昔、昔のその昔のことな人だド。雄物川のほとりの村々は、稲刈りも終って、山々の木々は紅葉の盛りが過ぎたころのことであったド。
静かな峠道を越えて、「チリン、チリリン」と鈴を鳴らし、念仏を唱えながら八田の里を訪れた旅の僧があったド。
旅のほこりに汚れた僧衣は、みすぼらしかったド。しかし、笠の中の顔は、目元も涼やかに、気品があふれて男らしく、若くして仏信の志に驚(あつ)い修行者であったド。
この里には、「高徳長者」という物持ちで、徳望のある人が住んでいたド。僧は家々をめぐったのち、一段高い石崎山添の長者屋敷の門口に立ったんだド。鈴の音と念仏の声にうながされて、奥の方から長者の娘が応待に出てきたド。僧の気品のある顔や姿、念仏を唱える声に、娘心があやしく動いたんだド。
長者の家では夕食時で、玄海という修行僧は、しきりに引き止める娘と長者夫婦のすすめに乗って一晩の宿をお願いすることにしたんだド。
長者の家は、その谷地一帯の田を耕し、谷地を囲む山々はもとより、沢山(たくさん)の若勢、女中(めらし)もおったんだド。
わらじを脱いだ玄海坊の世話は長者の娘・お杉が一切ひとりでしたんだド。翌朝はあいにくの雪で、立ち去ろうとする玄海も、引き止めようとするお杉と両親に負けでニ日が三日と宿を重ねたド。
お杉の激しい恋情に、玄海坊はほとほと困りぬき、沈思黙考の日々を送ったド。だんだん玄海坊はお杉の両親の信心深い志を受け、この地に足を留め、里人に布教をすることにしたド。愛娘(まなむすめ)の頼みに応じた長者は、「高徳庵」という新居を建てて住んでもらうことにしたド。もちろん、お杉は庵に移り住み、玄海坊のお世話をしたんだド。
木石ならぬ玄海坊は、美しく心のやさしいお杉の慕情にほだされて、同棲の月日を送ったんだド。夢のような数年が過ぎ、玄海坊は心の中で、僧籍にあって女人を近づけた破戒の呵責(かしゃく)にさいなまされたド。ひそかに土中定(どちゅうにうじよう=ミイラ信仰)を決意し、長者夫帰を説得したド。里人たちに頼んで、向い山の山裾に生きのまま埋めてもらうことにしたんだド。
その気配を感じとったお杉は、泣いて止めようとしたんだド。しかし、玄海坊の決意は固く、鉦と水に節をぬいた竹筒をもって、土の中に埋めてもらい入定成仏されたんだド。
残されたお杉は、身も心も狂わんばかりに泣き叫び、慰め悟す情す術(すべ)もなかったド。幾日もたたないうちに、玄海坊の後を追うようにこがれ悶(もだ)え、やつれ果てて、息を引きとったド。
長者夫帰や里人は、その哀れさに涙を流し、懇(ねんごろ)に弔り、玄海坊の入定した側に葬ってやったド。そして、玄海坊には松、お杉には杉の木を植え墓印としたんだド。
その後暫くの年月、小雨降る夕方など、女の泣き声や鉦の音が聞こえたとの言い伝えがあったド。とっぴんぱらりのぷ!
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