連載
 

東京の杉を考える/第42話 「スミレアオイハウスの10年」 

文/ 萩原 修
  あの9坪ハウスの住人がスギダラ東京支部長に。東京から発する杉ものがたり。
 

しばらく引きこもって文章を書いていた。9年前にだした本「9坪の家」の改訂版をだすためだ。前回の9章を見直し、追加で3章を書き加えた。前回の9章は、おもに家をつくるまでの話だったけど、追加の3章は、住んでからの話だ。

書くにあたって、この9年間で、この家の周辺でおきたことを、いろいろと振り返っていたら、あまりにもいろいろなことがありすぎて、頭がオーバーフローした。どんなことを、どうやって整理して書いたらいいのか混乱した。

この家は、娘ふたりの育つ家という意味をこめて「スミレアオイハウス」と名付けた。そういう意味では、この家でこどもたちがどう育っていったのか変化を追うことも可能だ。平凡な家族4人の物語として書くこともできる。家の変化で言えば、こどもの成長にあわせて、こども部屋をつくった。塗装し直したり、デッキを新しくしたり、障子を張り替えたり、お風呂場や扉を直したりもした。

そもそも、1952年にできた名作、増沢邸のリメークであり、デザイナーの小泉誠さんがてがけた家ということで、多くの雑誌や新聞、テレビに取り上げられ、取材があとをたたなかった。海外にまで紹介されることになった。

ある意味では、この家は、柱展という展覧会から出発していて、ぼく自身は、展覧会の延長という意識もある。自分たちで、オープンハウスを毎年、企画したり、この家で器や灯りの展覧会、ワークショップなども開いたりした。

さらには、この家をプロトタイプとして、「9坪ハウス」というプロジェクトがはじまった。ぼくもこの企画に協力し、様々な建築家やデザイナーの9坪ハウスができた。この家は、これから家を建てようという人の見学会の会場になった。雑誌とのタイアップでコンペも企画され、若手建築家、デザイナーの登竜門的な存在にもなった。「国民的住宅」なんて発言も聞かれた。

そして、この家が、日本インテリアデザイナー協会のJID賞を受賞したり、「9坪ハウス」のプロジェクトがGマークの金賞を受賞したりもした。

ぼく個人としての大きな変化は、この家に住みはじめて5年で会社を辞めたこと。家を拠点にひとりで仕事をするようになって、暮らし方が変わった。会社を辞めて、実家のつくし文具店の跡をついで、三鷹の自宅から西側に行く機会も増えた。

スギダラトーキョーの活動も家から東京の西側の山に近づく絶好の機会となった。山と木と家との関係をどう組み立てたらいいのか、いまだによくわからないけど、大きく向かいたい方向は見えてきている。

家をつくったことで、社会的な責任を感じるようになった。家を自分たちのものでなく、共同的、公共的なものとして、考えて、使いたい人が使っていける社会になるといいなあと思う。いろんな意味で家が資産なんかじゃなくて、「開かれた家」、「働く家」として、住むための道具であって欲しい。

この家にこだわらずに、次の10年を生きたい。家からつながる「コミュニティ」について、さらに考え、実践していこうと決めた。

   
   
   
   
  ●<はぎわら・しゅう>デザインディレクター。つくし文具店店主。
1961年東京生まれ。武蔵野美術大学卒業。
大日本印刷、リビングデザインセンターOZONEを経て、2004年独立。日用品、店、展覧会、書籍などの企画、プロデュースをてがける。著書に「9坪の家」「デザインスタンス」「コドモのどうぐばこ」などがある。
つくし文具店:http://www.tsu-ku-shi.net/
『東京の杉を考える』web単行本:http://www.m-sugi.com/books/books_tokyo.htm
   
 
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