二月杉話

 
神棲む森の人々とともに
文/写真 吉武哲信
 
 
 

読者の皆さん、初めまして。会員番号74のヨシダケこと吉武です。
新年号の「神棲む森と杉の木」に引き続き、その秋元のお話をさせて頂きます。また宮崎!?と思われる方もおられるでしょうが、しばしお付き合いを……。

 スギダラな人々/第7回で紹介されたように、宮崎には宮崎支部と秋元支部があります。宮崎支部は海杉さんの爆発的なパワーのもとで様々な活動が展開されていますが、秋元もそれに劣らず精力的に活動しています。その一端は既にスギダラケ倶楽部HPや、伐採計画HPでも紹介されていますね。いったいどのようなところなのでしょう?

●スギダラ秋元支部


 高千穂町秋元は九州山地のど真ん中に位置する“典型的な”山村集落です。つまり、日本全国いたるところの山村集落と同様に、農林業の問題、過疎や高齢化等の問題に直面しており、村の将来像を描くことが難しい状況にあります。
 一方で、秋元は“ユニークな”集落でもあります。そのユニークさを象徴するものは、やはり何百年と続く夜神楽でしょう。何世代にもわたって営まれてきた農林業を中心とした共同体的生活、その生活の中で育まれてきた人々の文化(価値観や生活の物腰)……。夜神楽は、それらの文化と一体となって継承されてきました。秋元の住民が崇敬する神々に奉仕する祭りですが、来訪者は彼らの生活が神や自然や共同体と結びついていることをリアルに体感できるでしょう。百聞は一見に如かず!

さて、その典型的かつユニークな秋元集落に何人ものスギダラ会員がいて、早速支部を立ち上げている……、なかなか不思議なお話です。なんてノリがいいんでしょう。実は、秋元ではここ10年以上様々な活動を精力的に展開してきており、皆さんのエンジンは十分暖まっている段階にありました。スギダラ3兄弟が秋元を訪れる前に、支部結成の話をしていた程ですから。

●秋元のむらづくり


 必ずしも楽観的な将来像を描くことのできない現実。今は給料で生活できているが、退職後の生活をどのように組み立てよう? 受け継いできたこの地や生活文化はとても大切なものだけど、次の世代、その次の世代はこの村で暮らすことができるのだろうか(望むのだろうか)? 一方で、今現在ここに暮らしがあり、この地で育つ子供たちがいる。我々は日々の生活をどのように送り、子供たちに何を伝えればよいのだろうか? 等々。
 悩みや不安は尽きないけれど、今できることを確実に積み上げていく。それが秋元ではできてきたと思います。その担い手は、中堅どころの男性グループの“グリーン会”、女性グループの“ルージュクラブ”。グリーン会は育林活動、道路整備、盆踊り企画運営、会員腕自慢講習会、バイクツーリングやスキー等のレジャー活動、ルージュクラブは稲わらリース、薫製づくり、山菜料理教室、機関誌『ルーラルタイムス』の発行など、日々の生活をより充実させるような活動を継続しています。もちろん、男性陣は神楽のほしゃどん(奉仕者)でもあります。

 そして、なんといってもグリーン会、ルージュクラブの活動を特徴づけるものは「交流」でしょう。中でも、平成7年の夜神楽でのルージュ会と博多ごりょんさんの会(博多部の女性まちづくりグループ)の出会いから始まった交流は、その輪を飛躍的に拡げてきました。スギダラ倶楽部との出会いもその延長線上にあります。今回はこの交流活動について皆さんにご紹介しましょう。

●始まりはひょんなことから・・  


 平成7年秋に、私と私の友人総勢十数名で夜神楽に訪れたのが最初のきっかけでした(当時、私は淳志さんと高千穂町の都市計画の仕事を始めたことが縁でお誘いを受け、博多の友人たちと一緒に秋元を訪れました)。
 一同、神楽そのものの魅力と迫力に圧倒され、また神楽宿や普通のお宅でのもてなしと人の温かさに感動し、秋元に魅入られてしまいました。そして、「今度は山笠を見に博多にお越し下さい」ということでお互いの行き来がスタートしたのです。
 翌年の夏、「山笠水掛ツアー」と題してルージュクラブ会員約10名が1泊2日で博多を訪れ、ごりょんさんの会と初めての交流会+懇親会+山笠見学の機会が持てました。博多中心部はビジネス街化して「過疎化」が進んでいる一方で、山笠という伝統的な「祭り」を継承しているという、秋元との共通点を発見できたことは面白い収穫でした。「お互いの将来のために何かできそうだ」という予感が生まれたのはこの頃です。
 その後、グリーン会メンバーの「オレも山笠走りたい!」という無謀な(?)言葉から、平成8年秋から翌春にかけて数度の山笠役員の秋元来訪(面接試験と講習会のため)、山笠準備への参加等々、様々な準備を経て、平成9年夏からグリーン会メンバーは「山笠(やま)の担(か)き手」となったのです(本当はこの経緯だけでもドラマなんですが、それはいつかまた……)。
 以降、人数に多少はありますが、男性陣は毎年山笠に参加しています。また、ルージュ会の皆さんも、夫の勇姿(?)を見に、あるいは博多の人たちとの親交を暖めるべく、一緒に博多に出かけて民泊しています。もちろん、博多の方たちもまた、毎年の夜神楽に訪れて民泊しているわけです。

 
上に乗っているのは秋元の人たち。「台上がり」といいますが、これが許されるのは博多の中でも限られた人。それができていることは、山笠の人たちと関係ができている証拠。

山笠のクライマックスは7月14日早朝。写真は13日夜の交流会。博多と秋元の女性陣も参加しています。

●生活の一部としての交流


 一方で、夜神楽と山笠という祭りの時だけの交流でなく、日常の生活に「風」を入れようということも意識して行なってきました。
 秋元で実施したものは、例えば稲刈り手伝いツアーや山菜狩りツアー、博多の音楽家(この方たちも博多との交流から拡がった知人)を呼んでのクラッシック・コンサートなど。もちろん、博多で実施したものも多くありますし、これら以外の個人ベースの行き来がとても多くなってきています。

 また、平成11年頃から私の研究室学生の合宿も秋元で実施しています。この合宿は少しずつ変貌を遂げ、最近は博多だけでなく宮崎や東京からも参加して頂き、地元の人(子供からお年寄りまで)と一緒に村の将来を考えるワークショップも実施できるようになってきました。これらの企画・実践一つ一つにまた様々な印象深いドラマがありますが、それもまた飛ばして、次に移ります。

 
ワークショップ風景。宮崎大学学生と秋元の子供たちが、むら歩きを行なって、一緒に報告をとりまとめています。
班ごとに成果を発表しています。地元のおじいちゃん、おばあちゃんも聞いています。博多の人たちも一緒。

●「風」がもたらしてくれたもの


 かみざき物語は橋の建設から交流を育むむらづくりが始まりました。神棲む森の秋元は具体的な整備プロジェクトはなく、息の長い交流からむらづくりを模索しています。どちらも交流という「風」が、むらの中に様々な変化を与えてくれています。
 先ほど、ドラマは飛ばして……と書きましたが、これらの活動が全体として我々にもたらしてくれた象徴的な出来事をここに紹介しましょう。

・親戚倶楽部
 交流の当初から、どのような交流が良いのかをイメージしていました。言葉にするとグリーン・ツーリズムではあるのですが、観光客が沢山来て……というイメージではありません。秋元のことを理解し共感して、一緒にそれぞれの生き方を見直していけるような……、あるいは、夏休みや冬休みにお互いの子供たち(あるいは自分たち)が親類のように行き来できるような……、そのようなイメージでした。一昨年のワークショップで、博多の建築士Mさん(もちろん仲間)が「博多親戚倶楽部」と自らを称し、合点がいったところでした。そうです。我々は、ムリせず自然にできるお付き合いを継続していくことで、刺激し合い、助け合えるような関係が欲しかったのだし、それを得ることができたのだと思います。

・神楽衣装の製作
 4年前に、約150年使い続けた神楽用の衣装を、文化庁の補助を得て新調(再現)する機会がありました。もちろん申請にも多大な工夫があったと思いますが、新調時のプロセスもまたドラマでした。実際に昔の衣装の素材や織り方を研究し、その素材を探し求め(結局、イタリアの麻を輸入することになりました)、機織り機で製作されたのは、交流当初から我々と一緒に活動してきた博多のNさん。偶然か必然かはわかりませんが、我々のネットワークがポテンシャル(多様性や底力でもあります)を持っているな〜と実感した出来事でした。そのNさん、相当の期間をかけて製作されましたが、「長い歴史を持つ夜神楽−それも秋元の−の衣装を織らせて頂き、自分の織った衣装がまた引き継がれると思うと、織っている時間もとても幸せ」と言われていました。交流相手の外部の人たちも、秋元の皆さんから風をもらっているのです。

 
  博多の音楽家夫妻によるコンサート。フルートとチェンバレンの演奏。秋元の民家で実施。秋元だけでなく高千穂町内外から多くのお客が集まりました。

 
  コンサートの後は、持ち寄り料理でパーティ。イベントの後の懇親会(飲み会?)も秋元の魅力です。

 
  懇親会の後の、打ち上げ。コンサートに来て頂いた人たちの感想をみんなで聞いて、ジーンときているところ。

・秋元の誇り
 「交流による地域づくり」とか「交流人口拡大による地域活性化」というキャッチフレーズは今やあちこちで聞きますが、そこには経済の手段としての交流という意味合いが強く出ている気がします。もちろん、経済(生活の糧)は大切ですが、交流が持つ本来の多様な意味を忘れないでいたいと思っています。
 「何もないと思っていたこの村に住む自信を与えられた」「当たり前と思っていたものが、本当に価値があることを教えてもらった」「すばらしい土地に住んでいるという誇りが生まれた」……。これらの言葉は交流で得られた成果でしょう。その誇りや自信は、たとえば新たな試みの企画・運営能力となって現れ、循環的に強化されていきます。
 また、公民館活動九州大会で一連の活動を宮崎県代表として発表したり、あるいは国や自治体の委員会等で、活動を報告したりする機会もありました。このような評価はやはり自信につながっていきます。そして最近何よりも嬉しいのは、秋元の子供たちが神楽のほしゃどんとして育ってきていること、在校生数名の中学校のMちゃんが全国英語スピーチコンテストで5位入賞を果たしたことです。「秋元の誇り」が次の世代に引き継がれつつあることが、我々の更なる「やる気」を育ててくれます。

●神棲む森の人々と共に


 我々はこの10年、多くのことにチャレンジしてきました。そろそろむらの将来に向けて戦略を立て、実践していく段階にあります。ワークショッ プも秋元支部の設立もその一環です(スギダラとの出会いもグッドタイミングのような気がします)。誇り・自信・知恵をもって、そして信頼できるネットワークを持ってすれば、将来の展望も切り開かれるものと信じています。
 そして何よりも、私たち親戚倶楽部は、この先もずっと一緒にいて、喜びや悲しみを共有できる一員であり続けようと思っています。

ワークショップ風景。学生と子供たちがみんなで「川のり」採取体験。
   

さて、月刊「杉」読者の皆様。
杉の話が一つも出て来なくて申し訳ありません。もちろん淳志さんが書かれたように、秋元もまた杉に囲まれたむらですから、我々の将来も杉抜きには語れません。秋元の将来は日本の将来でもあります。
 改めて考えると、スギダラも「風」なんでしょう。業界への風、訪れる町や集落への風、そして出会った人たちへの風……。そこで出会った人たちと刺激し合い、共に考え、将来を見据えていく。それも、製品開発、利用法やライフスタイルの提案というように実行に繋げていく。スギダラの活動と秋元の活動は確かにシンクロしています。
いや〜面白くなってきた! 一緒に楽しく頑張っていきましょう。


●<よしたけ・てつのぶ> 宮崎大学 工学部土木環境工学科助教授
工学博士。 地域・都市計画が専門。 近年は、交流とコミュニティ活性化の関係に関する研究、市民参加からみた都市計画制度とその運用に関する研究を行なうとともに、それらの実践について模索中

吉武研究室 http://www.civil.miyazaki-u.ac.jp/ ̄ytken/index.html
     
   
   
 Copyright(C) 2005 GEKKAN SUGI all rights reserved