天草下浦フィールドワーク2014
  天草下浦フィールドワーク&デザインワークショップの学生幹事を務めて
文•写真/ 吉峰 拡
   
 
 

 近頃は日本でも暑さの盛りが過ぎつつあることでしょう。旅行中のアムステルダムは落葉も見られ、日中でも肌寒くなってきました。こう肌寒いとむしろ日本が恋しくなってしまうものですね。あの夏の高い空のもと下浦湾から眺めた青々とした山々、ノミと石が触れ、少しずつ削られていくあの音、皆でそぞろ歩いた波打ち際の様子を思い浮かべながらこの文章を書いています。

   
 

 私は九州大学大学院、藤原研究室に所属しております、吉峰拡と申します。九州大学主催で開催した天草下浦フィールドワーク&デザインワークショップの学生幹事を務めさせて頂き、こうして寄稿させて頂く機会にも恵まれました。下浦で過ごしたあの3日間(実際は2日くらいしか居ませんでしたが!)は私にとってかけがえのない経験だったと共に、学生とは何者かを考える機会でもありました。 ちなみに事前の準備や当日の仕切り役をやってくださったのは私ではなく、むしろ同研究室の同人・高倉氏です。この場を借りて改めてお礼申し上げます。

 ここで簡単に怒涛の3日間を振り返りましょう。7月25日(金)は九州大学を出発し、空港で東京と愛知からの参加者と合流したのち天草へ向かいました。拠点となった下浦公民館に到着後すぐに会場設営に入り開会式を開催、その後公民館館長の案内で下浦地区を散策しました。
 約1時間のトランセクトウォークから公民館へ戻り、学生は受け入れて下さる民泊先のご家族と面会をして各家庭へ分かれ、社会人は宿にて交流しました。
 翌26日(土)は公民館へ集合し、郷土史家の近藤先生による基調講演を受けて天草および下浦の歴史や概要を頭に入れました。そして各自の関心に応じて合計6つのグループに分かれ、全体フィールドワークへ出かけました。そこで松室五郎左衛門の墓や野丁場を見学し、さらに次の日の発表に向けて、フィールドワークや会議を重ねるグループもありました。
 冷房の無い公民館での作業は2つの意味で熱を帯びましたが、その夜全開かれた全体交流会では地元住民の皆様や活躍社会人、学生が大いに語らい、より熱い夜を過ごしました。

 夜が明けて27日(日)、二日酔いでダウン気味の方も見受けられましたが、全体発表会の数分前まで各グループの発表準備は続きました。

 そして民泊受け入れ家庭の皆様やご近所の方などにお集まり頂き、各グループの成果発表を行いました。講評会では各グループへの具体的な提案の細部への意見や、発表の構成や大きなテーマへの指摘など、多岐にわたる講評をいただきました。ちなみに各グループの発表は採点形式に若干の疑問の残る審査が行われ会場に笑いを誘っていました。

 発表を通して新たな発想や着眼点に触れた共に、それらをさらにブラッシュアップさせる気付きを得られた発表会および講評会でした。その後バスと撤収作業まで残り僅かということもあり美味しいお昼ごはんをさっと済ませ、全員総出で撤収作業を行いました。そして地元の方々に見送られながら、空港を経由して大学へ戻りました。最初の会場設営と最後の会場撤収の慌しさが嵐のように過ぎ去った3日間のフィールドワークを象徴しているかのようでした。

 「もうすでにご近所の方々の中では、よそから大勢学生さんやら大人やらが来ているらしい、と話題になっているようです。」
 2日目の朝に集合した際、誰かがおっしゃってとても印象に残っている言葉です。やはり約50人のよそ者が何をするわけでもなく(しかし路上観察をしているのですが)歩いている様子は非日常的に映ったことでしょう。自分の日常の空間に、他人が入り込んだとあれば当然の反応です。下浦のような人の出入りが激しくない場所なら、なおさらです。不安半分、興味半分といったところでしょうか。
 しかし私は自分たちの撹拌機的な役割に驚きました。と同時に、違和感は与えても嫌悪感は与えてはならないとも感じました。
 また民泊を受け入れて下さったご家庭での歓談も、非常に印象深いものでした。
民泊先のお父さんの「今この家が立っている土地は自分が下浦石を積み上げて固めたところだ」というお話にはとても驚きましたし、お母さんの美味しい手料理の中には、豚ではなく蛸を使っているのに「茄子の豚あえ」という変わった名前の料理があり、舌鼓を打ちながら下浦の魅力に惹かれていました。
 逆に学生として学んできたこと、作り出したもの、技術や知識は意外にもご家族の方々に興味を持って頂けたようです。民泊先のご家庭には奈良県出身の私のほか、天草出身の者や釜山出身の韓国人、果てはニュージーランドから来た中国人がお世話になり、それぞれの文化や歴史についての話は尽きることがありませんでした。

 これらのことに共通して言えること、それは相対化するということでしょう。自分の当たり前と他人の当たり前は違う。この頭では理解できていたことがこれらの経験を通して、まさに腑に落ちたのです。そしてきっと民泊先のご家族の方々もそうではないかと思います。と同時に、専門家でなければ素人でもない学生という立場でも、自分の糧になった経験や知識を通して他人の興味を醸し出すことが出来るのだという実感も得られました。

 そんな学生の2つも3つも先を行く活躍社会人の皆さんと共に、様々なプログラムに分かれて活動を行いました。私は、"まるごと博物館「世界文化遺産をものがたる天草石工のエコミュージアム」構想プロジェクト"のグループに参加しました。
 「下浦のまちなかに色々な魅力的なモノやコトを点在させる」をキーコンセプトに各々がアイデアをスケッチし、文章で説明しました。メンバーも個性的で、デザイナーや漫画評論家、韓国から参加の学生など、多彩な意見が出ました。例えば旅行者が滞在して少しずつ下浦石で小さな街頭を作るものや、まちなかに下浦石を利用した立て看板を作るアイデア、下浦にたくさんある神社を、滑りにくい下浦石の特徴を活かして「滑らない神社」に仕立て上げるといったアイデアなどです。
 他にも地域固有資源としての天草砂石(下浦石)を活用したプロダクトグッズを構想するプロジェクトや、下浦の無人島への上陸&アート化計画、ICTを用いたシモウラSOHOライフスタイルの提案をするプロジェクト、映像作品を作るプロジェクトなどがあり、どのグループも魅力的な発表をされていました。

 こうした発想はデザイナーの方々や大学生にとって日常的なものですが、これもやはり相対化、地元の方々には新鮮に写ったようです。しかし私達はあくまでもよそ者。3日間の滞在で何かをつくり上げることはとても難しくもあると感じました。今回の参加で下浦に移住する!という気概にあふれた方は出てきておりませんでしたが、こうした提案や発想が地域の中から出てくることが最大の成果なのではないかと思います。
 すでに11月には下浦にて成果報告会が実施されます。また第2回も来年実施されることになっています。地域の撹拌機としての私達が、何か役に立てるかを考えることが今後の継続には必要不可欠です。しかし、何はともあれ少なくとも今回のフィールドワークで50人に及ぶ下浦ファンが生まれたのではないでしょうか。この記事がきっかけとなって、関心を持って下さる方がいらっしゃれば幸いです。ぜひぜひ、来年天草下浦でお会いしましょう!

   
   
   
   
  ●<よしみね・ひろむ> 九州大学大学院芸術工学府芸術工学専攻 藤原惠洋研究室所属 修士課程1年生
   
 
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