特集 スギ天 長良ツアー
  世の中捨てたもんじゃない!!
文/ 若杉浩一
 
最近、どうも世の中が大きく変貌を遂げようとしている感じがする。リーマンショック当時に比べれば景気は戻りつつあるにもかかわらず、相変わらずの安値合戦。製品を作っても利益が出ない。より新しいサービス開発、技術革新をおこなっても過激な競争に追い込まれる。もはやモノづくりでは生きていけない。企業は、サービスだ、デザインだと名ばかりの制覇的開発を行う。なにかが違う、大きな基盤、いや価値が動き始めている。従来の集約型生産や製品に、かげりが見え始めている。一方で若い世代や学生はモノや経済に興味が無い。それより社会活動、ボランティア、環境問題、地域社会にめっぽう興味を持っている。このようなセミナーやイベントに一時期と違って随分若い人達が増えている。そうなのだ、経済に困っていないのだ。むしろ、幸せや魅力を経済の向こう側に感じているのだ。こんな世代が社会の中心になったら、いやもう10年もすれば新しい価値が主流になる気がしてならない。価値の軸がずれ始めているのだ。
   
 

固い話が先に出てしまったが、今回はそんな話しの未来が垣間見える話をしたい。「長良杉ツアー」で大変お世話になった親和木材工業株式会社の古田社長の話である。

 

古田社長と出会ったのは、一年前ぐらいだろうか。当社でお取り引きをさせて頂いている大手木材会社の方が、杉に一所懸命に取り組んでいらっしゃる社長さんを紹介したいとの事で当社を見学に来られた事からはじまる。

  親和木材工業は、創業53年、古くはヤマハのピアノやギター用材の生産を経て家具部材の生産、そして住宅用の建具、ドアの生産を始め、今や無垢の建具ドアの生産では全国2位の生産能力を持つ会社である。近年では国産材主に杉材を利用しキット式のログハウスを世に送り出す等、正しく家具、建具、建築にいたる様々な技術とノウハウを持っている会社である。
   
 

経験を積み知識も実績もある古田さんから比べると、杉に対して大した知識もなく、木材業界でもない、こっちは適当な感じで楽しんでいるレベルである。大体お互いの距離を感じるか、「そっちは楽しんでいいが、こっちは生きるのに必死なんだ、お気楽なもんだ」なんて感じになるのだが、古田さんは違った。しきりに関心されるは、同意されるは、こちらの方が「あれ?こんなので良いのだろうか」と心配になるぐらいだった。しかし彼の話を聞いて僕はさらにビックリした。国産材、杉材の買い付け集荷から製材、乾燥、建材の開発設計、建具の製造、家具の製造、販売まで行なう会社なのである。これは「ああ、そう、すごいね?」なんてもんではない。こんな一気通貫で全てに携わっている工場は滅多に無い。大体分業化され、高度に集約し、大量に効率的な生産の仕組みが多い。いや殆どがそうだ。そして主に建材だけの生産である。国産の杉材で家具を作ろうなんて考えると加工後術はあれども、材料入手、乾燥で道が断たれる、そしておまけに、苦労する割に安くしか見られない。節がある見慣れた素材より輸入物の広葉樹の方が遥かに安定して、狂わず、付加価値がとれるのである。これじゃ、だれも手を出さない。

   
  杉コレでいつも苦労するのが、材料はあれども家具へ展開するために、安定した乾燥材を少量で提供出来ない、そして何しろ、加工する人達との繋がりが無く、デザインした当事者の要求に敵うものが出来ない。そんなことがいつも起きていた。杉コレの裏の資産、それは林業、木材関係者と加工する人達の繋がりの蓄積と言っても過言ではない。それだけ、昔は山と製材所、加工する人達、使う人達のネットワークが各地域に存在していたのだ。それを今再現しようとすると大変、いや、皆無なのである。
それなのに何でこんな設備まで導入し、技術開発を行ない、杉に注目したのか?
   
  古田さんは「僕のライフワークです。」と仰る。それだけでは納得出来ない。
「古田社長、この製品群、売れていますか?」
「若杉さん、鋭いね〜。結構苦労しています。本業のドアや、建具の売り上げに助けてもらっています。」
「そうですよね〜〜。僕らもデザインし、製品にしようとしたんですが中々うまくいかない、広がるに至らない、それに納得いかなかったんです。こんなに素敵なのに何でだ?って。結局解ったのは、製品じゃない。その製品を理解し応援し、広げてくれる仲間達をつくることから始めなきゃいけないという途方も無いことに行き着いた。こりゃ製品ありきじゃダメだって気付かされました。
それから、同じ仲間、杉を価値に思う仲間達を集める羽目になっている訳です。けど、今や、杉もデザインも製品からも、かけ離れ何をやっているか自分たちも解らなくなっていますが〜」
「あ〜〜そうですね、そうだったんですね〜。いや勉強になりました。目から鱗が取れた気がします。」こんな会話で僕らの始めての時間は一気に距離を縮めてくれた。「一度是非、工場にお伺いしたいです。」「是非来て下さい。」ということが最初の出会いである。
   
  それから間もなく、そのチャンスは訪れた。一緒にプロジェクトをやっている建築家の小堀さんが岐阜のお姉さんの住宅で実験住宅を作りたいのだけど、何処とやれば出来るだろうか?と相談を受けたのである。 大体、一企業人で、しかも家具デザイナーに、こんな相談を持ちかける方も方だが・・・しかし、そのプランを見た瞬間、もうここしか無い、古田さんしかいないと、勝手に妄想してしまった。「よし、小堀さん、一緒に岐阜に行きましょう」ということになってしまったのである。
   
 

念願の、親和木材見学。岐阜新鵜沼駅から車で20分ほどのところに広大な工場があった。山から下ろした木材を保管する土場から直接、製材ラインへ、そして切り分けられた素材は柱材、端材、チップ材と仕分けられ、乾燥ラインに回り用途に応じ家具として必要な含水率まで乾燥させる。それを建具、家具工場ならではの高度な精密な加工技術や自動機で量産品として製品を完成させる。
端材は修正して天板や家具パーツへ再利用される。キットハウスをつくるラインではプレカットの加工ラインまであるのだ。何でも出来る、しかも製品として安定供給できる仕組みが出来ている。しかも社長を含め社員の活き活きした情熱、好奇心は無尽蔵である、宝の山ではないか!!
「古川さん、何で杉、国産材、間伐材に目をつけたのですか?」
「若杉さん、正直言いますとね、間伐材は、ただ同然、輸入材は今後価格のことや入手の事も含めリスクがある。早いうちに杉材で製品開発をして利益を上げようと思っとった訳です。しかしですよ、これがそう簡単じゃなかった。モノは出来ても価値が付かない、そして山を知れば知る程、こりゃ商売だけの話ではない、山の問題、社会の問題と繋がっていることに気がつく。なんとかせにゃ〜いかんと燃える訳ですわ〜。もうこうなりゃ、ライフワークですわ〜。」
何だか、他人の言葉とは思えない。お〜〜ここにも、いたぞ、見つけたぞ〜〜!!って感じなのである。

   
  生産の仕組み、技術、思い、人柄、申し分ない。足りない何かと言えばユーザに繋がる流通、マーケティングとデザイン。時間はかかるが皆で埋めていけば何とかなる。早速、古田さんは小堀さんの話に熱心に協力をしてくれた、そして今、小堀さんのプロジェクトは新しい製品へと昇華の可能性の芽が出始めている。もっともっとたくさんの人達に知ってもらって、古田さんの活動をたくさんの人に広めてもらう必要がある。
僕は古田さんに「スギダラの岐阜ツアーをやりませんか?現地の杉を見て、工場を見て、未来を語り合いましょう!どうですか?」と言った。
「それじゃ、ここらへんの杉は長良杉と言うんですが、山見て、長良川を堪能して盛り上がりますか〜!!」
「題して、長良杉を見ながら、食べながら、のみながら!!」 「うまい!!」という事で今回のイベントになった。キャッシーの頑張りを後方支援してくれる親分としては申し分ない。こりゃ面白くなって来たぞ〜〜!!
   
  そしてツアーが催された。何というか、僕は本当に、感動した。工場ツアー、長良川の鵜飼いツアー、カラオケ付のバンガローでの大騒ぎの一夜。
しかし何より良かったのは、雨の降る次の日の長良杉の切り出し現場の見学であった。雨が降って危険だけど是非見てほしいと古田さんが仰るので、二つ返事で行く事にした。僕は軽く考えていたのだが、その奥深い山の林道を進むにつれ、だんだん恐ろしくなってきた。なんせ雨が降る、ぬかるみの泥道、車一台分がギリギリである。しかも谷側は目がくらむ程、斜面がきつく標高が高い、霧で煙って視界も悪い。いつ着くのだろうと不安に思うも、サッパリ目的地に着かない。山間の道から更に林道に入って県境の尾根を怖々と進みながら一時間程でようやく、現場に付いた。
   
  こんなところに、搬出用の大型トラックそして、重機がある。木材を運び出す事を考えるだけで身震いする程、危険極まり無い場所である。しかも我々が数々見てきた現場の中でも最も斜面がきつい、恐らく普通に立っていられない程だ。
下手すれば死と隣り合わせである。しかも、ここで取れる木材は寒さが故か、年数に比べ細い、しかも、小径木も色々混ざっている。木材価、運賃、作業費を考えると利益は僅かである。しかし市場に木材を出すには切った間伐材は売り物にはならない、全く切り損である。その状況を見て、古田さんは、間伐材、成材の区別をせず、全て買い取ることを決心したのである。市場から使えるものだけ買うのではなく、山の財産を全て活かそうと思い立ったのである。
そりゃそうだ、こんな思いをして危険と同居の尊い仕事をして、価値があるのだの無いのだのは、ここに来ると言えなくなってしまう。むしろ山と山の人達に感謝すら覚える。しかも今回、我々が来る事を知り、伐採をされている渡辺林業さんは道を整備して下さったそうだ。我々の生活、山の事、地域のことを考えれば、彼らの、無言の無為の仕事に支えられているのだ。澄み切った渡辺さんの目と顔つきを見ただけで、その尊さに思わず雨の滴る山間の風景とともに涙で目も曇ってしまった。この事を僕らに伝えたかったんだ、そう思ったのである。
   
 
  長良杉の切り出し現場の山
   
  車が1台ギリギリ通れるほどの林道   林道から山を見上げると傾斜がきつく、杉が押し迫ってくる感覚を覚える
   
  林道のすぐ下は急斜面。見下ろすと足がすくむ。   このツアーのために林道を整備してくださった渡辺林業の渡辺さん
 
  伐採現場にて
   
  決して身入りがいい訳でもなく、危険を背負い黙々と山奥で汗水たらして行なわれる作業。それは、今にはじまった事ではなく、おそらく、ずーっと前から太古から行なわれて来た尊い仕事であった。
その労働は、沢山の新しい建物や生活の道具となって我々に豊かさと価値を提供していた。山の財産は、里に価値を生み出し産業を形成し、技術を育み、街並や風景を作り、文化を作っていった。地域に根ざした生活と経済を支えていた尊いものだった。そして、つい最近まで、ずーっと続いて来た、その尊さを、価値を無くさせてしまったのは、我々だった。山に価値が無いのではない、価値を感じなくなってしまった、無関心になってしまった僕たちの所為なのだと、本当に感じたのだ。
   
  僕たちは、豊かな生活のために産業を集約化し、均一で便利で一円でも安い製品やサービスを求めて来た。長い年月に地域に根ざした豊かさを捨て、まんまと経済主導型の豊かさや消費のサイクルに身を埋めてしまった。そして残された財産だったものは、古くさい、厄介者に変わってしまった。その速度や波及は僕たちの想像を超え、一気に地域の産業や風景をダメにしてしまった。
結果、今や森や地域を守るために行政や、企業は支援や義援金を出さざるを得なくなった。経済活動で得たお金をだ。なんだ、ツケを払っているだけじゃないか。問題視するより大切な事、それは森、森林資源、地域産業、風景、地域を守っている人達、技術をどう活かすか?どう共存できるかという新しい繋がりを創造するほうが、余程未来的ではなかろうか。結局社会という仕組みの中で全ては繋がっている、もはや後回しにはできないと思うのだ。
   
  我々の知らない所で、本当は経済活動と社会活動は表裏のように繋がっていた。そして、そのことは、杉、いや山や森、そして地域と同じように誰かがやってくれているだろう、とか、しょうがないとか言い、闇に葬るか、蓋をしていたのである。しかし、蓋の中に入っていた物は僕らが忘れてしまった尊いものばかりだったのである。
もう一度、昔からあった価値に戻さなければならない。
   
  建築家でスギダラメンバーの内藤廣氏がある記事の中でこう、仰っていた。
「デザインとは何か?僕はこう答えています。技術を翻訳することです、と。しかしもう少し解る人にはこう言います。そこに地域やその場所を加味して翻訳する事です。しかしもっと解る人には、こう言います。そこに、時間、例えば太古からのこと、100年後はどうなるのかという事を考え翻訳することです。しかしこの最後が難しい、目標にしたとして達成出来ないかもしれない、叶わぬ夢としてひたすらそれに向けて努力する類いのものかもしれない。」
   
  杉や山に価値があった時代は100年後を考えデザインをされていた。しかし今や僕たちは、今の技術や経済のみを考えデザインを行っている。随分、ちっぽけなデザインになってしまった。僕たちの前に存在する、今と未来どちらかをとれば、どちらかが沈むのか?
そういう事ではない、両方が存在する。そして、それを繋げることができる。面白いじゃないか!!皆で造る、意味も価値もある。
   
 

今回、古田さんと出会いで、自ら企業の中でその両方に努力されている勇姿を見て、本当に感動した。この会社は大きな未来のデザインをしている。
社員の活き活きした姿、輝き、繋がりの妙、全てはそのデザインから端を発している。
帰りの新幹線では食べられないほどのつまみと、沢山のお酒とともに、皆で今回の感動を噛み締め帰路についた。
何が出来るか、何をすべきかは解らない、しかし、ここから音が鳴り、ハーモニーになり、素晴らしい曲になるような気がしてならない。
すっげ〜〜な〜〜、やっぱり世の中捨てたもんじゃない。

   
  今回のツアーを仕切ってくれた、古田さん、そして親和木材工業のみなさん、企画をしてくれたキャッシー他メンバーに感謝の気持ちを込めて。
   
   
   
   
  ●<わかすぎ・こういち> インハウス・プロダクトデザイナー
株式会社内田洋行 テクニカルデザインセンターに所属するが、 企業の枠やジャンルの枠にこだわらない
活動を行う。 日本全国スギダラケ倶楽部 本部デザイン部長
『スギダラ家奮闘記』web単行本:http://www.m-sugi.com/books/books_waka.htm
   
 
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