連載
  スギダラな一生/第79笑 「スギダラな社会」

文/ 若杉浩一

   
 
 
 

良品計画、無印との出会いは、12年前。
日本サムソンの吉田さんが、当時役員で製品開発のトップだった、金井さんを連れて僕らが作ったショウルームに来たのだった。
「とにかく面白いところがあるから、行きましょう!!」って感じだった。
そんな、オフィス家具会社のショウルームなんてたかが知れている、概ね想像がつく。ショウルームなんて大抵面白くない。売り込まれるだけだし、自慢話のオンパレードだ。
だから、その時、僕が思っていたのは「商品を見せて売るなんて、当たり前すぎて面白くない。絶対やらん!!」
私たちが、次に何を思っているか?
将来に、働く、学ぶ空間で、何が出来るかを、何が必要かを問いたかった。
要は、同じ事を思う、仲間や同志との出会いが欲しかったのだ。
出来上がったものを見せることより、創りたい世界を見せたかった。
もう、モノだけの虚しい戦いが嫌だった。そんな排他的、一次元的な世界に魅力を感じなかった。
だから、あの手この手を使い説得しまくって、思うがままに作ってしまった。

しかし、社内では営業の評判は悪く、「また若杉が〜やらかしやがった」という風評が起こり、集客も積極的にされなかった。
ところがだ、ここで表現されているコトに反応する人たちのリピートや、口コミのお陰で、本当に沢山のお客さんが訪れるようになった。
結果年間2万人が来るような施設になったのだった。
そして、当初から、この場所の何かを感じていた吉田さんが、金井さんを誘ったのだった。
いろいろなものを見ながら、「あっ、これいいね〜〜うちでやりたい!!」
「スギダラ〜、へ〜〜面白いコトやってるね〜〜面白いね〜」と感心してくれた。
いやいや、それだけではない、その後、開発のスタッフに電話をかけて、みんなを呼び出したのだった。
びっくりした。あの良品計画を創ったような凄い人が、こんなにフラットに話してくれるなんて驚きだった。しかも、この機動力。
金井さんを取り囲んで、無印の開発のメンバー達と楽しい会話をした。
「とにかく、面白いチームだから、皆んな!!一緒に勉強して何かやろうよ!!」
そう、宣言した。
それから、勉強会、商品開発と動き始めた。
会社対会社ではなく、あくまでも有志対有志、コンパクトに始める。
時々、金井さんが参戦し、色をつける。スピーディーにコトが動く。
沢山の仕事をしない人と、リスクだけが論じられる、つまらない開発行為に比べると、実践に次ぐ実践。とにかく、問題を恐れない仕事のやり方に、ワクワクした。その商品開発の担当が清水君だった。
合理的で、大胆で、センスがある。何より、よく仕事をする。そして実直。
そうして、うちのデザインが無印の商品になったり、うちの商品に無印の製品がなったり、新しいビジネスを考えたり、企画したり、飲んだり、飲んだりしながら、月日を重ねていった。
付き合い始めて、2年目。清水君が「杉を使って商品を作りたい!!」相談してきた。彼は、知らない間に家具の開発課長になっていた。
「若杉さん、杉を使って、組み立てる箱を作りたのです。どこか協力してくれるところありませんか?」
「う〜〜ん、杉は沢山あるけど、無印の品質や価格似合うものができるかどうか?」「まあ、行ってみよう!!」
と言う事で、宮崎の日南のメンバーを紹介したのだった。
僕も、飫肥杉デザインのプロジェクトで関わっていたので、気心知れた仲間が沢山いた。
しかし、思ったように、なかなかうまく行かず、苦労しながらも、なんとか発売に至ったのだった。
無印初の杉の商品「飫肥杉の箱」である。限定3000個発売だった。
価格は、それなりにしたが、さすが無印、早々に完売した。
しかし、沢山の課題も見えてきた。
まず、無印の製品品質基準に、杉という素材がなかなか合わない。
つまり、工業製品のような厳しい基準に合致しないということ。
そして、無印が求めるような、量、価格、納期に地域の木材加工メーカがついていけないということ。
つまり、建材や建具なら、なんとか、なってきたが、生活、日用品のように大量に何かを作ろうとすると、地域は加工から何から対応できないということなのだ。これは、地域木材の生活用品としての可能性の消滅とも言える。
かつては、どの地域でも木の暮らしがあり、建築、建具、家具、日用品に至るまで、全てが地域に揃っていた。
木と暮らす産業が成立していたのだ。
しかし、今、もう全てが無くなっている。
だから、何を作るにも、作る基盤から創らなければならない。
そんな事までして、いくら売れるのか?果たして、お客様は喜んでくれるのか?
結局、安い、簡単、便利に人は流れる、高邁な夢物語なんていらない。
という風に、諦めてしまう。時代のせいにしてしまう。
夢を形にするか?現実に生きるか?
結局、この活動は、ここで終結した。だが、火は消えていなかった。
その後も、清水君とは、飲んだり、行き来したり、スタッフ紹介してくれたりと交流はあった。その後、彼は、家具の開発担当から、課長になり、やがて世界最大の店舗「無印有楽町店」の店長へ昇進した。
そして、一般消費者を相手にしているお店の中で、法人部門をつくったのだ。
「若杉さん〜〜 僕はね〜〜商売が大好きなんです。モノが売れてお客さんが喜んで、利益が上がっていくのが大好きなんです。」
「僕の家業は、テキ屋の元締なのです。沢山の店、食材、人に囲まれて育ってきました。あの活気のる賑わいが、大好きなのです。」
「小さい頃から、親の手伝いをして、商売の面白さを知りました。」
「無印に入ったのも、商売をやりたかったからです。」
「目の前で、モノが、売れていくのが大好きなのです。」
「有楽町店にきて、スタッフは素晴らしいし、場所もいい、だけど何も起こらないんです、新しいことをやりたい、売るだけでなく、新しい商売をしたい。新しいものづくりを、やりたいのです。」
「いいね〜〜 よしやろう!!手伝うぜ〜〜、うちの会社と組んで売ろう!!」
僕は、当時の事業部長(後輩)を連れて、有楽町店へ出かけた。一通り感心してくれて協業を約束してくれた。しかしそれからがダメだった。
「ありがとう、じゃあこれから先は僕がやるから。開発のメンバーに言っておく。」
「いや、そういう感じがダメなんです。思いのない誰かが、やってはいけないのです!!共に何かを作ると言うことは、そう言うことではないのです!!」
「わかった、わかった、ちゃんとやる!!君は、はずれろ!」
しかし、そのようなことはなかった。業務的に処理され、僕たちの思いとは裏腹にカタログの取扱商品の一つに追加されただけだった。
サラリーマンとは、斯くもワクワクすることを、楽しくないことにする人達なのだろうと新ためて、思い直した。
「畜生!!みてろよ〜〜次は絶対、大切なものは渡さない!!倍返しだ!!」
心の中で、そう思った。清水君は、相変わらず有楽町店で、面白い仕掛けをやっていた。
そして、東京おもちゃ美術館の「赤ちゃん木育広場」をやった時だった。
金井さんが、すぐに見に来てくれたらしい。そして同じようなコトを無印でもやりたいと言ってくれたらしい。その事始めが有楽町店、清水君の店だ。
小さいながらも、有馬君のスギコダマも含め「木育広場」が出来上がった。
そして、ただ作ったのではなく、清水君は、会社を口説き「ウッドスタート」をしてくれた。こういうことだ、ただモノを売ったり、取り扱うでコトではなく、そこにある物語、精神を一緒に受け取ることなのだ。
流石、清水君だ、コトの本質を理解している。
そして、この広場は、有楽町店の売り上げに貢献した。
「売り上げを上げないはずの施設が、売り上げを上げていったんですよ〜僕らも驚いています。」
オープニングの時、清水君が、お店に来るよう誘ってくれた。
それは、金井さんが、見に来るからだ。
「お〜〜スギの大将!!今回はありがとう!!いいねえ〜〜」
きっと僕がこの施設の仕事やったと思っているのだろうな〜〜と思った。
しかし、今回は、無印のデザイナーがやったのだった。
しかし、ここにある意味と、金井さんを、結びつけたくて、僕を呼んでくれたのだった。本当に、ありがたい事だ。
そして、清水君はさらに偉くなる。営業本部長として池袋本社勤務だ。
黙って、業務を全うするはずがないと思っていたら、すぐに声がかかった。
「若杉さん、うちのオフィス、ひどいでしょう!!だから、僕はせめてうちのチームぐらい、良くしようと決めました。そして、いずれ会社全体を変えたいんです。こんな環境で働いて、良い感じが生まれるわけがない、自分たちの生活、毎日を考えない人たちが、感じの良いものを創れる訳がない、だから先ずは、僕がやります。」
「いいねえ〜〜やろう!!やろう!!」
そうして、中空パネルを使った、最初にオフィス家具を二人で作った。
僕も見に行ったのだが、味気ないオフィス家具の真ん中にキラキラした、スギの家具が一列、十人ぐらいか?その奥の席に清水君が座っている。
「すげ〜な〜〜、みんなから妬まれてないか?全然違和感だらけだぞ〜〜」
「良いんです、これで!!そう言う世論を創ろうと思ってますから!!」
「相変わらずだね〜〜」
「勿論です、どんどんやります。止まって、ぶら下がっているのが嫌なんです。」
「ドキドキ、ワクワクするものを生み出したいんです。」
「いいねえ〜〜やろうやろう!!どうせだったら、商品作ってしまおうか!やりたかった、仕事またやろうか!!事業を起こそう!!」
「いいですね〜〜〜やります!!」
「やろう!!やろう!!」こうやって、プロジェクトチームが立ち上がった。
だが、そう簡単ではなかった、あのサラリーマン軍団の来襲がやって来る。
しかし、今度は正規軍対正規軍だ揺るがない。ただただ、前に進む。
なぜなら、僕たちには向こう側の光が見えるからだ。
開発の最初から、清水君は一人の青年を従えてやってきた。寡黙な青年だった。
それが、林君、建築を学び良品計画で新しい事をやりたいと、入ってきた新人だった。清水君からいつも怒られていた。
「お前なんか、いなくてもいい。必然性がない。こういう時にな、気配りができねえ、体が動かねえのはな〜〜ダメなんだ!!」
言っている事は、至極まっとうなのだが、手厳しい!!
「こりゃ〜大丈夫かな?」って僕が思うくらいだ。
プロジェクト半ばで、また、清水君は、偉くなった。ナンバー3の役員になった。
「すげえな〜〜清水君、ついにそこまで来たか〜〜」
「若杉さん、実は僕、海外の面倒を見なければならないので、プロジェクトに今後、参加ができなくなります。役不足で申し訳ないのですが、林を鍛えてやってくれませんか?」と言った。
「僕は、若杉さんが望む事があれば何でもします。それぐらいお世話になりました。僕の代わりに、是非、林をこき使ってやって下さい。」
やはり、清水君の奥底には愛が流れている。
そして、繋がりや縁を大切にする男気がある。仕事には、厳しいし、人の数倍働いているのを知っている。
なのに、そんな事を、微塵も見せず、挑んでいくカッコイイ男なのだ。
「わかった、任せとけ!!」
そして、たくさんの僕のチームメンバーと、たった一人の若者、林君との凸凹コンビが始まった。
林君は、目立つタイプではないし、弁が立つわけでもない。
しかし、誠実で、きちんとしている。そして、絶対諦めない。
ちゃんと、地べたの仕事をする。そして、文句の一言も言わない。
「忙しい、徹夜した、大変沢山の仕事をしている、土日も仕事した。」
という奴に限って、大体、他人ごとの仕事をしている。
自分の仕事をしている奴は、「大変だ!!」など、大体言わない。
何故なら、当たり前だと思っているからだ。
仕事を、他人事ではなく、自分事として愛せるか?
大変な事を、楽しめるか?がとても重要なのだ。
何故なら、他人事は長続きしないし、どこかで破綻する。
そして、一緒に仕事を楽しんでいる仲間を、つまらなくする。
そういう意味では、清水君の采配は絶妙だった。
つまり清水君は、林君の本質を見抜いていたわけだ。
このプロジェクトは、一人無印に、デザイナーの小山君と開発の仲間達が後方支援する形で動いていった。
無印の采配は凄い、20代の若者(もう既に30になってますが)に最前線を任せ、後方で、清水君、金井さんが責任を負う。担当者はビビりまくるが、逃げも隠れも、泣き言も言えない、絶妙の空間が生まれる。
リスク回避のために、何れだけの人が来るんだ?というような、某社とはわけが違う。リスクは人を育てる、苦労が人を豊かにする、苦労を共にした仲間は永遠のつながりになる。そういう事をリーダーが経験しているからこそ、できる事だ。素晴らしい。このようにして、文化の違う仲間が、一つの方向性に向かって組んず解れつを、行ったのだった。
「展覧会やろう!!」
そして、4月18日が訪れた。会社の様々な禁止事項を塗り替えて会場が出来上がった。うちの社長も「内田洋行の文脈でやるのはよしなさい。無印らしい楽しい、いい感じを出してください。部門の言うルールは無視してよろしい。お客様のことを中心に置いてください。」
さすが!! 大久保さん、内田洋行で、唯一人、スギダラを認めてくれたリーダーだった。
長い間、付き合ってきた仲間達。宮崎県のメンバー、そして海野さん。
「ようやく、ここまできましたね〜〜凄いですね。嬉しいです。」
自分ごとのように喜んでくれる。
そういった意味では、「今までの、すべての文脈と、人脈が成し遂げた出来事」であたような気がする。
そう、必然。作為でも、計画でも、戦略でもない。
12年前に出会い、やりたかった事を、見たかった事を、追い求めて来た仲間達の、出来事なのだろう。

これは、始まりなのだ。経済のための作為的モノづくりではなく。
新しい価値を再生させるための、必然的モノづくり。
上手くいくのか?売れるのか?答えは出るのか?それは、わからない。
ただ言える事は、正しい事を、大真面目に仲間と共に歩むこと。
信じて疑わない仲間と共に。

2月の「屋台大学」で金井さんに公演をして頂いた。素晴らしい会だった。
その中で金井さんが話されていた事。
「僕はですね、未来の事はさっぱりわかりません。ただわかるのは、今、世の中のため、社会のために、良い事は解ります。だから、その事をを真面目にやろうと思っています。」
「お金の事、楽をする事を、中心に考えてはダメなのです。正しい事は、必ず経済になります。ただね、時間が掛かるという事なのです。だから、丁寧に本気でやるのです。」
なんだか、また、やられてしまった。
仕事ってやっぱり人だ。いい人が、いい仕事をする。
僕たちは、この始まりを、積み重ねる。
そして、積み重ねる事を楽しみ、壁を取り払っていく。
それは先人達が創った道筋を未来に伝えるために。
そして、喜びはその過程に、あるような気がする。

さあ〜〜やるばい!!

良品計画、内田洋行、宮崎の沢山の仲間へ、そして金井さん、清水くん、大久保さんへ感謝の気持ちを込めて。

   
   
   
   
   
   
   
  ●<わかすぎ・こういち> インハウス・プロダクトデザイナー
株式会社内田洋行 所属。
2012年7月より、内田洋行の関連デザイン会社であるパワープレイス株式会社 シニアデザインマネージャー。
企業の枠やジャンルの枠にこだわらない活動を行う。
日本全国スギダラケ倶楽部 本部デザイン部長 
月刊杉web単行本『スギダラ家奮闘記』:http://www.m-sugi.com/books/books_waka.htm 
月刊杉web単行本『スギダラな一生』:http://www.m-sugi.com/books/books_waka2.htm
月刊杉web単行本『スギダラな一生 2』:http://www.m-sugi.com/books/books_waka3.htm
   
 
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