家具の仕事の中で、今でもずっと続けているプロジェクトベースの仕事がある。これはいわゆる商品開発とは違って、ある特定の施設のためのもの、つまりは特注で作る家具だ。今まで学校の物件もいくつかあり、実践してきた。そして、それらを何かの機会に内田洋行の若杉浩一さんに見てもらったりしながら、お互いに「よし、学校家具を変えよう!」と例のごとく勝手に盛り上がっていた。前述した意識もあり、新しいプロジェクトで、地域の素材を使って新しい学童机と椅子のデザインを進めていたが、いくつかの障害がありなかなか実践できなかった。そんな時、若杉さんのもとに吉野町の中井章太さんが現れた。そしてすぐさまデザイナーとして紹介いただいた。詳しい経緯は割愛するが、中井さんは本気だった。吉野町の中学校に、地域の木材を使用した机と椅子を作りたい。地元の素材で作られた家具を、実際に子供達が使うことによって、自分が住んでいる町に対しての意識を育てていきたいという、シンプルで力強いメッセージだった。
若杉さんとともに、中井さんのまっすぐなメッセージに射抜かれた僕らは、その後何度となくミーティングを繰り返した。中井さんは「単に完成品を提供するのではなく、継続できるモノづくりの仕組みを作りたい」と仰った。そこで僕は、生徒達が継続的に木に親しめるように、卒業後も上部を取り外して自立した家具として使えたら面白い!と考えて、机と棚が一体になった"一人膳"のような天板を、スチールの脚で支えるというアイディアを出した。中学生が三年間使ったら、卒業時にそれを持ち帰ってもらうのだ。そして、将来それで日本酒でも飲んでもらいたいなあと本気で思っていた。この話も大いに盛り上がったが、でもこの吉野チームはそれでは終わらなかった。机の天板部分をワークショップで生徒達が「自分でつくる」というアイディアがさらに出て来たのだ。これは素晴らしいと思った。そこからは、目標がひとつになりそれぞれが役割を持ちどんどん進めていった。「吉野モデル」はそうして出来上がった。
そして、2014年の夏休みの登校日に「机組み立てワークショップ」が開催された。すごいことだ。このプロジェクトも決して全てが順調に進んでいたわけではなく、見えないところで中井さんをはじめとする吉野の方々の努力があった。なぜ、実現することができたのか?といえば、それはそれぞれが自分の問題としてこのプロジェクトに向き合っていたからだ。言葉にすると単純だけど、これがなかなかできない。何か問題にぶつかった時、その意識がないとあきらめてしまう。これはタフでないとできない。ある意味、周りからみるとバカなんじゃないかというぐらいの話だ。人ごとではだめなんだ。デザインも全く同じ。
ワークショップに立ち会っていたとき、デザインって何だろうと思っていた。子供達が机を地元の素材(檜)で自分でつくり、自分で教室に運び、みんなで着席していたときの光景は今でも目に焼き付いている。とっても嬉しかった。もう少し整理して言うと、このプロジェクトにははっきりとしたデザインの役割があった。変な言い方だが、古くて新しい役割だ。それはプロジェクトに関わる方々をデザインで繋げていくことだ。デザインは決して一人で出来るものではなく、デザイナーの役割は、さまざまな関わり合いの中から、向かうべき方向をカタチとして発見することなのだ。吉野の例で言えば、ひとつのデザインが、地域と企業、地域内の産業、大人と子供など、それらを結ぶつけていく接着剤のような役割を担うことだった思う。それはまだ終わっていないし、本当の成果が現れるのはまだまだ先だけど、少なくともそれを目指した。
接着剤としてのデザインは、接着剤なのだから、何かを結びつけた後は"下地"として見えなくなってもいい。思想が残ればいいんだ。そんなデザインの在り方を目指したい。…って書いていて、うーん何だかかっこよすぎるなあと思った。
デザイナーとしての本音は、
「美しく主張する接着剤としてのデザインを目指したい!」かな。
追記
このプロジェクトに関わる全ての方々に感謝致します!
今後もよろしくお願い致します。 |