特集 月刊『杉』10周年記念特集
  人と杉の柔らかな時間を取り戻す

文 長町美和子

   
 
 
 

  月刊『杉』創刊10周年おめでとうございます! 過ぎてしまえば10年なんてあっという間だけれど、創刊当時に自分が書いていたものを読むと、エネルギーがあったなぁ(笑)と、しみじみ時の流れを実感します。途中で息切れして連載離脱してしまったくせに創刊10周年記念に文を寄せるというのも申し訳ない気がするのですが、ライターという仕事を通して見てきた「杉」のまわりの10年の変化、そして、その前の10年ってどんなだったっけ、という辺りを振り返ってみたいと思います。

 東日本大震災の津波の記録を石碑に残すのではなく、木製の碑(記録板、木碑?)にしよう、という岩手の高校生の提案がかたちになった、という話。ニュースで見た人も多いことでしょう。石碑って、なんとなく見過ごしてしまう。文字が刻まれていても、よく見えないし、難しそうだし、あぁ、なんか昔あったんだろうな、で終わっちゃう。ずっと変わらずにそこにあるから、かえって忘れ去られてしまうんだ、と彼は考えた。それは「石」でつくったからじゃないか、って。朽ちていく素材であれば、何年かに一度、作りなおす必要が生まれるから、そのたびに意識することができるし、真新しい白木で直されれば、人の目にもとまりやすい。それをきっかけに、津波のことをずっと忘れずに思い出すことができる。彼はそんな話をしていて、あぁそれこそスギダラの精神じゃないか! と、すごくうれしくなった。10年前、そんなことを思いつく人は誰一人いなかったはずだし、そんなことを言っても誰も耳を貸さなかったに違いない。それも都会のプロデューサーがコンセプトを練って思いついた、とかじゃなくて、自然に囲まれた地域に暮らす地元の若者が気づいた、というのが素晴らしい。

 インテリアと住宅の雑誌の周辺にいて、80年代の後半からずーっと眺めていると、日本人の価値観もだいぶ変わって来たなぁ、と感慨深いものがある。大学を卒業後、ほんの一瞬だけ小さな注文住宅のメーカーに勤めていた時は、打ち合わせに来るお客さんだけでなく、営業マンや設計担当者の住まいづくりに対する意識の低さ、デザインという言葉の間違った使い方にあ然として、日本の住環境はこのままでは未来永劫よくなっていかないんじゃないか、と、砂漠にスプーンで水を撒くような無力感にさいなまれたものだった。

 これじゃいかん、啓蒙する側に回らないと、と出版社に転職したのは平成元年。当時、バブルはすでに翳りを見せ始めていたものの、住宅・インテリアの世界はまだイケイケ状態を続けていて、私が編集者として関わっていた住宅雑誌は、戦後日本のモダニズム建築のアトリエ系設計事務所から派生したサラブレッド建築家(それなりに良識があると思われる)の建てた住宅を紹介していたにも関わらず、その時代は、御影石の床をピンヒールで歩く奥さまのいらっしゃる画廊オーナーの家とか、階段ホールに全長4メートルものピンク色のヴェネチアングラスのシャンデリアが下がっている会社社長の家なんかの取材も多くて、全体的にツルツルピカピカ、コンクリート打ち放し、ダークな色調、黒革&クロームのソファにガラスのテーブル的なインテリアが「格好いい」とされていた。それがバブルの終結で、憑きものが落ちたようにスッと収束したのが92、93年頃。「木の家」とか「ナチュラルなインテリア」的な特集が売れるようになって、白い布張りのソファや、パイン材の床といった生成りっぽい色調が主流になってくる。それでも、無垢の木の家具や床材に「傷まないこと」「汚れないこと」「暴れないこと」を要求するのは当たり前のことだった。その後、節があったり、色や木目が不揃いなのも「味」であると受け入れる人が増えてきたのは、いつ頃からだったろうか。あと数年で2000年という時に出版社を辞めて、私自身の仕事環境が変わったことも影響しているとは思うけれど、ミレニアムを前に、世の中全体が過去の歴史を見直し、次の100年に伝えていくべき本質的なものを探っていかなくちゃ、というような空気に包まれる中で、じわじわと消費者の意識も変化していったような気がする。

 フリーになって、雑誌『コンフォルト』の編集者、内田みえさんに出会ったのは、ちょうどそんな頃だった。思えば、南雲さんや若杉さんと巡り会ったのも『コンフォルト』の取材の時であり、前の出版社を辞めた時に、コンフォルトの編集部が手が足りなくて困っているみたいだからすぐに行くように、と勧めてくれたのは(ほとんど命令だったが)プロデューサーの鈴木恵三さんだった! いやはや、なんというご縁でしょう。2000年を過ぎた当時は内田さんが編集長を務めていて、その頃の誌面をパラパラめくると、そこかしこにスギダラが生まれる気配が漂っている。2002年に月刊化した時の特集は「Re=再生」。この号から南雲さんが参加する「ドリョークデザイン」、石田紀佳さんの「自然の産物と手工芸」の連載が始まった。この頃、南雲さんは、日向市のストリートファニチャープロジェクトを通じて、木材を公共空間に使っていく意味について、また、山とまちの関係、地域の人が深く関わることで可能になるデザインについて考え始めていた、と月刊『杉』99号の「10年経って見えてきたもの」の中で書いている。

 スギダラが発足された頃、どこかに取材に行くたびに、「日本全国スギダラケ倶楽部というのがありまして……」と建築家に話しかけて、杉の宣伝に努めていたのだが、「杉を使うと、なんか本能的に『和』を感じるのがイヤ」とか「国産杉で1軒、まるごと建てられるだけの材を揃えている材木店がないし、工務店に要望を出したところで、思うようにはいかない」という反応が多かった。「本能的に和を感じる」というのは、まだそれだけ昔の日本家屋の記憶が、つくる側にも住み手にも残っていたということだろう。それに、デザインの手法として杉をモダンに使うこと自体が難しかったんだろう。 その点、日本家屋の実体験がない若い人が増えてくると(それ自体は残念なことだけど)、発想が外国人並みに自由になってくる。杉や檜に必要以上に「和」を感じることもないし、たとえ感じたとしても、いい感じに「今の日本」を打ち出していけるに違いない。木材だけじゃなくて、畳とか和紙とか土といった、朽ちていく素材、柔らかで、扱いにちょっと気を遣う、それだけ人との関わりが深くなる素材を面白がってうまく使ってくれる人が増えていってくれることを期待したい。そうやって、「我が家を建てる時にはぜひ国産材を使いたい」というエンドユーザーが増えていけば、需要に応じる形で杉材をストックする材木店も自然に増えていくに違いない。筑波大で民家研究をされていた安藤邦廣さんが提唱する「板倉の家」──杉の柱に杉の厚板を落とし込んで構造をつくる現代的民家の工法──が、各地の工務店の共感を得て広まっていっているのも、これから大いに期待できる要素だ。

 そう、杉を日本建築の柱材と決めつけずに、新鮮な気持ちで感じること、面白がること、楽しむことが、これからの人にはできると思う。スローフードとかローカリズムじゃないけど、なんか新しいモノのとらえ方をうまく伝えると、日本人ってノッて来やすいんだと思うわけです。同時に、今、身近にある素材を活かして、ゆっくりと時間をかけてモノをつくり消費していくことや、それに見合う対価を支払うこと、思いのこもったモノを修繕しながら長く使うこと、そういうことが素敵だ、格好いい!と思える世の中にしていきたい。そんなことをずっとずっと願い続けていろんなところで書いてきて、それが、この10年の間でもほんとに急速に浸透してきたよなぁ、と、しみじみ思うのです。スギダラは大きな時代の流れの中で、必然的に生まれたものだったんだなぁ、って。

 今、スギダラの活動は、もう全国で好き勝手に(笑)ダイナミックに展開されていて、それぞれのやり方で「杉」の活用促進がグイグイと力強く行われている。月刊『杉』で毎月伝えられる各地のさまざまなプロジェクトを読んでいると、なんてみんな頑張っているんだ、と、まぶしい思いでいっぱいになる。ただ、忘れちゃいけないのは、スギダラの核心は、「杉」という木材の活用そのものにだけあるのではなくて、「杉」という存在に象徴されるもの──ゆっくりとした時間が必要なもの、手間のかかるもの、人の思いや協力なしには使えないもの──つまり、現代の日本の経済社会が切り捨ててきたものをもう一度大切にする文化を取り戻そう、という姿勢にこそあるのだということだ。そして、そうした暮らしは、決して過去のものではなくて、ちょっと生きるスピードを緩めるだけで取り戻すことができる、ということに気づくきっかけをつくっていくことも月刊『杉』の使命だと思う。

 初めて参加した馬路村ツアーの夜も、月刊『杉』をつくろう!と盛り上がった第1回吉野ツアーの夜も、「林業の現状をどうにかしよう、なんて難しいことを言う前に、とにかく杉に触って、杉の良さを感じて、スギをスキになってもらうことだよね!」と酔っ払いたちはレロレロと熱く語り合った。私自身はなんの生産活動もできないけれど、その「倶楽部活動」のノリと精神を大事に、これからも自分なりの広報活動を地道にコツコツ続けていこうと思っております。

   
   
   
   
  ●<ながまち・みわこ> ライター
1965年横浜生まれ。ムサ美の造形学部でインテリアデザインを専攻。
雑誌編集者を経て97年にライターとして独立。
建築、デザイン、 暮らしの垣根を越えて執筆活動を展開中。
特に日本の風土や暮らしが育んだモノやかたちに興味あり。
著書に 『鯨尺の法則』 『欲しかったモノ』 『天の虫 天の糸』(いずれもラトルズ刊)がある。
『つれづれ杉話』web単行本:http://www.m-sugi.com/books/books_komachi.htm
『新・つれづれ杉話』web単行本:http://www.m-sugi.com/books/books_komachi2.htm
恥ずかしながら、ブログをはじめてみました。http://tarazou-zakuro.seesaa.net/
   
 
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