連載

 
つれづれ杉話 /第2回 「杉並区の杉ものがたり」
文/写真 長町美和子
日常の中で感じた杉について語るエッセイ。杉を通して日本の文化がほのかに香ってきます。
 


高井戸杉は、吉野杉、北山杉にも負けてなかった!

8月6日
 今日は梅干しの土用干し3日目です(先月も梅干しの話題でしたね、すみません)。麦わら帽子を被り、2時間ごとに一粒ずつひっくり返す作業は、原稿書きから抜け出すいい口実です。たわたわと柔らかで繊細な梅の感触と香りを楽んだ後、よっこらしょと腰を伸ばせば、ベランダの南側にはこんもりと茂った屋敷森が点在するのどかな住宅地が広がっています。うちの目の前の道は中野区と杉並区の区境。中野区が出っ張った角のところに暮らしているので、引っ越して1年、杉並区にもちょっと親近感が湧いてきました。
 で、「杉並」というからには杉が生えていたにちがいない、と思い至ったわけです。そしたら、やっぱり生えていたんですね! それも江戸の町づくりに大いに貢献したそうです。 
 地名の元となったのは、江戸時代の初期にこのあたりのいくつかの村を統治していた領主が、領地境の目印に青梅街道沿いに植えた杉並木。当時から武蔵野は杉の植林が盛んで、建築用材の一大産地として知られていました。江戸に供給された武蔵野の杉というと、四谷丸太、西川丸太(今号のトピックスにもある西川材のことです!)、青梅丸太の三種類があり、中でも四谷丸太と呼ばれた高井戸杉は、「細く長きこと竹の如し。上品にて吉野丸太と同じ」(『武蔵野名勝図会』より)と絶賛されたそうです。
 なんでも元口と末口の直径が変わらず、節がなく、磨くと光沢が強くて美しいので、四谷の銘木やが磨き丸太として売り出したから「四谷丸太」という異名を取るようになったとか。面白いのは、鉄道が敷かれた頃、貨車でこの四谷丸太を京都に運び、京都から深川の材木市場に転送して、京都の北山杉として売った業者もいた、という話。それほど高井戸の杉が良質だった、ということなのか、北朝鮮のアサリじゃないけど、昔からそういうことやってたのね、ってことなのか、なんとも言えませんが……。
 高井戸杉の間伐材はよくしなるので舟竿として東京湾岸の船頭さんにも愛され「竿は高井戸物に限る」とまで言われたそうです。並材は足場丸太に、良材は床柱や桁丸太として、また幟(のぼり)竿や国旗掲揚塔の竿にひっぱりだこで、昭和9年には、皇太子(今の天皇)の初節句の鯉のぼり用の竿として、地元の名主、内藤庄右衛門から高井戸杉の見事な磨き丸太が献上されています。
 高井戸の杉が良質だったのは、神田川流域の低湿地帯で、黒土の窪地や傾斜地が多かったこと、そしてもう一つ重要なポイントは、山ではなく人家のそばの平地で丁寧な育林が行われていたことにあります。「煙が立たないところでは出来ない」と言われたのは、それだけ人の目が行き届かないと良材は育たない、という意味。林業を専門とする家はなく、農家の副業として田畑のそばの1〜2ヘクタールを杉の植林に使ったようです。それもかなりの密植で、1ヘクタールあたり6000本から9000本、枝打ちがしっかりなされ、「梢(こずえ)から一間(約180cm)ほどしか枝はついていない」という見事なものだったとか(聞き書き「山の親父のひとりごと」http://www.shinrin-instructor.org/ren05/02.htm を参照)。
 でも、残念ながら今の杉並区には小さな屋敷森程度にしか杉は残っていません。最初の打撃は大正初期の病害虫被害、次は関東大震災後の住宅建築ラッシュ、戦時中には国旗掲揚のための竿として伐採され、戦後は土地の宅地化が進み、高井戸杉は跡形もなく消えてしまったのでした。
 阿佐ヶ谷から中村橋までを結ぶ中杉通りは、今ケヤキの緑のトンネルが涼しい木陰をつくっています。これはなんで「中杉」なんでしょうね。通りの南端は元「杉並通り」である青梅街道沿いの杉並区役所前。ケヤキの前にはもしかしたら杉が植わっていたのかもしれません。


<ながまち・みわこ>ライター
1965年横浜生まれ。ムサ美の造形学部でインテリアデザインを専攻。雑誌編集者を経て97年にライターとして独立。建築、デザイン、 暮らしの垣根を越えて執筆活動を展開中。特に日本の風土や暮らしが育んだモノやかたちに興味あり

 

(内田家前の通り)
(内田家長屋門)旧家の屋敷森っていうのはこんな感じで、公園ほどある敷地いっぱいに茂っています。これは中杉通り沿いの内田家。立派な長屋門を構えています。
(枝打ちした杉)逆光で見づらいでしょうけど、内田家の庭でていねいに枝打ちされた杉を発見しました。

(妙正寺境内の杉)
これは神田川沿いの高井戸ではなく、妙正寺川の水源地近くの妙正寺境内。ほんの数本ですが、直径30cmほどの杉がありました。

  
   
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