連載
  日本の森林が訴えていること。
文・写真 / 南雲勝志
  いま地域が生き残るために・・・
 

 今月号の特集、徳島那賀川ツアー、印象的だった。ひとつは地理的に非常に遠いと言うこと。それが一見遙か彼方の物語に思わせられてしまう。宿泊した平谷集落を散策していると、ふと30年位時を逆戻りしたような感覚に陥ってしまう。集落の姿は昔とほとんど変わらない。
おじいちゃん、おばあちゃんはとても元気なのだが、そこに高齢、過疎の問題が大きく立ちはだかる。那賀川沿いの集落のそんな現実は決して特別な物語ではなく、いま日本の多くの林業地が迎えているごく一般的な出来事でもある。

 ちょうど10年ほど前、スギダラを設立する頃に高知馬路村訪れた。考えてみるとこれが初の杉ダラツアーであった。村の中心地こそ「ごっくん馬路村」の成功で賑やかではあったが、そこから上流に向かった梁瀬杉の産地の衰退した姿は忘れることが出来ない。かつては森林鉄道が走り、森林従事者のための住宅が並び、学校も賑やかだった。元気な製材所がいくつもあった。しかし、今や(10年前であるが。)森林鉄道は消え、住宅は廃墟、学校は廃校、つまり地域が滅びていた。感傷に耽っている場合ではなく、日本の多くの山村が同じ道をまさに歩まざるを得ない現実に直面している。しかし杉だけはすくすくと育っている。日本三大美林と呼ばれる高知梁瀬杉。その原生林を見学した。杉の精霊を感じるほど神々しい。しばらく山を登り、有名な鉢巻き落としなど見学し尾根に出ると視界が開けた。眼下に見える延々と続く杉林。そのときに「あの尾根の向こうは徳島です。」と言われた。地図で確認して見ると、その時見た、向こうの風景が偶然にも今回訪れた那賀川上流であった。これも何かの縁を感じる。

 
 

2004年に訪れた校地馬路村:平谷あたりの風景とも似ているとも言える。

 

 日本は小さな島国、だけどあちこち旅するとほんとに広く、そしてそれぞれに多様な特徴を持った地域がある。スギダラを結成したおかげでその日本の多くの山林を見て回る機会を得た。というか行く羽目になる。(笑) そもそもは自分の生まれ故郷の山林の衰退を危惧するところが着かけであったが、それはまさに日本全国の問題に広がっていった。
 経済が元気な時は衰退する産業は目を向けて貰えない。そもそもそのことを日本全体、みんなの共有意識として危機感を持つことが日本の森林、(森林だけでないが)アイディンティティの問題である。一体我々は何を持って、日本人と語るか、何をもって豊かと語るか? 自分たちの子供のように育て上げた森林を守れなくて自立した国と言えるだろうか?

 そう叫び続けて10年。知っている範囲では、宮崎県はずいぶん元気になったと思う。それは切り替えの早さ、乗りの良さに起因していると思う。今や吉野も世代が若返り、もともと吉野の持っていた資産を見直そう、という意識が根付き急成長。頑張る地域が増えて来たことは嬉しいが、まだまだ日本全体で見れば森林、山林は裏の産業。一般には縁の遠い世界だ。前号の記事に書いた姫路安富町の現実が多くの日本に山林の実情に近い。
 平均年齢75歳。限界集落を遙かに上回る高齢化は半端ではない。杉を植え、守ってきた人々は今でも山を愛している。だが、これから後継者なくして自分たちだけでは守りきれない。次世代に引き継ぐ術がないのだ。その直面した現実に理解を示してくれる人々は多いが、その人々を幸せにする道はあまりにも遠く、時間がかかり、かつ広範囲に存在する。
 しかし、諦めるのは早い、そのためにスギダラをつくり、月刊杉をつくってきた。良いデザイン、良い社会。そう考える元に絶対に森林問題の正常化があることを知ったことは大きな価値であった。

 地方だけではない、2007年、東京の山林、多摩杉ツアーに行ったときの事は今でも良く覚えている。「我々は国に、森林行政に植えろ、増やせと言われ、血の滲むような努力をしてこの杉山を育ててきた。しかし、高度成長で木材自由化、杉が全く売れなくなっても、なにも言ってくれない、してくれない。それどころか某都知事(いやまもなく元都知事か。)が森林視察に来たときに、一回くしゃみをした。それがきっかけで、「こんなモノがあるから花粉症になる。多摩の杉を全部、伐ってしまえー。」と言った。「皆伐宣言ですよ!我々はいったいどうしたら良いんですか!人を馬鹿にするにも程がある!あったまおっかしいよ〜。」と顔を真っ赤にして叫んでいた。

 今や森林行政に頼るには限界があり、生産者が自立して新しい活路を見出していかなければならないことはもはや避けて通れない。このところ環境問題が社会的に話題になり、森林問題が浮上、山林は追い風、国も企業もこの時とばかりみんなそちらになびき、何とか助成金を出しまくる。しかしちょっとまって下さいよ。植えろ、増やせ、皆伐せよ。今度は助成金。やっている人達はみんな同じなのだ。
 気をつけよう、風が別の方に向くとまた途端に置いて行かれる。もう風頼み、国頼みはやめよう! 助成金で潤う企業や人々、いつになっても変わらず悲鳴を上げている人々、それはいっこうに一緒にならない。あまりにも現場の現実を見ず、理解せず、頼みやすいところに頼むことがその原因だ。 末端はいつになっても末端だ。蚊帳の外。

 
 

2007年の東京多摩スギダラツアー:自分たちの山林を説明しながら森林行政の失態を訴えていた。

 

 まあ、あまり怒っても怒っても空しいだけである。そんなことより、地域が自分たちの自立した価値をつくり、それを評価してこちら側に来てくれる人達を増やそう! 責任も喜びも自分たち次第。どうせこれからは大もうけなどは出来ない。ならば後悔せずせず、小さくとも納得した地域をつくって行く方がずっと幸せだ。近い未来その事に多くの人が気づく筈。ただ、その近い将来を待てない人が、また多く存在する。高齢化過疎の現実はそこまで来ている。
 
 「嘆いてもしょうがない、出来ることを粛々とやっていこう!」何度か訪れた秋田の山林で秋田支部の加藤さんに教えて教えて貰った言葉である。自分たちだけでは辛いけど、そんな話を聞いて貰える相手がいるだけでもずいぶん違う。悩み、辛さ、希望、とにかく話し合える仲間が必要。そして分野は違ってもお互い力を合わせることで情感の共有が生まれる、それが頑張りの基本になり、未来への支えとなる。そして少しずつ良い想い、実践を増やしていこう!

 
  学校が廃校になり、手入れをする子供たちがいなくなった、秋田の学校林。杉ダラで手入れをさせて貰った。
   
   
   
  ● <なぐも・かつし>  デザイナー
ナグモデザイン事務所代表。新潟県六日町生まれ。
家具や景観プロダクトを中心に活動。最近はひとやまちづくりを通したデザインに奮闘。
著書『デザイン図鑑+ナグモノガタリ』(ラトルズ)など。 日本全国スギダラケ倶楽部 本部
facebook:https://www.facebook.com/katsushi.nagumo
   
 
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