特集 吉野町 「愛・学習机プロジェクト
 

未来人への投資〜愛・学習机プロジェクト〜

文/写真 中上睦男 

   
 
 
 

 「机と椅子、やっと完成しました!」 電話の主は中井章太元吉野中学校PTA会長さん。平成26年7月初旬であったと思う。電話の内容は、吉野中学校生徒の机と椅子の完成・納入に伴う記念セレモニー及びワークショップへの誘いであった。電話の最後はジョークを交えて、「3月末で一応退職されたが、机・椅子の納入を確かめないと退職しきれないだろう。」とも。電話が切れた後も中井さんの上気した声が余韻として残るとともに目尻を細めた笑顔が容易に想像できた。

 平成23年4月、私は吉野中学校長を拝命した。4年を経て、教頭として7年間(=平成12年度〜18年度)勤務した吉野中学校へ再び戻らせてもらったのである。コンクリート打ちっ放しの外観とは違い吉野材がふんだんに使われた内装。木の香が漂い、人を優しく包み込むような雰囲気を醸し出す素適な新校舎での勤務が始まった。不安はあったが、人的な環境に加えこの物的環境である。「劫初(ごうしょ)より造り営む殿堂にわれも黄金の釘一つ打つ」という決意を固めたことが思い出される。

 しかしながら、前任の校長との事務引継ぎの際に、「一つの大きな課題」(=以下、「課題」という)を引継ぐことになった。「生徒用の机と椅子の新調を実現すること」だった。校舎の全面改築という極めて大きな事業を難無く乗り切った前校長にして実現し得なかったことである。町財政逼迫の折も折、校舎の全面改築の完遂だけをとってみても、吉野町にとってはこの上なく大きな事業だったのである。その上に、さらに生徒用の机・椅子の新調となると可能性は限りなくゼロに近いと私には思われた。

  着任当初、突発的な生徒指導事象への対応や日々の仕事に追われ全く気づかなかったのだが、ふとある「異音」に気づいたのがきっかけとなって、引き継いだ「一つの大きな課題」に向き合うことになった。それは、階上の教室から校長室に響く異音であった。生徒の元気な声が響いてくるのは心地よいものである。しかし、本校舎の造りにあって、机を移動させたり、はたまた、椅子を退いたりする音が不気味な「異音」として響いてくるのは何故なのだろうか。普通教室の床板は吉野材である無垢の桧板が設えられている。階下に響くその音は、あたかも桧板の悲鳴のような音なのである。私は生徒たちが帰った後の教室に入り、机や椅子の脚部分や床板の様子を見て回った。そこでようやく異音の元凶を突き止めることができた。生徒用の机や椅子のスチール製の脚の裏部分には本来床板を保護するための硬質プラスチックが取り付けられているのだが、長年の使用で磨り減り、ほとんどがスチールだけの状態になっていたのである。桧板は机や椅子のスチール製脚部を直に受け止めていたのである。机や椅子を移動させる際の音は正しく桧板の「悲鳴」とも言えるものだった。教室の床板には無数の傷跡が、それも、深い傷跡が刻み込まれていた。改築1年半しか経っていないのにである。なんとも痛々しい状態であった。脚部の傷みは勿論のこと、机の天板部分や椅子の座面部分の傷みも相当のものであった。教育委員会事務局の方々も学校からの報告を受け、すぐさま視察のために来校くださった。また、PTA総会間近の時期でもあり、役員会のために来校された役員の方々にも現状を理解していただき、「生徒用の机・椅子の新調」のために、協力を取り付けた。その役員の中に、PTA顧問(=前会長が顧問となる)として中井章太さんがいてくださっていたのである。後になって知ることになるのだが、山守を生業とする中井さんは、吉野材を使った生徒用の机や椅子の製造及び学校への導入を関係団体に働きかけながら模索し続けてくださっていたのであった。残念ながら、学校現場の我々には到底力及ばぬところの話ではあった。

 生徒用の机や椅子の導入への追い風となったことがもう一つあった。それは新学習指導要領の全面実施により、「学力の向上」の名の下に学習内容が大幅増となった。これにより教科書の厚みが増すことになるとともに、副教材である資料集等の大型化にも拍車がかかった。当然のことであるが、机の天板部分及び収納部分の拡大化は避けては通れないものとなってきた。つまり、現在、生徒が使用している机は総てにおいて小さすぎるものとなってきたのである。

 学校現場を預かる我々教職員が「生徒用の机や椅子の新調」といった配当予算では賄いきれないような大きな学校備品の購入を願い出るとき、保有する備品の現状と発生するであろうリスク内容を主とする報告はもちろんのこと、費用対効果についても教育委員会事務局に対して詳らかにしなければならない。同時に、保護者や地域住民に情報を公開して共感的理解を深め、協力体制を築き上げることも大切である。

 「生徒用の机と椅子の新調」という「課題」に向き合うとき、我々教職員にできることは微々たるものでしかなかった。しかしながら、校舎完成時からの「課題」が5年の年月(=発注間近でのデザイン変更という想定外の緊急事態への対応等もあった)を要したとは言え、完全実現の日を迎え得たのは、我々教職員が知り得ないところで数多の方々が知恵を絞るとともに、東奔西走してくださった賜である。経緯の詳細については、本WEB版110号で中井章太さん、石橋輝一さん、藤森泰司さんが語り尽くしてくださっている。  平成26年8月27日。「愛・学習机プロジェクト〜子どものために夢を追いかけよう〜」の達成を祝う記念式典及びワークショップが吉野中学校体育館で開催された。このプロジェクトに賛同し英断くださった吉野町長・教育長、そして、企画から製作に携わってくださった関係団体(=吉野と暮らす会、スギダラメンバー、内田洋行チーム)の皆様、そして、唯一無二の机・椅子をプレゼントされる吉野中学全校生徒と教職員、PTA役員各位が一堂に会した。そのような厳かな場に、何故か、5ヶ月前に吉野中学校を退職した前校長の私が参列を許されるとともに、謝辞を述べる機会を与えていただいたのであった。 記念セレモニーの後に実施された「ワークショップ」では、自分が使う机の組み立て作業を生徒自らが行った。ビス留め、ボンドでの接着補強、サンドペーパーでの磨き上げ等々。生徒たちの嬉々とした表情が印象的であった。作業開始から約一時間で「マイ・デスク」が完成した。『愛・学習机プロジェクト』完遂の瞬間である。体育館のあちこちから組み立て完了を祝う拍手が湧き起こったことは言うまでもない。

教育は国家百年の計とも言われる。完成した机に使われている吉野材=桧もそれに匹敵する歳月を経たものである。教育、人育ては決して慌ててはならない。木を育むがごとく優しく見守らねばならない。木に魅せられた方々の吉野を愛する気持ちが、このプロジェクトを推し進めたものと確信した。同時に、そのプロジェクトは未来人への投資にほかならないものなのであった。困難と思われた事業は各分野のエキスパートの皆さんが「夢は叶えるためにある」という信念を貫くことで見事に完遂の日を迎えた。唯々感謝、そして、感謝である。

   
 
  「愛・学習机プロジェクト」発足年の全校生と教職員
   
   
   
   
  ●<なかうえ・むつお> 吉野町立吉野中学校・前校長
   
 
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