隔月連載
  スギダラな人生・ここでしか言えない 『流通編』
文/ 山口好則
   
 
  『序』
   
   文章を書くと言う事は実に楽しくもあり厄介なものです。
2度目の登場となります、スギダラ天竜支部長の「シブチョー」こと山口です。

8年前に天竜支部長に自立立候補(汗)した後もなんの役目も果たさず天竜支部広報の「キャッシー」に全てを委ね地下に潜り「杉」の木を世に出すためのお仕事に励んでおりました。
初回は「キャッシー」から始まり、話が繋がるかと思いきや全く別のお話をします(汗)。

4年前に単発で寄稿させて頂き今回は連載とか…安請け合いした事への後悔と共に皆に話したい事・知ってもらいたい事がたくさん有りながらも頭の整理が出来ぬままの寄稿となる事をお許しください。

私と「杉」との付き合いはおよそ50年、現在54歳ですから4歳からの付き合い。
子供ですから当然建築資材として「杉」と付き合った訳ではなく用途は「釣り竿」…。

東京オリンピック開催前年の昭和38年、私の父と祖父は独立して製材業を始めました。
静岡県西部地方(遠州地区)の北西部、浜名湖の水源となる都田川の堤防沿いに家と工場はありました。

三つ年上の兄がいて、遊ぶ時はいつも一緒。
「川で釣りがしたい!」と言うと父が長さ六尺の杉の胴縁(15ox45ox1800o)を持ってきてその先に釣り糸を付けて送りだされる。それが「杉」との出会い。おが屑のサイロや立てかけてある垂木や野縁の陰で「かくれんぼ」して木と触れ合う毎日。

さすがに高校生にもなるとぼちぼち家業を手伝わされる。
遊びと音楽に明け暮れる私には迷惑千万な事なのだがこれは強制。

そして大学を卒業する頃には材木屋になる事を決めていた。意味などなかった。
触っているうちに好きになってしまったから。

それから32年、ほんの一瞬の浮気(汗)を除いて材木一筋に生きてきました。

学術的な事やデータ的な事は得意な方にお任せして、ここでは私が「見て触って体験した事」を中心に「山」から見る事とは違う「製造と流通の狭間」の出来事をお話したいと思います。

   
 
   
  『昔』
   
   昔とはいえ私が経験してきたホンの32年間のお話し、まずは昔から。卒業後すぐに奉公(修行)に出されることに。最初は名古屋の小売屋さんで配送業務を中心に現場回りの仕事をしていました。
現場で大工さんに可愛がられたり怒られたりしながら家づくりにおける木材の存在位置を教えてもらったのですが・・・。

「杉」に触った記憶が殆ど無い。

当時私の働いていた木材問屋さんでは注文住宅を造る工務店への納品が主だったのですが構造材の梁桁に使われるのは「米松」、柱と土台は「桧」がトップグレードとして扱われてダウングレードされる時には一気に「米ツガ」に飛んでしまいます。
自分の意識の中にあった中間グレードとしての「杉」が構造材(柱)として登場して来ないのです。
かろうじて記憶にあるのは和室の畳下地や破風板・鼻隠し・野地板等の屋根材程度、和室の高級天井板とかで杉を見る事はたまにあっても野縁や胴縁などの下地材もエゾ松や紅松などのロシア材に完全にシェアを奪われている時代でした。
思えばこの時代は今以上に合板関係の建材全盛期でたとえ土壁の家であっても押入納戸はべニアで覆い尽くされるような家づくりが中心だった記憶が有ります。

シックハウスなんて言葉はまだ生まれていない時代です。

   
 
   
  『流』
   
   1年後に木材の商いを学ぶために小牧の木材製品市場で働く事になりました。
そして流通の真っただ中でもっと厳しい「杉」の現実を見る事になります。

木材の商取引の基本からいきましょう。
木材は1本づつ値段を付ける「本単価」で販売される場合と、材積に値段を付ける「?(立米)単価」で取引される二つの方法の商いが有ります。
殆どの場合において原木も製品も「?単価」で取引されています。
1本1本色も節目も違うのに材積で値段を付ける事に違和感を覚えたものです。
高級な桧の柱などは「本単価」で取引される事が多かったのですが、どこで線が引かれているのかその基準は今でもわかりません。

木材の製品市場の花形は「杉」ではなく「桧」。毎週水曜日に開催される「市売り日」に合わせて木材を配列し、売れた材を荷積み用に梱包し出荷する作業を毎週繰り返していました。
そして「市売り日」が来ると就職したての新米まで「競り子」として立たされます。

社長の命令は「何でもいいから売ってこい!」。

大勢のプロ集団の中に紛れて泣きそうになりながら(笑)、訳もわからず「買ってください!」とお願いして回るだけ。
当然売れる訳も無く「何やってんだ!」と理不尽に怒られるワケです。

   
 
   
  『育』
   
   木材を販売するのに知識がなきゃやれません、でないと若い「競り子」は「買い方」さんに翻弄され損する事も多々。(ずいぶん怒られました。)
  一つの間違えが「相場」をつくってしまう事があるので新人は正確な情報の収集と「見る目」を養う訓練が必要になります。

中京地区の木材市場は東濃・木曽・吉野・天竜といった近隣の産地だけでなく九州・四国・広島と日本中から木材が集まる巨大なマーケット。
そして新人のスキル(目利き)を養うために先輩たちから「産地当てクイズ」が出されます。

「山口、これどこの木だと思う?」

「えっ? と、東濃。」

「バカか!見てわからんか?吉野だろうこの色は!」

などとこれまた理不尽な教育が始まるワケです。
同じ「桧」とは言え産地によって白太や赤身の色が微妙にちがいます。
ビーチで遊んでいる外国人がアメリカ人かイギリス人かオーストラリア人なのかを見分ける能力を身に付けなきゃいけないと言うか…ちょっとズレましたね。。
要するに、高値で取引される化粧柱には各メーカーが産地・屋号・等級を「刷り版」で記してあるのですが原木がその産地の物とは限らないのです、だからとにかく多くの製品を見比べ微妙な赤味や白太の色の違いを見極める「目」を養う事が必要でした。

あれ?「杉」が何にも出てきませんね。

次回に続きます。

   
   
   
   
  ●<やまぐち・よしのり> 1960年生まれ またの名をシブチョー スギダラ天竜支部支部長(自立立候補) 山口材木店退社後、丸八製材所営業開発課長として「天竜杉」の製品開発と販売に取 り組む(スギダラな人々第一回に登場) その後、有限会社アマノの営業課長として「天竜杉」の販売に携わる。
   
 
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