隔月連載
  にっぽん飫肥杉仮面ばなし 第3話
文/ 河野健一
   
 
 
 

こんにちは。また二ヶ月ぶりですね。飫肥杉仮面です。
最近めっきり出番や露出が減った、飫肥杉仮面レッドです。
第1話(102号)と第2話(104号)のつづきを書こうかとも思ったのですが、誰も期待していないので、今回の第3話は仮面を着けて勇気を出して、普段より少し大胆になって、ぜんぜん違う話を書いてみようと思います。

   
 
   
  「裏山C太郎」
   
 

むかしむかし、裏山C太郎というヤングマンがいた。本名は裏山太郎なのだが、ベン・E・キングに憧れていたので、Cを挿入することにしたらC。

裏山Cが便意をもよおして杉山に入ると、子ども達がカメンをつかまえて、イジメていた。カメンをつけた人をではなく、カメンそのものを。

近付いてみると、そのカメンは喋っていた。「もーこのくらいでカンメンしてください!カメンなさい!」と。そして泣いていた。目のところの穴から。

C太郎は、そのまま通りスギ、まずは先にヤるべきことを済ませた。キングサイズが出た。スッギリして引き返すと、さっきのカメンが落ちていた。やっぱりさっきのシーンは、幻だったんだと思い、大好ぎな STAND BY ME を熱唱した。いつものように、ダーウィン♪ ダーウィン♪ って。

すると、カメンがハモネプのように口でベースラインを歌い出した。2人で、いや1人と1枚で歌い終えると、カメンが語り出した。「先ほどは、イジメられていたところを助ぎていただき、ありがとうございました」と嫌みを言い、「お礼にぃーっ!」と叫びながら、裏山C太郎の顔面めがけて飛んできた!

それでは皆さん、一緒に歌ってください。

 

♪♪♪
むかしむかし裏山は
助けたカメンを着けられて
竜宮のジョーに来てみれば
タイの、ひらめきマイ踊り
♪♪♪

この竜宮のジョーの建築中は、近所の皆さんが応援に駆け付けてくれた。そして、みんなが叫んだ。「建つんだ、ジョー!!!」

タイの、ひらめきダンスは自己流だった。だから、マイ踊りと呼ばれた。タイに行ったこともない日本人が、思いつきで、ひらめきで、即興ダンスを踊っていた。煌めいていた。

竜宮のジョーは、そんな楽しい世界だった。スギダラケなド田舎で暮らしていた裏山C太郎は、きらびやかで賑やかなその大都会からド田舎に帰りたくなくなった。そして3年がスギた。

   
 
   
 

ボクの息子(日南高校3年生)は、来春の卒業後、福岡の専門学校へと進学する。ボクも同じ高校を出てすぐ日南市役所に入った。つまり、ボクは日南で生まれ育ち、日南で就職したので、日南を出たことがない。

飫肥杉やスギダラ倶楽部の皆さんと出会う以前は、田舎の劣等感みたいなものを感じながら暮らしていた。娘や息子達に対し「田舎に残った自分は失敗した。自分のようにはならないで欲しい」的なことを話したこともあった。

しかし、今は違う。飫肥杉ダラケなド田舎は、いま輝いている。全国からも注目されている。田舎の劣等感は、武器であり、魅力、価値だったのだ。息子には、努力に努力を重ねた結果、ふるさとを捨てさせるのは嫌だ。(実は、たいして努力(受験勉強など)もしていないのだが。苦笑)

一度は外に出て欲しいが、喜んで帰って来たくなる故郷にしてあげたい。進学先の福岡でも、日南や飫肥杉のことをたくさん紹介、自慢してほしい。市民の皆さんや市外の方々に対して、飫肥杉を含めた日南の魅力をアピールする活動は、もう杉のようにたくさんやってきた。我が子に教える期間は、もうあと約5ヶ月だ。たったの。なぜ、父は飫肥杉仮面レッドに変身するのか? たまには、そんな話でもしてやろうかと思っております。

   
 
   
         
   
         
   
         
   
         
   
         
   
         
   
         
   
 

LINEスタンプになんかなるハズもないので、大好ぎな芋焼酎「飫肥杉」を呑みながら描いた落書き集(笑)

   
   
   
   
  ●<かわの・けんいち> 日南市役所 広報担当 / 日南市 飫肥杉課OB / スギダラ飫肥支部 広報宣伝部長・会員番号441
   
 
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