スギダラ広場
 

スギダラな一生/第82笑 「ことことのコトコト」

文/ 若杉浩一

   
 
 
 

三年前、日本一のスギフリーク、辻さんからの相談から、始まった。
「若杉さん〜日南で子育て支援センターを創るんですけど〜森山さんという暑苦しい人が頑張っているんです〜是非相談に乗ってくれませんか〜。」
「もちろん、いいすよ〜〜」
辻さんといえば、僕らを宮崎に繋いだ、スギダラの仲間、いや伝説のスギフリーク。物語が何時も、彼から始まっていると言っても過言ではない。
そして、東京人なのに、殆ど東京では合わない。
しかし、偶然、宮崎空港でバッタリ会ったりする。
地域に根ざし、地域のコトに関わってきた先人だ、断れる訳がない。
しかし、この一言が、実際の活動になるまで、かなりの、すったもんだが、あった。
運営メンバーに熱い思いはあるが、建築をやるというと、沢山の仕組みや、専門領域が絡み、面倒ごとが、たくさん絡んでくる、専門の壁、知らない言葉、利害の圧力がかかり、思いも、気持ちも萎えてしまうのが当たり前である。
いいコンセプトや理念があっても、次第に、本質は薄れ、簡単に仕事にされ、つまらないものになってしまうか、担当者の趣味の産物になる。
思いや、情熱、愛を貫くのは、本当に難しい。

しかし、こちらはそれが好物である、余計なお世話がモットーである。
上手く行こうが、行かまいが、ありとあらゆる手をつくす、そして、しつこい。
様々な途切れかけた糸を、紡ぎながら、チームが出来上がっていく。
そして、面倒臭いモノづくりをやる。
デザインしていく間に、沢山のワークショップを地域の人、メンバーで、組んづほぐれつだ。飫肥杉見学会、製材所見学会、木のおもちゃづくり、地元のご年配から学ぶ凧づくり、凧揚げ大会、運玉づくり、有馬くんのスギコダマづくり・・

そして、偶然、宮崎でセミナーをやった時に、知り合った地元の工業高校、普通高校の美術の先生たち、屋良さんと串間さんとの出会い。
これが、もはや、訳が解らんような糸を結んでいく。
僕は、子育て支援センターの話が、来た時に、こう思っていた。
木の木育空間を創ることに、意味があるのではない。
地元の木材資源の良さを、大人も子供も考え、試行錯誤し、悩み、苦しみ一つの可能性を生み出すこと。
そして、その真ん中に、「未来そのもの」である、子供達がいる風景。
僕たちの本質的なミッションは、地域の木を使って、行儀よく、予算や、関係者の顔色を伺いながら、求められる施設を作る事だけではない。
施設を作ることを通じて、地域の未来を思う人を、どう創造できるかだと思う。
やり方は、いつも、ぼんやりしているが、前後関係なく、やれることだけは、先ずやることにしている。
思いつくことを、沢山やることにしている。
後は、そのうちに繋がるだろう。てな、感じで、やるものだから、つきあわされる方は大変だと思う。理屈ではないからだ。理屈より、ルールより、大切な事がある。それは、「ビジョン」強い思いや、信念だ。
メンバーにも、市長にも、「子育てを、中心として、地域のスギという資産を活かす人達、産業にする人達、愛する人達を結びつけて行きましょう!日本一の木育の拠点にしましょう!!」と熱く吹かしていた。
ビジョンも愛もなく、淡々と、それらしい「偽物」を、市民のお金で作ってはいけないのだ。決して、「施主は、行政である。」というような、高飛車な態度ではいけない。市民目線の「ぶれない何か」を皆で共有しなければならない。

そんな中、偶然に、アートセンターでスギダラの話をするチャンスがあった。
その中に、プロジェクトに、大切な意味を与える人達がいた。
高校の美術の先生、屋良先生と串間先生である。
そして、先生達の叫びを聞いたのだった。
「地元で、デザインや工芸、美術を教えても、宮崎には実業も、高等教育もないとです。単なる学習でしかないんです。」
「もっと、実業や、実態に、社会に学生達を繋げてあげたいんです。」
「宮崎に、デザインや芸術の価値や、喜びや、仕事を根付かせたいんです。」
「学生達が、デザインや芸術を、生涯の大切なものとして、生きて行って欲しいとです。」
「高校で、学校で、そのようなことを言っても、教育を変えることが、なかなかできません。」
「もう、学校の教育に、限界を感じ、希望を感じることが、できなくなっていました。」
「若杉さんの話を高校生に聞かせたいのです。きっと未来が変わるような気がするとです。」
そんな事を言われると、スギダラメンバーはタダじゃおかない。
井上さんや、工藤さんが後押しし、アートセンターの石田さんが引き取り、あっという間に高校生の学びの場を創った。
またまた、宮崎と商品化を始めていたので、無印のデザイナー小山くんにも、お願いし、プロのデザイナーと、高校生のデザインワークショップが立ち上がったのだった。
テーマは? 勿論!!「子育て支援センターのための遊具のデザイン」である。

単なるデザインのロールプレイングでは面白くない。
子供だろうが何だろうが、実戦にまみれて、苦労しながら、学校の学びとは違う経験から、本当の喜びを手にするものだ。
社会に、まみれなければならないのだ。
こんな企みに、みんな本当に良く協力してくれた。
しかし、実践するのは、大変だっただろうと思う。
沢山の準備や作業が横たわっていたし、先生達は、子供達のモチベーションを保たなければならない。
余計なお世話の連鎖は、楽しいが、大変なのだ。
しかし、また、やってしまう。
「大変」の後に「美味しいお酒」が待っているからだ!!
このワークショップは、回を重ねるごとに大騒ぎになり、専門化して行った。
学生達は、毎回プレゼンをやらなければならない。
最初は、小学生の絵日記のような発表も、終盤は、寸劇や笑いを交え、プロが舌を巻くような腕前になってきた。僕の会社の仲間も投入し、大人と子供のガチの鬩ぎ合いが繰り広げられた。
学生達の関係も、唯の同級生ではない、本音のぶつかり合いが始まった。
人間関係さえ壊しかねない、状況も生まれてきたらしい。
それで、いいのだ。それが現実だ。
そして、どんな試練があろうとも、本当に、良いモノしか生き永らえない。
みんな、良いものを、作りたくて、
伝えられなくて、歯がゆくて、
出来なくて、悔しくて、
悲しくて、そして、
嬉しくて、生きていくのだ。
それが真実だ。
そして、最終回の学生達の、成果発表会。
全員が感動に胸を震わせた。
モノに魂が入っていた。
モノに物語が生まれた。
そう、そのような、沢山の物語と、人が、場の力を創る。
そして、学生達にとって、この施設の遊具は、生涯忘れられないモノとなり、みんなの宝物になっていくのだ。

一年間のプログラムが終了して、事業に携わった、大人達(高校の先生達、校長先生、県のメンバー、アートセンターの皆さん、無印、内田洋行のメンバー)全員が、来年もこの学び舎を続けていく事を決心した。素晴らしい連鎖だ。
まさに、日南の子育て支援センターを介して、沢山の人たちが宮崎のスギと未来に繋がった瞬間だった。本当に素晴らしい。
屋良先生と串間先生の思いが、学生達の本気に繋がり、やがて大人を本気にさせてしまったのだ。
誰かの事に思いを馳せ、悩み、苦心し、汗を流す。
だけども、少しも、思い通りにならない。
それが現実、だけど、それが美しい。
そういう、伝えたい大切なコトが、私たちの心の奥に沢山ある。
しかし、大切な事は本当に伝えるのが難しい。
つい、面倒くさがって、蓋をしてしまい、簡単な事だけを果たそうとする。
だから、学びが、子供達の心に、火を灯さないのだ。

僕は、この施設を通じて、沢山の学び合いと、喜びが生まれようとしている事がとても嬉しい。

このような、もっと、もっと、沢山のプロセスがあって、この施設が出来たのだ。
オープン前夜、楽しい仲間と、沢山、沢山、美味しいお酒を飲んだ。
本当に、この瞬間が一番、楽しい。
したがって、次の日は、いつものように、ダメ人間になり、反省する。
そして、翌日、4月8日にオープン。
体は、最悪の状況だが、気分は最高!!

関わった、沢山の人たちが、お祝いに来てくれた。
そして、沢山の子供達が来てくれた。
そして、ようやく、風景が完成した。
僕たちは、その美しい風景を、目を細めながら見ていた。

お母さんの優しい笑顔。
子供達のキラキラした笑顔。
おばあちゃんの嬉しそうな顔。
そこには、なんとも言えない、「しあわせ」が存在した。

「俺達だってこういう風に、育てられたんだね〜〜。」
「なあ〜〜みんな〜〜〜ここで、この風景見ながら、ずうっと酒飲めるね。」
「またですか〜〜?」
「いや、今日はまだです。」
「お酒飲めませんが、その気持ちは解ります。」
「だな〜〜」
「奥ちゃん、また苦労をかけました。」
「いつも、素晴らしい仕事ありがとう。」
「みなさんのお陰です。」
「みんなのお陰たいね〜〜。」
「コバケン、ちい〜〜った、そういう事を学ばんか!!」
「はい、反省してます。」
「今度は、懇親会で寝るなよ!!そんだけ寝てりゃ反省も忘れるよな〜。」
「あん子供達のように、素直に生きらんか!!」
「はい、反省してます。」
「焼酎学校ば、出直せ!!」
「またですか?」
「よかか、永遠に卒業は、でけんぞ!!」

このくだらない、終わり方が大好きだ。
「さあ〜〜まだまだ、あるばい〜〜 これからば〜〜い!!」

関わった沢山の仲間、市長を始めとした日南市子供課のメンバー、石田さんを率いるアートセンターの方々、宮崎工業高校、日向学院高、都城西高の生徒達、ワークショップに関わって頂いた沢山の市民のみなさん、有馬くん、材料、施工に関わって頂いた皆さん、宮崎県の職員の方々、木藤くんと商店街のみなさん、辻さん、串間先生、屋良先生、他高校の先生方、土肥校長先生、良品計画の小山くん、コバケン、下妻、秋田、山田、そして奥ちゃんに感謝の気持ちを込めて。

   
   
   
   
  ●<わかすぎ・こういち> インハウス・プロダクトデザイナー
株式会社内田洋行 所属。
2012年7月より、内田洋行の関連デザイン会社であるパワープレイス株式会社 シニアデザインマネージャー。
企業の枠やジャンルの枠にこだわらない活動を行う。
日本全国スギダラケ倶楽部 本部デザイン部長 
月刊杉web単行本『スギダラ家奮闘記』:http://www.m-sugi.com/books/books_waka.htm 
月刊杉web単行本『スギダラな一生』:http://www.m-sugi.com/books/books_waka2.htm
月刊杉web単行本『スギダラな一生 2』:http://www.m-sugi.com/books/books_waka3.htm
   
 
Copyright(C) 2005 GEKKAN SUGI all rights reserved