連載
  続・つれづれ杉話 (隔月刊) 第5回 「残したくても残せない理由」
文/写真 長町美和子
  杉について、モノづくりについて、デザインについて、日常の中で感じたモロモロを語るエッセイ。 
 
今月の一枚
  ※話の内容に関係なく適当な写真をアップするという身勝手なコーナーです。
  春うらら。ベランダの前の山桜も一気に緑色になりました。
   
  春だねぇ
   
   
 
   
  残したくても残せない理由
   
  先月、縁あって静岡の上清水に建つ古い家を訪問することになりました(取材の帰り、ウチダラ編集長と一緒です)。昭和13年築ということですから、第二次世界大戦に突入する前の、まだモノも人の技術もたしかな頃だったのでしょう。今、受け継いでいる方のご主人のお祖父さんが手の器用な方だったそうで「地元の大工さんと共につくった、質素で素朴な隠居所」とのことですが、とてもとても質素とはいえない風流な佇まいです。
   
  外観.
  外観.
   
 

門を入ると那智黒石が敷き詰められた玄関があり、その左(西側)は離れ的な書斎が一室、玄関の間の奥に四畳半の茶の間、南側の縁側に面して、八畳と十畳の座敷が続き、ぐるりと縁が回っています。その建具まわりの見事なこと! 戸袋の内側は廊下から簡単に出し入れできるように折れ戸になっていて、銅製のレールは今もまったく狂いなく、ガラス戸は指一本でするすると開閉できます。ガラスはもちろんウヨウヨとうねる昔のガラス。戸障子の足元には真っ直ぐの柾目が美しい杉板が入っています。建具の隅が丸く縁取られているのも優しく、たしかに肩肘張った「屋敷」というより、余生を楽しむための「隠居所」といった雰囲気。十畳の和室には炉が切られていて、八畳の和室の北側には小さな水屋もありました。

   
  ウチダラ編集長によれば、静岡は今も家具産地として知られていますが、昔から優秀な指物師が多くいたので、こういった個人の住まいにも優れた職人の技が残っているのでしょう、とのこと。驚くのは、10年ほど前に「水回りと台所を少し改修工事をした」というのに、それがちっとも違和感なく、とてもいいセンスで仕上がっていることです。石の浴槽が入れられたお風呂の天井を見上げたら、杉皮なのか檜皮なのか、とにかく樹皮を使った仕上げになっていてびっくり。同じように、外回りでも床脇の開口部の戸袋と、外に張り出した洗面室の外側に樹皮が使われているのを見ると、「よく濡れる場所」に樹皮が使われているのがわかります。檜皮葺きと言えば「屋根」と相場は決まっていますが、たしかに樹皮は木の幹を守るものですからお風呂の天井に使ってもいいんでしょう。
   
  玄関外   書斎を見通す
  那智黒石が敷き詰められた玄関の外側   書斎を見通す
  縁側   建具
  縁側   建具
  戸袋   洗面外
  樹皮を使った戸袋   樹皮を使った洗面外
   
  これは、「傷んだら直しましょう」という施主と大工の合意の上のつくりであるということです。そして、施主と大工が同じレベルでやりとりできる、という証でもあります。今、この家を管理しているのは60代後半から70代の奥さんで、自分の判断でお祖父さんの家に手を入れてしまったことをしきりに後悔されているのですが、やっぱり、代々家を受け継いできた経験というのはすごいものだなぁ、と思うわけです。そして、たぶんその家にずっと出入りしてきた大工さんとの関係が今もきちんと成り立っているからこそできることだと思うのです。言うまでもなく、台所もシステムキッチンなんか入れずに、材料を吟味した水屋箪笥と、ステンレス板金仕上げの「流し」がシンプルにつくられていました。
   
 

もう一つ、驚くべきことは、この改修工事を差配したご婦人が、実はアメリカのロスアンジェルスで暮らしているという点。住んでいないんですよ、この家に。40年ほど人に貸していて、その賃貸人が出て行ったのが10年前で、彼女はそれを機会にこの家を有効活用しようと、改修してお茶やお花のお稽古に役立ててもらおうと、町の役場に申し出たそうです。ところが、公民館の方がお稽古道具もたくさんあるし、なんといっても人の家を借りるのは気が張るから、と誰も使ってくれる人がいないらしい。もったいない! 

   
 

今はなんとか近隣に住む親戚の協力を得て掃除や換気をふくめ、管理を続けられているようですが、(ご両親が亡くなって)相続することが決まったらどうなるか……。たぶん相続税を払いきれずに、壊して更地にして売るか、アパートでも建てるか、って話になるんでしょうねぇ。ウチの近所でも、将棋のナントカさんという有名な方の屋敷が中野区に譲られて(物納した、ってことですよね)しばらくは公民館的に使われていたのですが、やっぱり維持費が大変ということで、庭木と池だけを残してあとは児童公園になってしまいました。

   
  空襲や地震をくぐり抜け、心ある人の手によって大事に手入れされてきた住まいも、最終的に「税制」によって壊される、ということです。残したいし、残せるだけの頑丈さもあるけれど、それだけではモノは残っていかない。今、都会では1軒古い家が壊されると、跡地に3〜4軒の小さな家が建つのが当たり前です。あまり大きな土地では買い手がつかないので、わざわざ分筆して手頃な価格をつけて、ほんとにここに家が建つのか、と疑いたくなるような小さな土地に見事な狭小住宅が建って、それがテレビや雑誌で紹介されたりするわけです。小さな敷地に建つ家は、建築家の知恵が詰まった面白いものになる、というのはよーくわかっているのですが、アクロバティックな狭小住宅にはどうも心から共感できません。
   
 

昔、阪神淡路大震災の後、「100年持つ家」というテーマで何人かの建築家に取材したことがあります。面白いことに、関東の建築家は建物の強度を問題にしましたが、関西の建築家は延焼を防ぐための緑の重要性を説きました。そして、中でもいちばん心に残ったのは、耐震性でもなく緑でもない話をしてくださった、故・石井修さんの考え方です。

   
 

「100年持たせるには、母屋と離れの2棟を建て、親子(あるいは隠居世代)がうまく使い分けながら、世代交代を続けて代々住んでいけるようにすることですね。それには、それができるだけの敷地の広さが必要です。そして、長く住むためには、できるだけ大きな材料を使うこと。大きな材であれば頑丈なだけでなく、後から手を入れて直すことが可能です。それから、その場所に代々住み続けていきたいと思わせるような周囲の環境が整っていることでしょう」

   
 

ここで、その話にもう一つ付け加えたいのが、「税制のあり方を考え直すこと」です。相続税を支払うために残していけるものを残せないのは、どこか間違っているとしか思えません。
「上清水の家」の活用については、近々ロスから日本に戻って来られるパワフルな奥さんと相談する予定です。日本語の教室、朗読会、デッサン会……彼女もいろいろアイデアを持っているようです。もしかしたら『鯨尺の法則』セミナーもそこで開催できるかもしれません。静岡近郊の方で、建物を活かした交流会、講座など何かやってみたい、と思われる方がいらしたら、ご連絡ください。

   
   
   
   
  ●<ながまち・みわこ> ライター
1965年横浜生まれ。ムサ美の造形学部でインテリアデザインを専攻。
雑誌編集者を経て97年にライターとして独立。
建築、デザイン、 暮らしの垣根を越えて執筆活動を展開中。
特に日本の風土や暮らしが育んだモノやかたちに興味あり。
   
 
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