連載
  スギダラな一生/第25笑 勘違いな生き方 「巨匠 東條(登場)」
文/ 若杉浩一
  自分の言葉で喋る事、イメージする事、口に出す事、さらけだす事、恥をかく事、そして勘違いをすること
 
   

先日、またまた、いつもの後輩共と深夜までくだらない話に花を咲かせ、酒を飲み過ぎ、今日は絶対仕事を早く終わろうと決心していた。しかし突然、キャッシーから電話があり、「東京に出てきているから、寄っていいか?」というので「いいぞ〜」と二つ返事をし「あ〜今日も、飲むかもしれんな〜」と勝手な推測をしていた。夕方打合せが終わり、キャッシーがいつもの笑顔で、たまに来たのでショウルームを案内してくれという。「また変なことを言うもんだ」と思いながらも、軽く連れて回ったのだった。しかし、次は試作室を案内しろと言っては、ぐるぐる連れ回されるので、だんだん面倒くさくなった。
「後は、勝手に見てくれ。じゃあな」といって席に戻ろうとしたが、なかなか許してくれない。しょうがないので、つきあった。そして席に戻ろうとすると、何やら宴会に準備が整っている。誰かお客さんが来ているのかと興味半分で覗いたら「誕生日、おめでとう」である。大体、今日は6月5日。誕生日の6月11日には早すぎる。「なんだ、なんだ」と思っていたら、さっき帰ったばっかりの南雲さんやら、大山さんやら、中村さんのご子息までいるではないか、ようやく合点がいった。妙に今日は人がいるな〜と思っていた。まったくやられてしまった。

一昨年、南雲さんの50歳の誕生日にはこちらが仕掛けた方だったが、まさかやられるとは思ってみなかった。人の企画や準備は得意だが、される方は最も苦手なのである。ただ、ただ、皆の、されるがままだった。有り難いやら、もったいないやら、恥ずかしいやら、言葉が見つからない。数々の感情と言葉が繋がらない、何を話しても足らない気がする。ほんとに皆さんありがとう。そして忙しいのに来て頂いてありがとう。そして、涙の出るようなメッセージをありがとう。仕事を縫って、いつも、飲んだくれている僕のために準備を、ありがとう。そしてこれからも、「ぜって〜止めずに、進んでいこう。」そう思った。

   
 
*参照  若杉さん50歳サプライズパーティーの模様は以下のブログをご覧ください。
  スギ天ブログ
  スギダラ家の人々
   
 
   
 

僕は、思い込みが激しく、勘違いの数々だった。沢山の人たちに迷惑や被害を与えたと思う。そんな中で今回は、この僕でさえ、心配する、というか、心配合いをする「巨匠、東條(登場)」さんの話しをしたい。
僕と東條さんが出会ったのは、入社7年目だったと思う。僕は3年間、陽があたらない段ボールデザインに明け暮れる傍らで、ようやく自分で仕事を見つけ、社内の些細なデザインを一つ一つ見つけては楽しくやり始めていた頃だった。結構喜ばれ、少しずつだが、デザインする機会が増えていった。決して、華やかな仕事ではないが、全てを任してくれた。楽しくてしょうがなかった。しかし、それが新しく来た上司と全く合わなかった。些細なデザインは殆ど無くなってしまった。「仕事を遊びでやっている。仲間内でやっている。」ということになってしまった。そして暫くして、僕は、デザインを首になった。開発の内務のような部署に配属された。僕の仕事は、会議の議事録と会議の案内、そして会議室の確保だった。本当にデザインが無くなってしまった。しょうがない僕は、議事録の表紙を毎回デザインして、テーマごとにグラフィックデザインをする事を思いついてしまった。そして鉛筆を削って、メモ用紙とともに会議室のセッティングに工夫を凝らした。余計なお世話の毎回に苦笑いをされたが、それ以外にこれと言って仕事がないのだ。それを見かねたのか、そのバカバカしい事にうんざりしたのか、事業部長が僕に『ビジュアルプレゼンテーション(今のパワーポイント相当)』を作ってみろ、と言い出したのだった。僕は当然それが何かも知らないし、MACの使い方も知らなかった。製作するには、マクロマインドという編集ソフトを使って、しかもプレゼンテーションのシナリオを書かなくてはならない。動作手順、グラフィックもやらなければならない。初めてだらけだった。当然全て僕が出来る訳がないが、ようやくデザインらしきモノに近づけて嬉しかった。そんなときに東條さんと出会った。彼はMACの販売促進のために「ビジュアルプレゼンテーション」や様々なプロモーションをやっているセクションの課長だった。僕がシコシコ作っているのを聞いて興味を示したのだった。

彼は実に飄々としていて、爽やかだった。何も背負わない自由な風を感じた。
彼は、入社以来、地方に飛ばされながらも、腐らないどころか、自由にやって楽しんでしまう、そしてきちんと結果を出すのだ。そのお陰で面倒な部署やプロジェクトばかりやらされていたと聞いた。しかし彼は色々な専門家に語れるほどの知識と情報を持っていた。僕が驚いたのは、彼の口から出る言葉の何れもが魅力的で踊っているような感じを受けた。彼の話しに引き込まれ、あっという間に時間が過ぎ去っていくのだ。なんて凄いんだと思った。そして彼の自由きわまりない、豊かさにまた感動した。

そして、気づいたら二人で、というか僕は、セクションも何も関係なく、東條さんの手伝いというか、片棒を担いでいた。思い返せば、このどうしようもない僕をなんとか手助けをしようと思ってくれたのかもしれない。「若杉、このプレゼン資料さ、月曜日までデザインしてくれよ」僕は、中身もよく理解してないのに引き受け、休みも、よく返上して、へたな手書きの挿絵を入れながら資料を作った。彼の言わんとする空気をなんとか、再現しようとした、がしかし、よく、頓珍漢なモノばかり作っていた。僕は、思いを中々、言葉やビジュアルで伝える事が出来ないことを思い知らされた。特に大勢の人たち、上司の前になると散々である。真っ白になり、何を言っているかさえ解らなる、ただただ真っ赤な顔をして吠えているだけだった。それを見かねた彼は、よくそのフォローを買ってくれた。しかし、おおよそ彼のフォローは、これまた頓珍漢で、聴衆はさらに何を言っているか解らなくなり、引いていく場面ばかりだった。

僕は本当に、よく上司に叱られていた。というか、今時珍しいぐらいの、どやされ方をしていた。何を言っているかさえ解らないし、納得できない。只の憤慨した岩だった。それを見たり聞いたりするたびに彼は突然やってきては、空っ風のような、色々な話しをしてくれた。「あっはっはっは〜若杉〜。ちゃんと社会に、なじんでるか〜。俺はすげ〜夢見たんだ。俺の講演会の夢だよ、500人はいた。そして最前列は花束を持った素敵な女子なんだよ、そして俺は話しをする訳さ、ほんとに会場のディテールさえ見えるんだ。もう俺はこの人たちを感動させるって自信がある。会場も期待の渦だ。そして傍らにある講演会の演題を見たんだ、しかしそこにはさ、演目が何も書いてなかったんだ。その時こう思ったんだ。俺には舞台は設定されている、そして出る自信もある。しかしそのテーマがなかったんだと。俺のこれからのテーマはその演題を見つける事さ。どうだ面白いだろ」また或る時は「おい、すげ〜事が解った。トーナメントだよ。あれさ、優勝があるじゃんか、しかしさ、その初戦に出るか出ないかで、やめると決めたら、もう何のチャンスも無いんだぜ。つまりさ、やると決めれば優勝という可能性はある、いかし止めれば、もう優勝は絶対ないということさ。すげ〜だろ。」という具合である。まったく意味不明なのだが、こんな話ばかりするのだ。そして「若杉、おまえ自分の調子が悪いときは、本を読むんだ。お前の中になんて解決の糸口なんかない。だめなときは本を読め。そう、この本なんかいいぞ、これはな〜」と解説をしてくれるのである。僕はそれを鵜呑みにして、彼の進める本を読みあさった。大体が経営者や偉人の本や哲学の本だった。そしてその本に惹かれ、また読みあさる。酒を飲みながら、何が感動したかを、お互いに語り合うのだ。

年末の或るとき、彼は僕にこう言ってきた「若杉、お前、決めたぞ。来年の4月頭に、セミナーをやるんだ。100人は集める。テーマはビジュアルプレゼンテーションの実践。有料だ、そして若杉、お前喋れ。一時間だ。」「ええっ?お、おれっすか、人前で喋った事ありませんし、強度のあがり症で、なにを言い出すか、わかりません」「大丈夫、お前の今作っているやつ、面白いから、アレを説明しろ。なにを喋るか原稿をかけ、俺が練習につき合う。」僕はビビり上がった。彼のその妙な自信が一番あやしい上に、僕には絶対だめな自信がある。
しかし、その宙を見た眼差しに僕はもうこりゃだめだと観念した。むしろバカバカしい口論をやるより、やるしかないのだ、そう思った。それくらいの勘違いなのだ。

それからが大変だった、ただ新しいプレゼン資料を作るだけでなく、それを皆に伝えなくてはならない、しかも有料、100人。考えただけで「気絶もの」である。僕は、昼間のどうしようもない仕事が終わってから、夕方アフターファイブのデザインをやる、そして、それから毎晩苦手なプレゼン原稿作成という日々が始まった。なんせ講演はともかく、文章を書くのがまたまた苦手で、原稿用紙を前に用紙が埋まっていく妄想はできるのだが、中身が出てこない。新年から真っ暗な部屋の中の明かり一つのリングが出来てしまった。毎晩朝4:00就寝の生活が始まった。義務感でも志でもない、単純に怖かった。100人の前立っている自分が想像できないし、想像するだけで恐ろしい光景しか思い浮かばない。それを思うと「う〜〜っ」と声が出るしオチオチ寝てられないのである。完全に覚醒しているのだ。初回一月後の東條さんのチェックが入った。
「若杉、シナリオを喋ってみろ」「え〜〜っと・・・・・」「おい、それじゃ一時間、もたんぞ、しかも面白くない」そりゃそうだ、この一月何を、してたかというと、ただ唸ってただけだ。何も出来てはいない。そんなもの、この僕が証明出来る。そして2ヶ月目、原稿らしきものを書いた。「よーし、若杉、練習だ、喋ってみろ、原稿見てもいいぞ。」「・・・・」「若杉〜〜。面白くない、お前から一般論聞いて何になるんだ。いいか、お前の喋っている内容は伝聞情報なんだよ、お前から聞かなくてもいい。ちょっと調べりゃ、誰でも手に入れられる情報なんだな、そんなものチットも感動しないんだ。いいか、体験情報を喋れ、お前が感じた事、苦労した事、そして疑問に思っている事、納得できね〜こと、そしてやりた事、それがおもしれ〜んだよ。自分の言葉で喋れ、いつも俺と話しているような感じだ」ガツ〜ンときた、全て書き直し、しかもそうは言うものの、そう簡単にはいかない、東條さん一人と100人とは訳が違う、そう単純に妄想はできない。もし、そんな芸が出来るもんなら、とっくに、スマートな人生を送っている。
またまた朝方の生活が加速した。もう朦朧状態、気がつくとブツブツ台詞を口走っていた。そして本番一月前「う〜ん、まあ、いいじゃないの。ただ一つ若杉、一人で喋り続けるのは苦しいから、観客にふれ、参加させろ、間が持つし、空気が変わる。それで行こう」またまた、無責任な指示である。もうその頃になると書き直すのが苦にならなくなって、むしろ原稿用紙のゴミが溜まるのが楽しみにさえなってきた。ゴミ箱をみて「お〜今日は来てるぞ」って思えるくらい変態になっていた。
最後には、近くの神社に行って杉の木に向かって喋り続けるほどの変態に成長してしまった。最大の被害者は女房であった、毎日ブツブツ夜中に言っているは、練習につきあわされるは、全てがその一日に捧げられた。今思えば笑い話である、アホである、もし、そんなスタッフがいたら恐らく即、止めさせていたと思う。
しかしだ、相手は東條さんなのだ、ただもんじゃない、それはコッチのほうが承知である。あのアッケラカンとした顔を思い浮かべると、観念する方が早い。

そして、いよいよ、その当日が訪れた、僕は、そのセミナーのトリなのだ、しかも初心者。出る方も馬鹿だが、仕掛けた方もどうにかしている。
僕は100人の実態を始めて知った。ビビり上がった。恐らく顔に、出まくっていたのだろう。「大丈夫」「頑張れ」という励ましを随分貰ったような気がする。しかしそれがまたプレッシャーになってカチンカチンになってしまった。
僕の出番が来た、練習は充分、原稿だって覚えている、どの言葉が何処にあるかさえ知っている。しかしだ、最初の挨拶をして自己紹介をした瞬間、真っ白になってしまった、殆ど気絶状態、原稿どころか何も見えない、原稿があるのに、喋れない。瞬間会場はその空気を読み取ってまずい空気に溢れてしまった。
「逃げよう」とさえ思った。おまけにだ、震えた手が何度もマウスをクリックして、作り込んだシステムがフリーズしてしまった。「もう駄目だ、終わった」そう思った。そこへ、一緒にシステムを作った、寡黙なプログラマーが演台に走り込みシステムを再起動してくれた。その沈黙の時間が僕をやけくそにさせた。

原稿とは関係のない言葉を喋り始めた、ほとんど、ぼやきである。「本当に、皆さんの前で、いい所を見せてと、思ってこんなもんです。ああ、すみません。ぼ、ぼ、僕のせいだったんですね、緊張して沢山押しちゃったんです。ここでウケる筈だったのに、ばかやろうです!!なんてこった。」そして、その言葉と共にシステムは修復し、システム起動の間の抜けた音が会場に響いた。笑いが一斉に起こった。僕はびっくりした。プログラマ?の一生懸命さ、そして、暖かい観客の皆さんの存在を始めて実感した。もうそれからは、殆ど原稿とは何も関係のない、コンチクショウ劇場を演じていた。一番心配そうな顔をしていた最前列の聴衆の方がプレゼンに参加してくれた。会場は、この場を共有し、出来れば皆で素敵な時間にしようという全員参加型の意味不明な空間が生まれた。最後に覚えていた締めの挨拶をした瞬間に、全員が大きな拍手をくれた。後ろに控えていたスタッフさえ喜んでいた。正直僕は、何が起こったかさえ思い出せない。ただただ懸命だった、そしてヤケクソだった。お客さんが帰ってスタッフだけの締めの時、一緒に作ったメンバーそして東條さんが沢山、沢山喜んでくれた。今思い出しても、何がどうなったかさえ解らない、ひょっとしたら皆さんの優しい心の賜物なのかもしれない。この放心状態で幕は閉じた。

それから、僕と東條さんは相変わらず、バカバカしい人生を送っている。暫くして、彼は転職し世界企業の海外担当のリーダーとして活躍している。英語も喋れない、技術にさして執着も無い、相変わらず飄々とした彼は様々な人の力とエネルギーを体全身に受け、チームという大きな船を動かしている。そう彼にはエンジンなんて必要ないのだ、風を受ける大きな帆がある。大海原を行くんだ、という、勇気と勘違いがある。そのたたずまいに風が吹くのだ。
ダメな僕はその、おおらかさ、ハチャメチャさや、純粋さ、そして勘違いぶりに随分踊らされ、そして影響を受け、そして今もその事を大切にしている。
おそらく、僕一人では何も出来なかったであろう、そのこと。自分の言葉で喋る事、イメージする事、口に出す事、さらけだす事、恥をかく事、そして勘違いをすることを教えてもらった。

あれから随分時は立つが、未だに時々、電話が掛かってきて、年に数回であるが大笑いな酒を一緒に飲んでいる。会ったからといって、今の報告をするでもなければ、自慢話も無い、毎回、一緒に話した昔話の延長をやるだけである。
「若杉〜、お前ちゃんと社会に馴染んでるのかよ〜。お前、迷惑をかけてね〜か?おれはそれが心配で、電話してるんだよ」
「余計なお世話ですよ、それより、ちゃんと生きてますか〜?僕は東條さんだけが心配なんですよ〜」
「おめぇ〜にいわれたくね〜よ」
「ぼくだってそうですよ」
「じゃ〜一緒に飲むか?」
「もちろん」
そんな会が、今だに、続いている。僕は東條さんのような、ハチャメチャな生き方は出来ないが、会うたびに東條さんを誰かに紹介したくって、闇雲に誰かを紹介している。恐らく一回や二回で彼の凄さを理解出来ないだろうし、解る筈も無いと思ってはいる。おそらく、紹介された方は、あの時の、役員のように、苦笑するか、置いてきぼりにされるだろうが、とにかく、彼との時間を独り占めするのがもったいないのである。
デザインの話もしない、仕事の話しは、もっとしない、女性の話なんてある訳が無い、一体何の話をしてるんだろう。それよりいつものように、バカバカしい時間と相変わらずの、東條さんが僕は大好きなのである。
「東條さんお願いですから、少しは成長してください」
「おまえだろ!!」
この会話がたまらない。

支障 東條さんへ、恥ずかしながらの感謝の気持ちを込めて。

   
 
  内田洋行2年目の下妻くんによる挿絵。今回で2回目です。またもや「そこかっっ!」とチームみんなに突っ込まれる。お楽しみください。
   
   
   
   
   
   
  ●<わかすぎ・こういち> インハウス・プロダクトデザイナー
株式会社内田洋行 テクニカルデザインセンターに所属するが、 企業の枠やジャンルの枠にこだわらない
活動を行う。 日本全国スギダラケ倶楽部 本部デザイン部長
   
 
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