連載
  スギダラな一生/第77笑 「はるばるきたぜ〜ハコダケ〜」
文/ 若杉浩一
     
 
 
 

旭川の出会いから始まった。「針葉樹を使った家具の開発の可能性」という北海道庁の振興局のメンバーのイベントに僕と、南雲さんが呼ばれた。
旭川は、ご存知のように家具の一大産地であるが、同時にトドマツ、カラマツ、エゾマツ等の針葉樹の産地でもある。どうやら元々は建具の産地だったらしい。地元にあった広葉樹、ブナ、ナラ材を使って洋家具を生産したことから始まる。家具屋さんは極端に針葉樹を嫌う。強度の問題、加工の問題があって向かないと思われてきたからだ。そして地元の広葉樹は今、殆どなくなり輸入に頼っているのだ。広葉樹を使って洋風家具を作り出したのは、ここ5、60年のこと、それまでは、針葉樹で沢山の建具や造作ものを作って来た。しかし建具も工業化に押され衰退してしまった。そして、伐期を迎えた良質な針葉樹は用途が少なく立派な木材が土木用の杭や、梱包用の資材として使われている。
最初は、「なんとか、針葉樹の新たな市場を。」というテーマだった。
僕たちはいつものように、スギダラの話しで盛り上がった。会場の反応はどうだったのか?定かではないが。
そこに、異常な反応を示した輩がいた。それが、振興局の佐藤司さん(通称つーさん)と函館の木材業ハルキの鈴木さん(通称すーさん)だった。

しばらくして、連絡が入った。
「函館空港をスギダラケにしたいんですが〜〜お願いします〜〜。」
「へえ〜〜〜いいね〜〜。」いつも、とりあえず「やる!!」と言う。
初めての顔合わせ、会場函館空港会議室。
どうやら、つーさんが仕込んで、すーさんが実行側。そこには、一見ゴルゴ13のような、やばい感じの空港の責任者石田さん。様々な意見を交わす中で、怒濤のように思いを喋るのが石田さんだった。やはりスナイパーだ。いつヤラレルかわからない。とにかく、自分の仕事、空港、地元を愛している。それも、普通ではない、かなりだ。だから、怒濤のような思いが弾丸のように吹き出すのだ。こんなにやられたら、こっちだって燃える。
2回目の会議では、空港全てを木質化する、いや空港を木づかいで、ブランディングする、「空港木づかい大作戦」を決行した。
以前、宮崎空港で実現しなかった、沢山の思いや、アイデアがあったので、全ての可能性を函館空港に詰め込んだ。
何故、こんな無駄な事を沢山やるのか? 良く言われる台詞だ。

大体、デザインするテーマの後ろや、周辺に問題の本質が有ったり、別の所に本音が有ったりする場合が多い。そもそも、デザインしたら問題解決するなんてあり得ないし、作らなくて良い事だってある。
だから、本質を探る目的で無駄玉をしこたま打つ。
だが、その無駄玉は、無駄にはならない。僕達の次のネタになるのだ。
一つの事を通して、沢山の事を知ろうとする、思いを募らせる事は、本質へ近づく一歩に繋がる、そう信じている。
出来るだけ、体を動かして、無駄でも、不発でも悔やまず、無理をし、自分の体に焦がれる気持ち、この運動能力を体に刷り込ませるようにしている。
振られようが、愛の押し売り呼ばわりされようが、関係ない。それは、愛するに値する相手と、いつか会うための求愛行為だからだ。
さて、今回は、どうなるか? 
いつものパタンだと、その場では受けるのだが、後で、丁寧に断られる。
ところがだ、今回は合点が違った。受けるどころか、異様な盛り上がりをしてしまった。嫌われ慣れている僕らからすると、いつもと調子が違う。
「あれ?これ、まじか?このメンバー大丈夫か?」
それが、このチームに感じた最初の感覚だった。
「もっと迷惑な感じ?困った感じが足りねえ!!コバ攻めるぞ!!」
受け入れられ慣れていない、僕らが一番弱い所、それは、「受け入れられる事」。
次から次へと無駄玉を打った。そもそも、このチームのミッションは、移動可能な空港に設置する遊具だったか?それが結果、最初の出来たのは、空いている施設の木質化、つまり「ハコダケホール」のデザインに繋がる。ノリに乗った石田さんは、空港を説得しこのホールの設置に奔走する。
ノリに乗ったツーさんは、補助事業のチャンスを持って来る。この乗り合いに、乗り、乗られ、半年も待たず、7月に施設が竣工してしまった。
僕が驚いたのは、空港のデッキで、モクモクと煙が上がるジンギスカンを堂々とやり、ステージでJAZZのライブをやる凄さ、空港に着いたとたんに心地良いJAZZの生バンドが聞ける空港なんて世界中でここしか無いのではないか?
観光客が、旅の最後に、美味しいジンギスカンと限定生ビールで思いを馳せる。
こんな大胆で素敵なことをやれるなんて素晴らしい。

とにかく、全員が被害者であり、やったという加害者でもあるのだ。
しかも、何も悪びれていない。むしろ、誇りにすら思っている。
本当に、素晴らしい仲間と出会った。
最初に思った事「あれ?これ、まじか?このメンバー大丈夫か?」
あの感覚の正体は、同じ血が流れる、同じ病気の仲間の匂いだったのだ。

遠く離れた地で、同じ匂いを感じ、集まり、事を成す。
気づけば、一緒にお酒を飲む事を喜びとする、兄弟、親戚だった。
そもそも、このチームのミッション「ハコダケ広場」は、当初は、杉のジャングルジムを作ろうか?という計画だった。
しかし、中盤、林産試験場から、ジャングルジムには色々な規制があり、大型遊具としての高いハードルがあることを知らされ、頓挫しかけた。
しかし、ハードルが有れば有るほど、このチームは燃え上がる。
一瞬で空気が重くなった。固まった空間の中で。
「そうですか〜 やっぱり、ジャングルジム止めます!!」「え〜〜!!」
「止めます!!」「今から全て、中止ですか?」
「いやモノづくりは止めませんが、ジャングルジムは止めます」
「遊具ではない、遊具とは思えない、しかし、遊具と見えてもいい、新しい空間システムを作ります!!」なんですか?????」
「子供向けにするのは止めます」
「子供達にとっては、やや背伸びしなければならない空間に変更します。」
「子供にとっては、助け合ったり、慣れないと、痛かったり、出来なかったりする。子供達の成長のための空間をつくりませんか?」
「安全で、簡単で、誰でも出来るなんて、面白くないでしょう?」
「危険なものを作るつもりはありませんが、僕達が、わくわくする、楽しいものを作りましょう。」「バリアフリーを止めて、バリアアリーです。」
「だから、ジャングルジムという子供の遊具は、やりません。」
くすくす、笑いが漏れ始めた。皆、やれやれという感じ。
「とんち」か、「へりくつ」か?何はともあれ、重たい空気が軽くなった。
この試験場からの難しい規制のお陰で、複雑だった構造やデザインがめちゃくちゃシンプルになった。何かを、捨てたとたんに、新しい道が開けた。
試験場のお陰である。おまけに、難しい事を言ってしまって方向性を曲げてしまった事に責任を感じて頂いて、随分その後の支援をして頂いた。

僕は、昔から褒められるの苦手だが、叱咤激励されると燃えるたちなので、本当に有り難く思っている。

斯くして、第二弾「ハコダケ広場」も11月には出来上がり、ツーさんが小学校を巻き込み、子供達の木版の彫刻画を壁面に飾るイベントを行なった。
そして、地域と子供達とでつくった「新しい地域の拠点としての空港」の木質化が終了した。
その出来映えと、盛り上がりに、皆で喜びあったのであった。
この短期間での、モノづくり、しかも空港という施設。
単に木質化するという事ではなく、地域の木という存在が、「まちと山と空港と、訪れるお客様を結びつける仕掛けになった事だった。」

そもそも、なぜ、空港が木質化なのか?
始まりは、スーさん達の、木育イベントから始まった。
空港の施設で、子供達向けの一部有料のイベント、果して人が呼べるのか?
ところがどっこい、二日ほどのイベントに1500人もの集客をしてしまった。
このイベントのためにわざわざ、市内から人が訪れるのだ。
これには、空港側も驚いた。「木は人を呼ぶ!!」確信した。
木から始まり、空港の新しい価値が見えて来た。通過するだけの施設ではなく地域と世界を結ぶ拠点として、地域の窓口としての空港へ。
木の箱の館から始まった函館。原点へ帰って「木のハコから始まる空港」へ
「ハコダケホール」「ハコダケ広場」!!
おまけだ!!空港のキャラクター「ハコダケくん」(ワル乗り!!)
杉のハコを被った「ハコダケくん!!」
杉のハコに入った「ハコダケくん弁当!!」
杉のハコに入った「ハコダケくん焼酎!!」(紙パック&升)
杉のハコの連続「ハコダケくんマトリョーシカ」(ただ升が小さくなるだけ)
等とスーさんの子供達が書いてくれた絵を頂いて、散々商品展開まで提案した。さすがにそこは受け入れられなかったが、なんとあの、スーさんとツーさんはそれを実践した。
5人の「ハコダケくん」が、全身タイツで、異様な踊りをしながら会場に現れた。
もはや誰がツーさんで誰がスーさんかも解らないが、スーさんの子供達との合作である伝説の「ハコダケくん」がついに現実になった。
涙が出るくらい面白かった。ひょうきんで愛らしくて、そして、変にデザインしていないところがいい。おそらく、日本で最も安い着ぐるみ、だろう。
最初は、ツーさんは嫌がっていたらしい、しかし被ってしまえば、もうおしまい。
子供達や、みんなが喜んでいるのを見ると、止められなくなる。
楽しくなって来る。だんだん色々やってみたくなって来る。
これが、病気の始まり、いやクリエイティブの始まり。

色々の仕事をして来て、いや、社会人になって、沢山の「仕事をやりたくない人々」と出会ってきた、いや殆どが、如何に「そこそこに」という人々だった。
面白いコト、無駄なコト、先の見えないコト、今日、儲からないコト、特に悪ノリは厳禁。
だから、僕は入社して、すぐに、社会人として、失格のレッテルを貼られる。
いや貼られて来た。
世の中のためより、儲けのため。人のためより利益のため。
社員の幸福より会社の幸福。
そんな風潮に、僕はずっと馴染まなかった。
それでも、随分、自分に言い聞かせて、仕事をして来た。
何故そうなのか、会社の誰に問うても、答えは得られなかった。
随分悩み、苦しみ、会社で、誰とも合わない自分を恨んだ。そして、荒くれた。
荒くれれば、荒くれる程、また余計な事ばかり仕出かし、また蔑まれる。
それでも手は動く。この執念のような活動が、やがてスギダラに繋がる。
スギダラを初めて、外へ出て、社会の人たちと繋がって、僕の中に溜まっていた毒が、次第に抜けていった。
「こんな、俺でも居場所があった。」そう確信した。
そこには、今までに感じた事の無い、喜びがあった。腰砕けになった。
涙が得る程、自分と同じ感じ、同じ匂いがする人がいた。
まるで、家族に会ったような気がした。
汗をかき、共に未来を考えることが、とても嬉しかった。
外からの視点で会社の仕事を見た時、なんて囚われていたんだと思った。
会社のみんなが、表情の無い同じ顔に見えた。
僕は、それから、ますます変態扱いを受けるようになった。
しかし、もう、心は乱れなかった。

沢山の会社の仕事をして、めったに同じ仲間、親戚には出会うことはない。
コンペは連戦連敗、断り文句は「うちには、合わない。」

しかし、熱い、沢山の仲間がいた。
地域を愛し、森を想い、未来に我が身を捧げる人達がいた。
そう、同じ血が通う、親戚だ。

「はるばる来たぜ〜〜ハコダケ〜〜〜」
仲間と創るモノづくりは楽しい、仲間と語るのはもっと楽しい、そして仲間と飲む酒は最高だ。

函館空港のプロジェクトは、そういう熱い、親戚との出会いだった。
「はるばる来てしまった、北の地は熱かった。」

 

ツーさん、スーさん、石田さん、函館空港の皆さん、林産試験場のメンバー、ハルキの社長他社員の皆さん、ワークショップに関わった子供達に感謝の気持ちを込めて。

   
   
   
 

 

  ●<わかすぎ・こういち> インハウス・プロダクトデザイナー
株式会社内田洋行 所属。
2012年7月より、内田洋行の関連デザイン会社であるパワープレイス株式会社 シニアデザインマネージャー。
企業の枠やジャンルの枠にこだわらない活動を行う。
日本全国スギダラケ倶楽部 本部デザイン部長
月刊杉web単行本『スギダラ家奮闘記』:http://www.m-sugi.com/books/books_waka.htm
月刊杉web単行本『スギダラな一生』:http://www.m-sugi.com/books/books_waka2.htm
月刊杉web単行本『スギダラな一生 2』:http://www.m-sugi.com/books/books_waka3.htm
   
 
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