特集1 月刊杉100号記念  
  スギダラ10年、月刊杉100号に思う
 
 

全国からお寄せいただいたコメントを、到着順に掲載させていただきます。
さまざまな地域から、実に幅広くいただいたコメントは、その方その方の活動の様子や思いが伝わってきました。さらに、そこにはたくさんの気づきも。これからのスギダラ活動に大いに活力を与えてくれることと思います。

寄稿いただいた皆さん、ほんとうにありがとうございました。

   
  ●月刊杉編集部
   
   
   
   
 
 

100号おめでとうございます。

私も杉を彫刻し続けて10年以上経ちました。杉の良さを皆様と一緒に伝え続けていきたいと思っています。












●城所ケイジ<きどころ・けいじ >

有限会社チェンソーアート・ジャパン 主任彫刻家

 

  巨大な杉の馬です(福島県石川郡古殿町にて)。
   
   
   
   
 
 

この10年は私にとっても激動の10年でした。 気がつけば、身の回りに数々の杉家具。 少しだけど、木育出来る環境ができたところで出産。このタイミング、偶然ではない気がします。 スギダラベビーは今、スギコダマラカスを枕に、心地よさそうに寝ています。 この子のためにも、優しい未来を作らなければいけません。

   
  ●増田奈菜<ますだ・なな > スギダラ本部広報  スギダラ会員No.0008 
   
   
   
   
 
 

杉はどのようにしてこの世に誕生したかご存知ですか? 
『日本書紀』には素戔嗚尊が髭を抜いて造ったと記されています。そして杉は船材に向いていると教え、息子である五十猛命が日本国中に植林して廻ったと……。
スギダラのスギはまだ樹齢10年、月刊杉もまだ100号。杉材が成長して船となり大海原に漕ぎ出すように、スギダラももっと年月を重ね広く世に知られますように。
ますます、スギダラが活発になり、杉の木のように真っ直ぐとひたすらに伸びてゆくことを祈念いたします。この度はおめでとうございました。

   
  ●奥 重貴< おく・しげたか > 伊太祁曽神社禰宜  スギダラ会員No.0654
   
   
   
   
 
 

この度はスギダラ10年、月刊杉100号、おめでとうございます。

スギダラ新参者のわたくしですが、スギダラと出会って人生が変わってしまいました。
スギを扱う仕事がカッコイイ!と思わせてくれたのです。しかも、スギが人と人を繋ぎ、人と地域を結ぶ、こんな素晴らしいことを教えてくれたのもスギダラです。
いま、「どうなん?支部」ではスギダラの力により、あるプロジェクトが進行しております。完成した暁には「どうなんだ?」とは言わずに「まぁ〜つりだ、祭りだ、祭りだ!」と行きましょう!(北海道函館ということで北島三郎[函館出身ではありませんが])

   
 
 
スギダラだから叶った 秋田支部VS道南支部   スギダラだから出会えた 鹿沼、針葉組合とのコラボ
   
  ●鈴木正樹< すずき・まさき > 道南支部  スギダラ会員No.1111
   
   
   
   
 
 

スギダラって本当に面白い。エネルギーの坩堝で、集まってくる人はみんな強烈だ。最近はその化学反応でどんどん温度が上がっていっているように思う。最近はとか偉そうなことを言ったが、実はまだ入社3年目だ。
3年目の今思うのは、スギダラに関わることで、会社にいるだけでは経験できなかったことが沢山あるということ。スギダラを通して色んな場所に行った。多くの個性的な人と出会った。思い出に残る体験をした。本当にスギダラと出会ってよかったと思う。これからもスギダラで面白いことをしていきたい。

   
 

●中森康裕< なかもり・やすひろ > パワープレイス株式会社 スギダラ会員No.1630

   
   
   
   
 
 

木匠塾(月刊『杉』No.58 No.66参照)を運営していた頃にスギダラケ倶楽部を知った。
その後、東京の森林ボランティア関係の講演に招かれた時、南雲さんと出会った。「戸田さん、飲もう」と誘って頂き、とにかくムーディーな雰囲気で、笑いとデザインのセンスがあり、杉が好きである人のようだから身を任せた。
スギダラケは隙ダラケで輪に出入りしやすい。自由。昨年、福岡へ移住してからもJR九州の方はじめ、スギダラ関係者が傍にいるだけでほっとする。
月刊杉200号位になるまでには、私自身も杉で偉業を成し遂げられるか挑戦してみたい。

   
 
   
  ● 戸田 都生男< とだ・つきお > 麻生建築&デザイン専門学校専任講師 スギダラ会員No.0242
   
   
   
   
 
 

「スギダラケ倶楽部の10年は地域の未来をつくる人づくり」

 
今、私が歩んでいる、歩もうとしている林業を軸としたまちづくりの原動力は、日本全国スギダラケ倶楽部の活動を通して出会わせていただいた多くの仲間のお蔭であるといっても過言ではないでしょう。私がスギダラケ倶楽部と初めて出会った2009年の吉野林業体感ツアーでの、南雲勝志さんとの出会いが、私の林業人生、地域活動の大きなターニングポイントになっています。吉野林業の原点である樽桶を見つめ直す木桶復活プロジェクトは、単なるイベントではなく、林業を通して町の風景を取り戻す、そして地域の暮らしを取り戻す大きな意義があったと感じております。まだまだ挑戦途中ですが、地域の暮らしを豊かにする林業を目指してこれからも歩んで行きたいと思います。 最後に、月刊『杉』を通して「人と人」、「地域と地域」、「人と地域」を繋げる役割を果たしてくれている編集長の内田みえさんに心から感謝申し上げます。  
     
  ●中井章太< なかい・あきひろ > 中神木材・吉野町議会議員 スギダラ会員No.0962
   
   
   
   
 
 

100号なんですね!おめでとうございます!

2005年の吉野ツアーで月刊『杉』 やろうって話題になったのを今でも覚えています。
スギダラって本当にスギェ〜人達がいっぱいいて、そんな人達に会う度に目標といいますか、こうなりたい自分が浮かび上がります。
僕にとってスギダラはエネルギーの素。
スギダラと出逢ってなかったら、間違いなく今の僕はないです。
スギダラありがとう。

   
  ●狩野 新< かのう・あらた > スギダラ会員No.0043
   
   
   
   
 
 

この10年でスギダラを通じてたくさんの素晴らしい方々と知り合うことができました。
一人では決してできなかっただろうこともたくさん実現することができました。
最初は自宅の杉のキッチンを自慢したかっただけだったのに、今は秋田駅西口の秋田杉のバスターミナルが自慢です。
これからもずっと、月刊杉やスギダラ活動を通じて、たくさんの人と杉絆を深めていきたいです。
20周年、200号に向けてどうかご支援、ご協力のほど、よろスギお願い申し上げます。

   
  ●菅原香織< すがわら・かおり > 秋田支部長 スギダラ会員
   
   
   
   
 
 

月刊『杉』100号、おめでとうございます!

農業系高校に奉職して11年、生徒たちに触発されながら、杉苗生産農家さんや400年近く続く育林家さん、地域材を活用した校舎改修をした茂木町町長さんに取材したり、鳥獣管理士として樹皮剥ぎ被害の発生現場を見たりしています。
お話を聴く機会のあった方や『杉』連載陣の方々からは、杉を通しての生き様がふつふつと伝わってきます。これからも日本の林業が続いていくことを、そしてその営みを支えるスギダラの活動が続いていきますことを心から願い、メンバーへの敬意をこめてお祝いの言葉といたします

   
  ●山口哲男< やまぐち・てつお > 栃木県立宇都宮白楊高校 スギダラ会員No.1442
   
   
   
   
 
 

100号おめでとうございまスギ。

スギダラを通じて、いろんなことを学んできた。それはボクの思考の拠り所になり、血や肉となり、体の芯になった。弱い立場にある杉をなんとか使おうとするコト。そのために皆のパワーを集め、過程で繋がりチームワークになる。まさに地域に必要な連携プレイ。
スギダラ入会が2006年8月だったので、その時すでに月刊『杉』は13号。今から約8年前に、まさか自分が人前で飫肥杉の話をするなど、想像できるはずもなかった。それも飫肥杉製の仮面を付けた自分の姿なんて(笑)。10年・100号を突き抜けて、何かものすごいコトが起きそうな予感。時代や社会もスギダラ側に近づいてきた感じ。そのうち流行語大賞とかになったりして(笑)。杉は素材と言うよりも、繋ぐ「手」のような存在だ。

   
 
   
 
   
     
  ●河野健一< かわの・けんいち > スギダラ飫肥支部・広報宣伝部長日南市役所・飫肥杉課サポートメンバー  
  スギダラ会員 No.0441
   
   
   
   
 
 

スギダラの名前を初めて聞いたのは、熊本県菊池市の古民家の一室でした。確か深夜22時、杉コレ2012の〆切日で、日田市からの一行に促されるまま頭を捻っていました。その後、日田市で広報宣伝部長に出会い「杉を使えば、花粉が減るだろ」と言われて、花粉症だった私は衝撃を受け、家に帰って月刊『杉』を読み、入会を決意しました。
先日、その会員証が届きました。花粉症は治ってないけど、花粉のように反応する人達に出会い、クシャミは出ないけど、涙が出ました。100号、心よりお祝い申し上げます。

   
  ●佐藤忠文< さとう・ただふみ > 菊池養生詩塾 九州大学  スギダラ会員 No.1441
   
   
   
   
 
 

月間『杉』の私の初仕事は若杉さんのすばらしいエッセイ(スギダラな一生)の挿絵でした。
タイトルは『妄想という名の電車』。若杉部長率いる弱小卓球部が一度でも勝ってみたいという妄想から、県大会常連校を負かしてしまうストーリー。少年○ャンプで連載出来そうな内容となっております。そのエッセイの最後には、妄想は行動を伴い、仲間と響き合い、そして現実となり未来につながっていく、と書かれています。(まったくぶれないなぁ)
たくさん妄想し、多くの仲間と杉騒動をおこして、未来を築き上げる。
これからも、スギダラの一員として妄想+行動+仲間=勝利(未来)、のスギダラ方程式を実践していきたいと思います。あと挿絵もがんばります。エヘッ。

   
  ●下妻賢司< しもつま・さとし > パワープレイス株式会社リレーションデザインセンター スギダラ本部
   
   
   
   
 
 

月刊杉100号おめでとうございます。

僕にとって月刊『杉』は、自分と生い立ちと木との繋がりを思い出させてくれた場でした。26号では石田紀佳さんの呼びかけのもと、身近にあった杉道具について書
かせていただき、情けないことにそこで初めて、「木」というフィルターを通して自分の生い立ちを辿っていきましたが、そこには杉で作られた小銭勘定具や、松で作られた素麺箱、祖父母の家の木の床がミシッと鳴る音などなど自分でも驚くほど記憶にあることに驚きました。
自然と人間を良い関係にしてゆくためには、身の回りにある木材とそれを使う人間とがもっと気持ちを繋げなければと思っています。月刊『杉』にはそのことに気付かされる文章や体験がたくさんあります。
これからも何度も読み返していきたいと思います。

   
  ●出水進也< でみず・しんや > ナグモデザイン事務所 、スギダラ会員No.0101
   
   
   
   
 
  「月刊杉111号も祝杯を!」
 

初めてスギダラに出会ったのは、活動7年目の2011年でした。既に日本全国を最大風速で駆け抜け、スギダラケ暴風域に巻き込まれた人の数はつゆ知らず。例外にもれず、私も即日感染致しました。研究室の藤原惠洋先生が、大分県日田市のシンポジウムにスギダラ三兄弟をお招きしたことがきっかけです。感染力は凄まじいもので、感染者には共通点があるようです。発熱は高く冷めやまず、血中濃度が濃くなり安静に出来なくなります。感染した途端体の強力な免疫になり、元気が出るわ、恥を恥と感じなくなるわ、お酒は進むわ、アイデアは出るわ、ダジャレ連発などパフォーマンスが格段上がります。おかげさまで、数々のシンポジウム、天草高浜フィールドワーク、ヨシモトポール納涼祭に参加させていただきました。そして我が家のお店にもスギパーテーションが千代田さんのお力添えで設置されるに至りました。これからもよろしくお願い致します。次はスギらしい111号で祝杯を! おめでとうございました!

   
 
 
フリフリフリフリ♪   アヒルのダンス〜♪
 
 
こんにちは〜♪   元気ですか〜♪
   
  ●國盛麻衣佳< くにもり・まいか > 九州大学芸術工学府藤原惠洋研究室  スギダラ会員 No.1340
   
   
   
   
 
 

スギダラ10年、月刊杉100号は、とにかくスゴイの一言。
ゴルゴ13なら吹き出しに「……」とだけ書かれたまま、眼を細くして身動きせずの状況でしょう(よくわからない)。
井上ひさしはいった。
――むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに。
スギダラはどこかつながる。
――むずかしいことをばかばかしく、ばかばかしいことを意外にふかく、ふかいことを超おもしろく、おもしろいことを時に暑苦しくまじめに、まじめなことを楽しく笑い飛ばし、そして笑い飛ばすときはあくまでも徹底的に大酒呑んで笑う。

さらなる酒量と暑苦しさへ向け、合掌。

   
  ● 小野寺 康(スギデラ)< おのでら・やすし > 小野寺康都市設計事務所・代表  スギダラ会員
   
   
   
   
 
 

60号(2010年8月号)で「月刊『杉』WEB版 5周年に寄せて」のスギダラ会員がメッセージを寄せている。そのメッセージを改めて読むと、100号のお祝いメッセージとしても読めることが興味深い。
その間、世の中では、この先どうなるんだろう、本質が違うよなと思うことが多いなか、4年前のコラムが今の記事として読めること、それは、創刊以来、内田みえさんのまさに名言、月刊『杉』設立趣旨が、ぶれることなく発刊続けてこられているからだと思う。
改めて、その原点には、ふれあい富高小学校の移動式夢空間があると、スギダラのトップページの中心のバナーを見るたびに感じています。それは、ぼくとって、かけがえなのないよりどころです。

   
  ●和田康之< わだ・やすゆき > 日向市  スギダラ会員
   
   
   
   
 
 

世の中には意外な専門誌が多々ありますが、杉雑誌は世界に1冊しかありません。その証拠に、芸術振興でアメリカに公費留学していた高校時代の友人が、舞台美術に杉を使いたいとネットで検索して月刊『杉』にたどり着き、30年ぶりに「もしやあの長町さんでは?」とメールをくれました。これもまた杉の取り持つ縁というものでしょう。
スギダラ発足当初は、ファンクラブのようなもんだと軽く考えていましたが、会員となって杉を意識し、人と会ったり原稿を書いたりする中でわかってきたのは、杉は単なる木ではなく、日本の歴史であり、文化であり、日本人の心であるということでした。山があって人がいて杉がある。杉は日本人の根っこです。月刊『杉』100号万歳! 思い切って紙媒体にしませんか、編集長! 

   
  ●長町 美和子(小町)< ながまち・みわこ > ライター  スギダラ会員 No.0002
   
   
   
   
 
 

月刊「杉」100号お芽出度うございます!
おめでとうって、こんな当て字があるのですね。まさに芽が出たばかり、成長はこれからもっと!と未来を感じますね。
少し長い余談ですが、これからと言えば、もうすぐ夏です。夏に向けて下駄はいかがですか!? 杉コレ2005から世界に羽ばたいた「ashiato」はもうすぐ旬の季節を迎えます! 下駄と言えばお祭りを思い浮かべますが、杉関のヤタイで屋台村的なイベントが出来ないかと、最近企んでいます。
どうも、月刊『杉』と、スギダラ倶楽部の面々が振り撒くスギスキスギ(杉好き過ぎ)感染症は、着実に自分の脳内を蝕んでいっているようです。恐るべき感染症ですが、末期症状であるダジャレトークがまだ苦手なので、なんとか持ちこたえているようです。
今後も月刊『杉』から様々な事柄を学んでゆきたいと思います。いつもありがとうございます!

   
  イタリア・ミラノにある有名なデザインショップ「De Padova」で。世界進出を果たした「ashiato」。
   
  ● 羽原康成< はばら・やすなり > ah主宰、美山木匠塾・塾長 杉コレ2005特別賞<共同受賞>
  スギダラ会員 No.0229
   
   
   
   
 
 

月刊杉100号おめでとうございます。

私はスギダラから、新しい何かが生まれる瞬間や何かと何かがぶつかっていく時のキラキラした感覚を教えて頂きました。
活動から少し離れた今、月刊『杉』は私にとって、それが過去のものではなく生きているものなんだよって教えてくれるお手紙のように感じます。
読んでもいいし、読まなくてもいい手紙。でも、必ずポストの中に届けられている手紙。
机に向かっているといつの間にか窓の外に浮かんでいる月のような存在です。
窓から見える月は遠くプラチナのように美しいけれど、近くで見るとクレーターがあり、暗い宇宙に一定の距離を保ちながらぽっかりと浮かんでいる。
月刊『杉』は、自分が知っているスギダラの現場とは異なる側面を見せる温かな活動なのかもしれないなと思います。
熱い会員の手に支えられる温かな活動。私には、美しいとか居場所とか、そういった活動のど真ん中にあるような気がします。
そういったことを教えてくれた月刊『杉』100号にこの場を借りて心からお礼を言いたいです。
ありがとう。

   
  ● 平島真央< ひらじま・まお > 旧姓崎田  スギダラ会員 No.0223
   
   
   
   
 
 

杉太が我家に来てから丸9年。その間に引越しを3回と結婚を1回した。ずいぶんと長い付合いになってるけど、今も年季が入ってきて貫禄を増した杉太を触ってみたり、ボーッと眺めたりする時間が結構好きだ。
妻が始めて部屋に来た時に「これは?」と杉太に反応。「これはねぇ、お世話になってるデザイナーの人がデザインした家具で、座ってもいいし、何かを置いてもいいしね。サインもしてもらったんだよ」と、2人で寝転んで杉太の下にもぐってサインを見たりした。
先日は義母が初めて部屋にきて「これは?」と杉太に反応。「これはですねぇ、お世話になってるデザイナーの人がデザインした家具で、座ってもいいし、何かを置いてもいいんです」と説明したが、義母からは「平均台にしてもいいしねっ!」と提案があり、大笑いした。
これも杉太が作ってくれる時間だったり、空気だ。ボクにとっての杉太(杉)はそういう存在で、ボクにとってデザインというものもそういう存在かもしれません。スギダラ、月刊『杉』を通して気づくことができました。これからも楽しみにしています

   
  ●北村仁司< きたむら・ひとし > スギダラ会員 No.0120
   
   
   
   
 
 

このたびはスギダラ10年、並びに月刊杉100号おめでとうございます。

それらしい活動はまだこれからですが、何気に遠くの会員の方の活動にわくわくしながら「杉」を拝読しております。代表の南雲さんのお話を聞いてその取り組みを知ったのがきっかけでした。
ここ神々の國島根もスギはたくさんあります。この地でも杉の在り方生き方についていつか語られる日がきたらいいなと思っています。
元気にこれから更に10年も続きますよう願っています。
おめでとうございました!

   
  ●岩崎恵子< いわさき・けいこ > 株式会社バイタルリード  スギダラ会員 No.1416
   
   
   
   
 
 

「10年はひとむぅかしぃ〜、う〜ぅ、蝉のこぉえ〜〜〜、夏休みぃ〜〜〜」
あの頃の井上陽水が甲高い声でシャウトしたように、私たちにとっての10年はひと昔として濾過されながら練金されていくに違いない。
まだ若い頃、私は各地を歩いていた。そして最も長い滞在を遂げたのが中国上海。その挙げ句、1988年に戦後日本人として初めて中国上海の都市形成過程モノグラフ(通史)を著したことがある(藤原惠洋『上海〜疾走する近代都市』講談社現代新書・絶版 初版1988年)。19世紀の半ばから帝国主義の彼岸として加速のかかった都市化を余儀なくされ、半植民都市として宗主国の英国をはじめ清朝中国や帝国日本の野心と懐柔を輻輳させた上海。よくぞこのような世界に冠たる都市の洞察に挑戦したものだ。この間、果たせぬままに私は建築、都市、生活文化、異文化交流と興味のまま突き進み、思索と彷徨、耽溺と沈思、内省と主張、自己と他者、還俗と世俗、といった自然(じねん)と人為の対峙する境界領域をあてどなく彷徨っていたが、ある日、ふとしたことから太平洋を臨む宮崎の講演会で常識や通念を脱臼させるべく、昼間っから焼酎を美味い美味いとがぶ飲みしながら鼎談に及んだスギダラ三兄弟に共振しはじめ、ついにはメンバーの末座に参画したいと思うようになった。ナイーブな私はスギダラ活動なんて後続も後続、後発も後発、ビギナーに杉ないと思いつつも、畏怖すべき彼らのチカラを結集してみたいと妄想が育つようになった。そして情念の天草に強い想いがあり、彼の地に南雲勝志・若杉浩一・千代田健一のスギダラ三兄弟をはじめ、最近では吉田道生・若杉浩一・千代田健一のデザイン三賢人を集めて天草ワークショップなるものを開催、さらなる参加者たちを地域資源再発見フィールドワークと地域再生デザインワークショップのるつぼに誘い込みたい、と至上の喜びを見出した。そしてもちろん今年も開催したいと東奔西走したあげく、長崎や天草で世界遺産候補として話題にのぼる長崎居留地やグラバー邸・大浦天主堂の文化財、あの軍艦島、そして端正な石造港湾の三角西港といった歴史的遺産の構成資産に技を奮った天草石工たちの隠れ里下浦(しもうら)地区を探し出し、そして地元の跡継ぎ世代の石工さんたちに協力を要請しながら、ついに2014年7月25日(金)26日(土)27日(日)の開催に漕ぎ着けた。この執念の源泉はいったいなにか、と問われるなら、ぶっとびデザイナーを抱えるスギダラ仲間達をぜひともかくなる天草へ誘いたいから、と答えるしかない。現代のフリーメーソンとも言えるスギダラ仲間達を、それこそ歴代の日本型フリーメーソンとも言える下浦石工達と対面させ、オランダ坂の敷石砂岩を掘り出した野丁場(のちょうば)を探索したり、対岸の無人島に遊んだり、はたまた石工の作業場を襲いながら、暮らしから衰退しつつある石細工の心地よさやストーングッズを勝手に創案してしまう、なんてぜひぜひ一緒にしてみたかったことである。それが跡継ぎ世代の石工さんたちを奮い立たせ、予想もしないような展開が生まれては来ないだろうか。スギダラが歩いた後に次々と咲き誇るお花畑の夢をこの天草・下浦にももたらしたいと思う。
廃校となった教室の黒板に見つけた「知識は経験に濾過されて知恵となる」の警句は緩やかに私の背を推してくる。
そして私は密かに敷衍しながらこう思う。
「10年の迷いはスギダラに濾過され想いとなる」

   
 
   
 

● 藤原恵洋< ふじはら・けいよう > 建築史家・まちづくりオルガナイザー・工博・九州大学大学院教授
  
天草フィールドワークオルガナイザー  スギダラ会員 No.1249

   
   
   
   
 
 

杉のスの字も知らないも同然だったわたしが、内田さんの依頼でコンフォルトに杉の記事を書いたのをきっかけに、

1.スギボックリの観察日記つけ
2.スギの種子を蒔いて生長を見守って
3.スギボックリの四コマ漫画を描いて、
4.杉桶をつぎつぎと買って(自分用では今5桶あります!)
5.杉丸太をガーデニングに使い、
6.杉の床材を書斎改築の際に選び
7.杉葉でお香をつくり
8.杉を切り口に文学を読むような人になったのは、

ぜーんぶスギダラと月刊『杉』のおかげです。心から感謝いたします。
(宮崎は日南の服部植物研究所公開のキュレーションも杉からでた駒です)
ものごとのすべてに、とくにそれが力のあるものであればあるほどに強く、光と陰があるように、杉にも光と陰があります。
その杉の光と陰を感じることは、人と生き物の関係を知る道のりとなって、いまもわたしはそこを歩いています。
まるで現代の石油製品のように、杉製品が使われた時代があり、これからどうなっていくのだろうか、と思いながら。
今年は、神奈川県の里山に借りている味噌小屋の床を、近隣で育った杉で新しくする予定です。
ちょうどスギダラの10年の一区切りに、わたしも懐かしい次の未来に向かいそうです。
杉の床はいかだのようにまた新しい世界に連れて行ってくれるのでしょう。

スキスキスギボックルの続編も描きたいです。

   
 
 
飫肥杉でつくられたベンチ(さすが舟材だけあって、外に出しっぱなしで10年近く経ったが、へこられない)とその左奥にあるのは9歳の実生杉。   数年前から花粉もとばし、杉ボックリもつけました。
   
  ●石田紀佳(のりすけ)< いしだ・のりか > フリーランスキュレ−タ−  
   
   
   
   
 
 

月間『杉』、第100号の配信、本当におめでとうございます。そしてご苦労様でした。
JR九州も抵抗勢力として日向市駅木造駅舎の建設に猛反対していた態度はどこへやら……。いまや木づかい運動顕彰で農林水産大臣から感謝状をいただくほどに木づかいの企業として社外から認めていただき、さらに社内においてもオフィスに加えて社宅でも木づかいを展開するなど、スギダラの精神が根付いてきたと感じる今日この頃であります。
この間、熱心にご指導・ご支援をいただいた南雲勝志様はじめ、スギダラ会員の皆様に厚くお礼を申し上げる次第であります。
スギダラ会員並びに各組織の益々のご発展を祈念するとともに、今後とも私どももスギダラとともに成長と進化を遂げていけるよう努力を続けることをお誓いいたしまして、第100号配信に当たってのお祝いのコメントとさせていただきます。

   
  ●津高 守< つたか・まもる > 北部九州支部大分分会JR九州班 班長  スギダラ会員 No.877
   
   
   
   
 
 

100号刊行おめでとうございます。私たちとスギダラとの接点は2007年の窓山デザインコンテストでした。コンペで賞をいただいたのはこれが初めてでした。スギダラでは、「おこぜまつり」(窓山再生WSデザイン会議)、「ぐるりん」(杉コレ2008 in都城)、「スギなべ」(杉コレ2009 in日南)の計3つの提案を実現させていただきました。そして、その思い出のほとんどが愉快痛快で温かなスギダラの人々なしに語ることができません。コンペに何度か応募したのも、じつはスギダラの人々と楽しくワイワイできるかも知れない!と思ったのが動機です。今でも月刊『杉』に掲載されているみなさんの活躍が私たちの励みとなっています。

   
  ●平井充 山口紗由< ひらい・みつる / やまぐち・さゆ > 一級建築士事務所Drawing notes 
  スギダラ会員 No.681 682
   
   
   
   
 
 

スギダラ10周年、おめでとうございます。これまで数々のパワーあふれるイベントに参加させていただいたり、時には企て側になって集う場をつくりあげたりと本当に刺激と感動に満ちた経験をさせていただきました。そしてこれまたたくさんの方と出会い、これまでご縁のなかった地域を訪れ知ることができたことで、間違いなく視野がぐっと広がり、大いに影響を受けたと感じています。それもこれもスギダラに出会えたからこそ。ただただ感謝の一言につきます。お陰で自分の住むまちへの愛着も増して、地域のことにもいろいろと首をつっこんでいます。日ごろからスギダラなソウルにつき動かされちゃっているみたいです。

   
  ●溝口陽子(池杉)< みぞぐち・ようこ > 杉の木クラフト  スギダラ会員 No.0087
   
   
   
   
 
  「杉という媚薬」
 

僕は人間の真ん中にあるのは愛だと思う。

アリストテレスの時代から変わらない。
人間は社会的動物だ。ひとりでは生きていけない。
生きていくために、絆をつくり、社会をつくる。
そして人と人の絆を取り持つもの、それが愛なのだ。

人は自ら社会を選んで生まれてくる訳ではない。
生まれたその瞬間から自分を取り巻く社会をつくり始める。
だが皮肉にも、その社会に浸りすぎるといつの間にか
生きていくために欠かせない感覚を忘れてしまう。

スギダラは愛に溢れている。
溢れ杉ている。
きっと皆、
杉という媚薬によって忘れかけていた大切な感覚が覚醒されるのだ。

10年、100号、おめでとうございま杉。
この愛が、何十年、何媚薬年続きますように。
スギダラ、Sugidara。
あ、やっぱり「i」が真ん中にありますね。

   
  ●崎谷浩一郎(砂金谷)< さきたに・こういちろう > eau代表  スギダラ会員 No.0787
   
   
   
   
 
 

100号おめでとうございます!!

スギダラケとの出会いから、早いもので8年が経過しています。
その間に子供が2人も生まれました。ただ今第3子妊娠中です。
さらにプラザ日田では「日田格子」ができたり、「日田屋台MINI」が出来ました!!
スギ活用についての概念を吹っ飛ばしてくれたスギダラケに感謝しております。
今後ともスギスギと杉製品を増殖し続けていきましょう。

   
 
   
  ●緒方万貴< おがた・まき> マルマタ林業  スギダラ会員 No.0127
   
   
   
   
 
 

この間、私の所に杉だらけ倶楽部の、会員証が届きました。
会員番号1588番。新参者です。新参者なのですが、私の周りは既に杉だらけ、ステキだらけになっています。
すぐ近くに、杉だらけ倶楽部を立ち上げた、メンバーがいて、その周り輪が広がって、そこから多くの出会いをもらっています。
それがまた、会う人、会う人、なんか変で可笑しくて、仮面付けてたり踊っていたりと新鮮な出会いです。
たくさんの風と香りを受けています。
100号おめでとうございます。
新参者はここから皆さんと風を作っていきたいと思います。
宜しくお願いします。

   
  ●前田昌利< まえだ・まさとし > パワープレイス株式会社  スギダラ会員 No.1588
   
   
   
   
 
 

ハッピバーすぎ〜10周年&100号おめでとうございます! 

私の初スギダラは、宮崎空港「飫肥杉化」作戦で、南雲さんや若杉さん達が空港ビルの社長とスギ論争されていた頃だから、まだたった4年前。スギ素材生産量23年連続日本一の県で林業に携わる者としては完全な乗り遅れですが、空港の居酒屋で南雲さんに「予算の話はヨサンか!」と一喝され、補助事業とか成果とかじゃなく、ものづくりやら町おこしやら、何か盛り上がってる場面に何故かスギがある、みたいな気負わないスギダラの世界にヤラレました。井上さんや海野さんや飫肥杉仮面さんなど、地元のスギダラな方々を見逃すことなく、これからもヤラレ続けます。

   
 
   
  ●若松茂樹< わかまつ・しげき > 宮崎県環境森林部  スギダラ会員 No.1084
   
   
   
   
 
 

スギダラ10年おめでとうございます。

私は、5年前木づかい運動のイベントで、若杉さんと南雲さんに出会い、スギダラ倶楽部を知りました。
この機会に、皆さんに何で日本全国がスギダラケになったのかを知って欲しく思います。
日本は戦後復興で大量の木を使いました、それともう一つ化石燃料の普及により薪や炭を使わなくなり、昭和30〜40年にかけてハゲ山と雑木林に大量のスギの苗を植えたのです。スギダラケ倶楽部のルーツは、約50年前の国の政策「拡大造林政策」に有るのではないでしょうか。
先人が植えた大量のスギを、うまく利用出来ない現代に、「喝」を入れるのがスギダラケ倶楽部だと思います。

捨てられてしまうスギの間伐材の有効利用を試みる男、間伐材オタクより。

   
  ●渡辺 保< わたなべ・たもつ > 栃木県  スギダラ会員 No.0988
   
   
   
   
 
 

スギダラに関わり始めた時、スギさえ使えば良いと思ってた。
だんだん、人の輪の方が大事なんだと分かってきた。
関わる人たちがどんどん開花して行く様子に、ただ、びびっていた。
この活動には、起爆剤/触媒(本部)としてよりも、迎える主体者として関わりたいと思うようになって、地元天竜に戻った。
人の輪と、関わる人の開花なんて大業にはまだまだ道のりはありますが、仲間がいることーー遠いしちょっとしか顔会わせたことないのに、ど信頼してくれる仲間がいることは大変な励みです。
そのつながりを、フォーマルに伝える媒体、月刊『杉』web。スギダラにしては珍しくフォーマルなので、自由奔放な構成員のとりまとめに編集部は非常に苦労されていることがよく分かります。が、これからもどうぞよろスギお願い致します。

   
  ●袴田彩子< はかまた・さいこ > 天竜支部  
   
   
   
   
 
 

Facebookでスギダラを知って約2年になる。こんなに杉をコヨナク愛する集団がいることを知り嬉しかった。スギダラ10年、月刊杉100号おめでとうございます。
私は杉の木目や独特の香りが好きである。また、風雪に耐え木目が凸凹になった板や柱の表面も味わいがある。私の杉原体験。それは、物心ついたころ、越後八海山麓の母の実家で、杉枯葉が焚き付けで点火する囲炉裏や風呂釜の熱気と煙の香りである。また、小中学校の校舎は杉材であった。中学校では学校林の杉林の下草刈りが一つの思い出。杉は、今でもぬくもりを感じる素材である。
杉の素材の良さを生かし、日常生活空間を、杉を使って創造する集団。新しい価値を生み、提案し続けるスギダラ20年、月刊杉200号に向けたさらなる発展を応援します。

   
  ●小林 誠< こばやし・まこと > 宇都宮市 
   
   
   
   
 
 

月刊『杉』100号、おめでとうございます! スゴスギです!
まだ学生だった20年前の僕は、地場材を使う意味を景観の観点からしか捉えていませんでした。その後、日向市に始まる南雲さんのスギプロジェクトや、スギダラのみなさんの活発な活動によって、地場材の活用には豊かで奥深い世界があることを教えていただきました。地域産業を元気づけられる可能性、手を入れながら使うというモノとの本来のつきあい方、つくり使う過程で生まれる人と人のつながり、そして故郷の誇り。いずれも素晴らしいまちづくり活動だと思います。こうしたことを教えていただいたことにあらためて感謝を申し上げます。そしてこれからも月刊『杉』、楽しみに読ませていただきます!

   
  ●二井昭佳< にい・あきよし > 国士舘大学理工学部まちづくり学系  スギダラ会員 No.1237
   
   
   
   
 
 

月刊杉100号おめでとうございます!

あまり関われておりませんが、僕も糸島の杉で色々作って、日々精進しております! 
これからも月刊杉ならびに杉ダラの益々の発展を祈って、お祝いの言葉に代えさせて頂きます。
いつもありがとうございます。

   
  ●薦田雄一< こもだ・ゆういち > 貴志環境企画室  スギダラ会員 No.1162
   
   
   
   
 
 

月刊『杉』の存在を知ったのは78号からで、杉コレクション2012へ応募するため情報収集をしていたときのことでした。すぐに執筆者の方に共通する熱さと楽しさの虜となり、研究の甲斐あってか、運よく杉コレクションに参加することができました。
宮崎では多くの幸運な出会いがあり、その御縁は地元大阪で、吉野で、東京で、広がり続けているところです。初対面の方とも不思議とすぐに意気投合できるのがスギダラの魅力であり、10年の歴史だと感じています。

最後に私事で恐縮ですが、身近なスギダラ活動として、昨年生まれた長男に樹太郎(じゅたろう)と名づけました。スギダラの皆さんのように熱く、杉のようにまっすぐに、育つことを願います。

   
  ●貴志 泰正< きし・たいせい > 貴志環境企画室  スギダラ会員 No.1506
   
   
   
   
 
 

月刊杉100号、誠におめでとうございます。これまで本当にたくさんのことを教えて頂きました。心から感謝申し上げます。

日本の森林は危ない、国産材をもっと使わないと……とか難しい理屈はそこそこに、まずは面白おかしく、変態老若男女を巻き込んで、スギという木材を使って、とにかく楽しいことをやってみよう!というスギダラの精神を教えて頂いたことが自分にとっての宝です。

まずはフットワーク軽く行動し、分かり易い楽しさを追求し、人を巻き込むこと。それがいつか、大きなウェーブとなり、街を巻き込み、美しいモノになり、文化や経済になる。スギダラの精神は、万事に通じます。

未来のスギダラを目指して、今後もご一緒させてください。

   
  ●川西康之< かわにし・やすゆき > 建築家・ICHIBANSEN / nextstations代表  スギダラ会員 No.1291
   
   
   
   
 
 

「スギダライズム」に触れて

 

まずは「スギダラ10年、月刊杉100号」おめでとうございます!

スギダラの活動に対して思うことはものすごくたくさんあり、本気で書くと(いつか本気でどーんと書きます)収拾がつかなくなりそうなので、今回は軽めのコメントで許してください。

さて、「スギダラ」とはなんなのか?
その地道で奥の深い活動内容は皆の知るところだけど、ひどく凡庸な言い方をすれば、僕はやっぱりひとつの「社会活動」なんだと思う。社会活動というと、ちょっと硬くて大袈裟な感じがするけど、決してそんなことはない。それは、ふと身の回りを見渡した時、「あれ、なんでこうなのかな?」とか、「もう少しこうなればいいな」という"思い"を「しょうがない」にしないこと、そしてそれを皆と共有しようとすることなのだ。

実は、その"思い"は、誰もが意識的にも無意識的にも日常生活の中で抱えているものなのかもしれない。
「スギダラ」の活動は、その"思い"に火をつける。
見ないようにしていたこと、あきらめて、どこか奥の方にしまっていた”思い”を根こそぎ引っ張り出すのだ。これは強烈である。素朴で強い"思い"に利害関係はないので、必然的に長続きする。長続きするというのは、すぐに結果を求めないということでもある。問題はそんなに簡単じゃない。でもやりつづければ、ほんの少しでも改善する。何かが生まれる。それでいいのだ。というか、それがいいのだ。事実、未来に繋がる素晴らしい成果もたくさん生まれている。
ゆえに「スギダラ」の活動に参加して、デザイナーとしてふと思うのは、あれ、この活動って「デザイン」そのものじゃないか!ということだ。もっと熱く言えば、デザインは小手先でなんとかするようなものではなく、生き方そのものであり、どんな場面でどんなことをやっても思想が地続きでないとだめなのだ。
この"気づき"そのもの、射程の深さを「スギダライズム」とするなら、それは、僕のようなフリーランスのデザイナーにも希望と自信を与えてくれた。

さて…、結局軽めのコメントではなくなってしまった。スギダラに関わるといつもそうだ。ちょっと軽く呑もう!と言って、つい深酒してしまうのに似ている。
そう、「スギダライズム」はやめられないのだ。

追記
「スギダライズム」から、どんどん新しい家具達が生まれています。ゆっくりと確実に続けていきたいと思います。

   
 
  ao(アオ)シリーズ、2014/内田洋行、デザイン/藤森泰司。学校/教育施設やオフィスに向けて、新たな国産材(杉、ヒノキ)活用のあり方を目指した家具シリーズ。
   
 
 
  地域協業型製品シリーズ(学童机、学童椅子他)、2014/内田洋行、デザイン/藤森泰司。フレームはメーカー(内田洋行)、木部は地元で製作する学童家具シリーズ。
   
  ●藤森泰司< ふじもり・たいじ > 家具デザイナー  スギダラ会員 No.700
   
   
   
   
 
  「めくるめくスギダラ」
 

入社して8年目。
内田洋行、というよりはスギダラに運命を感じて入社した私。
スギダラが始まって10年ほどというので、学生のころから知っていたということは、かなり初めの方から知っていたことになる。
当時はずっと前から活動している団体かと思っていた。
日本の林業の問題が、こんなに最近になるまで問題視されてこなかったということかもしれない。

初めはイベントに誘われてお手伝いをしていた。
なんだか気になるので、ずっと参加してきた。
何もしていないがいつもいる、私はそんな存在だったと思う。
でも長く続けることって、本当に不思議だ。

だんだん、知り合いが増え、巡り巡って同じ人に再会したりしているうちに、仕事として関わることになったりして、なぜか自分に帰ってき始めた。

自分がやる番がきた。

期待と不安と色々なものが入り交じりながら、多くの人に助けられ、初めて木の空間を作ることに携わることが出来た。
それが6月1日オープンの南雲さんがデザインされた新しい図書館、南魚沼市図書館である。
本当に素敵な空間で、地元にこんな施設が出来た市民の方を心からうらやましく思う。
それに関わることが出来た自分も、本当に良かったなと思う。

なんとなく関わることも肯定的に捉えられる、不思議な団体がスギダラのすごいところなのではないか?
巡り巡って、めくるめくものになる。
皆さん、とりあえずなんとなく関わってみてください。

   
 
 

新潟県南魚沼市。

 
  6月1日にオープンする、南魚沼市図書館。地元の杉をふんだんに使っている。
   
  ●< いまい・あかね >日本全国スギダラケ倶楽部 東京本部事務局
   
   
   
   
 
 

スギダラ結成10年、そして月刊杉100号と大きな節目を迎えますこと、心よりお祝い申し上げます。

私がスギダラの活動に参加したのは2014年のスギダラ全国大会 in 吉野です。それまでメンバーになってはいたものの……。鹿沼で木工に携わっておりますが、基本的に地元中心の仕事内容です。木工業界を取り巻く環境は厳しさを増し、問題意識はあるものの行動が伴わないのが現状です。スギダラの活動は地域や業種、時には海を越え、大きなムーブメントを起こす力と、新たな価値を見出す、発見することができる貴重な団体だと感じています。

メンバーとしての活動は無いに等しいですが、たった一度の全国大会参加はスギダラの力を十分に感じるものでした。今後の活動に積極的に参加させていただき、学び伝えたいと思います。

   
  ●大貫 英和< おおぬき・ひでかず > 鹿沼のすごい木工プロジェクト  スギダラ会員 No.1597
   
   
   
   
 
 

月刊『杉』100号発刊、まことにおめでとうございます。

新緑のこの季節、久住の電気のない檜林の山小屋で数日過ごしました。まわりは、田植えが始まり、新緑まぶしい季節。まわりで採れた山菜の恵をいただき、夜は星空と月が美しい貴重な数日間。心身がゆったりとし、自然の現実や厳しさも感じながら、自然からの豊かなエネルギーをいただいて、また日常の慌ただしい生活へと。

わたしにとって、月刊『杉』は、そのような場に近いです。毎回訪れるたびに、出会ったモノ、ヒトらにエネルギーをいただき、大切なコトを感じる回帰する場。時が経っても、月刊「杉」には変わらない大切なコトや原点がちりばめられていて、故郷にある忘れモノを取り戻していくような。そして、いつの日か今ある場や地域で、原石が磨かれてタカラモノに育っていく木がしてしまう月刊『杉』!

私個人的なところでは、宮崎にいた時期(2013年から福岡在住)、宮崎支部広報宣伝担当で活動ブログ「南のスギダラ」を7年ほど担当させていただき、やはり夜中に作業でしたが、楽しい活動内容だけに全然苦にならずにアップしていたところ、途中から月刊『杉』目次に「今月の各地のスギダラ」が、各支部地域のリンクもできて、さらに地域の広報宣伝の活力をいただいたことを覚えています。

自分の本業がある中、多くの時間を月刊『杉』発刊のために割いて下さっている編集者内田さん、南雲さん、編集部員の堂元さん、倉内さん、執筆者のみなさま、ありがとうございます。これからも、月刊『杉』楽しみにしております。 

   
  ●吉武 春美< よしたけ・はるみ > スギダラ会員
   
   
   
   
 
 

自分のデイパックに会員証がついています。
数年前、駅のエスカレーターで見知らぬ中年男性に声をかけられました。
「この日本全国スギダラってなんですか?」
きっと、この方は疲れ切っている気持ちをスギに癒してもらいたいのだな、と勝手に想像してスギダラの説明をしました。

小学生の理科の授業でもスギダラを熱く語りました。
数名の女子が会員になったそうです。

大学のエレベーターで女子大生から
「このスギダラって何ですか? なんか分からないけど名前が素敵!」
この日は疲れていたので布教活動?はしませんでした。

もう字がかすれて見えなくなった会員証ですが、今日もデイパックで良い響きの音を発しています。

   
  ●柳原高文< やなぎはら・たかふみ > スギダラ会員 No.0344
   
   
   
   
 
 

月刊『杉』web100号おめでとうございます!

10年前に地元で行った「水面の盆」に北部九州支部長+広報部長が参加してくれたことがきっかけで知ったスギダラ。あれから、スギスギと縁がつながりどんどん輪が広がりました。 千代田さんデザインの日田屋形屋台+屋形屋台MINIも活躍しています。地道に普及活動を進めて行きたいと思います。 大分県でもスギダラ盛り上げるぞぉ!(大分分会のみなさん 宜しくお願いしますね)

   
 

●タカクラ タカコ< たかくら・たかこ >まちづくり交流機構日田ラボ、日田ソーシャルビジネス研究会技術
  市場交流プラザ日田 スギダラ会員No.1248

   
   
   
   
 
 

月刊杉100号おめでとうございます。

全国各地の皆さまの長年にわたる活動の継続に対し、杉産地の首長として心から敬意を表します。また、本市の財産であります飫肥杉を媒介に、日南市のたくさんの方々と繋がっていただき、ありがとうございます。本市でも、まちづくりのシーンで積極的に飫肥杉を活用し、日南にちなんだまちづくりを進めていきますので、これからもよろしくお願いいたします。

   
 
   
  これらの写真は、最近、中心市街地活性化事業の一つ、第一弾として油津商店街でオープンしました店舗です。飫肥杉が積極的に使われています。  
   
 

●崎田恭平< さきた・きょうへい >日南市長

   
   
   
   
 
 

月刊杉100号、おめでとうございます!

思い返すと、2005年11月に吉野に戻り、家業である吉野中央木材に入社、その3ヶ月後、月刊杉7号(2006年1月)から「吉野杉をハラオシしよう!」の連載をスタートしました。まさに、僕の木材人生は月刊杉とともに歩んできました。読み返すと、月刊杉がたくさんのご縁を繋いでくれたことが分かります。本当にありがとうございます!

   
  ●石橋輝一< いしばし・てるいち > 吉野杉・吉野桧の製造加工販売「吉野中央木材」3代目(いちおう専務)
   
   
   
   
 
 

あの日、最初の吉野ツアーから早10年……あっという間であり、いろいろとアリ杉たスギダラ10年、月間杉100号ですね。
おめでとうございます!  本当にスゴイことだと思います。
そして、ここまで支えてくださった執筆者、編集、スギダラの皆さま、まずは、お疲れ様でした!
この10年、100号を振り返るとこんなにも濃くて暑苦しい時間の大きさや出会った皆さんの存在がとても大切な財産になっていることに感謝しています。
相変わらず宮崎や九州がフィールドになっている私ですが、特に最近気づいたことがあります。街なかに杉(木)が溢れるようになっていませんか?
10年前には、ごくごく普通だった街並みが改装され、杉(木)が身近な存在になってきたのは、地方都市だけではないような気がしています。
あの頃、皆で夢想していた「懐かしい未来」が、少しずつ変態化し、「身近な未来」「心地良い未来」へと繋がっていることを実感しています……。
さぁ、その杉(次)のステージへ進みましょうか!!

   
  ●辻 喜彦< つじ・よしひこ > 合同会社アトリエT-Plus 建築・地域計画工房代表、スギダラ会員No,0048
   
   
   
   
 
 

「スギダラ」とぼく

  生まれた時から杉になんの縁もなく育った僕は、杉について何も知らずに内田洋行に入社し、そこから怒涛のスギダラ地獄が始まった。
筋肉痛必至の杉角材運び、粉まみれのサンダー掛け、数時間におよぶ床に這いつくばっての杉磨き。何のために一部上場企業に入ったのかわからなくなったが、終わった後のビールはとてもうまかった。肉体労働の後のビールのうまさを教えてくれたのはスギダラだった。
スギダラの人たちと飲んでいて楽しいのは、もしかしたらみんな肉体労働者だからかもしれない。自分で汗をかいて自分の体を張って仕事している人たちは、その仕事をみんなでわかちあって飲むときの酒のうまさを知っているのだろう。
僕も早くそんな立派なスギダラメンバーになりたいと思う。
100号おめでとうございます。
   
  ●近藤 怜< こんどう・さとる > 日本全国スギダラケ倶楽部 東京本部事務局
   
   
   
   
 
 

スギダラ会員が1650人を超えた。人が人をよび、企業や行政が手をあげ、地域と地域が繋がってきた。
なんだろうこのカオスな集合体は。ルールや義務はない、明らかに他の組織とは違う。
スギダラは変態が多い。自分の時間と私財を人や社会の為につぎ込む人間を指すのだが、これはスギダラの魂だと思う。しかし変態は今の効率化経済社会では理解されず、組織の中では大概煙たがられ、厄介者扱いされ、表舞台には出られない。
そんな人が一杯いて、スギダラが希望や道を見せられるんじゃないかと思った時があった。
その人達の勇気や力になれたらすごい事になる。きっと社会を変える。だから様々な人種が関われる集まりが重要だ。
スギダラはカオスで良い。これから出会う人達と共に歩むために、

   
 
   
  ●燻R康秀< たかやま・やすひで > 日本全国スギダラケ倶楽部 東京本部事務局
   
   
   
   
 
 

今考えると、生きてきた1/3がスギダラに影響を受けた人生だ。
大学生の頃、若杉さんに出会って衝撃を受けた。この人の元で働きたいと猛烈に思った。内田洋行に興味は無かった。だから落ちた。学部で落ち、大学院でも落ちた。あぁ、この人の元では働けないんだな……。と思ったある日、若杉さんから電話があった。「見てやるから来い!」
そうして入社と同時にスギダラ本部の部員となった。
スギダラケの体制は抜けが多い。いわばスキだらけ。しかしそのスキがあるからこそ、みんなで埋めていける。アメーバの様に広がってさまざまなヨコの繋がりをつくれる。
そんな繋がりが僕をここまで導いてくれたし。

これからもスギダラと共にオモロい人生を送れそうだ。

   
 
   
  ●倉内慎介< くらうち・しんすけ >日本全国スギダラケ倶楽部 東京本部事務局 月刊『杉』編集部
   
   
   
   
 
 

「50年前、100年前の先人が植えた杉を手入れし、材にする。
 50年後、100年後の未来を思って杉を植え、手入れをする」

スギダラツアーに参加した際、山守の方が語った言葉。素晴らしく手入れされた山の中で、山もスギダラの活動も根本では同じだな、と 直感で理解することができました。

杉をきっかけに始まったこの活動、若杉さんの言う「杉というソウル」をもう一度見直し、先人の残してくれた思い、伝統、誇りを引き継ぎながら、現在の社会に投げかけ、豊かな未来へと繋げていこうとする。
月刊『杉』がその軌跡となることを願います。

毎月原稿を書いてくださる連載陣のみなさまスギダラ各支部のみなさま、読者のみなさまに感謝して。

   
  ●波多野 洋子< はたの・ひろこ > 月刊『杉』編集部/4月に長男を出産し、現在育休中
   
   
   
   
 
 

最初は冗談だった。ノリだった。こんな事になるとは想像だにしなかった。
あったのは、ひらめきと、そうあって欲しいという希望。
お金はないし、人もいない、たった二人の共振から始まった。
しかしその始まりが、少しづつ形になることで、心が躍った。
そして、何かの確信を掴むために色々な人を訪ねた。
ぼんやりしたモノが心の中で形になった。
形は、仲間との更なる共振を呼ぶ。
そして、僕らのボンヤリした共振の本質が、月刊杉でヘタクソな文章を書き続けることによって、自分の中で、また形になっていった。
最近、スギダラの集まりはこのような本質をどこかに持っていた人達の集まりだったのだと思う。
だから、始めて会った気がしなかった。
どこかで会ったような気がした。ずっと昔に。
デザインや形が懐かしいのではない、ずっと昔から仕込まれた何者かに対する思い。
そんなものが共振している。
もっと、もっと思えば杉と人の間に仕込まれた何かと、僕らが共振しているのかもしれない。
魂が、振るえて良かった。
出会えてよかった。
毎日が豊かになった。
心が晴れた。自分の言葉が出るようになった。
殻を脱いで、自然に振る舞えるようになった。
これから、何が起こるか?
何が始まりで、何が終わりかどうかも解らない。
いつが終わりかも解らない。
そんなことはどうでもいい。
ままでいい、ままで。

   
  ● 若杉浩一< わかすぎ・こういち >日本全国スギダラケ倶楽部 デザイン部長
   
   
   
   
 
 

自分が高校生や大学生だった頃、「大人の考えはもう古い、これからは新しい時代がやってくる。今までの閉鎖的な考えに捕らわれず、新しい意識で未来に向かっていこう。」などと思っていたものだ。それは若者らしく決しておかしかったとは思わないが、そうやって30年経ち、僕らは何を見いだしたか。昔大人達がやってきたことは間違いだったか。では今の正しさとは何か?

歴史は繰り返す。今の若者達に僕らは何を伝えられるか? いやそれ以前にどう写っているのか? そんな客観的な気持ちを月間杉は思い出させてくれる。

おめでとう! 通算100号。これからも忘れかけた大切な事を思い起こさせ、記憶に残るサイトとして継続していって欲しい。

   
 
   
  ● 南雲勝志< なぐも・かつし >ナグモデザイン事務所/日本全国スギダラケ倶楽部 代表/月刊『杉』編集部
   
   
   
   
 
 

もう9年。スギてしまえばあっという間だけど、月刊『杉』のこの9年という歳月はやはりものすごいエネルギーの塊だと、寄せられたコメントを読んで実感した。杉に関わる人々の熱く重い思いの表れそのものなのだ。その思いに触れれば触れるほど、もっともっと月刊『杉』にやれることがあるのではないかと思えてきた。
まだ9年。きっと、まだまだやるべきことがある。杉を通じて、杉を超えて、人と人がつながっていく場として、この月刊『杉』が在ることを望みたい。

   
  ●内田みえ< うちだ・みえ >編集者、月刊『杉』編集部、スギダラ会員No.0001
   
   
   
   
 
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