連載
  私の原体験/第7回 「雪踏み」
文・写真/ 南雲勝志
   
 

 今でこそ雪国の車道は除雪車で除雪し、冬期車が通れなくなることは滅多にありませんが、昔は根雪から雪溶けの間の4ヶ月ほどは除雪することはなく、人は雪の上を歩いたのです。もっとも車がまだ余り普及してない時代だったので、除雪をする必要もなかったとも言えます。ただ2〜3m積雪がある中で歩行者の通行だけは毎日確保しなければいけません。今の除雪は行政がやってくれますが、昔は自分達の仕事、それも子供の仕事でした。範囲は自分の家の玄関から道路まで、そして道路は隣の家までというように分担が決まっていました。我が家でいえば道路までが50m程度、道路が300m程度でした。雪踏みの時間は、はっきり覚えていませんが、6時頃始め30分位だったと思います。寒くて眠くてとてもきつい仕事で子供ながらにとても嫌だったのですが、もし自分の分担の雪踏みをしなければ、学校に通う児童などはそこを歩けなくなるため、その役割はほぼ絶対的なものだったのです。また仮に忘れると何処の家がやらなかったかは誰もがわかる事になるわけです。

 では雪踏みの手順を紹介します。

 まず耳当ての付いた帽子を被り、アノラックを着て長靴を履きます。昔の長靴は保温性が悪く足がとても冷たくなるため長靴の底に敷物を入れます。大体は藁をすいた時に出るやわらかい部分を折りたたんで入れます。ですから長靴は自分の足よりひとまわり大きなサイズを購入するのが普通でした。
 その次にかんじきを履くのですが、大小2種類のサイズを使いました。なぜ2種類使うかというと、新雪は一晩で多いときは1mほど積もるので小さなかんじきでは雪に埋まりすぎ、前に進めなくなるのです。ですからまず小さなかんじき(巾が25cm程度)を履き、さらに大きなかんじき(巾50cm程度)を二重に履くのです。大きなかんじきは雪の抵抗が大きく、足を上げるには簡単ではありません。そこでかんじきの先端についている紐を両手で掴み、交互に引っ張り上げながら歩ききます。そうしながら往復することでほぼ1m巾の道が出来ます。ただ大きいかんじきは面積が大きいのでなかなか雪が堅く締まりません。そこで今度は大きなかんじきを脱ぎ、小さいかんじきで再び一往復します。それは引っ張る紐もついてなく、小さいため先ほどより堅く締まります。そして中央に50cm程度の歩道が出来、道の断面は段々になります。ただこの巾は人がひとり歩くことしかできません。歩く人間はそう多くはないのですが、所々にすれ違いのためのスペースをつくる必要がありました。これは50mおき程度に設け、向こうから人が歩いて来ると、どちらかが避けて待っていることになります。譲って貰った方はひと言礼を言ってすれ違います。

 
  早朝の空気はキンと澄みわたりほっぺが痛かった。一面モノトーンの風景は子供心に大好きだった。
 

 雪踏みが終わると家に帰り雪を払い、ようやく朝ご飯を食べ、7時半頃家を出て学校に行きました。その頃にはすでに数人歩いた足跡があり、道は少しずつ歩きやすくなっています。踏み堅めがやわらかいところはズボッと埋まった後があり、そんな場所を確かめたり、他人の踏んだところが上手いなと思ったりしながら通学したものです。

 無理に子供に仕事を与えていたわけではありません。家の周りに溜まった3mを超える雪を片付けたり、囲炉裏に火を焚いたり、かまどでご飯をたいたりと朝の仕事は大変でした。そんな中で子供は必要な労働力であり、皆で力を合わせないと冬の日常は成立しなかったのです。

   
   
   
  ● <なぐも・かつし>  デザイナー
ナグモデザイン事務所代表。新潟県六日町生まれ。
家具や景観プロダクトを中心に活動。最近はひとやまちづくりを通したデザインに奮闘。
著書『デザイン図鑑+ナグモノガタリ』(ラトルズ)など。 日本全国スギダラケ倶楽部 本部
facebook:https://www.facebook.com/katsushi.nagumo
エンジニアアーキテクト協会 会員
月刊杉web単行本『かみざき物語り』(共著):http://m-sugi.com/books/books_kamizaki.htm
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