特集 ようびの日用品店&裸笑庵 OPEN!!
  あの頃の廃墟から
文•写真/大島正幸
   
 
 

なんか、夢みたいだ。
オープンから一ヶ月経った今も、朝、ガラス越しに中が見えると、ニヤニヤしてしまう。
工房に、ショールームができた。

最初の頃のお客さんは、パイプ椅子に座って、スチール棚に囲まれて、一番安いA3プリンタから出力した図面を前に、ただただ、僕、大島正幸の言葉を信じて、契約を交わしていてくれていた。今、思うと、とてつもない愛だ。

何せいまだに嫁は、床のホコリをスクレーパーで削り出したことを、ネタにしている。雑巾で拭いたぐらいでは、床が黒いと勘違いするほどにこびり付いた汚れっぷりだったのだ。3ヶ月ぶりに会いに来てくれた日、掃除だけして帰ってもらったこともあった。

2011年の冬、はじめて自分たちのためのテーブルを作った。といっても、試作したものを使い始めただけだったけれど、本当に嬉しかった。この頃のブログの写真が、食べ物ばかりなのは、そのテーブルが嬉しくて、そしてそれ以外の場所は、まだまだ写せる状況になかったからだ。この頃は、なべと嫁と三人の頃。

   
 
   
 

上村も合流したけれど、なかなか、自分たちのことには手がまわらない。
でも、お客様にパイプイスを進めるのがあまりに情けなくて。
そして、2012年9月、嫁の妊娠が発覚!今の状況のままでは、どうにもならない状況に追い込まれて、ついに事務所に手をつけた。なんとか、散らかったものを運び出したから、はじめて引いたアングルで写真を撮った。いかにも、「事務所」って感じだ。この頃には、皆でご飯を食べる、というスタイルが定着していたのだけど、事務所には「給湯室」しかなくて、カセットコンロで調理していた。お湯もでなくて、真冬は本当に辛い。(今も薪ボイラーが入るまで我慢すると決めて、お湯は出ないケド。)

   
 
   
 

取り急ぎ、事務所が完成。玄関にも、椅子を並べて見ていただけるようにした。森の学校からたくさん、村の木を買って、床にも天井にも使えた。自分たちが「木を使う」当事者になれたこと、本当に嬉しかった。けれど、イマイチ売上は伸びない。原因はすぐにわかった。居心地のいい事務所とショールームであって、ショップに見えなかったのだ。とんでもない失敗だった。

   
 
 
   
 

その頃は、株式会社西粟倉・森の学校の中の一室をお借りしていて、家具はそちらに優先して展示していたのだけれど、場所を開けて欲しいということになった。その解体に行ったのが4/10のことだ。一緒に作ってくれた人たちの顔が浮かんで、すごく寂しかったのだけれど、村に新しい人が入ってくるためにも、必要なことだったと思っている。

   
 
   
 

とはいえ、ようびは主力商品の家具を展示するスペースを失い、これまでで最も、辛い半年を過ごしたように思う。けれど結果として、山口や田中も一丸となって、「ようびの日用品店」と「裸笑庵」のオープンに向かうことができた。自分たちの場所、ようびを応援してくれる人のための場所が、欲しくて欲しくて欲しくて、それが原動力になったから。

自分たちが、必死になっているとき、必ず、必ず、誰かが助けてくれる。それは、ようびの本当に恵まれたところだ。今回は、地元の方々と、学生さんたちだった。あと、新たに村に移住してきてくれた人たち。そして、オープンの日、たくさんの人が会いに来てくれた。ゲストに、瀬戸山玄さん、ablabo.、大林由佳さん、みちくさおじさん河村信幸さんも来てくれた。

そして僕が一番嬉しかったこと。それは、オープン以来、毎日誰かしらが訪ねてきてくれていること。これまでのようびは、既に知っている誰かの知り合いとか、口コミが圧倒的に多かったけれど、お店が出来てからは、その場をきっかけに、新たに出会う方が増えていることだ。そして、もう一つが、「モノ」を気に入って選んで頂けていると感じられること。どんな動機でも、もちろん嬉しい。けれど、作り手として、ただただ、その目の前にある椅子に座ってみて、気に入ってくださって、そして買ってくださるというのは、なにものにも代え難い喜びがある。

この場所から、僕たちはもう一つ先に進むことができる。

   
   
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  ●<おおしま・まさゆき> 木工房ようび 代表
   
 
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