連載
  続・つれづれ杉話 (隔月刊) 第24回 「終の棲家のつくり方」
文/写真 長町美和子
  杉について、モノづくりについて、デザインについて、日常の中で感じたモロモロを語るエッセイ。 
 
今月の一枚
  ※話の内容に関係なく適当な写真をアップするという身勝手なコーナーです。
 
  数年前に実家の母から株分けしてもらった「金のなる木」が今年始めて花を咲かせました! 金平糖くらいの大きさでなかなか可憐です。これは……何かいい兆しでしょうかっ! 期待だけふくらむ我が家です。
   
 
   
  終の棲家のつくり方
   
   
   ここのところ、仕事を通じて高齢者の住まいに続けて行き当たっている。そのうち2軒は80代のお二人で、もう1軒は70代後半の兄夫婦と妹の家。自分の母親が78歳で、その行く末を案じているせいか、これまでだったらサラリと通り過ぎてきた高齢者の身の回りの物事が、最近になってやけに気になるのである。このお年頃の方々は、生きていくということ、毎日の暮らしや生活環境をどう考えているんだろう? 年を追うごとに衰えを感じる中で、次の5年、10年の設計をどう立てているんだろう?
   
   桜のつぼみがふくらむ頃に訪れたのは、奥さんを亡くされて一人暮らしになったばかりの87歳のお父さんとその息子家族との同居のための家。建築家から聞いた話では、お父さんは妻が入院したと同時に、病院に集まった息子2人の前で、「オレはおまえ(長男)と暮らす。金は出す。あとは勝手に決めてくれ」と、宣言したのだという。それで、お父さんは都内の一戸建てを売り払い、長男夫婦は持っていたマンションを売り払い、長男と次男(建築家)で土地を決めて新しい家を建てた。そこまで2年とかかっていない。
   
   驚くのはお父さんの潔さである。もともと独立精神旺盛で、アナーキストで、若い頃は青森で公務員をしながら社会運動に参加して公安に目を付けられていた、という問題人物だったそうで、亡くなった夫人もさまざまな社会活動に参加する凛々しい女性だった。新しい家の孫の部屋に飾られていた写真を見ると、美智子さまの若い頃かと見まごうばかりの美しさ、聡明さで、「マルキストの男と駆け落ちしたお嬢さま」の、まぶしいようなエネルギーが表情からこぼれている。
   
   お父さんは、息子2人とはもちろん、お嫁さんとも他の人とも、ほぼ会話はないそうで、孤高の世界に生きていらっしゃる(たぶん奥さんとだけは心を通じ合わせていたんだろうな)。頭脳は明晰。新しい家のお父さんの部屋には、敬愛するマルクスの全集はもちろん、哲学書や経済学、社会学の本がずらりと並んでいる。でも、歩行には杖が必要だし、大正生まれの男だから料理・洗濯はできない。冷静に自分を分析した結果、「オレはおまえと暮らす。金は出す」の発言に至ったのだろう。
   
   しかし、新しい(かなり斬新な)家にも、彼自身にも、年寄りじみた哀しさはどこにも感じられなかった。取材の日、お父さんは、撮影をしている我々はまったく目に入らない様子で、デイサービスの車からヒョイと降りてくると、カツカツと杖をの音を響かせながら玄関脇の自室に上がり(靴のままで!)リュックを背負って出て来ると、またカツカツと杖を付きながら出かけていった。早い早い。新しい街の循環バスも乗りこなし、図書館にも行くし、外食も楽しむらしい。
   
   いいじゃないか! できないものはできないし、無理が効かないものはしょうがない。今ある能力、今ある資産をどう生かすかを考えて、自分らしく生きていく道を決めたら、後は後ろを振り返らない。
   
   もう一人の80代はもっとすごい。こちらは80歳の女性の一人暮らしで、都内の家を処分して、犬といっしょに余生を楽しく過ごすための一戸建てを郊外に新築する決心をしたという。同じ80代と言っても男女の平均寿命はかなり違うから、女性の方がより積極的に生きることを考えなければならない。方丈記を思わせる小さな四角い平屋の中央にコアを置き、周辺にできたアルコーブを室として、自分のスペースの他に遊びに来て泊まっていく友人のためのゲストルームまで用意してあるという。
   
   老後を考えて、大きな家を処分してコンパクトなマンションに引っ越す人や、子供の近くに移り住む人、高齢者向けの施設を探す人は多いけれど、自宅を処分して、遠く離れた地方の自然の多い地域に土地探しを行い、建築家と交渉しながら、自分の理想を伝え、自分だけの家を新築するなんて人は、そうめったにいらっしゃるものではない。80歳ですよ。その行動力、決断力、判断力、すべてが超人的である。
   
   彼女が建築家に依頼して家を建てようと思った、その動機がまたいい。「自分とは違う思考を持つ人がつくった空間に暮らすことが刺激になると思って」。なんて素晴らしい!
   
   それより少し若いけれど、70代後半の兄夫妻と妹が40年住み続けてきた3世帯住居というのも面白かった。都内の高級住宅地に500uもの土地と建物を所有していたご両親が、建て替えをきっかけに、独立していた息子と娘家族とまたいっしょに暮らそうと建てた家で、くわしくはお聞きしていないけれど、おそらく妹さんが子供2人を連れて離婚されたこともあって、大家族の再結成がなされたのではないかとお察しする。
   
   60年代から70年代にかけて、公団住宅が建ち、ハウスメーカーが出没して規格化住宅が雨後の筍のように建ち始めていた頃、コンテナを積み重ねるようにシンプルで頑丈な住まいをつくろうとしたメーカーがあった。建築家である兄とお嫁さんと妹の3人は、自分たちで設計することもできたのだけど、3人の個性をすりあわせるのも大変だし、「単なる箱」の構成や中身をそれぞれが工夫すれば、ということで、500uの敷地に21個のコンテナを積み上げて3世帯の家をつくることにした。
   
   上下左右で連結された箱は、内部で自由に壁を抜いたり、扉を設けたりして迷路のようにつながっている。そこに木造で子供部屋を増築し、お店を張り出し、デッキをつくったり、2階の箱の天井を抜いて吹き抜けに屋根を架けたりして、もう好き勝手にやりたい放題カスタマイズしているのだ。
   
   最初は9人だった家族だが、小さかった子供が大きくなり、家を出て行き、年老いた両親がなくなり、兄夫婦と妹の大人3人だけになったこともあった。でも、家族が少なくなったら余った場所を他に活用すればいい、と、彼らはご両親のスペースを地域に開放することにした。兄夫婦の娘がカフェをやることになり、そこがさまざまな集まりに利用されるようになった。今は、息子夫婦も2人の子供を連れて戻ってきたため、総勢7人。林のように木々が生い茂る庭では、バザーやマルシェが開かれて休日ごとに近所の人がやってくる。子供も店の若者も、地域のまちづくり関係の人も、カフェのお客さんも入り交じり、40年経ったコンテナハウスはいつもにぎやかだ。
   
   「さて、後期高齢者ばかりの3人ですが、今後どうなることでしょうね」「シェアハウスにするのもいいと思うよ。経済的にも」「それも一つの手よね」。3人の建築家は老いてますます生き生きと暮らしを語る。「単なる箱」は緑と一体になって土地に根付き、すでに地域のものと化している。そこに入れ替わり、立ち替わり、いろんな人が住み、出入りして、助け、助けられ、支え、支え合い、ぐるぐると住み継がれていく。
   
   それもまたいいじゃないか! 自分だけの終の棲家をバリアフリーだなんだと悶々と考えるのではなくて、建物は永遠にそこに生き続け、長い時間の一部に自分の人生が組み込まれている、という感じ。流れの中に人がいる。
   
   結局、重要なのは「その人の居場所」であって、イエでも土地でもない、ということだ。自分がしっかりとあれば、どこにどう暮らしても自分の世界がちゃんとできるということ。
   
   ただ、私が仕事で出会うのは、「誰もが憧れるけれどなかなかそうはいかない」という方たちであることが多い。「ねぇねぇ、こんな人がいてね……」と母に話して聞かせても「そういうのは特別な人よね」で終わることもしばしば。ごくふつうの78歳に、夢を抱きながら前を向いて生きてもらうのはなかなか難しい。
   
   
   
   
   
   
  ●<ながまち・みわこ> ライター
1965年横浜生まれ。ムサ美の造形学部でインテリアデザインを専攻。
雑誌編集者を経て97年にライターとして独立。
建築、デザイン、 暮らしの垣根を越えて執筆活動を展開中。
特に日本の風土や暮らしが育んだモノやかたちに興味あり。
著書に 『鯨尺の法則』 『欲しかったモノ』 『天の虫 天の糸』(いずれもラトルズ刊)がある。
『つれづれ杉話』web単行本:http://www.m-sugi.com/books/books_komachi.htm
『新・つれづれ杉話』web単行本:http://www.m-sugi.com/books/books_komachi2.htm
恥ずかしながら、ブログをはじめてみました。http://tarazou-zakuro.seesaa.net/
   
 
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