不定期連載

かみざき物語り 第8回
構成 / 南雲勝志
もうすぐ橋が架かる上崎地区、架橋を通してまちが動く!?
 
 

かみざき物語り・・・
本当にある物語りのような名前の不定期連載がスタートしたのが、昨年の第6号(12月号)である。実はその1年ほど前から現場にはちょくちょく行っていたのだが、いろいろと初めての取り組みもあり、進んだのか、戻ったのかわからないような時期もあった。
地元住民とワークショップを手探りで始め、そのもやもやが徐々にクリヤーになってようやくこれは行けそうだ、と実感し始めた頃である。

しかし24戸、住民80余名のこの小さな上崎地区でやれることにも限界がある。いろいろな想い出が巡ってくる。ただ我々は一緒にやりましょう!といいながら、実はずいぶん負担をかけていたことにも気づかされた。
そこに住む住民の本当の意味での意志を持ち合わせてこそ価値となる。
住民も最終イベントに向けてずいぶん悩み苦悩した。
最終決定をしなければならない時期、今から1ヶ月ほど前、ふるさと協議会長の甲斐丈義さんから電話があった。
「我々も出来るだけすべてのメニューをやりたいんんです。ただ、時間と人間とお金を考えると何が何でもやるとは言えないんです。でも何とかいい形でイベントを迎えたい気持ちはあります。協力してください」と。
涙が出そうになった。
その意志を組んでこちらも動きを固めた。
そしていよいよ、11月18日にイベントを迎える。
いずれにしろ日本で初めての出来事が行われる。

さて、今月号は上崎橋にはなくてもならない存在の地元3人集(田丸貴久、植村幸治、海野洋光)に、今までを振り返り、今の気持ちや現在の進捗状況を語っていただきました。
みんな熱い、熱すぎてとても長いです。
長すぎて最後の海野さんの「エピソード2」 までは辿り着かないかも知れません。

今はまだ振り返るのは早すぎます。
竣工後には地元のみなさんを交え、まだまだかみざき物語りは続きます。

上崎橋の取り組みを宮日新聞が6回連載で伝えてくれています。
順次紹介します。→宮日新聞「明日にかける橋・上崎プロジェクト」

  ■7号からの続き・・・  
文・写真/ 田丸 貴久 (有)マルウッド 
      

出番は終わったとホッと一息ついていたところに続編をとの御達しが。ネタは前回で出し切りおもしろい報告も期待できませんが、気を取り直し上崎のその後をレポートします。

いよいよプレイベントも数日後になりました。
私はと言うと10/25に地区の公民館の倉庫に手摺材を納品し終えると、それまで我が子のように撫で回していただけに近くに居なくなった寂しさを感じつつ、「いよいよだなっ。」と完成の日を思い浮かべワクワクしている。
 
その後、手摺たちは29日に北方町の物産販売所(よっちみろや)での『次郎柿まつり』に数十本参加、訪れた人々にやすりかけとメッセージを入れてもらい、翌30日には『みんなで架けよう夢の架け橋』と銘打ち地区の子供たちが通う北方小学校の全校生徒(約160名)そして隣接する保育園の園児達にもやすりかけとメッセージを書き込んでもらった。

 
  10/31付 宮崎日日新聞

 

これは地域からの投げかけを受けて学校側が積極的に企画したもの。地元の新聞社とケーブルTVで子供たちの丸太との格闘が紹介されました。

この活動には伏線があり、物語第5回での8月6日の打ち合わせのとき公民館で南雲さん、小野寺さん、吉武先生たちが地区の人たちと話している間、公民館裏では丸太の皮剥ぎを子供たち数人が汗だくになってやっていました。
そこで「子供たちにも触れさせたい、関わらせたい。」と我らが『民さん』こと長谷川民子さん(かみざき物語り語第1回に登場)が仕掛けたものでした。
「手摺の取り付けや仕上げ作業、学校に話したら校長先生とっても乗り気になってくれました。」と嬉しそうに民さん。様子を見に来られた校長先生に熱心に説明していました。しかもこの学校には、ふるさと協議会の永田幸男さんの奥様も赴任されていたのです。
1本に6〜7人の生徒たち、懸命に磨いた手摺はとてもきれいに仕上がり、将来の夢などおもいおもいに書き込まれタイムカプセルとなって橋に取り付けられます。
もちろん地区の人達も表面仕上げと保護塗料の塗布など連日最終仕上げに余念がありません。
そうした地元の活動と平行して私と海野さんは延岡市の産業祭でプレイベントの参加の呼び掛けとチラシ配布をしたところ珍?企画に「参加したい。」「子供でも大丈夫ですか?」などなどたくさんの声が聞かれ結構いい感触。

さて現在の橋本体はというと、親柱・袖柱は完成し手摺が乗るのを待っている状態。私は着々と皆の手で仕上げられていく手摺を横目にプレイベントの工程が頭の中でグルグルしている。
なにしろ素人さんを集めてやるなんて初めてで、机上の計算だけでは想定外のハプニングが発生する事も予想される。
そこで、念には念をとリハーサルを兼ねてイベント1週間前の11/12に手摺全部を乗せてみることにした。建設業協会の有志十数名(強力な助っ人)の力も頂戴して。
早速リハやってみました。ずっしりと重みのある手摺を川に落とさないように(一緒に落ちないように。ヒヤっ!)慎重に乗せていった。
若干微調整が必要ではあるものの、大きな問題はなくほっとした。
103本を1時間余り。リハの得見!見ましたよぉ。あの橋姿っ。『うおぉぉぉぉスゲェ。かっこいい!』なんとも言い表せないこの感動。シブ杉です!

あと数日で上崎橋は完成する。しかし、かみざき物語はこれから始まる。
「上崎」このキーワードを耳にする機会は増えるであろうか。
この橋を多くの人に渡ってもらうには「よっちみてぇ」上崎になること。豊富な産物とカッコヨ杉るこの橋を格好のエサにして大勢の上崎ブランドファンを得て欲しい。
橋のタモトで区長が言った。「これからだ、これからが大変で大事なんだ」

このプロジェクトをきっかけに元気あふれる上崎となるように、私にとって大きな経験と出会いを与えてくれた橋と地区をいつまでも気にかけていこうと思う。

1週間後には、完成した橋を眺めながら皆と希望の酒を酌み交わしていることだろう。


 
 

「のぼりざるフェスタ」「すまいづくりinのべおか」のダブルイベント

 
   

杉屋台と杉積木でキャッチ。盛り上がりました。

           
 

リハーサル。「ホイホイッ つぎつぎ。

 
 

心配気な丈義さん(ふるさと協議会長)。

 
 

落としませんように、指挟みませんように・・・。

 
 


 
   

わざと影のかかった写真です。意地悪っ。


   
  ■工事の近況報告  
文・写真/ 植村幸治 (宮崎県職員) 
 

嘘みたいに暖かかった(暑かった)10月が終わり、11月になると急に冷え込んできました。宮崎は11月にダンロップフェニックスゴルフトーナメントがあります。ここ二年タイガーウッズが優勝しており、三連覇の期待がかかっています。宮崎ではこの大会が始まると毎年冷え込みが本格的になります。と言っても所詮、南国宮崎ですから「何を言ってるんだ」といわれそうですが、南北に長い宮崎県では南部の海沿いと北部の山間部では気温の差が激しく、県北部には日本最南端の五ヶ瀬ハイランドスキー場もあり、マリンスポーツからウインタースポーツまで幅広く楽しめるところです。宮崎の宣伝はこれくらいにして上崎の話に戻します。

現場の工事はほぼ終わりました。あとは完成検査を終え、18日の手摺の取付を待つのみです。先日、親柱の木材を取り付け、夜間の試験点灯も終わりました。

 
     

試験点灯風景

  ●いよいよ11月18日に完成
前号で報告していますように手摺の取付11月18日に決まり着々と準備が進んでいます。
田丸さんのミサイル工場から上崎地区に運び込まれた手摺は表面のヤスリ磨きと塗装仕上げを行う必要があり、地区の人達自らが休日などを利用して少しずつ仕上げていました。また、近所の物産販売所『よっちみろや』の秋の収穫祭では手摺を20本程持ち込んで来場者に磨き作業や手摺裏面へのメッセージ記入をして貰いました。
 さらに、去る10月30日は地元北方小学校で手摺磨きとメッセージ記入を学校の授業として取り入れて頂き、1年生から6年生までの全校生徒165人で一斉に作業しました。
 手摺の仕上げ作業が着々と進む中、もう一つの目玉である「駅舎のリニューアル」と「トロッコ列車の製作」に関して新たな展開になりました。予算の関係から今回は駅舎のリニューアルは見送ることになりましたが、トロッコ列車は、12月にオープンする新日向市駅の完成イベントで使用するものを試運転のために上崎橋に持ってくるということにしました。日向市役所の方々に感謝です。

 
    よっちみろや」の新聞記事


    ●手摺取付リハーサル
11月12日に地元の方々と一緒に手摺取付リハーサルを行いました。前々から地元の方々は「一日で取り付けられるか?」と心配しており、その都度私たち関係者は「大丈夫ですよ。ちゃんとみなさんが取り付けしやすいように設計してますから。」と言い続けてきました。しかし、私自身は不安でした。

「海野さん、田丸さん、そんなに自信ありげに大丈夫ですよと言い切って大丈夫ですか ?」と心の中でいつも叫んでいました。しかし、先日のリハーサルの準備の時、「大丈夫と言い切っていますから完璧を目指すんです。もし何かあったらやっぱり駄目じゃないかと思われるのは悔しいですから。」と田丸さんが言われたのを聞いて、安心しました。当たり前のことかもしれませんがプロ意識を垣間見た気がしました。さらに、このプロジェクトに関わる多くの人達の思いを感じました。

そして、リハーサルを実際に行いました。地元の方々など30人程度で1時間も掛かることなく、無事取付を終了することができました。細かい部分の手直しは有るもののほぼ完璧だったような気がします。
また、作業の途中では 取り付けやすさ等の作業要領について色々と地元の方々が議論されていました。

そして、トロッコの部品と屋台も地区の倉庫に運び込みました。あとは高千穂鉄道で使われていたものをリニューアルしたトロッコの台車が届くのを待つのみです。
 
  手摺りを磨く子供たち

 
  取付前に歩道上に並べられた手摺

 
  高欄取付リハーサル風景
  高千穂鉄道の小濱さんからも連絡が有り「立派なトロッコですね。当日は安全管理のために私も伺います。」と言って頂きました。

多くの人が参加してくれることを願っております。
 
  地区側からみた親柱と仮設置した高欄。

   
  ■エピソート2  
文・海野 洋光 (日向木の芽会) 
  しめしめ、やっぱり、チヨダラさん、杉若丸さんまだ書いていない。「もうちょっと遅れても構わないかあ」と思っていると・・・。
杉王さまから「今日中に・・・」というメール
やばい!!

●「上崎イベントが始まる前に」
3年前だったか・・・・。振興局に名刺配りに行った際、森林土木課のH係長から呼び止められた。「橋の手摺を杉でやりたい」そんな一言でした。しがない建設屋の社長(私)は、あまりお役所から声も掛けられないのですが、H係長は、結構、マジで考えているみたいでした。いつものごとく、塩見橋手摺のイベントの話を熱く語ってしまいました。

※名刺配り:役所に営業に行った先で机に名刺を置いてくること。聞くところによるとあとで捨てられて何の意味もないのだが、建設業の営業の基本のひとつになっているらしい。役所の中では用事がないとなかなか言葉も掛けられない雰囲気がある。

それからまもなく、木技センタのI部長から「振興局にUさんがいるから話してみるといいよ。面白い話が聞けるよ」とも言われました。
振興局でUさんに「はじめまして」と挨拶をするとUさん「はじめましてなんですけど海野さんのこと知っていますよ」「え〜!!」
Uさんは、本来は土木部で環境森林部で武者修行中ですね。土木部時代から私の動きを知っていたそうなんです。

※木技センタ 正式名称 宮崎県木材利用技術センター 宮崎県の木材技術の要。ここから発信される木材技術からこの花ドーム、日向市駅舎が生まれた。

Uさんから同僚のKさんを紹介していただきました。
このKさんは、今までの環境森林部にいなかったタイプの方で私の話していることが理解していただけるみたいでした。杉王のお言葉が通じるという感覚です。(でも?何を血迷ったのか、今年、土木部に武者修行に行ってしまいました)
この二人との出会いが、振興局で何かどえらいこと(アブナイ)を起こしそうな予感を感じさせてくれました。

上崎イベントの話を書くには、幻の親柱「ヤリスギ」の話を私の口からしておかなければなりません。イベントと今風に言っていますが、昔は「興行」と言ってちょっとした博打みたいなものですね。当たればデカイけど外れると大変です。杉王さまのデザインした親柱「ヤリスギ」は、正に博打がぴったりのデザインでした。もちろんデザインは、イベントとは、違うのですが、このアブナイ二人は、親柱「ヤリスギ」に惚れてしまった。というか、杉ダラ病が感染してしまったようでした。

 
  これがヤリスギだ!

  とうとう私が、地元の杉で元口直径1m以上のものを探す羽目になってしまい。木の芽会メンバーK君の山に2004年の冬、杉王さま、アブナイ二人、杉若丸さん、チヨダラさんらとで100年の杉を見に行きました。
 
  これが100年杉。偶然にもこの時期に合わせたように台風で倒れた杉があったのだ。運命的。

 

杉王さまは、「運命だね」と言って早速、この杉の購入を前提にデザインを考えはじめました。ヤリスギのデザインは、大きな杉(元口直径1m以上)がないと絶対に成立しないデザインですが、国道沿いの上崎橋のインパクトとしては十分すぎるものでした。
ヤリスギ自体のデザインもいくつかのモデルチェンジをして最終形になっていきました。

※杉ダラ病 目の前のものが全て杉に見える病気、初期症状は、杉ダラ病に感染した患者をあざ笑うが、進行すると次第に杉について熱く語り始める。脳みそのしわが杉の年輪のようになるともう末期症状。原因は、わからないが、感染した患者から次々にうつる奇病。宮崎県では多くの患者を抱えるが、具体的な処方は、未だに開発されていない。

通常の原木の購入は、原木市場で入札をして行いますが、山主さんと直接交渉ともなると現金が基本です。木の芽会メンバーでの協議では、リスクが大きすぎることと購入と製材にはとてつもない高額になりそうでなかなか結論がでませんでした。切り倒した杉の原木は、通常は、葉枯らしにしなければ、すぐに、原木市場で入札に掛け値段をつけ売られます。時間がないことも私には、少々焦りになっていました。1m以上ある大径木は、普通の大きさの台車には載りません。しかも、『みかん割り』で製材してくれるところでないとならないのです。何より重要な先立つものが必要でした。まとまった資金です。

※葉枯らし 伐採した材の葉をつけたまま、しばらく山に置いて杉の水分を抜く方法。
※ 原木丸太の芯を中心に放射状にカットする製材の手法

●告白
「女房を質に入れても食べたい初鰹」
とんでもない言葉ですが、この上崎では、実感しました。ある日私の女房から長女が誕生した時の満期の定期をどうするか相談を受けました。そうです。私は、このとき重度の杉ダラ病に感染していたのです。こともあろか我が家の大金(長女の学資)を杉の購入に当てようと思い立ったのです。私の頭の中では、上崎橋に聳え立つヤリスギが出来上がっているのです。
どうしても、上崎のヤリスギが見たい一心。ただそれだけでした。

杉王さまが原木を見てから数ヶ月が経っていました。梅雨は越さない、今原木を押さえないと1年半後の完成に間に合わないと言う焦りにも似た戸惑いがありました。そのとき、木の芽会のなかでも人格者のYさんが、「海野だけで負担せずに木の芽会のみんなで割ればいいじゃん」と言ってくれました。ちなみにYさんは、自宅の宴会中に火を噴いて大火傷をしてしまい以後、人前で火を噴くことを禁止されている方です。

※梅雨は越さない:木六竹八と言って木の伐採する時期を旧暦の6月(現在は8月)以降に伐採せよという先人の教え、杉も寒伐りと言って冬の季節に伐って梅雨までに出さないとカビや虫が入って売り物にならない。

アブナイ二人も渾身の努力をしたのですが、(あの情熱は凄かった)実際に親柱のヤリスギ案は消えてしまい、この杉大木は売りに出されてしまいました。私の心躍る上崎イベント「親柱ヤリスギ」が、この時点で幻になりました。

次なる上崎イベントは、杉ダラの法人会員Kさんの頼まれごとからはじまりました。Kさんは、宮崎県木材青壮年会連合会の会長で宮崎市のフローランテ宮崎で杉コレクション2005の中心メンバーです。一昨年、日向木の芽会は、内藤廣先生に審査委員長のお礼に杉山をプレゼントしたのです。「今年の宮崎木青会は、杉王さまにプレゼントと考えているのだけども何かないか、杉山以上の・・・」と言う相談でした。

※杉山:日向木の芽会が、内藤先生に贈った杉山は、世界的な森林認証FSCを取得した諸塚村の山です。

サプライズプレゼントは、木の芽会の十八番なのでさっそく「杉王ショールーム」を宮崎市のど真ん中にと提案しましたしかし、場所の選定で思わぬ苦戦強いられました。なかかなうまくいかないときに県庁のMさんから電話がありました。「MRT(宮崎県の民放局)のプロデュサーSさんが日向の杉王さまの作品を見に取材に来る」と言う内容でMさんも私も「杉王さまの宮崎県下の活動を県民に知らせたい」同じ想いの同志です。「Sさんは、なかなかの美人だ」と言う情報もプラスされ、すぐに、会長のKさんに連絡して杉王さまのプロモーションビデオをプレゼントしようという作戦スタート。この時点でKさんからこの番組が私たちの林業・木材業界の資金で出来ること、番組制作会社選定に当たってKさんも審査員であったこと、選定時のプレゼンでは、宮崎県の林業・木材業界のことがきちんと整理されていないみたいであること、15分番組が8回にわたって放映されること、などの情報をもらった。

※林業・木材業界のことがきちんと整理されていない。複雑な業界の仕組みは、一般の方には理解できていない。

「下調べの取材ですから、ほんの10分程度の取材」と聞いていましたが、杉王さまのデザインの取材では、熱く語らせていただきました。Sさんには、結局、半日ほど引きずって夕方になり思うような撮影が出来なかったため「もう一度来ます」と言っていただきました上に「夜の塩見橋が最高!」と言って塩見橋の夜景まで取材をしていただきました。Sさんも杉王さまには、大変興味を持っていただき、出来上がった番組は、上崎のワークショップを中心に杉王と杉ダラのプロモーションビデオと読んでもいいくらいの出来でした。総集編もあるそうですが、私は、実はまだ観ていない(我が家にはTVがない)ので楽しみしています。杉王さまプロモーションビデオは、MさんとKさんのお陰で大成功でした。

上崎の物語で私の知っているエピソードを書きましたが、さあ、いよいよ本番です。上崎の橋を見に来てくれた方が感動していつまでも忘れない橋にしたいものです。

 

 

●<なぐも・かつし>デザイナー
ナグモデザイン事務所 代表。新潟県六日町生まれ。 家具や景観プロダクトを中心に活動。
最近はひとやまちづくりを通したデザインに奮闘。著書『デザイン図鑑+ナグモノガタリ』
(ラトルズ)など。
日本全国スギダラケ倶楽部 本部

 

   
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