連載
  私の原体験/第12回 「音と感性」
文 / 南雲勝志
   
 
 

子供の時の一日を思い返してみる。

朝起きると鶏が「コケコッコー」と鳴く。どっちが早いか忘れたが、牛がモ〜と鳴き、山羊が「メ〜メ〜」と鳴く。囲炉裏に行くと「パキパキ」という小枝が燃える音、「ヒュー」というヤカンのお湯が沸騰する音が聞こえ、台所に行くと竈でご飯を炊く釜の「ブスブス」という音といい匂い。
ラジオで一丁目一番地を聞きながら食事をしていると、「ワイワイガヤガヤ」という子供達が学校に行く声が聞こえ、慌てて家を出て行く。

学校帰りぶらぶら道草しながら帰ると、ものづくりの音が聞こえてくる。近所の大工さんは良く覗いた。ノミやカンナの音を聞きながら、その技術と共にある種のあこがれ抱いたものだ。鍛冶屋の音は「カン、カン」とかん高い。テーラーは静かにミシンを踏む「キシキシ」という音。そして時々山の方から「バーン」という狩人の鉄砲を撃つ音が聞こえる。それぞれの作るモノや技術によって様々な音、そして作る人の性格も違ってくるんだなあ、などと感心したものだ。辺りが静かだからこそ遠くのそんな音も聞こえ、好奇心でその音の正体を聞きに行ったものである。
辺りが夕焼けに包まれる頃、カラスが鳴きだす。そして五時になると彼方此方のお寺から聞こえてくる「ゴ〜〜〜〜ン」という鐘の音を聞きながら家に帰る。

自然界では雨、雪、風。よく「シンシン」と雪が降るというが、擬音ではなく、本当に音がするのである。葉っぱのそよぐ音、せせらぎや水の音。小川をせき止めて用水に分岐するところをドンドンと呼んでいたが、その名の通り、ほんとに「ドンドン」という水の音がした。そうやって音によって時間の感覚や人や動物の状況や危険の度合い、また季節感まで察知していたのである。そんな中で人間の作る技術の固まり、耕運機や自動車のエンジンの音はけたたましく、胸を締め付けられるほどドキドキしたものでる。

芭蕉の有名な句、「古池や 蛙 飛び込む 水の音」から想像するのは静寂の中で不意に蛙がポチャンと飛び込む…一瞬はっとするが、また何事もなかったように元の静寂にもどる。そんな感動も静寂がなければ感じられない。そう耳を澄ませば、音を聞くだけではなく外界の状況を感知し、それに肉体が対応して行くのである。今都会では殆ど縁が無いが、本当の静寂は極めて怖い。状況や、距離感がさっぱり解らなくなる。高校山岳部でビバーク訓練があった。深い山奥でテントを使わず他人と離れ、一人寝袋で地面に触接寝るのである。無音、真っ暗。葉っぱが落ちた音だけで恐怖に陥りる。ガサガサという音に熊だと思い飛び起きると、誰かが小用を足していたのだった。

現在、家も職場もテレビや音楽が流れ、まち中は車や電車の音を始め、殆ど音がつきることはない。五感のうち聴覚や嗅覚は気配や状態を知る上で特に重要な感覚である。しかし段々と日常の音が大きくなり、色々な音が混在し、鈍感になってくる。自然界に対応した動物的な聴覚や臭覚を意識して磨くこと、それは個性や感性を高める上で欠かせない。

 
 
参考までに最近音の大きさが気になり、この数週間、デシベル計でチェックしてみた。
飛行機の離陸:100db以上 
電車の車内:60~70db
音楽の流れた事務所:50dB 
深夜の自宅:40dB 
ちなみに計測は出来なかったが。
木の葉のふれあう音・呼吸する音:20dB 
聴こえる事の出来る限界:10dB

   
   
   
  ● <なぐも・かつし>  デザイナー
ナグモデザイン事務所代表。新潟県六日町生まれ。
家具や景観プロダクトを中心に活動。最近はひとやまちづくりを通したデザインに奮闘。
著書『デザイン図鑑+ナグモノガタリ』(ラトルズ)など。 日本全国スギダラケ倶楽部 本部
facebook:https://www.facebook.com/katsushi.nagumo
エンジニアアーキテクト協会 会員
月刊杉web単行本『かみざき物語り』(共著):http://m-sugi.com/books/books_kamizaki.htm
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