杉々つながる 読者つぶやきコーナー
  読者からの投稿ページです。日頃思っていること、最近あったこと、何でもok。つぶやいた後は、次の方を指名していただきます。どんどんつながる「スギずな」です。
 
  No,008 「山と川で思うこと 」
  文/写真 上村洋平
   
 

 宮崎県の美郷町北郷に移り住んで8年目になる。その間、地拵え、植え付け、下刈り、除伐・間伐などの造林作業から伐採搬出までの山仕事、北郷の特産品である備長炭を生産する炭焼き、北郷の杉を使ってのログハウス造り、またカヌー・カヤックでの川下りを案内するリバーガイドなどの仕事をさせてもらってきて日々を暮らしている。
 カヌー以外でも川遊びが好きで、アユを突いたり、川ガニ(モクズガニ)を捕ったり、たまにウナギを捕ったりもする。まだまだ下手くそだが、これらはすべて北郷に来てから地元の人たちに教えてもらったことだ。北郷の山々を源流とする五十鈴川は、現代の日本の中で比較的きれいな川に分類されると思う。上流域には釣り人たちがヤマメを狙って遡行するし、夏には子供たちの格好の遊び場となる、さらには白髪の生えた昔の少年たち(私の川遊びの先生たち)も、いまだにアユ、ウナギ、カニなどを求めて川に入るのである。
 そんな五十鈴川であるが、昔に比べて淵が埋まって浅くなったり、魚やカニ・エビの数は激減してしまっているそうだ。この原因はいろいろあるだろうが、そのひとつは「山が荒れたこと」ではないだろうか。現在の山仕事で林道はなくてはならないものであるが、たいした雨でもないのに崩れてしまっているものも時々見受けられる。必要以上に道を作らず、作るときは山を傷めないような心配りをすることは、山で働く人にとっては当然のことと思うのだが。また、戦後のいわゆる拡大造林のあと、手入れが行き届かず哀しい姿になっている山は今でもところどころ見かける。
 誰もが知っているように、山と川はつながっており、さらには海までいく。山が美しく生き生きとなれば、川も美しく生き生きとなるだろう。未来に今より美しい山や川を手渡せるように自分に何が出来るだろうと思いながら、とりあえず今日も川で遊んで、山を眺めるのです。

   
 
  五十鈴川でのカヤック。
   
 
  ウナギを捕る竹の筒の仕掛け(ポンポンとこちらでは呼びます)にウナギが入っている様子。
   
   
  ●<うえむら・ようへい> 大学卒業後 京都の美山町で田舎暮らしの研修生をする。2008年九州に戻り、各地を巡った末、宮崎県美郷町北郷に移住。炭焼き、山仕事、ログハウス造り、リバーガイドなどを仕事としながら、井戸やかまど、五右衛門風呂のある家で暮らす。
   
 
   
   
  No,007 「宮崎県・五ヶ瀬の杉を使って20年 」
  文/写真 曽我部謙造
   
 

 五ヶ瀬に帰って来て、ログハウス建築を始めてもう20年以上になる。
 ログハウスと言えば迫力のある丸太を豪快にチェンソーで刻んでいくカナディアンスタイル、製材した角材をマシンカットしたフィンランドタイプ、軸組工法の柱や梁を丸太で建てていくポスト&ビームに大きく分けられる。
 私がこの世界に入ったのは遅くて、20代の終わり。「青年海外協力隊」農業の隊員(花卉)として中米ホンジュラスから帰って来てからになる。杉産出日本一の宮崎県、その中でも多くの杉を産する五ヶ瀬でカナディアンスタイルのログハウスを作りたいと思った。当時は、山梨や長野で北米産の米松(ダグラスファー)やモミの丸太を使ってログハウスを作っている会社がいくつかあり、まずはそこに世話になることにした。
 そんな中、カナダで躯体を刻んできて山中湖の森の中で続きの仕上げをしているグループと出会い親しくなり、仕上げを手伝うことになった。仕事はほとんど電気道具を使わない手作業。こつこつと1年以上、山の中でテント生活の日々だった。みんなで「夏」と呼んだその建物は、いまも森の中に建っている。そして、その時の棟梁は同じ宮崎出身で、いま美郷町北郷区にいる福田裕人だ。

   
 
 

夏の完成当時。

   
 

 その後、宮崎に帰って来て「ログ工房 EL CAMPO」を始めた。九州には、杉を使ってログハウスを作る会社がいくつかあり、技術も日本にあわせて進化したものがあり、凄く勉強になった。やはり、杉は日本の木だから気候に合っている。100年生以上の米松で建てられた家の外壁が風雨で腐っているのを見ることがあるが、杉とは違い繊維が通っていないようにぼそぼそになっていた。日本の家は風土に合わせて軒をのばし、風雨に当てない工夫が必要だ。飛鳥時代の先人がしたように。
「ログ工房 EL CAMPO」も20年がたち、ログハウスの賞を2つもらうことが出来た。また、杉コレクションでは有馬晋平さんの作品「森のおっぱい海へ行く」と「すべすべすべり台」(製作/福田裕人)に携わることが出来た。

   
 
 
有馬晋平さんの「森のおっぱい海へ行く」。   同じく有馬さんの「すべすべすべり台」。
   
   
  ●<そかべ・けんぞう> ログ工房EL CAMPO
   
 
   
   
  No,006 「延岡産杉材の住まいづくりと子育て 」
  文/写真 柴田志摩子
   
 

【 木乃香の家(co no ca no ie)☆子どもの5感を育てる暮らしづくり 】 のプロジェクトを立ち上げて5年目。延岡産杉材の最大限活用と自然環境を生かした住まいを設計している。
 名のとおり、木の香る家。杉化粧構造材、杉仕上げ材、杉建具、造作家具の杉カウンター材など、使えるところは全部杉材を使用して、たっぷりと米ぬかワックス「キヌカ」を染み込ませている。そのため汚れず、経年変化であめ色になり杉の味わいがでてくる。また、杉壁板にミルクペイントでホワイトウォッシュ仕上げを施したり、生成りのほたて漆喰の塗り壁にしたり、居心地のよいバランスを空間に落とし込みながら杉の香る家が出来上がる。もちろん、陽だまり、緑たまり、風たまり、水たまり、人だまりという 『5つのたまり』も設計の中に忍び込ませる。
 木乃香の家に遊びに来る子どもたちはみんな裸足になり たがる。そして、走ったり寝っ転がったり登ったり!? 自由気ま まに家中を探検して回る。

 
 
そして、一番好きな居心地の良 い場所を見つけ小休止。柔らかい杉のうづくりの床ざわりが気持ちよくて、ぶつけてもこけても衝撃を吸収してくれるので へっちゃらちゃら、即復活♪ 元気元気♪   木乃香 ☆ ngn home ☆
   過去、幼児教育に携わり二人の息子を育てていく中で、住環境と子育てが次々にリンクしていくのに気がついた。社会生活におけるあらゆることを住環境のなかでも子供は学んでいくのだ。そして育自。自分も子どもからたくさんのことを学ばせてもらう。子育てをする親の姿勢は「見護る」こと。そしてタイミングを見て「補助」すること。それが子どもの成長を促し 自立につながる。と経験から確信していった。生活しながら遊びながら5感を育てる仕掛けをつめ込んだ木乃香の家。電気をなるべく使わない自然環境の中で、ココロもカラダも健やかに、豊かに育ってほしいと願いをこめる。子どもが良いものは親にも心地よい。親も杉のやわらかさと5感への刺激を子どもと共に味わってほしいと思う。
   
   杉々つながる・・・と聞いて、私のイマココ、杉つながりって?と記憶をたどってみた。
 そうだった。生まれた時から杉を引く台車の大音量を子守唄に、杉の香りに包まれながら、杉丸太の山を弟と駆け回り、フォークリフトや三輪車のダンプに乗せてもらって育ってきたのだった。宮大工だった祖父の大工弟子8人と一緒に住んでたっけ・・・、杉の香りと共に想い出していると、お腹の奥底からあの頃のワクワクする気持ちがよみがえってくる。少し大きくなると、祖父や父と一緒に現場廻りや土場に行ったり、弟と残材でパチンコ台を作ったり、現場監督の兄ちゃんにテニスをして遊んでもらったり・・・、最高に楽しかったなぁ〜♪
 
 建築を始めてから仕事だけでは物足りなくて、積極的に興味ある 場所に行って見学したり、たくさんの人との出逢いがあったりと感謝 してもしても足りないくらいである。その中でも特に、"杉"をテーマに した日向市のまちづくりにおいて、人と街の関わりや仕組み、技術 者のプロ意識、建築士の地域貢献を多方面から見ることができ、 私のイマココに蓄積され、アクティブに生かしているつもりでいる。
 これからも、杉々つながって・・・、たくさんのシンクロ二シティやどんなミラクルがおこるのか・・・、楽しみでワクワクしている☆
 
  両親&10ヶ月の私と杉丸太
   
   
  ●<しばた・しまこ> 葛v米建設・住宅店舗デザイン設計部
   
 
   
   
  No.005 「木の香るまちづくり」
  文/平田竜教
   
 

私の地元である宮崎県日向市では現在、駅周辺を中心に区画整理が行われており、早10年以上経ちました。道路拡張等に伴い、ほとんどの既存建物が移転新築となり、今では以前の面影が思い出せない程、街並みが変わりました。整備が進むにつれ新しい街になってはいるのですが、正直な感想は"きれいにはなったな"というものでした。以前は様々な業種が各々個性ある色や形状をしており、良く言えば個性、逆を言えば街並みとしてはバラバラ…。現在は区画ごとの施主達が取り決める"憲章"があり、景観的に統一感が生まれております。しかし新建材で形成された街並みは、どこか少し寂しいという感覚もありました。私は建築士会に所属しており、建築士会で"景観デザインブック"を提案しようと考えました。

宮崎県は、杉生産量日本一であります。地形、風土、歴史など様々な要因が重なり、「杉」は生活環境のごく身近にあります。そこで建築士会の提案コンセプトとして、"木を感じるまちづくり"をテーマとし取りかかりました。イニシャル、ランニング共にコストがかかる「木材」を、意匠の為だけに盛り込んでもらえるのか…。初めは建物にだけ固執して考えてましたが、やっていく中で外構となりやがて街全体にまで考えが広がり、どんなに小さな提案にも一つひとつ大きな意味がある。ということが施主に感じてもらえる様、行政や外部アドバイザーの協力を頂きながら完成に至りました。提案当初は予算や管理等の理由で中々実現しなかったのですが、現在は"ただの提案"と受け取られていたものが施主から「予算ないけど、何か一つでもやりたいね」と言われるまでになりました。"まちづくりとは皆でやる"という言葉を実感し、また「木」の温かさや香等は皆のどこかに必ず潜在していて、懐かしさや逆の新鮮さまでも感じさせてくれる"万能資材"だと思いました。

   
 
 
"景観デザインブック"    
   
 
  ブック内提案(一部)
   
  私が小学生の頃、実家が新築されました。今でも覚えているのが杉の匂いです。今、現場に行くとたまに昔のことを思い出します。祖父との虫取り、汗びっしょり頑張ったソフトボール、弟たちとの川遊びなど…。
木は五感で私たちを育ててくれます。これからの子供たちにも同じことを感じてもらえるよう努力していきたいです。
   
 
  弊社施工の木造小学校教室棟間の外部テラス光庭。(全て地元杉材)
   
   
  ●<ひらた・たつのり> 吉原建設株式会社 日向支店
   
 
   
   
  No,004 「KUMIKIについて」
  文/金丸 亨
   
 

私は、生まれた宮崎県が杉の生産量日本一だという事を、東日本震災で被害を受けられた宮城県の材木屋さんから教えてもらった。
戦後、高度経済対策の一環で大量に植えられた杉が、今まさに一大伐採時期にきている。 もともと雑木林が日本の森だったはずが、全国どこにいっても杉山を見ることが出来る。 森は、人の手が入ることでより元気に永らく人との共生ができる状態になれるそうだ。山が荒れていない良い状態では大量の雨を保有する力があり、浸透し濾された雨は山の栄養分がぎっしりつまり、川を伝って海へと流れ、海の生き物にとって豊かな土壌をつくってくれるそうだ。 やっぱりつながっているんだなぁ、と自分も自然の一部である以上このつながりを大事にしたいなぁと思う。

縁があり、岩手の陸前高田へ震災前と震災後の2度訪れる機会を得た。
そこは、気仙杉と呼ばれる杉があり、宮大工の源流となった職人集団である気仙大工が腕を振う土地だ。しかし震災が起き、町が無くなり、その土地に暮らす多くの人のあらゆるものを奪っていった。家族も家も仕事もなくなり、夢も希望も持てなくなっていく中で、地域の困りごとを解決していきたいと志高く立ち上がったのが「KUMIKI PROJECT」だ。
製材所も無くなった中で人の手仕事により日本古来の継手、仕口を用いてブロック状に加工施した木材を利用したモノづくり屋さんだ。

この取り組みが素晴らしいのは、地元の人が立ち上げたのではなく、群馬県の若者が震災の時に生まれたつながりや絆などの大事な心のもちようを風化させたくないという思いから、陸前高田で出来ることを模索して生まれたということだ。そこには、自身の社会経験の中で「働くということは何なのか?」という問いが生まれ、人や社会の役に立ちたいという答えにたどり着いたという背景もある。

「KUMIKI」は、主に間伐材を利用して加工されるモノであるため、山を守ることにもつながる。 さらに仕事の無くなった土地で受け継がれた技能を守っていくことにもつながる。
そして何より、材一つ一つが軽く組み立て施工が簡単なので、子供たち、御年寄りの方も容易に関わりつくっていくことが出来る。モノづくりでは、楽しく一つのモノを共につくり上げていく過程が人と人とを自然に結び付けていく。

この取り組みは、被災地だけに留まらせておくのはもったいないと思う。
今、地方でも都会でも、どこか自分さえよければそれでいい、他のことには無関心、というつながりのない関係が広がっているのではないか。自然と共生してきたはずの日本人が勝ち負けの価値観にはめ込まれ、目先の利益、お金が一番であると思いこんでしまったのでないか、とさえ思う。
幸せや生き甲斐はそこで育むことが出来るのであろうか?
そんな問題に対し、モノづくりの楽しさを通じて人とのつながりの大切さを再確認できるこの取り組みは良い方法ではないだろうか。

ゆっくり楽しく自然を守ることにつながる。これっていいよね! やっぱり日本人には木が似合う。そう思うわけです。

   
 
  国産の杉材でつくられている「KUMIKI」は、家具をつくることが出来る「KUMIKI LIVING」と建築までつくることが出来る「KUMIKI HOUSE」の2種類。
   
  ●<かねまる・りょう> 株式会社金丸慶蔵商店 代表取締役
   
 
   
   
  No.003 「木造の可能性」
  文/遠藤啓美
   
 

大きな施設を木造で設計する機会が増えてきた。 少し前までは大空間を必要とする施設は、基本設計の段階から迷いなく鉄骨造もしくはRC造で計画を進めていたが、最近はまず 「木造で出来ないか」 を検討する。 そのため弊社では、この数年間で幼稚園・診療所・高齢者施設・集会施設など、大空間を有する木造建築の実績もかなり増えてきた。 宮崎県でも県産材の利用に力を入れているが、これは2010年に施行された「公共建築物木材利用促進法」により、国が率先して公共建築物の木造化を促進している流れで、全国的にも学校や保育所などの教育施設はもちろん、これまであまり木造では建築されなかったものまで木造建築にする動きが進んでいる。 

出来るだけ木造建築としたい理由はいくつかあるが、ひとつは温暖化対策などの地球環境保護に貢献できるということ。 また、杉などの地元資源が使えるということ。 それにより地元産業が元気になるということ。 そしてもうひとつの理由が木造の最大の魅力だと思うが、木造空間が与える心地よさは人間の五感に癒しを与えてくれる、ということだと思っている。 
木は自然素材であると同時に、日本の風土に根付いた伝統的な素材であることから、本能的な居心地の良さを私たちに与えてくれる。

その日本の伝統的な素材が、いま新たな素材として未知の可能性を秘めている。
木材の研究が進み、これまでは不可能だった耐火建築物要求の建築も木造で実現可能になってきているということと、プログラムソフトの進化により、構造解析がこれまでよりも手間をかけずに出来るようになってきたということで、いままで木造ではありえなかった大規模建築物が木造で挑戦されてきている。 
日本の伝統と現代技術の融合による新しい木造空間がどんどん生まれようとしている。
2020年の東京オリンピックに向けて、世界に発信する新発想の木造建築物とは、果たしてどのようなものなのか・・・…、とても楽しみにしている。

   
 
  弊社設計の物件、延岡市内の木材加工工場です。
   
  ●<えんどう・ひろみ> 小嶋凌衛建築設計事務所 勤務  一級建築士
   
 
   
   
  No,002 「杉の味」
  文 / 末永慎治
   
 

杉材を使って家具・建具を作らせていただく時に、お客様によく言う言葉がある。
「合板を作った品物は翌日から古くなりますが、本物の材料を使って作ると、翌日からこの家に合った味が出ます」と。
日光に当たり、薄い白ピンクの木肌が飴色に変色し、湿気・脂っ気などを吸い込み、その家の条件によって、その製品は自分なりに成熟していく。

そんな事を思うようになったのは、最近の事だ・・・。
もうすぐ還暦の時になり、自然物のわびさびが少しずつわかってきたのだろうか。
本物の木は夏に水分を含み、若干だが膨らみ、冬にはその水分を放出して少し痩せる。
それは使っていただくお客様へ最も気を使うところでもある。
当然、そのたびに、2ミリ3ミリの誤差が生じるので、それを許さないお客様には不向きである。
大敵は、つけっぱなしのエアコンと直射日光!
この場合、痩せるのみで、おまけに木目が曲がっていると乾燥と同時にねじれてしまう。

家のデザインや周りの雰囲気、ライフワーク、動線から建具・家具の材質・形・色を決めていき、お客様と膝をつき合わせて作っていく。
一つとして同じサイズ、デザインの物はない。

今、その醍醐味を、大学を卒業して後を継いでくれた息子と味わっている。
幸いにも、今年32歳になるその息子と一緒に28歳の娘も汗を流している。
子どもたちが、木材のわびさびをわかるようになるまでは、もう少しかかるだろうが・・・。
いつまで同じ仕事が出来るのだろうかと思う、今日この頃である。

   
  ●<すえなが・しんじ> 有限会社末永家具 代表取締役 
   
 
   
   
  NO.001 「杉建具のススメ」
  文 / 土井裕子
   
 
 家をリノベーションして3年になる。築42年のコンクリートの家だが、家業が生コン業ということもあって、まだ河原から砂利や砂が採れていた頃のコンクリートなので、区体は大事に残す事にした。
 自分達の年齢も考えてバリアーフリー仕様にするため、すべてのドアをトイレも含め、杉の障子の引き戸にした。
 これには別の思いもある。
 宮崎県の杉は「長伐期化」を進めている。一方、長伐期で作れる無地や柾の柱を必要とする家はほとんど無くなって来ている。鴨居、長押の付いた部屋はもう無いに等しい。それで長伐期で太く成長した木に付加価値を付ける使い道として、建具ではと考えてみたのである。
 結果は大成功。框を大きく取って少し洋風に作った障子には、ワーロンを入れて破れにくくしている。トイレも外から人の気配が分かってなかなかに良いし、昨今はバリアーフリー化の進展で、エマージェンシー機能の付いたしゃれた鎌錠も手に入る。
 
   日本は大工だけでなく、建具や指物の職人の技術も世界一であるが、建具は既製品に押され、親しくしていた建具屋さんが廃業してしまい、今回は昔、隣組で、親子二代に渡って付き合いのある末永家具さんに、諸塚の杉で作ってもらった。
 次は、こんな建具をカリフォルニアあたりに売れない物かと考えている。
 スギダラメンバーの方で、輸出に強い方がいたら是非、考えて頂けないだろうか。
   
  ●<どい・ゆうこ> NPO法人五ヶ瀬川流域ネットワーク 理事長
   
 
   
   
   
   
 
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