隔月連載
  スギダラのほとり/第8回 「デザイン本出します」
文/写真 小野寺 康
   
 
 
 

締め切りを守るのが自分のモットーなのですが、スギダラのほとり、今回は今まで以上に苦しかった。
言い訳になりますが、ただいまデザイン本を執筆中で、現在初校の直しに追われているところなのでした。 今回は、そのことを書きます。

スギダラ以外にも、自分はエンジニア・アーキテクト協会(以後「EA協会」)に所属していて、じつは事務局長なるものを粛々とやっている。「エンジニア・アーキテクトengineer architect」とは、総合的なまちづくりや公共空間デザインの領域における専門家として、エンジニアリング(技術)をベースとするアーキテクト(統合家・意匠家)という意味である。公共空間というか土木専門のアトリエ(小規模設計事務所)を中心に活動の主軸としてネットワークをつくろうということで、仲間を募って2010年12月に、EA協会は結成された(会長は東大名誉教授・篠原修)。

協会活動として、まずは情報発信をすべきだということで、ホームページを立ち上げた。
見ていただければわかるが、スギダラメンバーも少なからず所属している。
また、HP自体が雑誌のような体裁になっていて、様々な記事が連載されている。バックナンバーも見られるようになっているが、その中に、『土木デザインノート』シリーズの第一弾『小野寺康のパブリックスペース設計ノート』がある。2011年4月から2012年7月まで連載された。

連載が終わった際に、それを出版しようということにした。
ただし、写真や図版を主体に構成を整え直し、文章も大幅に改稿した。ほぼ書き直しといっていい。書き直したのには理由がある。
『土木デザインノート』の企画は、現役のデザイナーによる土木デザイン、とくに公共空間(パブリックスペース)デザインの実践的なテキストを編纂する、というのが主旨でスタートした。しかし、その連載のタイミングが、あの東日本大震災と重なったために、自分の中の全てのパラダイムがシフトしてしまったのだ。

――今さらいうまでもないが、とにかく未曾有の事態であった。
都心は被害が少なかったとはいえ、ペンシルビルの最上階に構えていたうちの設計事務所は、本棚やキャビネットなどがすべて倒壊しひどい有様だった。電話やメールといった連絡網や交通も遮断され、都心で働く多くの人たちが夜通し歩いて家路に向かったその日、スタッフの誰も怪我がなかったことを祝って近所の中華料理店で夕食を取ったのだが、そこで見たテレビの映像で初めて東北の惨状を知った。
信じられなかった。初めはCGか何かかと思ったくらいだ。あまりにも悲惨なものを見ると、人間は一瞬思考回路を遮断してしまうらしい。驚き以外の何の感情もわかず茫然と画面を眺めていた。
その後しばらく都内も混乱を引きずっていたが、小康状態に戻ったのは案外早かったと思う。しかし、その後すぐ福島原発の事故が判明し、再び混乱に拍車がかかった。そんな時期にこの連載のスタートが重なったのだ。
とてもではないが、この大事に賑わいだの景観だのといった一般的なデザインの設計論など書いていいのかと動揺し、実際、企画自体を取りやめようかと思いつつも当時はそんな議論をする余地すらなく、むしろ技術者は何であれ今できることをすべきだという意見もあって、企画は継続したまま初回の連載締め切りが刻々と近付いてきた。
震災前に用意していた原稿なぞ、そんな心情ではとても出せない。この時ばかりは自分自身の底の浅さに愕然とした。とにかく書き直しを自らに課し、動揺を抱えたまま、初回と第2回は何とか書つづったのだが、自分でも論旨が分かりにくく、また当たり障りのない、どこにでもあるデザイン論の書きぶりに終わってしまったと落ち込む始末だった。
こんなことではプロフェッショナルを名乗る資格がない。今はともかく、自分にできることを精いっぱいやるべきだと開き直り、初心に帰って、これまでの経験から自分自身のデザイン論をいわば赤裸々に、己を鞭打ってさらけ出して書こうと決めたのが、連載3回目あたりからだ。
その一方で、技術者としては幸運なことに、日常の設計業務で岩手県大槌町の震災復興事業に関わる機会を得た。震災復興など経験したこともない自分たちに何ができるのか、戸惑いながら始まった業務だったが、意外にもその中で、今まで培ってきたまちづくりや住民参加のノウハウ、都市設計的な感性が決して無意味でなく、むしろ有用なものだということに気付かされるようになった。
そんな気分が連載に反映してきたのが4回目くらいからだったろうか。その後は書きに書きまくり、そしてそのままエスカレートしていった。

そもそも、設計やデザインのマニュアルやガイドブックは、これまでも数多く出版されているが、自分は読めばわかる、すぐに設計に役立つ、というものは最初から書けないと思っていたし、自分でも興味がないから書く気もなかった。計画・デザインという行為は、デザイナーが百人いれば百通りにもなるのであって、デザイン論を語るといっても、結局は一人の人間の思考に帰着するという側面が否めない。この考えは、書き終わった今でも変わらない。
ある都市設計家が、リアルな現場を目の前にして、解答を出そうともがいてきたプロセスがある。自らの独断と偏見に直面しながら、それでも目指す土地に基盤となる価値を届けたいという想いの中で、思考を積み重ねてきた。その実際は、決して論理的でなく様々に思念が飛び交う、そんな思考の連鎖のただなかにいつもいる。ならば、その中に直接読者を放り込む方が最も誠実ではないか、そういう主旨だったのだが、結果として論旨がくるくると変わり、事例も古今東西にあちこち飛ぶような書きぶりとなってしまった。これは読者を置いてきぼりにしてしまったかと、途中で気づいた時にはもはや遅い。立て直す余力もなく、結局そのまま押し通してしまった。書き終えてからそれが反省として残った。
連載が全て終わり、EA協会の篠原会長の勧めもあって、出版することを決めたのも、この中途半端な状況に決着をつけるチャンスになるという思いがあったからだ。

出版に際して決めたことは、とにかく分かりやすいこと。
そこで、内容のクォリティを落とさずにそれを実現するため、写真や図を中心にした内容にシフトすることにした。
日本を含め世界中の魅力的なにぎわい空間を視覚的に紹介しながら、にぎわいを創るための要素がどんなところにあるのか、どうすれば魅力的な空間が生まれるのかを、プロの都市設計家としての視点で考察するという形にまとめ直す――そうして構成と文体を大きく変えたのだ。というより、最初に言ったとおり、書き直したに等しい。実際とりまとめにほぼ一年半を要してしまった。

本はもうすぐ書きあがる。
震災復興はまだ途上だが、振り返ると執筆が常にその事業と重なったのも、自分では何か意味があると思いたい。この本には、僅かでも社会の役に立ちたいという願いと、都市設計家としてこれまで研鑽してきた技術や知識を一度すべて検証し再構築したいという思いが込められている。

9月に彰国社から出ます。
どうぞよろしく。
タイトルはまだ仮だからお伝えできません。あしからず。
たぶん、「広場」の本になると思います。

   
   
   
   
  ●<おのでら・やすし> 都市設計家
小野寺康都市設計事務所 代表 http://www.onodera.co.jp/
月刊杉web単行本『油津(あぶらつ)木橋記』 http://www.m-sugi.com/books/books_ono.htm
   
 
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