連載
  スギダラな一生/第48笑 「ささいな、挨拶の喜びから」
文/ 若杉浩一
   
 
 
  あるとき、僕は会社のえらい方から「ちゃんと挨拶しろ」と言われたことがあった。そんなはずは無い、僕は朝遅く会社に来ているのに目立つほど大きな声で「おはよう」と言うことにしているので、さっぱり身に覚えが無かった。しかも知っている顔には何らかの愛想を振りまくことにしている。どうやら、僕が気づいていない時に、挨拶しなかったことが原因らしい。しかし、その後「挨拶もしない無礼な奴」と言う名誉あるレッテルを貼られ、また社内から「やっぱり」という世論を頂いた。どうも、この自由な感じ、楽しそうな感じがいけないらしい。会社では、だまって、苦労しているような感じを醸し出すのがフォーマルらしく、この能天気で楽しそうな見栄えが反感を買うのだということを教わり、最近ようやく理解できた。
  しかし、もはや、そんなことに気を使うことも今更出来る体質ではないので、それから、いつもより余計目に声を出すようにしている。
「おはようございま〜〜す。」「おはよう!!諸君今日も元気か〜〜」
「みんな!!歯磨けよ!!風呂は入れよ!!それではごきげんよう。」
「といったところで、本日の私のご挨拶に代えさせていただきます。どうも有り難うございました。」なかば、くだらないことを言いながら盛り上げることにしている。まったく、セロリーマンとは難しいものだ。
さて、今回は、とてもささやかだが、嬉しかったことを一つ。
   
   僕たちのチームは、社内のイベントを本当によくやる。デザインの勉強会、楽しいお客様を迎え、業界を超えた交流会などなど、会場のしつらえから、おもてなし、食材の手配、そして対応、後片付け。みんな、実に機敏で、一生懸命で、そして楽しくやるのだ。だから、いつも最後まで居残ることになる。
そしてまた、会社の様々にイベントに借り出され手伝うことも、よく有るのだが、たいてい、頼んだ方がそうそうに帰り、お手伝いしていたはずの我々だけが、最後まで片付けしていることになる。
なぜ、後片付けというようなことをやりたがらないのか?
なぜ、最後まで一緒にやらないのだろうか?
「面倒くさい?」「そんなこと、俺たちのやることじゃない?」
彼らのお願いでやったことなのに、感謝どころか、「後はよろしく」もないのだ。
セロリーマンの掟「挨拶」はどうなったのだろうか?
どうやら「おつかれさま。」「ありがとう。」も就業時間の表舞台ではやるのだが、終業時間外の裏舞台でないらしい、挨拶も仕事なのだ。
   仕事の始まりと終わりは、全てが繋がっていて、上下も下世話も無い、お互いの役割を知り合って、喜びや、楽しさに替わっていく側面を持っている。面倒で、臭い仕事は、業者や誰かがやれば良いことではなく、すべてがチーム力の源泉なのだ。そして、終わりの喜び、一体感、盛り上がりこそがチームの力に繋がるのに、実にもったいない話だ。
   相も変わらず、ぼくらは、そんな場面でも楽しそうにやっているものだから、「また遊んでいる、また、彼奴らが。」というふうに見られてしまっている。疲れた顔で苦労してますという振りでもしなければセロリーマンとしては失格なのだ。
   
   我々のそんなことの、一部始終の実態を知っているのは実は、守衛さんだった。
「お疲れさまでした〜。」「ご苦労様でした〜。」
といつも丁寧な挨拶の声をかけてくれていた。
事の始まりには、必ず守衛さんにお願いし、最後も守衛さんにお願いしていた。
そんなこともあり、我々チームは会社の裏方チームとすっかり仲良くなっていた。次第に、僕は朝会社に来ると、守衛さんに一番の声で「おはようございます。」と言うようなった。
向こうも、万遍な笑顔で朝、遅く来た僕に「若杉部長、お早うございます。」と言ってくれる。なのに、実は、僕はこの守衛さんの名前を知らなかった。
 ある時、いつものように
「守衛さん、今日ね、お客さんがお出でになるのが遅れて、7時に来られるので玄関、開けといて頂けますか?」と言うと、困った顔で
「若杉部長、本当に申し訳ないです、総務から、これからこう言う時は事前に申請書を出して、総務経由で処理するようにって言われたんです。」
「もう時間外なので、総務経由も無理ですよね〜」
「ほんと、すみません、事情は良くわかるんです、ほんと申し訳ないです。」
「あそうですか、いや、いや良いです、表にスタッフ立たせときますから。」
「え〜〜、本当、本当ですか〜申し訳ないです。申し訳ないです。」
「事前にって、言われてもね、先方の都合ですから、事前なんか出来ませんものね。お客様に失礼になりませんか?」
「大丈夫でしょう。それじゃ〜!」
本当に申し訳なさそうだった。あまりにも申し訳なさそうだったのを今でも覚えているくらいだ。
   
   確かにそうだ、色々なセキュリティーもあるのかもしれないが、守衛さんが見守っていてお客様のために皆が対応しているのに「玄関を開ける権限は総務にあって、時間外は帰宅しているので特別な処理は一切出来ません」って、なんだかおかしい。就業時間外はお客様すら受け付けない、現場が対応していても、管理側は対応していないってことだ。仕事ってへんてこりんなものだ。
 そんな、心ある、守衛さんはこの事を感じていたのかもしれない。
次の朝、「おはようございます。」と言う挨拶ともに彼は立ち上がり
「若杉部長、昨日は申し訳なかったです、お客様に失礼は無かったでしょうか?本当に申し訳なかったです。」と何回も頭を下げた。
「大丈夫ですよ、有り難うございました。」
しかし、彼は、本当に恐縮していた。何回も、何回も頭を下げた。
   
   それから、幾度となく、僕らのイベントの度に、荷物を持っている僕らを見ると走ってきてドアを開放してくれたり、手伝ってくれたり、なんだか仲間のように接してくれた。しかし相変わらず僕は、守衛さんの名前を知らなかった。
 そして、ある夜、建築中の新ビルの竣工を来週に控えた夜だった。
守衛さんが、帰宅しようとした僕を追いかけて走ってきたのだった。
「わ、わ、わ、若杉部長。あの〜〜すみません。」
また何か、スタッフが仕出かしたのかと、とっさに思った。
「ど、ど、どうしたんですか?何か、しましたか?」
「いえ、あの〜〜、私、本日をもって、ここを辞めることになりまして〜。」
「えっ?」
「はい、若杉部長さんには、色々ご迷惑をおかけしてしまいまして〜。」
「いえいえ、とんでもない、こちらこそ、お世話になりました。」
正直、なんで僕にこのことを、伝えるんだろうと思った。たいした関わりのないはずの僕にだ。
「あの〜若杉部長さんに是非ご挨拶を、と思っておりまして〜」
「あ、あ、有り難うございます。ご丁寧に。」
「いえ、色々ご迷惑をおかけしまして〜」
「いえ、いえ、とんでもない、迷惑をかけたのはこっちですよ。」
「明日から、違う警備会社が入ることになりまして〜、名残惜しいですが今日で終わりなんです。ほんとうに、色々ありがとうございました〜」
「こちらこそ、ありがとうございました。」
「ありがとうございました〜」
それ以上、言葉が見当たらなかった。何を言えば良いのか。
「あっ、あの〜お元気で〜!」
 会社の裏路地の駐車場は暗く、彼の表情さえよく見えなかったが、いつもの丁寧な実直な姿が容易に想像できた。
   
   僕は、帰りながら、歩きながら、とても、暖かい何かを感じ、こんな些細なことに、何だか、とても感動したのだった。今日が彼の最後に一日であることさえ知らなかった、そして名前すら知らなかった。そして、一度もチームになったことが無かったが、なにかの繋がりを感じたのだった。
 おそらく、彼は多くの社員に毎日、朝一番に挨拶をし、多くの社員に「お疲れさまでした」と最後の一人まで声かけてきた。そしてお偉いさんから、新入社員、お客様と沢山の人に挨拶をしてきた。その中で何人の人が彼に本当の挨拶を返しただろうか?彼が今日辞めてしまうのを何人の社員が知っているだろうか?随分お世話になり、迷惑をかけたのはこちらの方だった。そして、本当に彼の挨拶で、今日で終わりを知れて、そして、ご挨拶を出来たてとても嬉しかった。
 挨拶って、本当はこんな意味が合ったんだって、初めて感じた気がする。
   
 

 翌日、会社で僕はことことをメンバーに話した。
「え〜〜、松井さん辞めるんすか?」
「え〜〜、松井さん辞めたんですか〜」
「松井さんにね〜〜」次から次に色々なエピソードが出てくる。僕なんかよりメンバーの方が、よっぽど仲が良かったのだ、だから、だったのだ。
だから、僕に伝えたのだった、挨拶をしてくれたのだった。
「本当に、いつも丁寧なんですよね〜〜。挨拶もそうだし。」
「荷物がある時なんて、エレベータ呼んで、手で押さえてくれるんですよ。もう恐縮しちゃって〜」
「なんだ、俺だけか。名前も覚えてなかったのは〜」
「そうですよ〜〜」
話しを聞けば、新ビル設立で警備範囲も広くなるので、警備会社を再検討し人が入れ替わったことは解った。
「なんだ、お金のために、社員じゃなきゃ、人の繋がりもバッサリきるんだな。」
「そうですね〜、随分お世話になったのに〜」
「そうだな〜〜残念だな。」
「よ〜し、僕らで松井さんに感謝のトロフィーを贈ろう」
「いいですね〜、スギのトロフィーですか?」
「そう、スギトロ!!」
「松井さんの送り先、確認するぞ〜〜!!」
「じゃあ、僕がスギトロ、手配します!!」
またいつものノリになってきた。これだから、遊んでいると思われるのだ。

   
   最近思うのである、いったいどれだけの人が、本当の仕事をして、そして本当の挨拶をしているのだろうか?沢山の人が仕事というスタイルや挨拶というスタイルを実践しているだけで、ひょっとすると沢山の人が本当の仕事をしている人達から搾取しているだけでないだろうかと感じる時がある。
 本当の仕事をしている人は、自分の仕事に誇りを持ち、多くを語らない、語る必要もないのだ。自分の目の前にあることを一生懸命にやって、形になるになることを喜び、仲間を讃える。多くの報酬も、賞賛も望まない、なぜなら、充分に心が満ち足りているからだ。
 その純なる力を純なる思いを、チームが理解しあい、集結して大きなエネルギーが生まれ、活き活きした空気が生まれる。
 この空気は場や、人や、言葉に宿り本質に迫っていく。だから、ほんとうは、良いも悪いもないのかもしれない、悪いことを補う役割があって、理解しあえることで豊かな空気がまた生まれるからだ。豊かな空気は、人を育て、人を活かし、良い仕事を生み、やがて豊かな、経済に変わってくる。
めんどうでも、たいへんでも、ここから始めなければならない。
経済が主導で経済の為の活動が見えなくなり始めて今だからこそ、ここから始めなければならない。
   
   僕のチームは、また、また、バラバラになり、始まりの7人に戻って若い「愉快な仲間達」になって仕事の中身もすっかり変わった。いや僕がすっかり変えてしまった。ステージが変わったのだから、舞台も台本も変えなければならないからだ。変わっていないのは感動と喜びを目指していることだけだ。
さあ、感動のステージへ、皆で突き進もう!!
そこで、自分という可能性の配役を演じよう!!
そして、美味しいお酒を一緒に飲もう!!
   
   
   
   
  ●<わかすぎ・こういち> インハウス・プロダクトデザイナー
株式会社内田洋行 テクニカルデザインセンターに所属するが、 企業の枠やジャンルの枠にこだわらない
活動を行う。 日本全国スギダラケ倶楽部 本部デザイン部長
『スギダラ家奮闘記』web単行本:http://www.m-sugi.com/books/books_waka.htm
『スギダラな一生』web単行本:http://www.m-sugi.com/books/books_waka2.htm
   
 
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