特集 木匠塾
  木匠塾に卒業はあるのか -木と人のモノガタリ- その2

文/写真 戸田都生男

 
●思想
   
  今の学生の多くは、ものづくりとしてのデザインや形にこだわってしまいがちだが、木造建築であることの意味をその背景まで含めた広い視点で考え、新しい何かをつくり出していってほしいということが本音である。大学側は現場教育というメリット、受け入れる町村にとっても、毎年、若者がやってくることで停滞している地元の林業や木材産業にとっての刺激となるというような、ありきたりの構図を越えた先に活動意義が存在するのではないか。
   
  一方、学生のほとんどがとにかく木のものづくりがしたい、学校の単位が得られること、木は温かい、良いにおいがするなど最初は軽い感覚で参加している場合もある。もちろん森林や木材の実体を真剣に知りたいという参加者もいる。いずれにせよ、活動を始めると、例えば林業家が何世代にも渡って育てた木を大切に使って欲しいという気持ちなど、地元の木に携わる人たちの思いを実感することになる。やがて1週間も山や集落で過ごせば、顔つきが変わってくる。そして木や地域のことをもっと真剣に知りたいと思うようになってくる。
   
 
   
  ●参加人数
   
  これまでの参加人数は全国の木匠塾で約3,000名になるだろう。1998年に始まった川上村木匠塾では2010年で13回目を迎え、2009年まで890名の参加者となった。2000年がピークで90名の参加となったが、大学全入時代を迎えた今、二十歳前後の人口が減少しているにも関わらず、川上村木匠塾の参加者は比較的、安定しているといえるだろう。
   
  また、女子学生が男子学生を参加者数で上回った年もある。これは何を意味するのだろうか。偏見かもしれないが、この活動は「泥臭いサバイバル的」かつ「地道な草の根的」なイメージがあると思う。そのようなこと以外の価値や魅力を女性特有の鋭い本能で探り当てたのだろうか。
  ある参加校の男子学生が現場監督をし、他校の女子学生の職人たちを見事にまとめ、役割分担がなされていた現場施工風景が今でも印象的である。学校という枠組も男女という関係でさえ、木匠塾はふとした瞬間に消しさってゆく。
   
 
  川上村木匠塾参加者人数の推移 教員・学生別
   
  毎年、学生たちの退村式での涙が活動の成果を物語る。雨や汗にまみれていても見分けることのできる涙だ。そのような活動を味わい興味を覚えたのか、近年、木匠塾に何度も参加する学生数(=リピーター:川上木匠塾に2回以上参加した者とする)は上昇傾向にある。さらに、全体参加者の約4分の1はリピーターになりつつある。なかには大学の4年間と留年の1年間、計5年間参加したツワモノがいる。また、数箇所の木匠塾を経験している者もいる。
   
 
  川上村木匠塾リピーター参加者人数の推移 教員・学生別
   
  はたして参加者らは何を体験し、学び、それらを今後どのように活かしていくのか。私自身は木や森そのものよりも地元の人がそれらを語り続ける熱意、すなわち、人のバックグラウンドによって森林や林業、木造建築に興味関心を抱いて現在に至る。「木を見て森を見ず」を越えて、さらには森を見ずではなく、「人を見ずして語れない何か」が存在している。
   
 
   
  ●製作内容
   
  さて、具体的な活動は山村に入り地域の見学を行い、林業体験で木を伐採し、乾燥させてさらに加工をして木造の構築物を製作することで地域貢献を図ることである。樹木、木材、木造物と姿を変えてゆく一連のプロセスを参加学性が体験することになる。
   
 
  林業体験へ 山中での渋滞
 
  林業体験
   
  川上村木匠塾ではなるべく丸太を活かした製作を心がけている。これまでの製作物の変遷をみてみよう。
 
  川上村木匠塾の主な制作物の分類と変遷 (クリックすると詳細なPDFファイルがご覧になれます。)
   
  村内には27の地区があり、毎年できる限り異なる地区に制作拠点を置くように活動を実施している。初期の活動(1998〜1999)では仮設建築物や工作物の制作で、中期前半(2000〜2001)は仮設建築物から工作物へと転換し、中期後半(2002〜2003)は工作物から建築物へ移行、後期(2004〜2007)には工作物及び建築物となった。以降、現在までは過去製作物のメンテナンスや改修工事、地域住民や来訪者により近いものづくりをしている。このように技術を蓄積、応用して各参加校で合同チームを組み、村へ役立つものを残すといった地域貢献を重視している。また、制作物の設計・施工の精度もデザイン、構造、期間等において上がりつつある。制作物の講評会では、学生たちは教員から評価を聞く。初期の活動は山中の仮設的なものが多かったこともあり地区住民の意見を積極的に聞けていなかったが、最近では教員の意見だけでなく、役場や地区の方々をはじめとする地元の声を聞くようにしている。今後の制作物の行方は地元住民の評価にも左右されることは否めないからである。このようなことを踏まえて制作物の維持管理とプログラムに反映させることが望まれる。(※より詳しく活動内容を知りたい方は文末の参考文献を参照されたい。)
   
 
   
  ●影響
   
  具体的な成果や影響については、2006年度の参加者にアンケートをとった。結果、学生参加者72名中、67名の回答で内容は表の通り活動に関する感想8項目の抜粋である。とりわけ、‘辛かった’において「とてもそう思う」「そう思う」の合計が約75%でその他の‘また参加したい’‘自分の今後に影響を与えた’等の項目においても「とてもそう思う」と答えた学生は半数以上に及ぶ。これらから「辛いけれど参加者の今後に影響を与え、また参加しよう」といった積極性が読み取れる。
   
 
  図;2006年度川上村木匠塾参加者アンケート集計
   
 
   
  ●気遣いと木使い チームワーク
   
  集落の村民たちはまったくの他人である若者たちを歓迎して炊き出しまでしてくださることもある。「気遣いすぎ」ではと恐縮するまもなく、ざっくばらんに接してくれる。かつては山奥の活動で人里から離れていた頃が懐かしいくらいに思う。このことは活動が地元に受け入れられた証ともいえる。
   
  また、制作中のお互いの「気遣い」は、創りたい、デザインしたいといった個人の欲望だけでなく与条件の中で、まわりとの関係からモノが出来あがってゆく過程を実感させてくれる。そのプロセスの中、関係者間を調整してゆく際には、相手の要望や感情をくみとり、プロジェクトを進行してゆくマネジメント力が大切だ。誰もが作業や設計だけに没頭するだけでなくお互いを気遣う配慮もプロジェクトを成功に導いてゆく。もっとも技術としての「木使い」は、木材に対しても生い立ちを想い、適材適所に配慮したものづくりをする、そのようなことも学べる。木匠塾は両方の「キヅカイ」を大切にしている。
   
  そして活動を継続していく中で、自然と掛け声やお揃いの作業着などチームワークともいえる仲間を意識する傾向が顕著である。
   
 
  掛け声   お揃いの作業着
 
  仲間たちの集合写真
   
 
   
  ●何を目指すのか
   
  村人との会話で印象的な内容がある。「川の水なんて上流に住むわしらは綺麗も汚いも気にしねぇ。都会の奴が上流に遊びに来て、自ら汚した水を下流の都市に帰って使うことになるよ。」と。
  一方で私たちが村民のこのような思考を真似することは困難であろう。外部からやって来る人達のほとんどが、なるべく川の水を汚さないように気づかい、ゴミのポイ捨てにも敏感になりすぎるのだが、人が来る度に少なくとも汚染はされていく。団体生活ではどうしてもある程度の決まりが必要になる。我々が考えている程、村民のほとんどは、難く考えてなくゆったり大らかにかまえて知恵を生かしているようだ。必死になって考えてきたことでさえ、いとも簡単にひょいとかわし、新たに提案が返ってきたりする。そのような村人との感覚のギャップを認識しながら緩やかに繋がってゆければいいと思う。ああだ、こうだと感情的になりすぎず、先ずは互いの思いを受け入れてゆきたい。
   
 

川上村木匠塾ではこれまでにマスタープランなどの提案も行ってきた。しかし、実現にはいたっていないが毎年の活動を継続すること、それが簡単そうで最も困難でありそのこと自体を賞賛したい。中には少しずつ完成しつつあるプロジェクトもある。キャンプ場の一連のデッキ製作(木匠ベルト)もその一つに挙げられる。

   
 
  木匠ベルト全景 川上村白川渡オートキャンプ場
 
  木匠ベルト2005-2006年
 
  木匠ベルト2008年 集合写真
   
  そのような活動のなか、学年、大学、世代、地域、といった枠組みさえ、やがて曖昧にしてしまい、チームとしての木造構築物を造り上げる力がある。
まさに「生物としての樹」と「木匠塾の活動プロセスの循環」を意識することで息の長い活動としても捉えられよう。かつて木匠塾の活動は所属大学を超えた連合としてインターユニバーシティサマースクールと称された。しかし、今や大学どころか地域や季節を越えた活動であり、塾そのものの意味は広義的になりつつある。木や人との出会いからしても、ここでいう塾は「会」、つまり、木匠塾実行委員会、略して「木匠会」でもある。
   
 
  木匠塾の目指すもの
   
 
   
  ●木からはじまる職域の可能性
   
  どこまで木を追いかけるのか、或いは木から何を見出すのか。
  昨今、林業や建設業、建築設計の未来が語られる。少子高齢化や人口減少時代の建築のあり方、200年超長期優良住宅など枚挙に暇がない。私はこれらに関してほぼ懐疑的だ。確かに先見の目は必要かと思うが、その距離が遠いほど具象化が困難である。どこまで見極められるか、先のことをもう少し身の丈のスケールで考えることの方が先決だと考えるからだ。
  「乞はんに従う」という言葉がある。これはご存知、「作庭記」にある自然を活かすこと、従うことという意味である。自然に寄り添うというふうにも捉えられる。どうあがいても人は自然の歴史に勝らない。木匠塾も木の長い歴史に比べればその活動は微々たるものだ。木匠塾としてはできる限りそのようなことを意識して森林や木に接したい。
   
  日常の大学生活では就職となると合同説明会やエントリーシートなど3回生ともなるとあくせくし始める。なんだかもったいない気がする。学生という貴重な時間を無駄にしてはならない。1年365日、1日24時間あるわけで、バランスよく周りのことも思えるマイペースで時間をすごせないものだろうか。日々の学業や仕事などの生活におわれる中、バランスを取り戻せるきっかけが、少なくとも木匠塾にはある。それは村内の集団生活の中で、地域の森林と間伐材、自然と建築材料が見学や作業として原寸大の現場となり、実体験として参加者の感覚や心に働きかける。働いて遊んで食べて寝て、その中で人が誰かの何かの役に立てる或いは自身を省みるような意識を持ち、1週間ほど生活を送る。製作プロセスはその一部にすぎない。バランスのある人間らしい本来の生活でゆとりを持てれば、自然と自分だけでなく相手やお互いの立場のことを思えるようになってゆく。少なくとも就職する際にも、都市部の企業や事務所だけでない選択肢に目を向ける人たちが増えてゆくだろう。全国各地の木匠塾では地域に根ざした林業や製材、大工などの専門の職についている先輩方もいる。さらに林業や製材、設計以外の専門職にも何らかのスキルとして活かせるのではないだろうか。木や森などの自然環境をきっかけに起業を行う人が現れることも考えられる。都市部の大企業に入る安心、安定。そのようなレールの敷かれた道から幅を広げてゆくことだろう。安定と不安は表裏一体だとすれば身の丈の生業をライフワークとしていくことも一つの選択肢かもしれない。
   
   
   
  木匠塾に卒業はあるのか -木と人のモノガタリ- その3 へつづく
   
   
   
   
  ●<とだ・つきお> 木匠塾・実行委員会代表
(財)啓明社・特別研究員、
京都府立大学大学院生命環境科学研究科博士後期課程在籍(建築環境心理・行動学専攻)
同校非常勤アドバイザー及びティーチングアシスタント、環境省登録・環境カウンセラー、
戸田環境企画研究所としても活動中
   
 
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