連載

 
新・つれづれ杉話 第9回 「ウェットな素材でドライなモノをつくりたい人々 」
文/写真 長町美和子
杉について、モノづくりについて、デザインについて、日常の中で感じたモロモロを語るエッセイ。
 

 
 

今月の一枚

※話の内容に関係なく適当な写真をアップするという身勝手なコーナーです。

一昨年正月。ハノイ郊外の山の上のお寺に向かう参道(山道)の途中に1軒だけある売店にて。頼みもしないのに強引にガイドを買って出てくれたおばちゃん2人と、なぜか付いてきたタクシーの運転手といっしょにひと休み。ここで売店のおばさんが出してくれた果物を食べたのがいけなかった! 苦しむこと約3週間。あれは鳥インフルエンザじゃなかったんだろうか。 


 
 

  ●ウェットな素材でドライなモノをつくりたい人々
 

 久々に住宅の取材に行きました。RCでしっかり守られた箱と、構造用の集成材でつくった木とガラスのオープンな箱を組み合わせた非常に明快な家です。この集成材というのは、LVL(Laminated Veneer Lumber)と呼ばれるもので、丸太をかつらむきにして厚さ3ミリ程度の単板をつくり、状態のいいものを選別したあと繊維方向を同じにして積層し、接着剤で熱圧してつくります。
「これ、材は何を使ってるんでしょうね」と建築家に聞くと、「さぁ……たしか杉だったと思うけど、マツかなぁ」と心許ないお返事。いろいろ調べてみると、構造用に使われるLVLはマツ系が主流みたいですね。古民家でも屋根を支える太い梁はマツなので、力が加わることが想定される部材はマツなんだろうなぁ。でも今日本では、外側だけマツで、中は杉、という複合LVLや、フェノール樹脂を含浸させた杉を積層するLVLなんかも研究されているようです。
 この「材がなんなのかわからない」木材というのが、現代的な建築では人気なんですよね。なぜかというと、「杉」とか「マツ」とかひと目でわかると、「和風っぽい感じに見えちゃうから」。逆に言えば、日本人はそれだけ「和風っぽさ」に敏感だということでしょうか。私なんか、自慢じゃないですけど木目を見てもそれがなんの木なのかすぐにはわかりません。スギダラの活動をし始めてから、ようやく赤身と白太の組み合わせで「あ、杉だ」とわかるようなもんで、多くは「木」としてしか認識できないわけです。それでも、杉がいっぱい使われた空間を体感すると「あ、懐かしい」とか思ってしまう人がたくさんいるということなんでしょう。
 建築家とかデザイナーという人たちは、「自分は他とは違う」「これまでとは違う」というところで異常に燃え上がるタイプが多いので、畳=和、とか杉=和、という記号に当てはめられるのを嫌います。それって使い方をもう少し研究すれば新しいイメージがつくれるかもしれないのにな、とも思うのですが、LVLとかMDFとかOSLとかOSBとか、正体不明のモノを使う方が簡単だし、コストもかかんないし、強度も保証されてるし、何より見た目も聞いた感じも新しそうで格好いいから(?)ついつい逃げちゃうんじゃないかなぁ。
 正直な気持ちを言えば、RCの箱だけじゃ落ち着かないから木が欲しいわけでしょ。触った感じも温かで、柔らかいし、優しいから本能的に木とか土を求めるわけでしょ。でも、そういうウェットなモノをそのまま使うのが、自分の感覚に合わないから「杉」をまるまる使えない、と。でも、住み手は結構ウエットだったりするんじゃないかしら。私が会う施主は(一般的じゃないのかもしれんが)「小学校の黒光りする床のイメージが欲しかった」とか「近所のおばちゃんが腰掛けておしゃべりしてた縁側の風情を思い出す」とかよく言うもの。
 もちろん、古民家を移築したような陳腐な蕎麦屋のインテリアをつくれ、と言ってるわけじゃありませんよ。自分や住み手の心の奥底にある本能的な部分を、もう少し知恵を出してうまくデザインできないもんかね、と。そこのところで国産の杉をもう少しうまく活用できないもんかね……と、ノドまで出かかったけど、やっぱり取材の途中で面と向かって言えんかった。言い訳のようですが、その家はとっても良かったんですよ。これはホントに。だからこそ、「あぁここで杉が使われていたらうれしかったのになぁ」と思ったわけです。
 すみません。スギダラの一員としてもっと営業の腕を磨かないと。

 

  <ながまち・みわこ>ライター
1965年横浜生まれ。ムサ美の造形学部でインテリアデザインを専攻。
雑誌編集者を経て97年にライターとして独立。
建築、デザイン、 暮らしの垣根を越えて執筆活動を展開中。
特に日本の風土や暮らしが育んだモノやかたちに興味あり
 
 
   
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