地元の人が「ちょっと聞くけど『モクネット』って何! 何をしているの! 前からな名前はよく聞くけど分からない」と言う。
私は「昔の木創です」と答える。するとその人は、「木創か! そうか」「だけど今は『米びつ』は作ってないでしょ! やっぱりよく分からない!」となる。
これが、地元の人と私の会話、今でも時々交わされる会話です。
モクネットには二つの面があります。一つは運動体。もう一つは事業体。さらに運動体は二つでまちづくり運動と全国的な木の家づくり運動です。しかし、どれにも枠や線引きの境がなく一体です。地元の人にモクネットは「よく分からない」と言われる所以がここにあります。
(何故こうなっているかは別な機会に譲ることにします。)
必然的にモクネットの見られ方も二つになります。運動体としてみる人は都市や地域外の人たち。事業体として見る人は主に地元の人たちです。
モクネットは、運動から始まり事業を持ちました。ですから事業の側面からモクネットを見ると「分からない!」となるのです。事業体として見るとその体を為していない、実態が掴めないからです。かといってヘルメットや角棒は持たないのですが、当時は「運動」と言っただけで引いてしまい、ますます分からないことになります。
しかし、この頃は地元でもNPOの考え方が理解されるようになりつつあり少し助かっています。
『モクネット』は82年頃から商工会青年部の町おこし運動としてはじまり株式会社木創、モクネット事業協同組合と20年以上も経つというのに地元での『モクネット』の評価はよく分からないでいます。
それでも木創は「米びつ」など目に見える木工品・ブツを作っていたので分かる。しかし、モクネットの組合のブツは、地元の人たちの目に見えない所で作られ、見えない所で出荷されている。だからモクネットは、ブツは何も持たないし、作ってもいない。分からないとなります。
(何故こうなっているかは別な機会に譲ることにします。)
さらに二ツ井に来る人たちは都市など県外がほとんど。それに古ぼけた小さな事務所、乗ってる車はいつも中古のカローラ、20年以上見た目には何も変わってない。しかも私はいつも全国を飛び回り事務所にはいない。これでは無理もない。と変に納得しています。
衰退する地域を林業の活性化で元気を取り戻してもらいたい。そのために地場産業を応援する会社を創り、対外的な活動をしよう。そうして呉服屋、花屋、パチンコ屋、内装屋など13業種17人の若手が出資して創設されたのが創設されたのが株式会社木創でした。しかし、このことは林業や木材業界に理解、協力が得られませんでした。2代3代と続いてきた我々でさえ大変な状況なのに素人集団で何ができる、難しいとの理由でした。こうなると地元の行政も支援が難しくなる。
異業種であるが故に株主たちも交流会や飲み会(運動の一環)以外に直接的なモクネットの組合事業に関われないこともあり、地域の人たちに運動の意義など説得力を持って語れない、話すと「自分たちが儲けるためだろ!」となる、なかなか難しい状況がありました。
(何故この状況になるのかは別な機会に譲ることにします。)
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