スギダラ広場
 

スギダラな一生/第81笑 「ギネスギデザイン」

文/ 若杉浩一

   
 
 
 

鹿沼との出会い。それは2010年の事だったろうか?知り合いに頼まれ、鹿沼の木工の人たちにセミナーをしてくれと依頼があり、出かけたのであった。
鹿沼市には、当社の金属家具製造工場が工業団地にあったので、頻繁に打ち合わせに出かけてはいたものの、街の事は殆ど知らなかったし、工場そのものも、地域とは縁がなかった。
だから、工場と宇都宮駅の往復ばかりで、街の事を、殆ど知らなかった。
底冷えのする、2月だったろうか?スタッフの高山を連れて、会場へ向かった。
会場は、鹿沼市の商工会議所の大会議室、完璧なくらいの、おっさんの渦だった。まさしく「男の地平線」。
壇上で、この後が結末が恐ろしくなった。
そして、精一杯、喋った。 
しかし、精一杯滑った。 
そして、身も凍った。
会場がピクリともしない。ダジャレ喋っても、空気は、微動だにしない。
おまけに、質問の時間に、空気はさらに冷たくなった。
「楽しそうに、喋っているけど、製材業はそんなに甘くない、今を生きるか死ぬかって頑張っている時に、そんな楽しいだけでは生きていけねえんだ!!」
「いえいえ、僕は、林業や製材業を救う事はできませんし、だいたい、詳しくありません。すみません。」
「ただ、今を、生きるためだけで、いいんですか?未来を、価値を創ることも大切ではありませんか?僕は、二つの仕事、今を生きるコトと、未来を創るコトと二つのコトがありますって事を、お伝えしているのです。」
「世の中、そんなに、甘くねえんだ!!」
こんな感じで、身も心も冷えたのだった。まあ、この後の懇親会で、盛り上がろう!そう思ったのも束の間、商工会議所の副会頭、樽見さんが現れ、ダジャレをたんまり浴びせられ、期待してた懇親会も何もなく、駅まで連れて行かれた。
鹿沼駅は、とても寒かった。本当に、全身が凍ってしまった。
おかげで、この後、僕は大風邪をひき、高熱を出して寝込んでしまった。
もう二度とここには来ないだろう。そう思った。

しかし、しばらくして、連絡が来た。
鹿沼のメンバーで、東京に行くから、会社に寄ってもいいかという連絡だった。
まさか、二回目もあるのか!!耳を疑った。
しかし、二回目は、信じられないくらいの盛り上がりだった。
是非もう一度、鹿沼に来てくれという事になった。
僕は、呼ばれるがままに、また、高山を連れて鹿沼へ出かけた。
そして、鹿沼の色々な工場や現場を案内してもらった。
今まで、知らなかった、この地の力や技術、培ってきたもの、思いが見えた。
「ここは、かつて、木工の盛んな街で、町中工場があって、職人が、建具、家具を作っていました。」
「しかし、高度成長期に、流通や住宅メーカに依存し、作れば売れるという体質が染み込んだのですね。営業も、職人も、新しいものも作らずファックスの前で注文を待っている。そうして、どんどん産業が衰退してきたんですよ。」
「私は、この地域の誇りや、ものづくり、技術は素晴らしいと思うんです。その事に気付いて欲しい、そして嘗てのように、この地域を元気にしたいんです。」
ダジャレばかり言って、周りを笑かす後ろに、時々垣間見える、樽見親分の地域への愛に、心を打たれた。
何度か、行き来をし、呑んだくれの時も一年を迎えようとした時だった。
「そろそろ、なんかやろうよ!!」
「お金はないけど、みんなで知恵とデザインと体力を出し合って、ものを作って、鹿沼のお祭り、ぶっつけ祭りで売ろう!!」
「屋台で出店やろう!!」「いいですね〜〜!!」「やろう!!」
という話で盛り上がった。
気心が知れて、地域の事が分かり始めると何かを、しでかしたくなる。
騒動を起こしたくなる。自然に、お互いの役割が見えてくる。
面倒だが、人の力の自然な流れには、時間がかかる。
仕事も、行政の事業にも、不自然な期日がつきまとうが、人の気持ちはそんな簡単ではない。「よし!!」という無駄な時間が必要なのだ。
だから、仕事ではない「仕事」がとても大切だと思っている。
人も、テーマも熟す期間がいるのだ。

僕は、デザインの発表の場が、いつも東京で、
真っ白いギャラリーで、
お洒落な場所で、
業界人ばかり集まって、
地域の人の、居場所のない、ぎこちない様子を沢山みてきた。
地域の補助金を使って、デザイナーの個展化している様子を沢山見てきた。
この地も、かつてそうだった。
売り上げにも、喜びにも、誇りにもならないデザインが、
沢山の苦労とともに、地域の人の心に、こびり着いていたのだった。

デザインが地域を蝕んでいた。
デザイナーは、行政の補助事業に乗っかり、デザインが地域を変えたかのようの物語の中で、地域の技術も人も放って負の遺産を、沢山創って来た。
そして、メディアも、その表層を、美談として伝えていた。
デザインは、気づかない間に地域から、胡散臭い、代物として記憶されていった。
僕は、そういうことに、ずっと不満があった。
だから、この地で、路上で、デザインを発表したいと思っていた。
この地の、この景色の中で、人たちの佇まいに紛れながら、デザインを試したかった。
華やかでもなく、楽しくて、バカバカしくて、可笑しくて、ホッとする、普通のデザインをしてみたかった。

僕は、早速、この悪巧みに、ロハで協力してくれる、いや自腹だ、変な、いや優秀なデザイナー顔を思い浮かべた。
寺田尚樹、藤森泰司、浅野泰弘、深田新師匠、そして鹿沼の工場の我が社のデザイナー杉浦。
この、6人が集まった。
これだけの豪華メンバーは、東京ですら一堂に会せない。
どうだろうか!
そして、鹿沼メンバーとのものづくりが始まった。
東京から、デザイナーが6人も、集まる。地元と組んで、何かを生み出す。
地元からすると、何か、いいことがあるかもしれない、という期待があったのかもしれない。だから、当初は結構地元メンバーも集まった。
しかし、そんな良いことは、ちょっともない。
僕たちは、いつものように、全力投球!!
その真剣さに、暑苦しさに、地元のメンバーの空気が、次第に変わっていく。
面倒くさい、簡単ではないモノづくりに、次第に腰が引けてくる。
だんだん地元メンバーの足が、遠退く。
メンバーが、だんだん少なくなってくる。
文句が増えるが、モノはちっともできない。
チームに、不協和音が響始める。
「若杉さん!!僕たち交通費ですら、自分で払って、しかもデザインを提供して、あれは出来ない、これは出来ない、試作すら作らない。どういうことなんですか!!」
デザイナー同士にも不協和音が響き始める。
「続ける意味があるんですか!!ここに、未来はあるんですか!!」
「そうね〜〜、困ったもんだね〜〜」
「どうする? じゃあ、辞める?」
「若杉さんは?」
「俺は、やるよ〜〜」
「何で、何で、ですか?」
「何でって、絶対成功すると思ってるから。」
「どこがですか? やる気どころか、試作さえ出てこないんですよ。」
「うん、そうね〜〜」
「だから、そういう人は、いずれいなくなる。そして本物が残る。そうなる。」
「ここはね、都心からこんなに近くて、こんなに腕があって、素材が豊富で、伝統があって、つくれる、思いのある人がいる。」
「成功しないわけがない。そう思っている。」
「ただ、やる気がない、誇りを失っている。」
「全員が成功するわけがない、やる人、たった一人だけでもいい。」
「腹を括った、本物が現れてくれればいい、そう思っている。」
「その人と、俺と、二人でもいい。」
「たった一人の本物が、地域を変えるからね。」
「参ったね〜〜」
「まじっすか、じゃあ、やりますか?」「やる!!」「俺も!!」
「お〜〜〜やろう、やろう!!」
そうやって、この無謀な活動に、みんな乗っかってくれた。
僕は、本当にありがたいと思っている。
本当は、仕事として、皆にデザインを頼みたい。
しかし、地域は、なかなかそうはいかない、成功体験がない。お金もない。
お金のある仕事になると、偽りの人の集まりになり、偽の成功が作られ、消費する、後にも残らないデザインに終わってしまう。
だから、未来を信じて、人を信じて、本質を目指して、プロとして、懸命に続けていくしかない。
新しい、デザインの創造のために。
未来の、デザインのために。
デザインの本当の広がりのために。

しかし、仲間は素晴らしい。
この僕の暴挙に、半ば諦めながらもまっすぐ向き合い、バカになり、真剣にデザインする。
まったく、美しいったら、ありゃしない、嬉しくて変な汁が出る。
格闘の末の「ぶっつけ祭り」4台の屋台に、沢山の美しいものが並んだ。
デザイナー皆で売った。
作った人も、考えた人も、応援した人も、関わった皆でお店に並んだ。
東京から、各地からスギダラのメンバーが大挙して応援に来てくれた。
買う人も、関わった人も、地域の人も「木の街の風景」に魅了された。
懐かしくもあり、新しくもあり、愛おしい木の香り、笑顔、美しい佇まい。
見た事のない美しい風景の中に、デザインがあった。
少しづつで良い、この風景が広がって、このまちの誇りになってほしい。
簡単で、便利で、安普請な世の中で、粗末にされてしまったモノ、コト。
自分たちの中に潜んでいる、託された代物。
もう一度、最初から丁寧に作り直そう。そう思った。
時間をかければいい。ゆっくりとね。

そして、6年ほどの歳月が経ち、毎年、屋台も増え、商品も増え、デザイナーに和田くんも加わり、千葉工大の学生のお店も増え、杉屋台は30メートルほどまでになって来た。
そして、念願の飲み屋も始めた。スギから始まった、出スギた活動は、地域の色々な産物や、人につながり、地域の風物詩になった。
当たり前の風景になった。
求めない、純なるデザイン活動は、やがて、地域にデザインを染み渡らせることになった。
「屋台屋」ブランドは、製品になり、色々な流通で売られ始めた。
新しい繋がりの中で、地域に新しいビスネスの芽が生まれた。
この繋がりが、きっかけになり、「WOOD INFILL」が生まれ、新しい地域と企業の連携という製品が世に放たれた。
このプロジェクトでは、木工業界から、金属業界への連携が進んだ。
新しい、やる気満々の、素晴らしい仲間が増えた。
新しい商品を、販売するための「協同組合」が設立された。
そして、我が社の工場は地域との連携のお陰で、新しいモノづくりが始まった。
良品計画も、この流れに乗ってくれて、応援してくれている。
7年間の間に、人も、風景も、活動も随分、変化した。
変なコトばかり仕出かすようになった。
楽しい人の繋がりは、さらに楽しいコトを呼び起こす。
僕らにとって、鹿沼は第二の故郷だ。
親戚のような人達なのだ。
だから、とにかくよく集まり、美味しいお酒を酌み交わす。

そして、それが、700メートルの「ギネスベンチ」に繋がる。
「若杉さん!! 商工会議所設立70周年で、世界一長いスギベンチを作るんです!!」「是非、デザインをして下さい!!」
まったく、へんてこりんな挑戦だ!! 
馬鹿馬鹿しくて、笑ってしまう。
だけどだ、だけど、とても大切なコトだと思う。
地域の誇り、喜びを何かで表現するコト。
そして、市民を巻き込み、共に喜ぼうとするコト。
地域の木工と金属加工行が協力し、まちのために汗を流すコト。
行政や、産業の人たちがこのイベントで繋がっていくコト。
その、真ん中にデザインがあるコト。
700メートル500台弱のベンチを市民と共に作り、川沿いに、皆が並んだ姿を見たとき。何か、こみ上げるものがあった。
僕の名前が告知されている訳でもない、デザインのメディアがいるのでもない。
あるのは、野っ原に皆の笑顔と、スギのベンチ。
皆が、大事そうに、ベンチを持ち帰る。
この500台ほどのベンチは、この地で、色々な家の中で、風景を作って行く。組み立てた、思い出、河原の風景、家族の思い出、地域の誇り、みんなの頑張り。繋ぐデザイン。
僕は、デザインのもう一つの役割を見た感じがした。

その出来事を、女房に報告した。
「凄いね〜〜ついに、世界が来たね〜〜いよいよ世界のデザインがね〜〜」
「世界のデザインではなく、ギネスだけどね〜」
「違うものが、来たけどね〜〜」
「まあ〜〜いいか〜〜」
「いいよ〜〜世界だから」

デザイナーの寺ちゃん、藤森さん、浅野さん、深田さん、和田くん、杉浦、千葉工大のメンバー、スギダラの皆さん。
そして、鹿沼の商工会議所、制作してくださった方々。
始まりの樽見親分、白石さん、田代くん(ダボちゃん)、佐藤さん、金子さん鹿沼の仲間たち、そして市民のみなさんに感謝の気持ちを込めて。

まだまだ、やりますばい。

   
   
   
   
  ●<わかすぎ・こういち> インハウス・プロダクトデザイナー
株式会社内田洋行 所属。
2012年7月より、内田洋行の関連デザイン会社であるパワープレイス株式会社 シニアデザインマネージャー。
企業の枠やジャンルの枠にこだわらない活動を行う。
日本全国スギダラケ倶楽部 本部デザイン部長 
月刊杉web単行本『スギダラ家奮闘記』:http://www.m-sugi.com/books/books_waka.htm 
月刊杉web単行本『スギダラな一生』:http://www.m-sugi.com/books/books_waka2.htm
月刊杉web単行本『スギダラな一生 2』:http://www.m-sugi.com/books/books_waka3.htm
   
 
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