特集 「だっこのいす」プロジェクト  
  同胞
文/ 和田康之
   
 
 
   ぼくごとで恐縮だが、山田洋次監督の映画「同胞(1975年)」は、これまでの監督80作品のなかでも最高傑作と言っていいくらい、ぼくの心にいつまでも刻まれている名作である。
 映画「同胞」の舞台は、今回「だっこのいす」を贈った岩手県の旧松尾村(現:八幡平市)だ。ぼくが、どんなにかこの映画に感動したかも少し紹介したいところだが、ここで紹介することは遠慮しておく。
 
   「杉コレクション2011」は、11月12日、日向市駅前広場で開催された。そのなかで、安田圭沙さん(以降、勝手に親しみを込めて圭沙さんという)のプレゼンは、その場に居合わせた人すべての胸をうった。図書館で偶然見かけた「杉コレクション2011」の募集チラシを見て、東日本大震災によって両親や大切な人を亡くしたりした子どもたちが元気づくような椅子を考えたという。ぼくを含む多くの日本人が、あの3.11以降、自分に何ができるかとまどい、あるいは結局は何もできない自分にもどかしさを感じているのではないだろうか。圭沙さんは、小学3年生の9才の女の子である。ただ優しい心の持ち主というだけではない。九州・宮崎から遠く離れた東北であったつらい出来事、記憶を、ずっと心の片隅においていたのである。「杉コレクション2011」のテーマは、「座」だ。震災とは全く結びつかないテーマである。100点以上の応募作品のなかで、被災地の心を痛めている方々のことを念頭に置いて作品を考えたのは、おそらく圭沙さんだけではないかと思う。そんな心優しい、人の痛みを自分のことのように考えている少女が、日向市にいると思うだけで、誇らしくなってしまう。デザインの素人が言うのも僭越だが、あらん限りの想像力を思いめぐらすこと、人の心の内面を理解しようとすること、それは、デザインの本質ではないかと思う。
 デザインの本質をついた彼女の想いは、子ども杉コレ部門で見事グランプリに輝いた。杉コレクションの表彰式は、日向市駅同様、杉をふんだんに使ったこれ以上ふさわしい場はないと言っていい舞台、「野外ステージ(愛称:木もれ日ステージ:内藤廣審査委員長設計」であった。表彰を受け、両頬にピースサインをかざして記念写真に納まる彼女の姿は、どこにでもいる小学生であったものの、これはこれで微笑ましかった。
   
  杉コレ2011in 日向の最終選考会の会場となった日向市駅。設計/内藤廣建築設計事務所  

表彰式は野外ステージ(愛称:木もれ日ステージ)にて行われた。。設計/内藤廣建築設計事務所

 

  杉コレ2011in 日向 子ども杉コレ部門でグランプリを受賞した安田圭沙さんの作品「だっこのいす」   最終選考会での安田圭沙さんのプレゼン
 
  杉コレ2011in 日向 表彰式後、受賞者・審査員・主催者など関係者みんなで。(以上、photo/内田洋行 下妻賢司)
 
   そんな彼女の純粋な被災地の方々への想いは、すぐに内藤廣審査委員長から、復興のまちづくりで通っておられた岩手県野田村の小田祐士村長に伝えられた。内藤先生が持参された圭沙さんのプレゼン作文を読まれた小田村長は、いたく感激されたそうだ。その村長の姿を目の当たりにされた内藤先生は、ぜひだっこのいすと圭沙さんを野田村にお連れしたいとの気持ちが強くなったそうである。その後、事の運びは、実に早かった。
11月末には、宮崎県木青会、宮崎県、日向市の有志が集まり、「だっこのいずを東北へ送るプロジェクト」事務局が発足。12月初旬には、内藤廣審査委員長が代表発起人となり、ほかの審査員全員も賛同者として名を連ねる形で、支援金募集が始まった。圭沙さんとご両親の野田村まで行く旅費、「だっこのいす」現物製作費、輸送費など、最低50万円の予算は必要と試算した。趣旨書をつくる当初の段階では、もし50万円集まらなかった場合はどうするかという話にも及んだが、ここにいるメンバーで責任をもつ、つまり一人10万円近くのリスクを背負う事を、誰一人反論することもなくスタートした。冬休みに行くことも念頭に置き、協賛金の申し込み締切りを12月末にしたので、募集期間は、実質2週間程度で一抹の不安は隠せなかった。蓋を開けてみると、支援、共感の輪は、スギダラの仲間はもとよりあっという間に全国に広がり、募集開始から一週間も経たないうちに目標額に達し、最終的に全国各地から1200名近くの方々から、目標額をはるかに上回る約170万円の支援金が集まった。圭沙さんのプレゼン作文にそれだけ力があるということだが、支援の申し込みをされた多くの方は、復興支援義援金というより、圭沙さんの純粋な夢、想いを応援したいといういわばプロジェクトに関与したいというお気持ちが強かったのではないだろうか。また、このプロジェクトが成功すれば、確実に被災地野田村の方々が元気づくとも確信を持てたのではないかと推察する。「復興支援」「絆」という言葉が、あたかも流行語のように軽く使われているなか、このプロジェクト支援こそが本質だと感じられたのではないだろうか。多くの義援金などは、被災地に何らかの形で届いているには間違いないが、どの街に、どんな用途で使われたのか、具体にどう役立ったのかはあまり知る由もない。一人の小学3年生の子どもの夢を実現させる、そのことが被災地の方々の元気を与えることにつながる実にわかりやすい、手を差し伸べたくなる構図に結果的に見えるが、それは大人の都合で仕組んだものではない。圭沙さんの純粋な想いが、多くの人の心を打ったのだ。支援金が集まり、当初1台贈る予定の「だっこのいす」は、学校や図書館などの村内の公共施設に置いて、できるだけ多くの村民に座ってほしいという小田村長の意向を受け3台贈ることになった。野田村へお届けする日程も、1月半ばには、2月20日と決まった。
 
   いよいよ、「だっこのいす」を届けに行くというより、ぼくは見届けに野田村へ発った。しかし、夢と希望に胸を膨らませて旅に出るという心境ではなかった。それは、もちろん、3.11被災地に行くという緊張感もひとつあった。
 あとひとつ、圭沙さんの被災地の方々を想う純粋な想いが、邪心のつかない形でどこまでそのまま伝えられるか。そして、どう野田小学校の皆さんが受け止めてもらえるのか・・・。野田村へ向かう新幹線車中、八幡平の美しい山並みを見ながらも、ぼくの頭の片隅から離れることはなかった。
 19日の歓迎式にはじまり、20日の野田小学校での「だっこのいす」贈呈式は、そんなぼくの心配を一気に吹き飛ばしてしまった。
 歓迎式、贈呈式の会場に一歩足を踏み入れただけで、野田村の方々の優しさ、心遣いが手に取るように伝わり、本当に胸が熱くなった。圭沙さんをはじめ支援いただいた多くの人の想いが込められている「だっこのいす」を迎えるにあたり、どれだけの準備を重ねてこられてきたか想像に余りあった。野田村の小田村長、明内さんをはじめとする職員の皆さん、日當さんをはじめとする岩手県木青会の皆さん、そして野田小学校の先生方と195名の児童の皆さんの一人ひとりの顔、目を見るだけで伝わってくる。同じ場にいるだけで、ひしひしと伝わってくる純真さ、やさしさ、強く真っ直ぐな心。これは、たまらなかった。心から胸打たれた。
 全校集会での「だっこのいず贈呈式」に引き続き、圭沙さんと同じ3年生の皆さんとの交流会が計画されていた。まず、クラス全員36名に加え、小田村長、校長先生、担任の先生たちも座ってみて、感想を発表することから始まった。この発表会をはじめ、いろんなプログラムが用意されていて、この日を迎えるための事前の周到な準備がいたる場面で見受けられ、シーン毎に、胸を熱くしていた。
 最後は、野田小学校3年生36名の皆さんから圭沙さんにお礼の合唱。これは圧巻だった。大小はあるにせよ被災というつらい重荷を背負っているなか、日向から来た同級生・仲間を迎える、感謝を伝えるために、渾身の声で歌う姿には、参った。思い出すだけで、目頭が熱くなる。この合唱にしても、決して簡単ではない曲をこれだけ力いっぱい歌えるようになるには、どれだけ練習を重ねられたのだろうと思う。そんな過程を想像しただけでも、胸いっぱいになった。
 
  心にある花をいつまでも咲かせよう たとえ水が尽きても たとえ闇が覆っても
終わりという始まり 始まりという名の終わり 僕達はまだ歩いてく 僕達がまだ歩いてく
その先に未知なる癒えぬ痛みが待つとも ひたすらに続く未来が見たい ひとひらの淡い奇跡を見たい
 
(C)いきものがかり「心の花を咲かせよう」
   
   一曲の歌、それだけでお互いの気持ちが伝わるし、わかりあえる。
 心に沁み込む歌を聴きながら、圭沙さんの想い、被災地の方々の想い、このプロジェクトに賛同された方の想い、たくさんの想いが走馬灯のように頭をめぐりつつ、涙を流しながら、写真を撮ることも忘れ、ただ聞いていた。
 
 

 旅から帰ってきて、1週間たった。単に「行ってよかった。」でなく、「あー生まれてきてよかった。」と心から思える、かけがえのない旅となった。かけがえのない出会いもあった。かけがえのない人の熱い想いを共有できた。「幸福」とはそういうことを体感できることだと、今しみじみ思う。そんな「幸福」に巡り合わせてくれた圭沙さんをはじめとする、このプロジェクトを支えていただいた日本中の「同胞」に心から感謝している。
 未曾有の震災から間もなく一年。日本人が今抱かないといけない精神、それは、お互いに信用・信頼関係をもった「同胞」の心ではないだろうか。

   
   
  「だっこのいす」贈呈式。野田小学校体育館にて。   「だっこのいす」の除幕
   
  みんなで順番に「だっこのいす」に座る野田小3年生   座った感想を発表しあう
 
  交流会にて圭沙さんに野田村のクイズをだす3年生。
 
  3年生みんなで圭沙さんにお礼の合唱。圧巻。
 
  交流会の最後にはみんなでアーチをつくり、圭沙さんを送り出す。圭沙さんの手には野田村のマスコット「のんちゃん」が。
(以上、photo/和田康之)
 
  交流会にて、関係者みんなで。
   
   
   
   
  ●<わだ・やすゆき>  宮崎県日向市
   
 
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