連載
  スギダラな一生/第80笑 「丸の内スギダラ屋台ダラケ」

文/ 若杉浩一

   
 
 
 

10年程、前だろうか?
南雲さんと、いつもの悪ノリで屋台ダラケ倶楽部を立ち上げ。全国の杉の屋台を集めてイベントやろうという話になった。
それだけでなく、資料を作り僕らは三菱地所に、陳情に行ったのだった。
結果は「道交法などの制約があり、無理です。」という話になった。
僕らは意気消沈し、東京駅のガード下でヤケ酒を飲んだ。
それっきり、屋台ダラケ倶楽部、略称「ヤタダラ」は活動を休止した。
それから、お互いにチョボ、チョボ、各地で屋台を作ってはいたものの、忘れ去っていた。
さて、今回の発起人は、あの「良品計画」。
世界で880店舗を持つ流通業で高収益の有名な会社。
それが「何で、スギダラ? 何で内田洋行?」という話だ。
我が社の社長すら、金井会長に「大変失礼ですが、何故にうちの若杉のような代物とお付き合いがあるのですか?」と聞くぐらいだから、不思議なのもよくわかる。逆に、僕が聞きたいぐらいだ。

始まりは、12年前。仲間のサムスンのデザイナー吉田さんが、僕たちが作ったショウルームを気に入り、沢山の凄い人たちを連れてきた。
その一人が金井さんだった。当時は役員だったと思う。

来るや否や、色々なデザインを気に入ってくれた、特にスギダラの活動を話すと「君は、面白いね〜〜 ちょっと、うちのスタッフ呼んでいい?」
「君に、会わせたいんだ。」
そして、開発のメンバーが集まった。
「このデザインチームは面白いから、一緒に学んだり、開発したりしよう!」
「なあ、みんなやろうぜ!!」
それから、定期的に意見交換やら、企画を投げかけたり、商品開発をしたりした。だから、無印の製品に当社のデザインがあったり、うちの製品に無印の製品があったりしたのだ。
金井さんは、沢山、面白い仲間を紹介してくれた。
その代表的な人物が、清水君、当時、家具の開発担当。よく働き、ズバズバ本音を言う、行動が早く、素晴らしい人物だった。
大企業にいながら、会社に染まらず、夢を持っていた。
当然のように、直ぐに、仲良くなった。
仕事がある、無し、ではなく、ちょくちょく飲んだり、遊んだりしていた。
「若杉さん、僕ね、実家が、テキ屋の元締めなんですよ〜、だから小さい時から手伝って、商売をしていた。モノが売れていくのは楽しいです。無印に入ったのも、商売をしたいと思って入ってきました。」
そんな彼は、あっという間に出世し、有楽町店の店長になった。
無印のトップ店舗である。だからといって、あぐらを掻くような人ではない。
「若杉さん、色々相談したいんです。有楽町店に来てください。」
彼から、いろいろな商品を見せられた。
「何だか、営業に凝り固まっているのが嫌なんです。開発をしたい、売りたい、そう思ってね、店長の権限使って、これ開発したんです。そしてこの塗料、手塗りでいい表情出すでしょう?黒板にもなるのもあるんです。」
「え〜塗料も売るのか?」
「ええ、家具だけでは面白くない、空間を売りたいんです。そして、その新しいビジネスをやりたいんです。」
「すげ〜〜〜面白い!!」「面白いでしょう?」
「そして〜、そのビジネスを若杉さんとやりたい、法人事業をやりたんです。」
「他じゃやりません、若杉さんとやりたいんです。」「マジか!!」
そして、僕は直ぐに、開発事業部長を連れてきて、清水君を紹介した。
意気投合したものの「若杉、お前はもういい、この後は開発で引き継ぐ。」
何らかの違和感を感じたが。任せることにした。
しかし、その違和感は当たっていた。
清水君の思いとは裏腹に、無印の家具を単に取り扱うことになっただけ、カタログの一ページにひっそりと載っただけだった。当然、結果もしょぼい。

仕事をする人たちの力は恐ろしい、夢や希望を一切無くしてしまう。
業務として処理され、無理やリスクのないところに、ひっそりと置かれる。
それから、ある出来事が起こった。
僕らがデザインした、東京おもちゃ美術館の赤ちゃん木育広場に金井さんがやってきた。そして直ぐに気に入り、有楽町店にも木育広場を作ることになったのだ。作る途中で色々すったもんだがあったが、全て清水君が対応してくれた。
そして、お披露目。
「よう〜〜〜杉の親分〜〜色々ありがとう〜」
「ようやく、無印に杉が入り始めましたね〜」
「君は、諦めずによくやっているよね〜〜。僕はね〜こう思っている。正しいコトは、きちんと仕事になる。時間はかかるけどね〜〜。」
「最初ね、売り場を減らすのに現場は抵抗した。だけどね、売り場って、モノを売る場所ではない。」
「無印が好きになってもらって、気に入ってもらって、長くいてもらって、結果モノが売れる。モノを売るだけだったら店なんかいらない。僕はそう思っているんですね〜。」
そして、この有楽町店は、木育広場を作って売り上げが120%伸びた。
銀座でお母さんがゆっくり買い物をできる場所になった。お父さんと子供達の笑顔がある、素敵な場所に変貌した。木育広場は全国へ広がっていった。
そう、大切なものはモノではない。また行きたいと思わせる、美しい風景、楽しい空気だった。
しばらくして、また清水くんから連絡が来た。
「若杉さん、僕、今度は営業の責任者になったんです。僕のチームのオフィスをやり変えます。杉使って、若杉さん一緒にやりましょう!!」
「え〜〜また偉くなったの?」
「今度は、僕は会社のつまらない空間を変えたいと思います。手伝って下さい。」
「勿論だ!!」
あっという間に、ただの事務所に中に、忽然と素敵な杉空間が生まれた。
当然、社内は、騒ついた。
しかしこれは、清水君の戦略だった。きちんと次を企んでいた。
「若杉さん、これ、商品化しましょう!!一緒に売りましょう!!」
「一緒に事業をやりましょう! 会社を変えましょう!」
「勿論だ!!」僕と清水君は、企画書を作り、無印の開発会議にかけた。
二人で懸命にプレゼンをした。金井会長が座長だった。
「お〜〜杉の大将!! おい、みんな若杉さんはな〜〜」
僕たちのプレゼンの前に全員に文脈を説明してくれた。
「さあ、聞こう!!」
こんな感じで、メンバーが、反対するはずがない。
半ば会長が提案しているようなものだ。
「よしやろう!!」あっという間に承認された。
僕らは、早速チームを作り、商品化を開始した。
そして、あの男が登場する。清水君の秘蔵っ子、林君だ。
だからといって、清水君はそんな紹介はしない。
「若杉さん、今度こいつをメンバーに入れます。ダメダメですがよろしくお願いします。ボコボコにしていいですから、鍛えてください。」
「おい!!お前!!アホか!!お前なんかが、簡単に会えるような人じゃないんだ!!大体コーヒーも用意できないような奴に、この大切なコトを出来る気がせん!お前なんか、死んでしまえばいい!!」
初っ端から、激しい。
だけど、僕は知っている。これは、彼の愛情表現。
打って、跳ね返すような人にしか言わないのを、僕は知っている。
きっと、自分の受けた、何かを彼に与えようとしている。
開発を開始して、また事件が起きた。清水君昇進、ついに役員。会社のナンバー3になってしまった。
「すみません、この仕事の面倒を、見れなくなりました。」
「林しか、いません。よろしくお願いします。」
「僕のフロア、役員フロアなんですが、全面改装します。是非、製品化の実験を、しましょう!!」
そうして、影響力のある会長、社長、役員がいるフロアのデザインを僕らに任せてくれた。製品開発、それにノリを加えるリアルな実験場。そして、可能性の若者。そして放置、置き去り。
仕掛けが絶妙!!神がかり!!
これで上手くいかないわけがない!!さすが清水くん!!
僕は、開発の古参をスパ抜いて、若者を集めた。何故なら、この大切な無印との共同開発は、お互いに貴重な経験になる、お互いが、自分達のタガをは外して、大いに暴れなければならない。会社に横たわる、安定のルールを超えなければならないからだ。
社内事情を知っている賢者より、知らない愚者の方が可能性がある。
沢山の障壁はあったし、まだまだ問題は山積している。
しかし、問題を片付けることより、形にして、世に姿をさらけ出して、磨かれるコトが大切、棘が落ちていく時間が大切なのだ。
どこかにあるものの模倣をしているのではない、新しいものを作るのだ。
答えなんか簡単に見えない。
やり続けるコト、働くこと、打たれるコトが大切なのだ。
そのコトで、真ん中にあるキラキラした真実が見えてくる。
一年間の開発、うちのメンバーも正規軍ではないが、無印側は正規軍どころかゲリラ軍?ゲリラ人だった。
なぜかというと、林君一人だったからだ。
メンバーのサポートを受けていたものの、製品にまつわる全てに、林君が関わる、若干29歳。(見た目は重役)
もう、悩んでいる暇も、グチ言う暇もない、ヤケクソ!!ボロボロ!!
僕はこのトランス状態が大切だと思っている、自分の臨界点を超えてる瞬間、脱皮の瞬間だからだ。可能性の開花なのだ。
大体、自分を超えるのが怖くて、文句を言う。
頑張っている、休みがない、徹夜したと吹く。
そして、切れる。遠吠える。逃げていく。
29歳の林君、重役顔が40歳の肉体労働者のように変貌していく。
年齢不詳、ブランド不明、職業不明、どんどん薄気味悪くなっていく。
しかし、成るのだ!! 至るのだ!!
「林 高平」に。
デザイナー? 良品計画? 有楽町店? 29歳? 
人を、何で定義しようとしているのか? まったく、つまらない。
「林 高平」で生きていくしかないのに。
そして、4月製品発表会。二社合同の、しかも宮崎県の中空パネルを使って。
内田洋行の空気が一瞬にして変わった、新しい風が吹いた、新しい仲間が訪れ、新しい風景が出来上がった。
春の清々しい日にキラキラした太陽、人。みんなの目にキラキラしたものが潤んでいた。
「ようやく始まりましたね〜若杉さん」
「うん、ありがとう!!」
「お任せばかりで、すみません。」
金井会長も嬉しそうだった。
「さあ、これから、正規軍入れてどんどんやろう!!」
それから、沢山の新しい仕事が生まれて来た、当然そう簡単にはいかないが。しかし、そんなコトは解っている。とにかく進むしかない。

7月の終わりだったか?
林君から電話が入った「若杉さん 無印有楽町店の周年祭で丸の内、仲通を貸し切って杉ダラケの屋台でイベントしたいんです。」
僕は一瞬、誰が、何を言っているのか解らなくなった。
何故なら10年前諦めたコトが、年齢不詳の林君からお願いされているからだ。
「お前は誰だ!!いや、おう、やるやる!!やるぞ〜〜〜!!」
直ぐに南雲さんに連絡した。南雲さんは、何のコトか、もう忘れていた。
全国の仲間に連絡した。
「とりあえず詳細は別、9月の三連休、全国スギダラ屋台、丸の内集結!!やる?」
「やります!! 詳細は別で!!」
みんな、アホである。どうにかしている。これから起ころうとしている大変なコトを想像出来ないはずがない。
しかし、みんなから出てくる言葉は「やりたい!!やります!!待ってました!」
やはり、重病者の集まりだった。この患者にみられる典型的な反応だ。
それからというものの、わずか一月余りで、怒涛の準備、動きを見せた。
北は旭川から南は宮崎、鹿児島まで。
スギと地域の良いモノと人の元気が東京に集結した。
夢ではなかった。
あの思い、描いていた風景が丸の内に出現した。
すごい人波ができた。
そして、あの懐かしくて、嬉しくて、愛と熱気がある風景が出来上がった。
「これか〜〜 馬鹿馬鹿しいことの積み重ね、形を捨て、人に狂い、創りたかったもの」
「美しい、風景」
風景には、人の熱気、思い、匂い、味、音、家族、仲間が重なり、記憶に残る。形あるものは、無くなり。音も消える。
しかし、風景の記憶はずっと残る、そして受け継がれる。
これだった。やりたかったコトは。
僕だけではない、関わった皆んなが、理解していた。

金井会長が嬉しそうに「若杉君〜 ありがとう〜〜 嬉しい。こんな風景を創れて。そしてうちの社員が、あんなに良い顔をして、働いている。」
「こういうことなのだよね〜働くってね〜〜」
「うちの社員を育ててくれて、ありがとう!」
最後の片付けの時に、雨が降り始めた。
皆んなの思いのように、ざんざん降った。
しかし、誰も帰らない、お互いに助け合い、ショボショボに濡れながら、働いた。
そして、いつもの、丸の内の街並みに戻った。

沢山の苦労と、沢山の人と、お金、時間がかかった。
それで、何が得られたか? 儲かったか? 結果は?

結果? 
結果は、未来に渡す。豊かなものとして。

何が得られたか?
大切な風景の記憶、喜びという価値、重なって繋がっていくコト。
働くという意味、働く人。

儲かったか?
儲けるようにするのが、仕事だろ!!

また来年!! 

無印の沢山の仲間、熊本高校の同級生達、沢山のスギダラのメンバー、支えてくれた金井さん、清水君、上田君、熊本製粉の米田さん、味千ラーメンのチーちゃん、フンドーダイの皆さん、村上漬物、村上君、無印関係の出店の皆様、年齢不詳の林くんに感謝の気持ちを込めて。

   
   
   
   
  ●<わかすぎ・こういち> インハウス・プロダクトデザイナー
株式会社内田洋行 所属。
2012年7月より、内田洋行の関連デザイン会社であるパワープレイス株式会社 シニアデザインマネージャー。
企業の枠やジャンルの枠にこだわらない活動を行う。
日本全国スギダラケ倶楽部 本部デザイン部長 
月刊杉web単行本『スギダラ家奮闘記』:http://www.m-sugi.com/books/books_waka.htm 
月刊杉web単行本『スギダラな一生』:http://www.m-sugi.com/books/books_waka2.htm
月刊杉web単行本『スギダラな一生 2』:http://www.m-sugi.com/books/books_waka3.htm
   
 
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