隔月連載
  スギダラな人生・ここでしか言えない 『流通編』4
文/ 山口好則
   
 
  『意義』
   
 

  21世紀初頭(大げさですが2001年のコトです)幼い頃に夢抱いていた「月旅行」も「空飛ぶ自家用車」も実現されず、予想以上にベタでアナログな新世紀の幕開けと共に「杉」とのディープな付き合いが本格的に始まりました。

 内装の新建材とクロス壁仕様の住宅が大勢を締めるなか「高気密・高断熱」と言う性能が寒冷地のみならず日本中で持てはやされる様になり、住宅メーカーや工務店は「隙間風の入らない」家づくりに力を入れ始めます。
建材メーカーも挙ってサッシやドア枠で気密性を上げるために高精度の製品を造るようになってきました。

人間の食生活の変化かはたまた地球環境の変化なのかアトピー・花粉症・犬猫・ハウスダストなどと様々なアレルギーが症例として世に認知されると、ある一つの言葉が世間を騒がせることに。

「シックハウス」
人間の生活を快適にするために作られた最新の住宅の中でアレルギー症状に苦しむ人が出てきたのです。

「ホルムアルデヒド」
建材や合板の接着剤や塗料に含まれるこの有機化合物が健康被害を引き起こしたのです。

「女房と畳は新しいほうがいい!」
なんて乱暴な言葉もあるように新築住宅の「香り」は主に新しい「畳」の匂いが占めていました。
少しずつ和室が減り洋室主体のべニアとクロス張りの部屋が増えるとともに、生活の快適性は窓の開け閉めの通気・換気や炬燵やストーブの使用からエアコンへと変わります。

冷気や暖気を部屋から逃さない快適な部屋を頑張って作り上げた結果が裏目に出てしまったのです。

昭和40年代から建材や合板なんかは使われていますから(たぶんその頃の物のほうが内容は悪いかも)その頃から気付かずともアレルギーになっていた方はいたはずですが、合板に原因があるなんて思いもしなかったでしょう。

匂いが気になっても「しばらく開けっ放しにしときゃそのうち消える。」程度のおおらかさで乗り切っていました。

   
 
   
  『開』
   
 

 そんなこと言っていても住宅の建材化は止まる訳もなく進化し続ける訳で「国産材組」は開き直りの対抗策に打って出ます。

初期の頃は「国産材」を使って欲しいが為の「ネガティブキャンペーン」が横行し「シックハウス症候群」は最前線の攻撃目標として皆が取り上げました。
大壁構造の住宅ではべニアや新建材のみならずクロスの糊が健康を害するとか木材の防カビ処置が良くないとか果ては上棟後の防腐防蟻処理が駄目だとか、裁判になった様な極端な事例を全てに適合させるような輩も出現しました。
とは言え私もそんな環境の真っただ中にいて、違和感は覚えつつも国産材を使って欲しいが為に「真壁構造と国産材の進め」を唱えていました。

  • 実際に当時はシックハウス症候群(と思われる症状)に苦しんでいる人も大勢いたし裁判事例も有りました。
    有害物質をまき散らす建材も存在していた中で、後日建材業界はホルムアルデヒドの発散量で規格を造りF☆☆☆☆(フォースター)と言う建築基準法の規制対象外の製品まで開発します。
   
 
   
  『転』
   
 

 建築家が家を建てる、建築家が改築をする、建築家が夢をかなえて(造って)くれる。

ハウスメーカーや大工・工務店が主体であった家づくりから(まあ今でも基本そうですが)メディアが「建築家」を家づくりの主役として取り上げるようになりました。

夢とストーリー性を持たせた増改築番組「劇的ビフォーアフター」をはじめとする建築家ブームです。

家づくりのライフスタイルまで入り込みマジカルに見せる手法は個人的には好きではなかったのですが世間には広く認められました。
そもそも「建築家」「建築士」「設計士」などと家づくりをする人の名称が多いし違いは何なのか?ってのもあります。
中には建築家>建築士>設計士とランク付けしてしまう人もいるくらいなのですが(とあるメディアの方に仕事の内容や規模、そして知名度で区別していると言われたことがあります)ハッキリさせなきゃ。

「建築士」を名乗るには資格がいります。
一級建築士や二級建築士といった国家資格を取得して国交省に登録してその仕事をしている人のことです。

「建築家」「設計士」は極論で言えば自分で名乗ればその瞬間からなれます。資格が無くても補助設計という形で建築士と一緒に仕事をすることが出来ます。(特定の協会に入って条件を満たせば「建築家」とその協会から呼ばれる様になるそうですが。)

まあそんな事はどうでもいいですが、住宅番組に出演する建築士たちが国産材を多用しました。
それは機能としての必要性だけではなくデザイン的にも良い意味で「常識外」の用途を生みだしてくれたのです。

しかしそこには、古くから人々が育ててきた資源を活かすために「杉」を使うと言った「森林資源を有効利用して山に還元する」と言うより「杉を新素材としてデザイン的に扱う」意識が強かったような…。
もちろん国産材の家づくりをブーム前から地道に取り組む建築士・工務店は全国にいた訳で変わらぬ努力をされていたし、先駆者として注目度は一気に上がりました。
   
 
   
  『良』
   
 

 どんな手法でも国産材がユーザーから目を向けていたくさん使ってもらえれば良しなのです。
内装材として注目され始めた「杉」や「桧」も土台・柱等はブームと関係なしに需要があったので生産ラインは確立していましたが、意外と困ったのは内装用の板材の供給です。

いちばんの問題は設計者が「自由な寸法」で発注を掛けてくること。

製材も「何でも作りますよ!」と言う割には乾燥材を求められると在庫は皆無。
「何でも作る」の意味は「丸太から何でも製材します。」と言う意味での安請け合いなのです。
もっとも従来からの下地材や内・外装材は常時製作している所は有ったのですがバリエーションが少ない。(品質や供給を安定させるには多くのバリエーションを持つのは不可能)
そんな供給体制なのに図面には「自由な寸法」が指示してあるので工務店は仕入れに振り回されるのです。
やがてその辺りの問題は国産材の内装材を専門に扱う業者の出現や設計・施工・製造が同じテーブルで会話が出来るようになり少しずつ解消していきます。
同時に主要構造材である「梁・桁」にも国産材を使っていこうと言う風潮も高まり、内装材の利用で手痛い勉強をしていた設計・施工側は積極的に学ぶようになり各地で勉強会等が開かれる様になりました。

さて勢いづいて来たところで続きは次回へ。

   
   
   
   
  ●<やまぐち・よしのり> 1960年生まれ またの名をシブチョー スギダラ天竜支部支部長(自立立候補) 山口材木店退社後、丸八製材所営業開発課長として「天竜杉」の製品開発と販売に取 り組む(スギダラな人々第一回に登場) その後、有限会社アマノの営業課長として「天竜杉」の販売に携わる。
   
 
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