6月19日(日)
梅雨の晴れ間。暑からず寒からず、照りすぎず、ちょっと湿り気がありつつ緑が美しい、ってのはいいもんです。梅干しの仕込みも終えて、ベランダに出したニーチェアで(猫の鱈三はオットマンで)うつらうつらと週末を過ごしております。
さて、月刊『杉』創刊準備の企画会議でも少し触れましたが、ここでは日常の中でふと頭に浮かんだ杉にまつわる話を書いてみたいと思います。
最近思ったのは、障子の桟ってほんと柔らかいんだなぁ、ってこと。私が住んでいるのは築30年のマンションなので障子もたぶんそのくらい経っていると思うのですが、反ってしまって引き出すのに少々コツがいるんですね。それで、無理して力を入れているのか、知らない間に爪の跡が付いちゃっているのについこの間気づきました。
表具やさんによれば、張り替えで建具を洗う時には「杉は女の肌を洗うように」って言うらしいです。そのくらい傷がつきやすい。松やケヤキの板戸なんかはゴシゴシ洗えるけれど、杉はもうそんなことしたらあきまへん。塀に立てかけて濡らした布でなでるように大事に障子の桟を洗う姿が印象的でした。
杉の障子にかかわらず、日本の家は全体的に繊細で華奢にできてますよね。エドワード・モースが明治のはじめに刊行した『日本のすまい』では、ある家の2階の縁側の手すり(指の太さほどの細い竹を横材として、ほぞを抜いた縦材に通している)を見た時の印象を次のように書いています。
「バルコニーのランカンに細い竹を使うと非常に繊細な感じがする。(中略)このようにひよわそうな網目細工を日本人はむき出しのまま使う。この国にはアメリカに見るような乱暴で荒っぽい子供はいない、と思わざるを得ない。アメリカの子供なら、大地震と台風とが同時に来たのかと思われるくらい、短時間でそれらを壊してしまうだろう。日本では、自分の足元にいつも気をつけていなくてはならない、とアメリカ人は思うであろう」<『日本のすまい・内と外』(鹿島出版会)より抜粋>
そういえば、私たちは子供の頃から折に触れ、家の中での立ち居振る舞いについていろんな注意を受けてきました。「畳のヘリは踏んじゃいけない」とか、「敷居を踏んじゃいけない」とか、「音を立てて襖を閉めちゃいけない」とか、なんだかんだ日本家屋にはいろんな決まり事があるもんです。「なんでいけないの?」なんて口答えしても、たいていの場合「お行儀が悪いから!」のひと言で済まされてしまったものですが、大人になって、それらがみんな家やモノが傷まないようにする知恵だと知りました。特に「敷居を踏むな」というのは、敷居を床下で支えている土台を何十年、何百年に渡って人が踏みつけると、土台に立てられている柱や、その上に載っている梁といった構造の結合部が徐々に緩んできてしまうので、それを避けるためなのです。つまり、それほど長いスパンでモノや家を使っていくことを考えていた、ということでもあります。
障子の桟だって、長ーく使っていると柔らかい部分が摩耗して、固い冬目が立ってきて、それはそれは美しい風合いを見せてくれるようになります。今、思いつきましたが、「女の肌を洗うように」水に浸すことで、多少の傷は(私の爪の跡も)ふっくら元通りになるのかもしれません。今年の年末には自分で張り替えに挑戦してみようかな。
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