杉材ほど身近でどこにでもある材料はない。それゆえ昔から人々の生活にとけ込んで存在していたのだろう。
杉の家具を考える時にいつもふたつの事を考える。ひとつは今までずっと日本人になじんだカタチ、つくりを再確認し、そこに埋め込まれた巧みの技や、逆にいい意味の手の抜き方などに感銘を受ける。
「あぁ、やりすぎちゃってる、もう少し力を抜こう。」とか。
もう一つは我々の先人達の文化に敬意を払いつつ、今という時代に生きているものとして、いかにデザインできるかということ。
そしてそのふたつはおそらくどちらも大事で、我々の文化を継承しつつ、その上に今の社会を客観的に捉え、自分のアイデンティティーやセンスを重ね合わせ、今から未来に向かって説得力のあるものをつくる作業をするわけだ。
もちろんいつもいちいちそんなことを意識して考えているわけではないが、思考の奥にはいつもある。そして自分で納得出来るためには、そこに必然性を待たせられているかどうかにかかってくる。
今回は杉プロダクトの普及を計ろうと内田デザインチームと最近開発中のなかから1点を紹介する。今回も当然の事ながら、杉でなせる普通のカタチ、座る台をまず目指した。たっぷりとした素材の厚みが醸し出す、視覚的な印象や実際に座った時の温かさは杉ならではだ。その1枚の板の魅力を最大限生かす脚を考えた。杉板とのバランスがプロポーションとして美しいこと。固まりの板に対し細くきれいな線で構成すること。構造的に理にかなっていること。そして出来れば屋外にも耐えられるデザインにしたかった。
脚のこだわりは素材と仕上。素材はムクの鉄の棒、仕上は亜鉛メッキの一種だが黒っぽい。簡単に言うと通常の亜鉛メッキを人工的に酸化させ、時間の経った亜鉛メッキのような風合いをつくる。
杉のナチュラルさには鉄が最も相応しいと思っている。ステンレスやアルミではきれい過ぎる。しかし鉄は錆びる。でも最近は塗装ではないような気がしている。この仕上は時々プロジェクトでも使用するようになったが、なかなかいい。素材感がある。
難点は加工する工場が近場にないことだ。現在は大阪にしかない。
とりあえずプロトタイプが出来た。カタチも素直で主張しすぎていない。あとはこれをいかにリーズナブルにしていくかだ。
実はそこが一番難しい。
先日、あるデザイン委員会で、「いい意味の泥臭さは地域のアイデンティティーやオリジナリティーの表現として、実はとても大事なんじゃないか?」
という意見が出た。広い意味では支持された。委員長が最後に締めくくった。センスのいい泥臭さは確かにその可能性を持っている。しかしセンスの悪い泥臭さは危険で、間違うと客観的に評価される代物でなくなってしまう。
その辺の紙一重の話がまた面白い。
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