ヒバーナイスディ
文/写真 ・ 南雲勝志
  いま地域が生き残るために・・・
 

今回はヒバらくぶりに杉を離れ、青森ヒバの話題でいきます。

昨年10月中旬、突然大間行きが決まった。大間とはご存知、あのマグロで有名な青森県大間町である。何で大間か?話は少し遡るが、札幌に本社のある某ドーコンという会社の某Y本部長の話から始まった。ある時、ダジャレ好きなボクに、「南雲さんオーマの休日って知ってますか?」と問われた。その時は迂闊にも知らなかった。「真実の口の代わりに、マグロの口に手を突っ込むんだよ。」えっ、そんな面白い事やってるの? やられた!。そう思いつつ家に帰ってネットで確認した。CM大賞を取ったそのビデオを見て、改めて敵の大きさに脱帽する。
「これは本物だ!」そんな出来事から数ヶ月後、Y本部長から電話が掛かって来たのだった。
「例のオーマに行きますよ。えーと日にちは10月24日、一番の函館行きの朝6時の飛行機をとって下さい。」いつも強引な性格なのであまり驚かなかったが、「何で函館なのか?」と聞くと、「オーマは青森から行ったら陸の孤島、何時間かかるかわからない、函館から津軽海峡を渡るのが一番早いんですよ〜。」という。

Y本部長との今までのやりとりで大間の話はある程度聞いていた。島ちゃんという超元気な女性がまちづくりを頑張っていること。まちのみんなが明るいこと。だけど、大間は地理的にはものすごく不便。病気になると函館の病院まで行かなければならない。「南雲さんボクはね、大間をもっと応援したいんですよ。津軽海峡に橋を架けたいくらいだ。でもね、今回はナグモさんとヒバを合わせたいんだよ。たとえば例のヤタイとかさー」口癖の様に語るその話から単なる興味本位ではない真剣みが感じ取られたのであった。

そして当日、遅刻しそうになりながらも朝早く羽田を発ち、函館空港へ。そこからからタクシーで函館港へ向かう。津軽海峡を舟で渡るのは初めてだった。無数のカモメに伴われ、津軽海峡冬景色を口ずさみながら大間港に到着したのは10時半頃だったろうか。その日はマグロ祭りの開催日であった。さっそくその会場にへと向かう。スゲ〜マグロのぼりがたくさん上り、マグロの買い出しに来た行列が出来ていた。 これか〜大間名物マグロは〜そんな光景だ。

   
   函館港でフェリーを待つ。   人なつっこいカモメ。向こうは函館。
 

さて、マグロはともかく、まず、まちおこしゲリラ集団「青空組」組長、島ちゃんとバクダンさん、そして大間町長と今回の主人公達を紹介して貰う。町長はゴム前掛けをし、長靴を履き、先頭に立ってマグロ祭りの指揮を取っている。「よぐきたの〜」と叫ぶ島ちゃん達の体を張った活動は本当に強烈だ。いやはやその勢いには圧倒されっぱなしである。本州最北端の地で若者達がこんなに元気に頑張っている姿をみて感動せずにはいられない。青空組みのHPをご覧いただければすぐに分かる。

夜改めて再会し、熱く語り会うことを楽しみに、一旦大間港から最北端の地でへ行きそこでマグロを食べる。(美味しいけどちょっと高かった。)そして次の目的地薬研(やげん)温泉へ向かう。途中の道中から見る景色は紅葉真っ盛りでとても綺麗だった。小一時間走って到着したのはの混浴の露天風呂、奥薬研温泉カッパの湯。何とむつ市が管理していて入浴料は無料である。川沿いの大きくて綺麗な露天風呂だ。少しぬるめだがゆっくり入ると徐々に効いてくる。 数人の先客がいたが、残念がら女性はいない。半分は東京や山形など県外からだという。驚くことに高速料金1000円の恩恵で八王子から来たといっていた。
改めてネットで見ると、残念な事に付近の湯ノ股橋から入浴者が見えることなどが問題となり、何とことし3月から閉鎖し、現在は入れないという。その前に入れてラッキーだった。

   
       
   
       
 

さて、長湯をして少しぐったりしたが、最後の目的地、今日の最大の目的、大間軍団とのバトル懇親会の場所「わいどの家」に向かう。わいどの家」とは青森ヒバの良さを伝えるために、一軒丸ごとヒバダラケでつくられた宿泊施設である。ヒバの木工商品を販売している「わいどの木」が建築、経営している。ここのご主人村口さんはとても明るく気さくな方だ。 さてさて、大間軍団が到着するまで一風呂浴びる。先ほど露天風呂に入ったばかりだが、ヒバの浴槽は例の香りと相まってまたまた気持ちが良い。

そもそもヒバとは・・・あまり大した知識もなく来てしまったが、ヒノキの仲間でアスナロヒノキとも呼ばれるらしいが、中でも青森のヒバは耐久性に優れ、特に耐水性があって湿気にも強い。加えて材が美しいことで有名だ。例の香りはヒノキチオンというが、実はヒノキには無いらしい。防虫効果や気持ちをリラックス効果があるらしい。能登や佐渡でアテと呼ばれる木も同じ仲間らしいが、こちらは意外と狂いやすくて苦労したことがある。

懇親会はまずこちらからスギダラやヤタイプロジェクトを紹介し、大間のまちづくりにおいてヒバとのコラボレーションの可能性を話し合った。美味しい食材と酒、そしてダジャレの応酬で例によって盛り上がった。
大間組が帰った後もY本部長は絶好調に会社の若者達に語る。「おまえらサー、仕事で一番大事なことは何だか分かるか?。それは日本を良くしていきたいというハートだよ、ハート。」そんな話が延々と続く長く、そして秋なのに熱い夜であった。

   
       
 
   
 

翌朝は気持ちの良い天気。昨日は到着したばかりで何処も見なかったが改めてあたりを散策するととても爽やかだ。ヒバの工場も良い感じ。「わいどの木」の木工館を見学させて貰う。村口さんは木工の腕前はなかなかで小物から何と棺桶までつくっている。イスを初め家具づくりもなかなかの腕前だ。表情も木目がほとんど無いため、同じ針葉樹の杉と違いシャープできりっとして、モダンな感じでもある。ついでに工場やヒバの材料置き場を見せて貰った。以前は牛舎だったという広い建物にぎっしりとヒバの乾燥材が保管されていた。
村口さんに今後の抱負を問うと、「別にないよ。儲けたいとも特に思わないし、材料は一生使っても余るほどあるからのんびり暮らしていくさ。」てな事をいう。
「えー、じゃあ地域のために子供達やじいちゃんばあちゃんのためにヤタイをつくるときなどは材料供給協力してくれますか?」と聞くと、 「ああ、いくらでも使って良いよ。」・・・
その言葉に一同顔を見合わせ、興奮気味に、 「わかりました。絶対忘れませんからね。今の言葉。」 そんな約束をしながら村口さんに別れを告げた。
帰ったあと、わいどの木のHPを見ると、我々が訪ねたときの感想( 2009.10.24)(もちゃんと書いていて書いていてくれた。(ダジャレという言葉は無くてもいいが・・・)

   
   手前は工場、奥は元牛舎、ヒバの備蓄所。   大径木の乾燥板がこの通り。
   
   オリジナルのイス。   日常小物や雑貨もずらり。
   
   薪もヒバ。   右端がおいどの木村口さん、中央がY本部長。
 

再び大間港に戻り、漁協で元気なおばさん達と会い、再び島ちゃん達に昨日のお礼を言って岐路につく。昨日会ったばかりなのに「ども、ヒバらくぶりです。」

そんな事で、今回の旅はひとまず第一回目の視察。大間とヒバの可能性に望みを持つことが出来た。マグロは一流、しかし、もしマグロに頼ることが出来なくなったら・・・また港からちょっと離れた村口さんのあたりは初めからマグロの恩恵はない。山と海と人がより良い関係で繋がり協働することが出来たら大間にとって新たな可能性も広がる。そんな期待を抱きつつ、次回以降に繋げようということで締めくくった。 だが帰りは青森空港まで車で3時間は掛かる。まだまだ旅は続くのだった・・・

 
  青空組の皆さん、またお会いしましょう! 中央ほおかぶりが島ちゃん。
   
   
  ● <なぐも・かつし>  デザイナー
ナグモデザイン事務所 代表。新潟県六日町生まれ。
家具や景観プロダクトを中心に活動。最近はひとやまちづくりを通したデザインに奮闘。
著書『デザイン図鑑+ナグモノガタリ』(ラトルズ)など。 日本全国スギダラケ倶楽部 本部
 
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