特集 鹿沼の木工デザイン再構築プロジェクト
  「屋台屋」デザイナー軍団
   
 
 
  木んぎょすくい  前田額縁店×寺田尚樹
 
文/ 寺田尚樹
   
  こんにちは。ご無沙汰しております。創刊時の若杉さんの連載「スギダラ家奮闘記」の中でスギダラビル設計の顛末で登場させていただいていた寺田です。久々の登場でちょっと緊張気味ですが、今回は鹿沼での顛末のご報告です。
  まだ、興奮覚めやらない状態ですが、鹿沼のみなさまには大変お世話になり、本当に楽しい経験をさせていただきました。ありがとうございました。
   
  で、「屋台屋」前田額縁店×寺田尚樹の出し物は「木んぎょすくい」
  南雲さんではないけれど名前はホントに重要。(2011-10「ノリとネーミング」) じつは、この出し物に決まる前に何案か別のアイデアがありました。それらは商品性はあったような気もするけど、説明しないとわかりづらい案でした。ちょっとひねりすぎていたり、教育的すぎていたり、、、
  それで、なんだか悶々としているうちにタイムアップが迫ってきて、ひねり出した案が「木んぎょすくい」。説明の必要のない明快さで決めました。
   
 

でも、わかんない人もいると思うのでちょっと説明を。

  単純に金魚のかわりに木で金魚のシルエットを作りました。それだけ。その他はルールも道具も普通の金魚すくいとまったくいっしょ。
   
  なぜか。木に新しい可能性を見いだすということはもちろんだけど、最近は金魚すくいをやらせてもらえない子がどうやら多いらしいから。特に都会の子は。理由は「飼う場所がない、めんどくさい」「死んじゃうとかわいそう」そういうことを乗り越えて大人になっていく気がするけど、、、それから「どうせすくえない、すぐに※ポイが破ける」(※ポイ:金魚をすくう和紙を張ったオタマ状の道具)これも乗り越えて世の中の世知辛さを知って大人になっていかなきゃならない気もするけど、、、
 

でもそんなことを言っていてもはじまらないので「死なない、そしていくらでもすくえる金魚すくいを開発しました!前田さんといっしょに!」

   
  そして当日。正真正銘の金魚やさんに世の中の世知辛さをたっぷり味わされた傷心の親子が「木んぎょ」をおみやげに自信と元気を取り戻して屋台を後にする姿を見て前田さんと心の中でガッツポーズをしたのでした。
  それから、なんといっても子供たちといっしょにはしゃげたのはなによりでした。
   
  商品性に不安のあった「木んぎょ」ですが、嬉しいことに?出店依頼が続々来ています。週末はしばらく木んぎょやのオヤジに徹することになりそうです。そうやってスギダラビル実現まで英気を養うのもいいかな、と思っています。
   
 
  建築家、プロダクトデザイナー、モデラー、料理研究家を経て、とうとう「木んぎょ」屋に目覚めた瞬間の寺田さん。
   
 
   
しかし五足のわらじは厳しい世界のようです...。    
   
   
  ●<てらだ・なおき> 建築家/プロダクトデザイナー/モデラー/料理研究家
1967年 大阪生まれ
2003年 テラダデザイン一級建築士事務所 設立 http://www.teradadesign.com/
2011年 テラダモケイ 設立 http://www.teradamokei.jp/
   
   
 
   
   
  タフでシンプルでスマイルな現場−屋台屋
 
文/ 藤森泰司
   
  ここでは、初めまして。デザイナーの藤森泰司です。スギダラ会員番号は700番です!スギダラ広報宣伝部長の千代田健一さんにキリ番を用意していただきました。
   
  さて、「屋台屋」プロジェクトについて。いやー、盛り上がりました。そして終わった後は心地よく疲れました。
  鹿沼の木工を盛り上げるために、立ち上がったプロジェクト「屋台屋」。そしてその第一弾は、いきなりお祭りでの販売です。もう何だかすごいです。何度か鹿沼に訪問し、打ち合わせという名の飲み会を重ね、鹿沼の方達と親睦を深めながら立ち上がった企画ですが、なんとなく盛り上がっているものの、最初はみんな半信半疑だったと思います。そんな気配を察した僕は、ある時「これは、まず僕たちデザイナーのことをもっとちゃんと知ってもらわないといけない」と思いました。そこで、次回のミーティングの際に、参加デザイナーの普段の仕事のプレゼン大会を行い、その後で、今回のプロジェクトの案を伝えようと提案しました。皆さんに賛同していただき、当日は、かなり長い時間のミーティングになりました。でも、これが大いに盛り上がりました。その時思ったのですが、参加デザイナーの皆さんはすごいです。皆それぞれの個性が出まくりで、作品とともに人となりが滲み出ます。その「滲み出た」ものがいちばん人の心に響くんです(それが可能な仲間だからなんですが)。デザイナー同士でも互いに感心しました。自分たちをさらけ出すことで、初めて鹿沼の方たちとデザイナーが本当の意味で繋がり、真剣に考え「やるぞ!」という雰囲気が生まれたような気がします。
   
  さて、そうやって結束が深まったのですが、僕にとって何をつくるか?というのは、本当に悩みました。「お祭り」での先行販売ということで、テーマは「持ち帰れるもの」です。小物も結構考えたのですが、何だかどうやっても必然性が感じられず、こうなりゃ意地でも家具だっ!(というかそれしかできない…)と開きなおり、最初は組み立て式の小さなスツールをスケッチしていました。ところが、お祭りで組み立て式のスツールって売れんのかあ?という疑問が頭をよぎり、もっと即物的で、見た瞬間にわかるものじゃなきゃだめだと思い直しました。そこで、サイズをぐっと小さくし、そこに革紐を通して持ち運べるようにしました。これなら、お祭り見物にぴったりじゃん!と。そして普段は、玄関等に引っ掛けておけば邪魔にならず、日常でも有効なスツールになるんじゃないかと。
   
  そんなこんなで、白石物産の白石社長をはじめ会社の方々にたいへんなご苦労をおかけしながら、ハンギングできるスツール「ハング・スツール」ができました。とってもシンプルに見えるのですが、柔らかい杉材で作るのは簡単ではありません。僕のデザインはいつもそうなんです。すみません社長。販売に関しても万全を期し、サイズも高さ違いでS, M, Lの三種類を用意しました。こうすれば、お客さんも選ぶ楽しみが増えるかなあと。
   
  さて、説明が長くなってしまいましたが、結果的に販売は大成功に終わりました。自分でもびっくりするくらいです。お祭り二日間で約60脚売れました。信じがたいです。お祭りで椅子が売れたっ!やったーっ!もちろん、スギダラツアーのみなさんが買っていただいたことが大きいのですが(本当にありがとう)、それでも快挙です(たまには言わせてー)。素直に嬉しい。だって、デザインイベントで販売するのとは訳が違うんです。はっきり言ってデザインアウェイ。たこ焼きや焼きそばと勝負なんです。お客さんも椅子を買おうと思ってお祭りに来ませんから。だからとにかく、スツールを袈裟がけにして売り場に立って「いらっしゃいませー、いらっしゃいませー、なんと壁にかけられる椅子ですよ。いかがですかーっ。こんな感じで持ち歩けますよーっ」と二日間声を上げていました。時には家具に一家言ありのおじさんや、リアルおばさん(失礼)に辛辣なことも言われました。女子高生に「椅子いらない?」と声かけたら「えー、いらないしー」と即答されました。ふう。でもなんのその、奥の方でじーっと見ていた人が、すすっと前に来て「中くらいのサイズください」と言われることの喜びはすごいです。心の底から「ありがとうございます」です。このタフでシンプルな現場感。人にものを買ってもらうことの大変さという、あたりまえのことが身体にズンと刺さります。これが他者と何かを交換することの厳しさと嬉しさです。僕にとっては、大袈裟ではなく本当にかけがえのない経験になりました。
   
  先日、白石社長から「ハング・スツール、強度試験クリアしましたよ」とメールをいただきました。お祭りのすぐ後に試験場に出して進めてくれていたのです。本気です。粋です。改めてリアルな商品化に向けて動きだしました。そして、この商品は、今までとは違う売り方/伝え方をを考えていきたいです。
   
  最後になってしまいましたが、この度は、白石物産の白石社長をはじめ社員のみなさま、そしてプロジェクトに関わった鹿沼のみなさまには本当にお世話になりました。感謝の気持ちでいっぱいです。プロジェクトに声をかけていただいた若杉さん、時には販売まで手伝っていただいたスギダラのメンバーにもお礼を言いたいです。売り場に立ってくれた藤森アトリエのスタッフもありがとう。屋台屋は今後も続いていきます。みなさま、よろしくお願い致します!椅子はいかがですかーっ!
   
 
   
祭り中ずっと自ら肩に掛けて売り込んでいた藤森さん。これが最先端のデザイナーの姿です。    
   
 
 

若杉・藤森・寺田このオジサマ3人はやたら仲良くてよく悪巧みをしています(笑)

 

 

   
  ●<ふじもり・たいじ> デザイナー
1967年 埼玉県生まれ
1999年 藤森泰司アトリエ 設立
桑沢デザイン研究所、武蔵野美術大学、多摩美術大学、東京造形大学 非常勤講師。
家具デザインを中心に据え、建築家とのコラボレーション、インテリア・プロダクトデザインの分野で活躍中。
1999年 藤森泰司アトリエ http://www.taiji-fujimori.com/
   
   
 
   
   
  ありがとう鹿沼!
 
文/ 深田 新
   
  「ありがとう鹿沼!」率直な気持ちです。自然も人も“ぶっつけ”も最高でした(道祖神饅頭、韮蕎麦も)。それに引き換え最低だったのが私の体調。屋台準備、撤収の時にも手伝えず屋台屋ファミリーに多大なご迷惑をお掛けしました事ただただゴメンナサイ。8日夜の親睦会に出席できなかったのは痛恨の極み。ザっ残念!!(この集いで盛り上がる事こそがモノを作るのと同様に重要で待ち遠しい目標だったのです、そのために6月から一所懸命に・・・。)来年は万全に体調を整えて必ず出席させていただきます。
   
  星野社長ありがとうございました。描き殴りのラフなスケッチ、図面をお送りして直接お会いして打合せ出来たのが本番一ヶ月前。期限が押し迫っているもかかわらずわたしは何を血迷ったのか8アイテム36種類(ミニ鳥居2、ミニ絵馬4、キャンドルスタンド13、ペンスタンド8、ミニスツール4、桶スツール2、プチハート、クツベラ3)の製作を星野さんにお願いしたのです。当日までにお願いした半分でも造っていただけたら御の字だったのですが、あの短い期間にほとんどの製品を高い質で仕上げて下さいました。感謝あるのみです。
   
  奇しくも、3.11東北大震災に初めて訪れた鹿沼で遭遇しました。私たち人間は自然の一部でありその大きな存在によって生かされています。しかし成果とか効率、便利といった都合のよい言葉に翻弄され自覚困難に陥っています。小さい鳥居を作ろうと思ったのは、単に“◯◯厳禁”等の不謹慎な行為の抑止だけでなく、少なくとも日本文化の中で育ってきた者にはたとえ無神論者といえども『鳥居』というアイコンと対峙した時大袈裟に言うと自然への畏敬の念が潜在意識の中から覚醒されるのではと考えたからです。小さい絵馬は願い事や思いをそっとしたためるために。キャンドルスタンドは蝋燭の光をともし震災で犠牲になった方々の鎮魂の意も込めてデザインしました。
   
  最後になりますが、運営・企画をなさって下さった鹿沼商工会議所の皆さん、内田洋行の皆さん、製作を快くお引き受けいただいた鹿沼のメーカーの皆さん、そして応援に駆付けて下さった皆さんに深く感謝します。浅野さん、藤森さん、寺田さん、杉浦さんこれも何かの縁、project屋台屋皆さんのおかげでとても楽しい時を過ごせました。本当にありがとうございました。若杉さんから六月の初め突然の電話が有り「カヌマ、マツリ、モッコウ、顔を貸せ!」。3日に金波(ナウな酒場のひとつ)にて詳細を聞いたのが昨日の事のよう。屋台屋に誘って下さって感謝、次オモロい事への意欲。日本全国スギダラケ倶楽部に乾杯!高山さん最後の最後までご厄介をおかけしてスンマセンでした!
   
 
   

おそらく日本で一番ロックでカッコいいインハウスデザイナーの深田さん。当日風邪でダウンしてしまった事が本当に悔しかったようで、あの後会う度にその話をしています。深田さん!次回リベンジだ!

   
   
   
  ●<ふかだ・> デザイナー
1955年 鳥取県生まれ
1984年 京都工芸繊維大学工芸学部意匠工芸科修士課程修了修士
1989年 (株)イデー 入社
(株)良品計画 生活雑貨部 企画デザイン室(2009年より出向)
(株)イデー http://www.idee.co.jp/
(株)良品計画 http://ryouhin-keikaku.jp/
   
   
 
   
   
  若杉さんからのお誘い
 
文/ 浅野泰弘
   
  この物語は静岡行きの新幹線を待つホームで若杉さんから掛かって来た一本の携帯電話から始まる。
  以前、紙飛行機のワークショップでお世話になった会社の社長さんに挨拶に行きたいのだと云う。「一緒にどうだ?」 若杉さんのお誘いは断らないと決めているので、喜んでお供しますと、返事をした。
  後日、会社訪問の後、立ち飲み屋で、「鹿沼という素敵な所がある。組木の産地で、凄い祭りがあって、まさに和のジャムセッションで戦うのだ」と熱く語る。よく解らなかったが、喜んで参加しますと、即答した。
  いつもこんな感じだ。内田洋行とは仕事で成功した試しがない。物になった試しが無い。それは全てこちらの責任なんだが、今回は違う。「必ず形にはなる。」の甘い言葉に誘われた感じだ。若杉さんは凄い。人の心にすっと飛び込んで来る魔力を持っている。
   
  屋台を作りたい、木工の優れた技術を生かしたい。時間がほとんど無い。
  早速、新しい屋台の形がすぐに浮かんだ。図面の前に模型を作り始める。あっと云う間に完成。これが、後日、栃木ダボの田代さんとサンテックの丸山さんにお世話になる、伸び縮みする「エクステンション屋台」だ。屋台と云うと和風を想像するものだが、スタンドだと、世界中にその手の物がある。「洋風立ち飲み屋さんだねっ」と、言われる。和風を想定していた若杉さんは想定外に少し不満顔だ。いつもこうだ、浅野はやって来てほしい事じゃないことをやってくる。いつもの事だ。申し訳ない。
   
  以前より考えていた、「パズルにもなる積み木」を作ってくれる所を捜していたので、是非お願いしたいと、プレゼンテーションで頼んでみる。
  是非、やらせて欲しいと、快く栃木ダボさんから返事を頂く。浅野の怖さを皆は知らないのだ。簡単に作れるものは今まで、一つも無いことを知らない。
  その後、積み木は星野工業さんの希望で、星野さんの所で作って頂けることになる。早速、素晴しい形のケースに入った積み木が送られて来た。鹿沼恐るべし。これで、イベントは成功すると確信した。
   
  お祭りも、人も素晴しかった。屋台も玩具も素敵なのを作って頂いた。これからも皆と長い付き合いが出来たら最高だ。
   
 
   

木のパズル「moko」をプレゼンする浅野さん。この人は天才です。間違いないです。先日は射的屋の親父をしていましたけど(笑)(その話はまた別で、)

   
   
   
  ●<あさの・やすひろ> デザイナー
1953年 埼玉県生まれ
1979年 (株)浅野デザイン研究所 設立
主にプロダクトデザインを中心に、インテリア、グラフィックと活動領域は多岐にわたる。
ミラノ・ドムスアカデミー修士課程卒。
デザインコンペ他 入賞歴多数。
(株)浅野デザイン研究所 http://www1.nisiq.net/~asano/
   
   
 
   
   
  鹿沼発信のデザイン
 
文/ 杉浦哲馬
   
  「月刊杉」読者のみなさん、こんにちは。私は今月の特集の舞台でもある栃木県鹿沼市にあるサンテックという会社で主に内田洋行のオフィス家具のデザイン・設計をしています。
  サンテックはテーブルやデスク、ロッカー等、金属加工を主体とした工場で、今回の参加企業の中では唯一、木製品を生業としていませんが、なぜかこのプロジェクトに会社も賛同してくれました。結果として木と鉄を組み合わせた素晴らしい屋台や、木材だけでは難しかった浅野さんデザインの屋台を実現することができ、その組み合わせが少なからず「屋台屋」のアイデンティティーにもなったと思います。
   
  私自身、もともと鹿沼で生まれ育ったわけではなく、今の会社に入社した6年前に、おそらく生まれて初めて鹿沼市に足を踏み入れたと思います。そんな私が今回は地元デザイナーとして「屋台屋プロジェクト」に参加できたことはとてもうれしく、そして光栄に思うのと同時に、地元組の仲間として迎えてくれた鹿沼木工チームのみなさんには本当に感謝しています。
   
  一応デザイナーと名乗っている私ですが、普段は顧客あってのデザイン・設計をしているので突如このようなプロジェクトにかかわることになり、しかも祭り当日に売りさばくというとんでもない企画の前に、まさに「産みの苦しみ」を味わうことになりました。しかもメンバーは実力・実績ばっちりの有名デザイナーばかり。まだまだ未熟な私はプレゼンの度にデザインが右往左往。若杉さんからはダメだしの連続(もっとも日々の仕事でもほめられたことは一度もないのですが・・)もともと根暗な私はほとんど真っ暗になってしまいましたが、なんとか「杉のくす玉」という商品にたどり着きました。見ての通り単純明快のくす玉なのですが、杉という素材を使うことによって「一瞬の道具」から「飾っておきたくなるモノ」になればとデザインしています。星野工業に製作いただいた杉のカプセルは美しい形と木目で商品の価値を高めてくれました。当日の販売成果は、細井社長、相棒 丸山君、製作・販売を手伝ってくれた妻(ありがとう!!)のおかげで見事約30個を完売しました。地の利を生かして知人・友人にとにかく買っていただこうと思っていましたが、純粋にモノをいいと思ってお金という対価を払っていただいたお客さんがたくさんいたことは本当にうれしかった!
   
  スタートから秋祭りの終了まで苦しみながらもとても充実した時間を過ごせたのですが、せっかく自社も協賛企業として参加していたのに実は会社の仲間はほとんど関わっていない。なんか物足りない。サンテックの社員もたくさん見に来てくれ、買ってくれた。でもこれからは一緒にこんな苦労や喜びを共有できる仲間をもっともっと巻き込まないと!仕事だけじゃないつながりをもっともっと増やさないと!祭りのあとはそんなことばかり考えています。
  ということで、来年は木工軍団に金属加工集団が乗り込みますので期待してください!!
   
 
 

今回唯一の鹿沼在住のデザイナー杉浦さん(真ん中)。自らデザインしたスツール、ミニくす玉の他に屋台の設計もやってくれました。左にいるのが鬼の販売能力を持つ奥様。杉浦さんはホント良い奥さんをもらいましたね。

   
   
 

●<すぎうら・てつま> 鹿沼在住のデザイナー
1978年 愛知県生まれ
(株)サンテック 勤務
普段はインハウスデザイナーとしてスチール家具のデザイン・設計を担当。
今回、地域と企業をつなぐ大きな役割を果たす。
(株)サンテック http://www.suntech-k.com/


   
 
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