連載
 

東京の杉を考える/第41話 「ワルシャワで見えてきたこと」 

文/ 萩原 修
  あの9坪ハウスの住人がスギダラ東京支部長に。東京から発する杉ものがたり。
 

2010年1月10日から17日まで、獄寒のワルシャワに行ってきた。パリ、ドイツと続く、「WA-現代日本のデザインと調和の精神」展の巡回展の設営とオープニング、そしてレクチャーのため。今回もキュレーターは、ぼくひとりで寂しい。
http://www.jpf.go.jp/j/culture/exhibit/oversea/wa/index.html
http://www.domo.pl/reportaze-wystawa-japonski-design-dzis_195

今回のことで、ワルシャワがポーランドの首都だとはじめて知った。ポーランド共和国は、3000万人以上が暮らす日本と同じぐらいの面積の国。親日で、茶道や柔道が盛んだったりする。「マンガセンター」という磯崎新が設計した浮世絵を中心とする日本美術の館もある。
http://www.manggha.krakow.pl/

直行便はなくて、フランクフルトから乗り換え。大雪のため、ワルシャワ行きの飛行機がキャンセル。別の飛行機がワルシャワに着いたのは、予定した時間の6時間後の真夜中の2時過ぎだった。かなりハラハラした。

会場のポーランド産業デザイン研究所デザインセンターは、古い建物を改装したモダンな佇まい。戦後に設立されて60年以上経っているのも意外だった。
http://iwp.com.pl/

今回の巡回展は、ワルシャワのデザインセンターのディレクターが、パリで開催された同展を知り、ぜひ、開催したいと働きかけたらしい。力のいれようもすごく、ポーランド語のカタログもつくり、会場構成もパリ展をほぼ忠実に再現していた。

ポーランドは、終戦後、ソビエト連邦に支配され、民主化をはたしたのが1989年。2004年には、EUに加盟して、経済成長が期待されている。その流れの中、デザインセンターは、ポーランドの企業にデザインを浸透させ、ビジネス的な成功に導くサポートをしようとしている。民主化され20年のポーランドにとっては、現代日本のデザインは、多いに参考にしたい事例らしい。

展覧会は、2000年以降の日本のデザインが中心であり、1990年を境に右肩上がりの経済成長ではない状況の中で、自分たちの足元を見直して、調和の精神をもって、それまでとはひと味違うプロダクトを生み出してきた。それらがポーランドの人たちがどう受け取るのかが興味深い。

実は、ワルシャワに行くことをツィッターでつぶやいていたら、知り合いがワルシャワ通なことが判明。その人がコーディネートして5年前に日本で紹介されたワルシャワの記事を手にいれた。その記事には、「質素でなんでもないけど、豊かな国ポーランド」とあった。

その意味がどういうことなのか、ワルシャワに行ってみてなんとなくわかった。日本は、戦後、アメリカ的な資本主義のもと、「お金」と「物質的」な発展ばかりめざし、「ゆとりの時間」と、「人とのつながり」を失ってきた。一方、ポーランドは、ソビエト的な共産主義のもと「お金」と「物質的」には貧しいけれど、「ゆとりの時間」と「人とのつながり」は大切にしてきた。たぶん、公共的な意識も違うのだろう。

それが、1990年にバブルがはじけた日本と、1989年に自由化されたポーランドは、ちょうど逆の矢印に向かって進んでいる。「お金」と「時間」、「モノ」と「人」。どちらが大切なのかはあきらかだ。資本主義と共産主義をこえる新しい社会を模索している。

ポーランドの男性は、朝からウォッカをあおり、格闘技好きで逆境に強い、議論好きで権威を嫌う自由な精神。そして、女性に優しく、ユーモアがある。そんな印象をもった一週間だった。

なんだか、ワルシャワからいろいろと学んだ。
「スギダラ」が目指している社会は、どんな社会なんだろうか。

   
   
   
   
  ●<はぎわら・しゅう>デザインディレクター。つくし文具店店主。
1961年東京生まれ。武蔵野美術大学卒業。
大日本印刷、リビングデザインセンターOZONEを経て、2004年独立。日用品、店、展覧会、書籍などの企画、プロデュースをてがける。著書に「9坪の家」「デザインスタンス」「コドモのどうぐばこ」などがある。
つくし文具店:http://www.tsu-ku-shi.net/
『東京の杉を考える』web単行本:http://www.m-sugi.com/books/books_tokyo.htm
   
 
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