開通式の準備が思うように進まないことから、開通式担当の区長を中心とする年長者グループ、イベント担当のふるさとづくり会長を中心とする若手グループともに少し苛立っているようであった。
そんな少し重苦しい雰囲気の中、はじめに手摺りの仕上げ作業とその日程調整、そして取り付けについて話し合われた。
手摺りの取り付けに関しての住民の一番の心配は、取り付けにどれくらいの時間が掛かるかであった。なにが何でも手摺りを取り付けてしまわないと翌日に開通式なんて迎えることができない。しかも2mの手摺りを100本である。絶対に失敗は許されない。そのため、手摺りの取り付けは町内の小学生や父兄をより多く集めたイベントにすることにした。更に、手摺りの取り付けイベントと開通式の間に1日の余裕を見ることにした。
取り付け前の仕上げ作業(ヤスリによる磨きと塗装)は、住民自らが仕事の合間に作業したり、町内の特産品展示祭りなどで作業自体をイベント化することで、なんとか10月末までには仕上げ作業を完了させることとした。
話し合いの内容がトロッコ製作と駅舎のリニューアルに移った。
スギダラと地元との役割分担、イベントととしての広報手段や人集めの方法など問題は山積みだった。さらに、地元住民が主体となった開通式の準備、住民の殆どが従事する稲刈り、費用負担など、まずはトロッコ製作と駅舎のリニューアルが実現できるかどうかが問題であった。
第1回のワークショップ(スギの伐採)から約1年、プロジェクトの企画段階からは約2年の月日が過ぎようとしている。橋の完成と地区の未来について私たちとともに議論してきた比較的若い世代の数人(ふるさとづくり協議会のメンバー)はイベントも開通式もどちらも同じように成功させたいと考えていた。しかし、かなり厳しい現実と直面し、みんなうつむいたままだった。
これまでのまちおこしのためのストーリーづくりで
・橋が架かること、台風被害に伴うTR(高千穂鉄道)の廃止問題など、今まさに地区にとってはチャンスであること。
・お金、時間、労力とかじゃなく地元を盛り上げようとする熱い気持ちが大事であること。
・そして、なにより熱く、楽しく活動することが大事なこと。
みんな分かっていた。しかし、このままでは開通式、手摺りの取り付け、トロッコ・駅舎のリニューアルも全てが中途半端になるかもしれないと危惧していたようだ。
盛り上がらない・・・。あとさき考えずにとにかく頑張ろうとしない住民に正直苛立っていた。「地区には24戸の住民しかおらず今時は稲刈りも忙しい、お金もないとなれば開通式と手摺りの取り付けだけでも大変なんだ。」と言うことか。「仮に失敗してもいい、だれも責めないし、これからの地域のためには少しくらい無理をする必要もあるのではないか。」と、言葉が出かけた。
「田丸さん、今回はやめときましょう。地区に大きな負担をかけてまでやっても意味ないしスギダラは呼べないですよ。」植村さんがそっと言った。半分同感だったが、どうにかならないか諦めきれないでいた。
若者のひとり藤本隆雄さんが「トロッコや駅舎のリニューアルができなくても、上崎橋開通式の日は駅の清掃、駅周辺の草刈りなど、これまでの感謝を込めて迎えようと思う。今回はトロッコや駅舎が無理でも次回やることにしても良いではないか」と言うと、年長の甲斐靖さんが「駅周辺に植樹しようと思って木を注文したから、それだけでも植えればいいじゃないか」と言いだした。
確かにそうかもしれないと思い直した。自分たちが確実にできる範囲で、地区の和とまとまりを大切にしながら一歩ずつ前進していこうとするこの地区ならではのやり方も尊重する必要があるのではないか。
長年の悲願だった橋の完成は地元関係者にとってそれはそれは大きな喜びだろう。
そこに自分達のような外部の人間から「橋づくりと共に地域づくりをしましょう」と聞き慣れないことを言われ、さらには初めて試みるような提案をされたりと戸惑いが多かったのだろう。
「小さいながら非常にまとまりがよい地域でいつもたくさんの人が集まる。だから違った価値観を地域として消化するのには2年は短かいのかもしれない、でも本当はわかってくれる人もいるのだ」などと勝手に自分達の提案を正当化し、押しつけていたのかもしれない。
地域づくりに参加しながら、良くも悪くも地域の人たちに問題を提起しながら人づくりを担っていると勝手に自負していたが、一番成長させられたのは自分ではないかと思った。
トロッコと駅舎のリニューアルはとりあえず保留となったが、まだ諦めたわけではない。他のやり方がないか検討することで打ち合わせは終わった。
橋の工事は完成に向け着々と進んでいる。10月中ごろには袖柱が、終わりごろには親柱ができあがる予定だ。
これらに取付けられる杉材は、仕上げも終わり取付を待つのみとミサイル倉庫にすわっている。
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