連載

 
新・つれづれ杉話 第2回 「小町のつぶやき」
文/写真 長町美和子
日常の中で感じた杉について語るエッセイ。杉を通して日本の文化がほのかに香ってきます。
 


 

 

今月の一枚。諏訪大社下社秋宮境内の「寝入りの杉」。

 

*話の内容に関係なく適当な写真をアップするという身勝手なコーナーです。

去年諏訪湖方面にスキーに行った時撮りました(古くてすみません)。夜になるとイビキが聞こえるという杉の巨木。小枝を煎じて飲ませたり、木の皮でお守りをつくると子供の夜泣きが止まってぐっすり眠るようになるとか。国家に一大事があるとうなり声をあげるそうです。

   
 

 
小町のつぶやき
 

「この箸袋は非木材紙(竹)を使っており、売り上げの1%は植林などの森林保護に役立てられます」
 これは割り箸の袋の裏に記載されていた一文。もちろん、割り箸が入っていたビニール袋にも「この箸は間伐材を利用してつくられたものです」というひと言が添えられている。
 なんか感覚がずれているよね。木材を伐採すること=悪いこと、木を植えること=良いことという短絡的なイメージはどうやったら払拭できるのか。

「スギダラってどういう人の集まりですか? 杉を愛する人たちですか? 環境保護に力を入れる団体ですか?」と新聞記者は聞く。
 翌日の新聞には、「楽しみながら杉を取り巻く現状を理解し、杉を現代に生かす方法を考えている」団体、そんな風に書かれた。非常に簡潔である。でもそれだけじゃないぞ! と思う。じゃ、他にどんな言い方があるだろうか。スギダラ会員一人一人がキャッチフレーズを持っているはずだ。一度みんなの「スギダラとは」を聞いてみたいものです。

「杉をビジネスにする具体的なアイデアを教えてほしい」と、山に関係する人たちは藁にもすがる思いで言う。
 そこには、ただ楽しく連帯を深めているだけじゃ何も始まらないのでは、という不安もちょっぴり垣間見える。気持ちはよくわかります。でも、まずは使いたいと思う人、欲しいと思う人を育てることから始めないと。「コレいいね!」と思う感性を育てること。理解を深めるきっかけをつくること。結局、ビジネス第一で考えてちゃいけない、ってことなんだよね。

「北海道のカラマツを防腐加工のために高知まで運ぶのは大変だけどさ。でも、だからって高知の杉を使っちゃ意味ないでしょ。北海道に建てるんだから、やっぱり北海道の材じゃないと」とチヨダラさん。
 そうだよね。コスト第一で考える風潮が国産材を追いやったわけだから。今そこでできる最良のモノをじっくりと。それにかかる時間と費用は関わる人たちみんなで少しずつ負担する、と。それって、世の中のすべてに通じることだと思う。カラマツのモックル処理、うまくいくといいですね。

「南雲代表は、『逆説的かもしれないが、切って使うことで日本の森は守られると考えた』と説明する」
 これは、毎日新聞の「森をつくろうD」日本全国スギダラケ倶楽部紹介コラムで書かれた一文。「切って使うと森が破壊される」って思い込んでいる人が多いから、と、気を利かしてくれたのかもしれないけれど、わざわざ「逆説的ではあるが」というひと言を入れたところに、毎日新聞の考え方が見える気がする。「森をつくろう」という連載を企画するのは素晴らしいことだし、スギダラに注目してくれたのはとてもうれしいけれど、「森をつくる」のは植林だけじゃないぞ、と言いたい。

「異文化を知ろうとするとき、そして、異文化の助けを得て何かを超えていこうとするときは、自国のものをしっかり持っていないと吸収できない、と思いました」
 スープの先生でおなじみの辰巳芳子さんの言葉。昆布のように味わい深い言葉です。何を語っているのかというと、生ハムづくりを研究するにあたり、根底に鰹節への畏敬の念があったからこそ成功したのではないか、という話。辰巳さんは食をつくる心が自分を育て、人を育てる、と考えている人だけど、「食」を「杉」に置き換えてもいいね。杉を通じて人が育つ。自分が豊かになるとまわりも豊かになるんじゃないか、と。

 


   
  <ながまち・みわこ>ライター
1965年横浜生まれ。ムサ美の造形学部でインテリアデザインを専攻。雑誌編集者を経て97年にライターとして独立。
建築、デザイン、 暮らしの垣根を越えて執筆活動を展開中。特に日本の風土や暮らしが育んだモノやかたちに興味あり
 
 
 
   
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