日向から・・・
構成/ 南雲勝志
  いま地域が生き残るために・・・
 

前号、特集日向本の発刊を前にして日向駅広の竣工式に行った。
それからあっというまに一ヶ月が経った。日向本の執筆者達、そして多くの関係者が集まり、お祝いというより同窓会のようだった。スギダラ仙人認定式も無事終了し、淳志さんに今月号の記事を書いて貰う約束をしてもらった。

東口広場竣工前夜祭


 
  無事に伝達出来た仙人棒と仙人掛け軸。
   

広場の竣工式は素晴らしかった。多くの市民が完成を祝うために参加した。晴天にも恵まれ、参加した誰もが気持ちよく同じ時間を共有した。小野寺さんは、目を潤ませながらカメラのシャッターを押しまくっていた。その気持ちは解る。

その時僕は、広場にいくつのも屋台が点々と置かれていたことがとても嬉しくなった。
まずは移動式夢空間の3台。しかもそこでお店を出している子供達は6年生くらいだ。きちんと思想が受け継がれているではないか! おまけに当時の富小卒業生にも会えたし、昨年のタイムカプシェルの子供達も声を掛けてくれた。
もう一つは日向市合併前に日向入り郷地区一市二町五村の結束をを記念して市が製作した8台の屋台もある。5年前に出来た夢空間と4年前に出来た8台の屋台、合計11台の屋台が当然のように新しく出来た広場に置かれている。これらは駅前に定期的に開催され『駅市』でも大活躍しているらしい。しかしそれを使っている人達はその由来さえ知らない。そんなところに日向市の姿勢というか、時間や人を繋いでいく姿勢が感じられる。大きなことでなくても一つ一つのそうしことがとても大事なんだなあと感心して見ていた。考えてみると11台も屋台を所有している市町村など他にないのではないか?。多分日本一だ。

   
   


 
  屋台の写真   屋台の写真
   
 

日向からいろんな出来事が繋がっていったし、変化した。

たとえば上崎橋、月刊杉でもずいぶんと取り上げたが、最初はなかなか地域となじめず、めげそうだった。でもみんな相談に乗ってくれた。黒木正一さんには、「時間がかかるっちゃ。焦ってはダメだ。こっちの人間は恥ずかしがりや。何回か茶を飲まないと始まらない。そうすると徐々に気持ちを開いてくれますよ。」そして植村さん達とスギダラ的戦略を練り直す。

天満橋ではいろいろあって最後はクオリティーの高い仕上がりはもうダメかと思った。しかし出口先生や井上さん、中村さん、ミヤダラも協力しくれて結局素晴らしい竣工式へと繋がった。諦めなければ最後は何とかなるということを実感する。もちろん運も味方してくれた。
都城では中村さん、森山さんと繋ぎ、家具組合、木青会都城、市民、木材利用技術センターと繋がり、杉コレで木青会とも盛り上がった。

日南では堀川運河の整備と平行して石田さんとエコプロの参加、それが飫肥杉プロダクトとなり、秋の大イベントへと発展して行く。
つまり日向から繋がったことがアチコチで別のカタチで進化していく。日向から色んな力が発進し続けているのだ。日向本を読み返しながら、そんなことを改めて感じている。

今、様々なことが少しずつ整理され、収斂していくような気配を感じている。
スギダラ5年、会員1000人。語呂が良いけど、波あり谷ありの連続だった。継続は力なりという意味で最初の山場は超えたのかも知れない。そしてこれからどっちに向かって進むか?
いずれにしろ大きなカーブあるいは転換期に差し掛かってることは違っていないだろう。

淳志さんの文章を読んでも強く感じるが、これから農山村や漁村の未来に向かっての活力や里山の再生など、本質的な価値観に対する視点が全国的に繋がってきている。経済が成長しなくても豊かに暮らす価値観が見直されている。先日行われた秦野里山デザインコンペの審査会でもそう思った。 それは単にエコだとか地球環境を守るとか(こういった言葉にそもそも経済的戦略や政治的戦略を感じる。)いう前に地域や年齢や職業を越え、みんなで知恵を出し合い、協力をしていく時期なのだろう。「かけがえのないもの」がひとつのキーワードになりそうだ。
スギダラはいよいよ、次のステージに入っていく。5年後が楽しみだ。

 
 
   
   
  ● <なぐも・かつし>  デザイナー
ナグモデザイン事務所 代表。新潟県六日町生まれ。
家具や景観プロダクトを中心に活動。最近はひとやまちづくりを通したデザインに奮闘。
著書『デザイン図鑑+ナグモノガタリ』(ラトルズ)など。 日本全国スギダラケ倶楽部 本部
 
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