特集 第三回スギダラ全国大会 in 吉野
  ヨシノトボク
文•写真/ 狩野 新
   
 
  スギコレ〜スギダラ、そして吉野の人たちとの出会い
   
 
   
  ◯はじまりは1993年夏
   
  大学を卒業して仕事も見つからずプラプラしていた頃、先輩に連れられて来たのが、1993年に奈良県下市町観光文化センターで開催された「住まい森林環境保全」シンポジウム。当時、木には興味がなく、パネラーの建築家磯崎新さん目当てでした。今思うと、吉野と関わる運命の出来事だったのかもしれません。
   
 
   
  ◯無謀にも独立
   
  大学を出ていくつかの設計事務所で働いた後、自分で建築設計事務所を始めました。
仕事はほとんどなく、親戚が住む住宅のリフォームであったり、親父の設計事務所の手伝いをしていました。独立する少し前にベルリンで知り合った家具職人の影響で、建築の設計と同時に家具も作りはじめました。でも甘くはなかったですね。後に出てくる日向市駅ベンチが設置されるまでは、本業のみで生計をたてることは難しく、大阪空港で飛行機の掃除や家電量販店でパソコンの修理等のアルバイトをすることもありました。
   
 
   
  ◯はじめての吉野杉
   
  12年くらい前、実家のリフォームではじめて吉野杉を使いました。ネットで家内が偶然見つけたのが、あの吉野中央木材さん。なんだか感覚的に良さそうな気がして、購入することになりました。はじめての吉野杉の印象は暖かく裸足で歩くとこんなに気持ちがよいものだと、足をすりすりさせた記憶があります。
   
 
   
  ◯運命の出会いスギコレ
   
 

2004年、今から 10年前のことですが、日向木の芽会の方から、突然メールが届きました。
新しくオープンするJR日向市駅で杉を使ったステーションファニチャーのコンペがあるので参加されませんか?という内容でした。これが、第一回目のスギコレクション(以下、スギコレ)となるわけです。
見ず知らず、しかも主宰者側からの依頼というのも初めて、それで審査委員長があの内藤廣さんでしたから、正直、半信半疑でした。せっかくだから応募してみようと思い、図面を作り送ってみたところ、
なんとか書類選考に合格することができました。当時のスギコレは現物審査だったので、吉野中央木材さんに製材を依頼して、加工と組み立てを自分で行いました。

完成して、自分の車に作品を詰め込み、兵庫県宝塚市から宮崎県日向市まで向かった道中のドキドキ感は今でもしっかりと覚えています。本選の結果、グランプリをいただいた訳ですが、嬉しさより駅に設置されることの責任の重さの方が大きかったです。

   
 
   
  ◯スギダラってなんだ
   
  本選が終わり懇親会で僕のスギダラ人生がはじまりました。
当時の僕は自分でデザインしたものをなんとか商品化して、たくさんの人に使ってもらいたいという夢がありました。それで、南雲さんをつかまえて、「自分で考えたモノを商品化するにはどうしたらいいですか?」ってお聞きしたら、「sugidara.jpにアクセスしたらいいよ」って、紙に書いて渡してくれました。ページを覗いてみると、名前のどこかに杉が入るニックネームで書き込みがあり、ん、杉若丸!だれ!? 杉王って・・・。えっ、この団体は一体何なんだ?と思いました。
ま、なんだ、かよく解らないけど、いろいろな人達とつながりも出来るだろうし、そんな軽い気持ちでスギダラケ倶楽部に入会しました。
   
 
   
  ◯あたたかい吉野の人たち
   
  その後、吉野中央木材のYさんにスギダラケ倶楽部の話をしました。Yさんが会員になったのをきっかけにして、またたくまに吉野ツアーをやろうという話で盛り上がりました。僕は吉野ツアーの企画のために幾度と無く吉野へ通いました。吉野の印象といえば、人々がとってもあたたかい。
僕はどちらかと言えば、コミュニーケーションが苦手で、家具を作るにしてもデザインをするにしても、一人でじっとこもって黙々と作業をするタイプだったのですが、そのような吉野の人たちの人柄に助けられ、僕の性格が少し変わってきたように思います。
   
 
   
 

◯はじめての吉野ツアーそして月刊杉

   
  2005年3月。記念すべき、吉野ツアーが開催されました。
人数も少なく、乗用車3台くらいで、吉野の製材所や樽丸屋さんそして樹齢200年の杉を見て回りました。その日の夜中に月刊杉の話題が持ち上がったのをはっきりと覚えています。杉だけをテーマに毎月毎月更新されている訳ですから本当にすごいことだと思います。このまま続けばギネスブックに載りそうですね。
   
 
   
  ◯吉野のセンター石橋輝一
   
  吉野ツアーをきっかけにスギダラケ倶楽部関西支部(支部というより集まり)なるものがスタートするわけですが、最初はわずか数人でした。これでは盛り上がらないなあと思っていたところ、吉野中央木材の石橋さんがスギダラケ倶楽部に加入してくれました。
その後、みるみるうちに関西に活気があふれてきたように思います。彼の人柄なのでしょうか。不思議な求心力があり新しいメンバーがどんどん増えました。今でも吉野のセンターは石橋さんだと思っています。
   
 
   
  ◯吉野材ってすごいんです
   
  仕事柄いろいろな地域の木を使ってきました。正直、山のことはよくわかりません。ただ、製材された状態で比べると、吉野材って本当にすごい。自分の場合、ほぼ家具に使うのですが、出来上がった製材品がそのまま組み立てて使える。精度も素晴らしい。おそらく、僕が家具に使う量なんてしれたものです。
まじめにやればやるほど吉野の人たちは儲けが出ないかもしれません。でも、そこを絶対に手を抜かない。そこが素晴らしいところだと思います。
   
 
   
  ◯最後に吉野に対する想いとこれからの自分
   
 

製材された木材の品質において吉野材は世界一だと勝手に思っています。そして、吉野のもう一つの財産はまじめで情熱的な人たち。この二つがあるから吉野は素晴らしい。
最近、特にコストダウンと大量生産以外の価値を見出すことが大切だと思うのですが、そのように考えるようになったのも吉野での体験が大きいと思います。少しお金をかけてでも、そのモノに対する歴史であったり、それにまつわる人であったり・・・。僕も何か、そういうものを感じたいし、そのようなモノを作りたいです。
スギダラケ倶楽部をきっかけに吉野の人たちと出会い、様々な事を学びました。40半ばにして、やっとスタートがきれそうです。自分の夢であった、沢山の人に使っていただけるモノをデザインすること。少しずつですが実現しそうです。
感謝の気持ちを忘れずに明日も頑張るぞー

   
   
   
   
  ●<かのう・しん> <かのう しん> 家具デザイナー
狩野新アトリエ代表。兵庫県宝塚 市生まれ。
自分でも作る木工家具デザイナー。
特技はピアノ、料理、魚釣り。
facebook: https://www.facebook.com/shinkano829        
facebookページ:  https://www.facebook.com/AtelierShinKano
カノシンの家具デザイン奮闘記: http://kagupara.cocolog-nifty.com/blog/
   
 
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