったですが、下浦のフィールドワークが終わってからは、どうすれば下浦の魅力をよそものとして伝えることが可能であろうかということに気が付きました。2泊3日間、日本のまちづくりの方法に素人であった私は、下浦のまちづくりを通じて日本のまちづくりの意味を理解した貴重な経験になりました。その意味を理解すると、下浦の懐かしい風景が思い浮かびます。湖のように穏やかな海、下浦石工の優れた機能、砂岩で構成された下浦石の独特な触感、そして暑さを冷やしてくれたポンカンの涼しさや甘さまで。何もより日本のおもてなしの文化を感じさせていただいた吉田さんのご家族の親切さを忘れません。あらためて吉田さんのご家族の皆様にお礼申しあげます。

   
 
  張榮E(ジャン・ヨンミン)/藤原研究室研究生
 

2014年7月25日~27日、最初ので行われた天草下浦のフィールドワークを参加する前には藤原研究室に数多くのフィールドワークの一つとだけ考えていた。どのように進められるのかどのような準備をしなければならないのか下浦はどのような町なのかを把握しないまま出発をするようになりましたし、多彩な専門分野のデザイナーたち、学生たち、先生など多くの人が一緒に参加するフィールドワークははじめてだったのに出発しはじめてから全体的な雰囲気を把握して精神がなかったのが事実だ。現場に到着しても、やっぱり不足した日本語の実力によって進行過程をまともに把握していなければ、私が果たして役に立つことができるかを考えていた。しかし、様々なプログラムが進行してチームを分けて活動をするようになり、今回のフィールドワークを進める理由及び下浦に対する全体的な雰囲気、目標を自然に知り合うようになったし、私も一員として私の考え方及び私にできる分野についてできるように努力するようになった。

二番目の日行われたA、B、C、D、E、F、Gでチームを分けて活動をしながらは一つのテーマについて、チーム別に集中度をもって悩みできるという部分でいいと思っていたが、初めて行われたフィールドワークだったため、問題点を把握して代案を提示する上ではやはり時間が不足したと思う。しかし、このような過程たちは初めて行われるフィールドワークであるため、必ず必要な過程だと考えをして回収が繰り返すほど同じ部分に限って悩みをするのではなく行われた過程での問題点を正確に把握して2番目に行われるフィールドワークでは問題点把握と代案提示する過程が、さらに発展されなければならないだろう。私はCチームで活動をしたがCチームでは無人島をテーマに進められた。Cチームに集まった人たちは無人島で出発する前にまず服装から点検をした。無人島であるだけに、蛇が出る可能性もある、暑い天気なのにもかかわらず、無人島であるため、陰がなく、虫もたくさんある可能性があったために腕が長いTシャツやタオル、帽子、長いズボン、運動靴は基本的に必要した。そして出発する前に会議を簡単にし、無人島に到着して周辺を体験して経験しながら個人的に思ったことをメモ紙に作成して、長所、短所に分けて無人島を通ってきた後に総合することにした。Cチームのチーム員たちが'無人島'いう名前自体だけでも興味と期待を持っていたし、私も初めて行ってみている無人島に大きな期待をして無人島で出発することになる。無人島に行く過程からが相当興味深い。出発する上では船に乗って入るが、彼の全景が最高だ。青い空と海の色、遠くから見える青い無人島風景がとても美しい無人島に行く道は期待感を高めた。、無人島を振り返り、無人島の形態によって泳ぐことができる安全な場所及び無人島だが、陰が存在するところ、特に石が多く存在して生物のヒトデ、貝、などがたくさんあるなど、やっぱり一番良いメリットは'自然'の直接的な体験というものだった。、無人島を経験してきては各チーム毎に発表することになるが誰一つ漏れなく一生懸命やったし、チームメンバーの中でもそれぞれのできる分野があったために、各自の役割を務め、チーム員たちはプロジェクトを進行した。私自身はやっぱり日本語の直接的なコミュニケーションが不可能だったため、その場で努力できる部分を見いだそうとした。しかし、発表をしてやや物足りない部分があると思ったのに無人島の全体的な把握は可能だったが、代案を提示する部分において、非常に不足し、代案を提示する部分が不足したために発表をした内容が'無人島では、自然体験が可能である'に止まったということに相当したのは残念だ。当時、現場を経験した私の考えは無人島に到着をして無人島を振り返り、無人島は本当に'無人島'ということだ。名前自体だけでも理解できるが、現場を経験してみたら、もっと悩んでいるしたのは果たして'無人島'で'何'を'どう'発展させることができるか、ということだった。当然、この問題を持って無人島を調査しに行ったのだが、現場を目で経験してみたら、困っていたのが事実だった。今回のフィールドワークでは無人島体験を通じて無人島の事実的な雰囲気や地形図の把握が可能であり、単純に考えて周辺に海があって自然があるので、遊泳できるということと自然的な体験な釣りや木、砂、石などを利用して自然を体験することができるプログラムを作ることぐらいだが、これをどのように観光化させて単純に考えられることだけでなく無人島でのみ可能なもっと特別な代案を提案することだけじゃなくこの代案の中で現実的に可能なものを選択し、事例としてコンピューターの技術的な面を利用してシミュレーションしてみるのが次の進行されるフィールドワークでの課題だと思う。同時に自然を最大限傷つけず、観光化できる方法の部分も落としてはならないのだ。多様な分野における人たちが参加して意見を述べ、代案を一緒に提示するという部分はかなりの効果をもたらす。一つの視線で考えるのではなく様々な技術を持った人々が様々な視線で眺めながら一つになって一つのプロジェクトを実行するということは考えなかった相当な効果を招き、彼に対する結果物もすごいということを改めて直感することができた。やっぱりプロジェクトを実行する原動力は'協力'だと思った。今度行われるフィールドワークでもさらに多様な分野における学生、デザイナーなどの人々が参加してプロジェクトを進めることができるようになることを期待する。また一つ、忘れられない部分がありますが、下浦の住民のみなさんだ。下浦の地域住民たちの親切さに感動をしたのだ。天気も暑かったから体力が足りないもできた状況だったが、美味しい食べ物を提供してくださっては考えなかった小さな部分まで丁寧に配慮してくださったおかげで無事にフィールドワークを終えることができたと思う。とてもとても感謝した心に'監査'の心をどう表現したらいいのか分からない。留学生活をしながらの今回のフィールドワークはとてもいい経験で、体験だった。私がこのプロジェクトの一員として参加をして活動をしたこと自体だけでも光栄だと思うけど、今回のフィールドワークでの残念さなら、当然足りない日本語の実力で全体的な雰囲気把握をし精神なしにた自分自身を振り返って見るようになり、私が助けなりうる部分において自らの役割を果たせなかったという部分が一番残念な思いが残る。これから先あるフィールドワークも当然参加することであり、心残りを後にして今度は私ができる部分を明確に把握し、より積極的に取り組んでみたい。

   
 
  タカクラタカコ/藤原研究室
 

天草下浦の熱い熱い夏

Shimoura Beat 下浦の音を集めた一つの映像が出来上がった。
短い時間で作り上げた作品は、石工の音=下浦の音と映像をぎゅっと凝縮したもの。最終日の発表は、多いに盛り上がった。
さらに、ホームステイ家族とのお別れ式は、近藤さんと志村さん親子のコメントにキュンとなるような場面もあり、熱い熱い三日間が終了した。

今年で四回目となった天草フィールドワーク。毎年、新しい出会いがあり、新しい発見がある。
このフィールドワークは、よそ者達が「地域の課題を見つけながら、解決する」というだけではなく、参加したよそ者たちそのものも自分を見つめ直すことができるというもの。
地元の人達とじっくり話をしたり、汗をかきながら、地域のあちこちを歩き回ることによってあぶり出されて来る課題に得意不得意関係なく一生懸命取り組んでいると日頃の自分が見えてくる。それはちっとも格好いいものじゃなくて、あーあの時もうちょっと頑張れたなとか、わかっているけど見て見ぬ振りしてることがあるな、、、とか思い浮かぶのは反省点ばかり。
だけど、フィールドワーク終了とともに、次回来る時までに、もっとブラッシュアップしておこう!と気持ちを新たにスタートできる。
毎回、同じところでつまずいたりしているが、それでも、熱い夏で出会った人達やモノやコトが忘れられなくて、参加しています。

熱い夏が特別な日になるんじゃなくて、この熱さを日常にも持って色々なことに取り組みたい。

下浦フィールドワークを支えてくれた地域の皆様、藤原惠洋先生はじめ今回出会った皆様、参加出来なかったけど熱い気持ちを送ってくれた皆様に感謝の気持ちを込めて。

   
 
  中村緑/
 

「3日間天草の下浦でフィールドワークがあるよ、参加してみる?」
実施の3か月ほど前に学部時代の友人である藤原研究室の吉峰くん、そして岩井さんにお声かけしていただいたご縁で参加した今回のフィールドワーク。楽しそうという好奇心から参加を決めた。実際に参加してみると、想像以上に実のつまった体験が私を待っていた。

今回、二泊三日という短期間であったが、毎日毎日、一瞬一瞬が出会いの連続だった。町を歩いたり、無人島に行ったりと様々なものを見て、体験した中で、特に地元の方々との「会話」が心に残っている。それは宴会の席のようにセッティングされた場面ではもちろんのこと、町を歩きながらぽつりぽつりと生まれる会話、すれ違う時の温かい声かけなどだ。とりわけ2日目の夜の会話が印象的だった。地元の方々とのバーベキューにおいて石工の方と話す機会があり、仕事への情熱と信念、下浦の現状を見つめる冷静な目、下浦の石工の歴史を語る姿が忘れられない。観光パンフレットや情報サイトからは得られない声を聞くこと、知ることはとても新鮮だった。
また、私事であるが、私は普段マスコミ業界におり、「情報」をデザインで彩る仕事をしている。他の人から間接的に情報を得るばかりになっていた自分が、人の声や風景、においといったものを体全体で感じ取り「情報」を得ることの豊かさを認識できたことは大きな刺激となった。

二泊三日、藤原先生、藤原研究室のみなさま、温かくもてなしてくださった下浦の方々、社会人のみなさま、今回のフィールワークの実施を支えてくださったみなさま、本当にお世話になりました。ありがとうございました。

 
   
 
 

藤原 風人/駒澤大学グローバル・メディア・スタディーズ学部4年生

 

2014年7月25日から2泊3日という行程で開催された下浦フィールドワークでの体験は、これまでの私の中にあった世界観を大きく変えるきっかけになったと言っても過言ではない。昨年の9月から、大学の交換留学生として1年間という期間でアメリカはロサンゼルスにあるカリフォルニア州立大学に国際社会学を学びに行っていた。現地では主に、アジアを中心とする現在活性化している地域の歴史的、文化的、宗教的背景がどのようにグローバリゼーションに伴う変化に影響しているのかという点に着眼し、研究を進めていた。社会全体を中心として考えるマクロ視点からの考察方法である。

今回九州大学藤原研究室を中心として行われた天草・下浦フィールドワークでは、よりミクロな視点、つまり細かい視点で考察し、新たなアイディアを発想し、そこに眠っている原石を見つけて、それを磨きあげ、再度地域全体を盛り上げられないかという事が論点と中心になった。その地域に住む人々が今までどのような生活を営み、どのような歴史を持ち、どのような考えを持ってきたのか、社会全体という大きな枠組から捉えるのではなく、個々人という小さな枠組みから捉える事が重要視される。これは、交換留学期間中に学んだ事や、これまで国際社会学という学問の中で学んできた事とは異なり、とても新しい体験となった。はじめは地域の方々へのヒアリングや、共同作業に若干の戸惑いを覚える事もあったが、それは間もなく解消される事となった。フィールドワークの参加者のみが調査を行うのではなく、地域の方々との交流を通し、さらに共同で行う事でお互いの距離感を縮める事が出来たのだ。学部生、大学院生、研究生、デザイナーとして活躍されている社会人の方々、更には海外からの来訪者といったバラエティ豊かな参加者層も、様々な視点や観点からアイディアを出し、それを共有するという一連の作業をユニークに行うトリガーにもなっていたのだ。調査内容としては、学術的に歴史的、文化的背景をもとに難しく調査を行うのではなく、地域の方々との交流を楽しみながら、眠っている何かを発見していくというキャッチボール方式で行われた。

ワークショップ形式で7つ程のプランが事前に設定され、参加者は自身の興味のあるワークショップに参加し、グループで調査、発表を行った。その中で、私は下血塚島という下浦地域にある無人島の一つに上陸し、そこでアートな出来事を発想するという「無人島アート化計画」というワークショップをメインに参加した。無人島上陸の様子や、無人島でのワークショップの様子を映像に残しつつ、そこから下浦地域の新しい発見を見いだせないかという考えから、下浦を映像を通して表現するという「下浦映像班」にも非力ながら所属する運びとなった。無人島へは、下浦から地域の方々に船を出していただき上陸するといった行程で、乗船中には、下血塚島の歴史や、地域の方々が島をどのように思っているのかといったお話を聞く良い機会にもなった。島へ上陸後は島の周辺を、足を使って周りながら発見をしつつ、アイディアをまとめていく形で調査が行われた。島の周りを歩き始めると、海岸線の砂浜にびっしりと敷き詰められているかのように貝殻があり、その上を歩くだけで参加者の足あとが良いリズムを作りちょっとした創作音楽を作る事が出来た。他にも波の音、森の音、風の音、人が生活していない場所だからこそ聞こえる音の存在はとても大きく、これを島の新たな資源として活用する事が出来ないか、そんな風に感じた。他のメンバーからも多くの意見が出てくる事になり、それらをまとめ一つの形にするといった作業に一番手間取った。発表の際には、それを思い通りに形にすることが出来なかったのが少し悔やまれるが、それほどまでに多くのアイディアが出たという結果には満足し、どうにかその中の幾つかを実際に形にすることで無人島をアートの拠点として活用したいと感じた。

今回の天草・下浦フィールドワークの主目的は、下浦地域の再生や新たな発見を通して再度活性化を試みるといった事であったが、個人的には、今回の参加を通して新たな視点や観点から考察する事を学んだように感じる。これまで学んできた、グローバリゼーションを通しての世界の変化に対して大きな枠組で物事を捉えるという考え方から、より細かい視点で身近に存在している出来事を感じとり、それを再発見する事で新たな可能性を見出す事が出来るというとても重要な事を得る事が出来た。無人島アート化計画でメンバーが出したアイディアをより具現化し、いつかは実現したいという気持ちも強くある。そして、もう一つのワークショップとして参加していた、無人島で撮影した映像も、編集し何かの形で下浦地域の新たな発見をする瞬間をとらえた映像という事で発信していきたいと考えている。

   
 
  五十嶋 さやか(いそじま さやか)/パワープレイス株式会社
 

小学校のころから育った町に今も住んでいて、地元を離れるという気がさらさらない私が、ここで住んだら、きっと全く違った人生が送れるんだろうな、きれいな海ときれいな空とに囲まれて、きっとまったく違った目の色をして過ごせるんだろうな、と心の底から思いました。ほんと、きれいなところだと思いました。

初めてFWに参加させていただきましたが、最初は、「地域活性!なんて言っても、場所によってぜんぜん魅力が違うし、住んでいる人、旅に来る人、商売する人、それぞれが違う視点で考えていることだから、なかなかまとまるの難しいよなー」っなんて考えていましたが、今回みたいな動きでちょっとした風が吹くことで、それが心地よいと感じる人もいるし、風が強いなと思うひともいるし、だからやっぱりとってもまとまらないことなんだけど、でもあきらめずに続けるってことが、何かひとつ生むことにつながっていくんだろうな、だからまずはやってみる、そしてやめないようにしないといけないんだなって、しみじみと感じ直した3日間でした。それにしても、ほんときれいなところだと思いました。

   
 
 

津高 守/JR九州

 

藤原研究室の今年のフィールドワーク(以下「FW」と略記)はどうなるのだろうと思っていた初夏のある日、高倉さんから「今年は7月の第4週に下浦という天草石工の里でFWを行います」との連絡が・・・。「放送大学の単位認定試験の日じゃん・・・」と思っていたら、なんと6月初頭のレポートの締切りを失念して受験資格が無くなったため、何の支障も無くFWに参加できることとなってしまいました(笑)。
 地図で調べると下浦は本渡の中心からほんの数キロ、昨年までの高浜と違って公共交通を使っても行きやすい所だと判り、新幹線、三角線、高速船を乗り継いで本渡港まで、博多から3時間で到着できました。そこからの足は千葉モンにお願いして確保してもらいました。当日は小野さんにお世話になりました。有難うございました。
 さて、FWの感想ですが、「無人島でのアートを基本に取組みましたが時間がなさ過ぎた」という一語に尽きると思います。ここのロケーションなら午前中に下浦に到着し、午後からトランセクションウォークに加えて石工の里を自動車で一回りしてテーマを定めるということが可能だったと思います。そうすれば翌日の午前中に無人島に行き、戻ってからアートについて議論をして成果物を作成することができたと思いました。
 また高浜もそうですが、石工達が代々築いてきた歴史と文化(技術)がきちんとありここ下浦も宝の詰まった素晴らしい場所だと思いました。一方で隣の栖本には宿泊施設があるのですが下浦はそういう施設が無いなど、本渡の中心部に近いことがともすれば地域の弱点ともなりうるような気がしました。
 まだまだやり残した感のあるFWでしたので、次回も是非参加してもっと下浦に浸かり込みたいと思っています。
 千葉モンを始めとする下浦の皆さん、お世話になりました。必ず次回も参加しますのでよろしくお願いいたします。

   
 
  倉内 慎介/パワープレイス
  『シモウラ ヒート ハート ビート 』
   
 

【シモウラ ヒート】
  昨年までの高浜から場所は変わったといえ、下浦の太陽は熱かった。もちろん同じ天草市内であるわけだから当然と言えば当然であるが、すごく新鮮な太陽光線に感じた。もちろんその光線により体もハートも焦がされてしまう人が続出したFWだったことは言うまでもない。

 
   
 

【シモウラ ヒートビート】
  シモウラのヒートビートは、底抜けに明るくみんな親戚みたいに接してくれる。そんな中、出会いの中で忘れられないのが、会った瞬間にハートの繋がりを感じた湯貫さん。実は今回のシモウラ受け入れ代表をして下さった、千葉モンこと千葉さんの弟の嫁さんのお父さんにあたる。
懇親会中僕は彼にこんな話しをした。
「僕、初めて天草に来た時、ここの地域のもつ色が違うことに感動したんですよ!なんていうか、原色っていうか、、、。ほらなんて言うか新鮮な地鶏の油ってなんか黄色いじゃないですか!?そんな感じです!!」…。もはや意味不明である。僕の感じていることを大体話すと皆の頭の上に?マークがよくでている。ただこの湯貫さんは違った。「あぁ〜わかるわかる!!おれも5年間天草から出てて、帰ってきた時同じこと感じた!!」と言うのだ。後はもう天草感じたあるあるで話しに華が咲いた。
歳の差とか関係なく、ただただ楽しかった。
翌日FW終了後、帰りしなに「絶対に来年も来いよな!口先だけ来る来るとか言って、来ないとかはありえないからな!俺、ちゃんと覚えてるからな!!」と嬉しいような怖いような別れの挨拶とともに、固い握手を交わしたのを覚えている。

 
   
 

【シモウラ ビート】
これは私たちの班が下浦FWで出した成果物の名称。
途中から学生が一人メンバーに加わったものの、基本的には社会人で構成された班だった私たちは最初からアウトプットに対するこだわり、目指す完成度が違った。他班からは、「なんか目の色が違うね。」などと言われたがそれもそのはず、生半可なものは出せないと必死だった。そして集大成となるSHIMOURA BEAT (シモウラ ビート)が完成する。これは石工の街である下浦で普段から聞こえてくる音(石工が石を叩く音、機会で石を削る音、波の音など)を編集して心地の良いサウンドムービーにしようというモノであった。そして下浦をPRするため、動画をYoutubeにアップすることを結果とし、10万回再生されることを目標とした。もし良かったら是非見てほしい。

 
   
 
 
     
 
   
 

【シモウラ ハート】
 高浜から数えると天草でのFWは4回目となる。毎年来るたびに自分の立ち位置が意味不明になってくる。「今年は倉内兄貴と海に飛び込みたいです。」とか、「バスで気持ち悪くなった人は倉内君まで申し出てください。」とか、「倉内さんが何か一発芸をやってくださるそうです」とか意味不明なフリが続いた。
もはやデザイナーらしい姿はどこにも無い。しかし僕が毎年天草に求めているモノは、毎年そこにちゃんとある。自分が役にたっている、感謝されていると実感できる。

FW最終日、発表の場面で自分のやることは明快だった。それは従来、我が師匠であり、上司でもあり、天草の偉人でもある若杉大将がやることであった。
僕の立場は、見に来てくれたシモウラの人々、参加している大学生、社会人のハートをヒートにすること。
今年のチームは、Smilesの平井さんがアートディレクターを、Sonyのヨナさんが動画作成を手がけた。天草石工の千葉モンには主演をしてもらい、皆でシモウラを駆け回って撮影をした。僕は『デザイナー』と呼べることは何もしなかった。それでもこのチームが最終発表で目指す姿、会場の盛り上がりを妄想しながら取った行動は以下の3つ。

@チームが一体となれるようShimoura Beatのポーズを考えた。
A持ってきたスピーカーでは会場に音を響き渡らせるほどのパワーが無いので、他のスピーカーを貸してもらう為に奔走した。(千葉モン父より借りられた。)
B音が少しでも会場に響くように、会場の扇風機を全部止めてもらった。(公民館はクーラーが無く、扇風機が無いと灼熱地獄)

いよいよあの時の僕はデザイナーというよりは、アシスタントだった。
でもそれで良かった。例年は成果物を制作してきたが、今年自分よりできるメンバーが揃ってる。その中でチームとしての自分の役回りは、その成果物をいかに良いものに魅せ、いかに会場を盛り上げるかという一点だと確信した。
SHIMOURA BEATの発表が終わった後、会場からは歓声とアンコールが鳴り響いた。そしてそこで取った行動Cが発動する。

CSHIMOURA BEATの音に合わせて変なダンスをする…。

これは考えてやったことじゃなくて自然と体が動いた。発表が終わった後、自然とチームでエンジンを組んで喜びを分かち合った。これこそ僕の求めていた盛り上がり。ライブだった。そして毎年僕のハートの一部を燃やしてくれるものだった。毎年得る物がある。だからまた来年もシモウラ ハートを燃やしにこようと思う。

最後に毎年、こんな素敵な機会を企画•提供していただいている藤原先生。実行いただいている九大の皆さま、受け入れてくださる天草の皆さまに感謝の気持ちを伝えたいと思う。

 
   
   
   
   
 
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