連載
  自給自足のススメ
文/ 南雲勝志
  いま地域が生き残るために・・・
 

先日、新潟の燕三条で行われた「ニイガタIDSデザインコンペ」の審査に参加してきた。レベルの高い製品がかなりあり、加えて主催者の皆さん、審査委員の皆さんも楽しい方が多く、いろんな意味で、ディープで、有意義な機会を与えて貰った。その帰り、東京に向かう帰りの新幹線でどんどん深くなる雪景色を見ながら、これから必要なデザインの事などを考えていた。

僕はもともとデザイナーなのでものを考え、ものをつくる事に関しては大好きなのだが、もののある豊かさと、もののない豊かさはどう見ても後者の方が、レベルが高く感じる。別に原始人を目指そうというわけではなく、生活そのものがものに支配されている現実がある中で、さらにものを増やすということに十分注意が必要ではないかということである。
すでに我々が持っている美しい自然や食材、文化、歴史などをきちんと享受しつつ、出来るだけ必要なものだけを使い、好きな人と楽しい時間を過ごすことを目標としていけば良いはずである。わかっているけどそれがなぜ簡単にできないか。大きな問題はお金を稼ぐということだろう。そのために生産し、売り、消費する。しかしそのサイクルに限界があることはすでに否定出来ない。今の溢れるものが半分無くなっても人は生活していける。ただ、製造業を初めとする経済は非常に厳しくなる。これも間違いない。でもそんな中で食をどう楽しむか、その欲求は無くならないから比較的可能性が高いんだろうな、とか、お年寄りが負担を少なく生活する商品もやはり、より必要になってくるんだろうなとか考える。余談だが、そのコンペ会場に「じばさん」とひらがなで書いてある文字をみて、じいさん、ばあさんのためのデザインか〜などと、勝手に思い込んでしまう。

審査会の中で、全体の中から審査員が気になるものを選び講評する機会があった。僕は作業を楽にする道具を選んだ。温室栽培のビニールに、苗を植えるための、円形の穴を簡単に安全に開けるもの。パイプを地中に簡単に抜き差ししたり、回転できたりする道具。そして除雪を楽しく楽に出来る、正確には融雪装置などであった。

  それらが与えてくれるのは農作業、除雪作業という、いわば生きていくために、絶対行わなければならない日常の辛い作業の負担の軽減である。それらのの作業の多くをお年寄りがやっている。出来るだけ作業を早く終える事が出来れば、その分楽しい時間が多く取れる。つまりマイナスを減らしプラスをつくるものなのだ。僕はそういう道具は絶対無くならないし、必要だと思っている。あってもいい、便利なものとはちょっと違うのである。   
融雪機:カタチもユニーク。IDS審査委員賞受賞
 

そんな事を考えているうちに、これからのひとつのキーワードは自給自足ではないかと思い始めた。いわゆる家庭菜園や自給自足風とかモード的な話ではなく、生き方として現実的な話である。そこには個人の自給自足はもちろんであるが、地域の自給自足、そして日本の自給自足と繋がっていく。自給自足を自立と置き換えてもまったく同じと解釈して欲しい。それらを目標とするときに必要なものは必ず残っていく。もちろんそれは他の地域にもフィットすれば流通消費されるものでももちろん構わない。ただその地の必然性から生まれたものは、必ず生き残る理由を持った商品になっていくということである。経験上、他にはない真のオリジナリティーはそういうところから生まれると思っている。そこには農業、漁業、林業、ものづくり、食、教育、自主防災、移動など、原始人とは違う多くの文化的な事をこなして行かなければならないが、日常生活をよりシンプルに、いかに楽しくするかということに他ならないわけで、自分たちで生産し、消費し、守っていくという自立基本三原則の中に、楽しくなる要素が沢山詰まっている。生まれてから死ぬまで、自分たちが、自分たち流に共同でシステムをつくり、もっと自由に生きていけるのだ。もちろん体力、自立心、責任感、協働意識、遊び心などはより必要になってくるが、それも大切。実際にそんな基準で地域づくりを行っているひとつが飯干淳志さん率いる高千穂秋元集落だ。それぞれ皆さんが、パブリックな役目を持っている。
僕は弱い者のマイナスを減らし、普通にすること、さらにプラスにしていく事、それにはすごく興味があるが、強い者をより強くするための知恵は持ち合わせていないし、あまり興味がない。そして杉も弱い、僕も弱い。 ・・・これはやっぱり新潟の山村思想から来ているのかな。

ひとつ重要なことは、地場振興というもの対する助成金等のお金の流れは残念ながら、そういう本質だけではない価値基準で選ばれていないものも多い。だから無くて良いものも生まれてくる。必要なところに必要なお金が流れるシステムが根底に必要である。
結局、ものづくりにしても、まちづくりにしても、生き方にしても要は総合力で、今何が大切で、何が必要で、そこにどんな技術をどれだけの力や予算を掛けるのか、あるいは未来を考えると、逆に手を抜くか、やらないでおくかということも含めたバランス感覚、案配のような事をきちんとやっていかないと、ある部分だけ特化した、無駄で無意味な状態が生まれて来てしまう。そうならないよう互いに問題を共有し、バランス感覚を嗅ぎ分ける能力がいまとても必要になっているような気がしてならない。それもデザインの大きな力であるとも思っている。

どうですか、スギダラな人々は、そういうことが出来る方が沢山いらっしゃるのでは。 自給自足の会、略して自自会でもつくりませんか? あるいは日本全国地地場場倶楽部。略してジジババ。こんな発想から生まれるモノは楽しいだろうな。ね、中井章太さん。

   
   
  ● <なぐも・かつし>  デザイナー
ナグモデザイン事務所 代表。新潟県六日町生まれ。
家具や景観プロダクトを中心に活動。最近はひとやまちづくりを通したデザインに奮闘。
著書『デザイン図鑑+ナグモノガタリ』(ラトルズ)など。 日本全国スギダラケ倶楽部 本部
 
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