連載

 
『東京の杉を考える』/第2話
文/  萩原 修
あの9坪ハウスの住人がスギダラ東京支部長に。東京から発する杉ものがたり。半年の連載スタートです。
 
 


杉と家

2回目の連載。いまだに、東京のスギダラ活動の手がかりがつかめないでいる。ことあるごとに、スギダラの東京での活動についていろんな人に話をしてみるけど、具体的な動きには繋がらないでいる。

前回は、現在自分が住んでいる9坪ハウス/スミレアオイハウスと杉の柱との関係のことを書いた。確かに柱は、杉から檜になったけど、梁に関しては、杉を使っているらしい。しかし、その杉がどこから来たものなのかはわからない。たぶん、東京の杉の可能性は低いだろうし、日本の杉ですらないのかもしれない。自分の家をつくっている木がどこで取れたものなのか。普段は、考えたことすらないのだけど、もし、わかっていたら、家に対する愛着がもっとわくものだろうか。ちなみに、床材は、パイン材。これは、あきらかに輸入材だ。日本の松ではない。ここで思い出したけど、昔、娘が通っていた幼稚園では、部屋ごとに、杉、檜、松が使いわけられていた。そう言えば、幼稚園の理事長は、東京の西の方の山の地主だったような気がする。やっぱり、杉と檜と松。この3つが日本の家の材料の代表ということなのかなあ。

話は飛ぶけど、そもそもぼくは、2年前まで10年間、新宿のリビングデザインセンターOZONEというところで働いていた。そこは、住まいの情報のあれこれを提供する施設だ。なので、本当は、家の材料である木材について、もっといろいろ知っていてもおかしくないのだろうけど、実は、ほとんど何も知らない。素人同然である。なんでなんだろう。考えてみると不思議だ。自分も含めて、多くの人が家と木の関係について、もっと知っていておかしくないのだろう。これは、柱の展覧会をOZONEで開催した時に、木場の材木屋さんから聞いた話。「柱を含めて、木が壁の中に隠れていって、どんどん細くなっているんですよね。お客さんは、目に見えるキッチンとか設備選びには慎重だけど、家の構造である柱には、無頓着なんですよね」と言う。ああ、そうなんだと、その時は妙にその話に納得してしまった。

地元でとれた木材で家を建てる、というごくごくあたりまえのように思えることが、現在の家づくりでは、市場原理の中で無理になっている。と書くともっともらしいけど、本当にそうなのだろうか。東京にも杉はたくさんある。その杉を使って家をつくることは、そんなに難しいことなのだろうか。どうも、そこのところがわからない。いや、そもそも杉は、家の材料として、どのように使うことがいいのだろうか。そんなことを考えていたら、親切に新聞の切り抜きを送ってくれた人がいた。その新聞には、東京周辺の木材のブランド化についての記事が載っていた。また、ここで思い出したのは、やはり柱展の時に東京の林業関係者から聞いた「東京の木だと高く売れないから、一度、吉野とかブランド力のある産地に運んで、そこから出荷するんですよね」と言うなんともショッキングな話。

東京というだけでブランド力が高いと思っていたけど、どうやら木材に関しては、それは通用しないらしい。質のいい産地のイメージは、どうやって形成されていったのだろうか。
そもそも、産地ごとの特徴というのは、どこにあるんだろう。その土地の気候風土にあった林業というのがあるんだろうか。なんだか、わからないことだらけ。東京の杉に果たして、勝ち目はあるのかないのか。東京の杉ならではの特徴は何なんだろうか。東京の杉を活かす方法は、どんなことなんだろうか。ああ、悩ましい。悩ましい。あんまり難しく考えずに、東京の杉を使って、まずは何かつくってみようかな。それとも、東京の杉の産地を見に行ってみようかな。

 
 

 
<はぎわら・しゅう> デザインディレクター
1961年東京生まれ。9坪ハウス/スミレアオイハウス住人。つくし文具店店主。
中央線デザイン倶楽部。カンケイデザイン研究所。リビングデザインセンターOZONE を経て 2004年独立。生活のデザインに関連した書籍、展覧会、商品、店舗などの 企画、プロデュースを手がける。日本全国スギダラケ倶楽部 東京支部長。  
 


   
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