連載

 
『東京の杉を考える』/第10話

文/ 萩原 修

あの9坪ハウスの住人がスギダラ東京支部長に。東京から発する杉ものがたり。
 
 
 

杉去った日々のプロダクト

 この連載も一回休んでいたら、もう2007年になっていた。気がつくと、スギダラ東京支部長になってから、1年以上が経過している。長いような短いような1年。今だに、東京支部の活動は、静かに潜伏期間という感じだ。でも、なんとなく切り口は見えてきている。2007年は、『スギダラトーキョー』の『神田で杉屋台プロジェクト』を軸に、いろんな動きをしていきたい。

 ちょっと先の話だけれど、3月14日、15日、16日と鳥取の杉を見にいくことが決まった。鳥取出身の建築家のOさんといっしょだ。今から、なんだかわくわくする。まるで遠足気分だ。『スギダラトーキョー』としては、初の地方巡業。鳥取の杉に興味をしめす編集者やカメラマンもいっしょだ。もしかしたら、鳥取の街づくりや、鳥取の杉をつかった住宅やプロダクトのプロジェクトにつながるかもしれない。スギダラらしく、まずは、飲んで、地元の人と仲良くなってこようと思う。

 それはそれとして、この1年、スギダラ東京支部長として意識して動いている中で、杉を使ったプロダクトに出会うこといくつかあった。それぞれに、アプローチは違うけど、杉の可能性と魅力をいかした試みは、個人のデザイナーや木工家か、あるいはメーカーなどがいろいろと試みていることを知った。スギダラとしては、なんだか、とても心強い。

 今から10年以上前に、ぼくの尊敬する家具に詳しいある人から、針葉樹の家具の可能性について、話を聞いたことが今さらながらに思いだされる。その時には、ぼんやりとそんなものかなあと聞いていたけど、まだまだ、数は少ないかもしれないけど、いろんなかたちで、日本の針葉樹の家具や日用品が現実の生活にはいっていっているのを見ると、なぜだかとてもうれしくなる。日本で育った木を日本で使う。そんなあたりまえのことを少しでも実現できたらと思う。

 商品開発の仕事にからみながら、いろんな素材を知る中で、やっぱり木って、かなり特殊な素材だと言うことを、今さらながらに感じることがある。人間が手をいれながらも、自然の力を利用して育てた材料。同じように見えながらも、一本、一本が違う表情をもっている。製材や加工することで、さらに多様な姿にかたちを変える。木で、モノをつくっている人って、自然を相手にしてるんだと思う。工業だけじゃなくて、林業から考えるところからしか、木を使ったプロダクトの本当のポテンシャルは引きだせないのかもしれない。

そんなことを考えながら、ぼくも、今年あたりから、具体的に杉を使ったプロダクトの開発をあれこれと模索していきたい。たぶん、それは、人と人とをつなぐことからはじめることになるんだろうなあ。

 
 
 

<はぎわら・しゅう> 9坪ハウス/スミレアオイハウス住人。


   
  Copyright(C) 2005 Gekkan sugi All Rights Reserved