僕が生まれた六日町(現在は塩沢町、大和町と合併し南魚沼市)は長岡市より約60kmほど南でとても雪深いところだ。東に越後三山、巻機連峰、西に十日町市との境も山並みが続き、魚沼盆地と呼ばれている。その盆地の中央を流れるのが魚野川。上越国境から豊かな水量を運び田んぼを潤わせ、越後川口で信濃川に合流する。その両脇に緑豊かな田んぼが広がる。そこで生まれるのが南魚沼産のコシヒカリ。冬の厳しい寒さと盆地特有の気候がその味を産む。そして八海山始め酒所でも知られる。2〜3年前新しい蔵が完成し、その前には酒米「五百万石」がつくられている。米と酒、それを育む雪と水。そしてもう一つ、切っても切れない存在が杉であった。と思う。
機械化が進み、農業はそのほとんど、田かき、田植え、稲刈り、乾燥、精米まで機械化するようになった。そこで見られなくなったのが田んぼの風物詩だ。土地改良が進んだ今でも、田んぼの真ん中に、すっと伸びた杉が等間隔に並んでいる光景を時々見る。それは稲を乾燥するためのハゼ(地元の言葉でハッテと言った)の支柱であった。その杉と縄を組合せ稲を乾燥する時の記憶は相当強い。この話題はきちんとしたいので詳細はまた別の機会に・・・
平地の杉はまっすぐだが、山の斜面に植えた杉は10年生位まで、冬の間2〜3mの積雪のため雪に倒される。春になってよっこらしょと空をめざす。これを繰り返すため雪国の杉は根本がステッキの柄のように曲がってしまう。伐採時はその上から切断するため1m近く使えない部分が出る。杉とは根本が曲がっているものだと他の地域の杉を見るまで知らなかった。斜面に地面からまっすぐ伸びた杉を見たときの驚きは今でも忘れない。
少子高齢化は他の農村と同じように進んでいるが比較的ゆっくりで、切実な問題とまでは行っていない。リスクを伴うような変化はここでは歓迎されない。美味しい米、美しい山村風景、地域性による保守感覚が特別や変化や大きな改革を望まなかったからだ。ただし自然景観は昔と相も変わらず美しいが、大型スーパーの波は同じように押し寄せ、生活スタイルは変わりつつある。
時代に合わせたスタイルの変化も必要であるが、この魚沼の地域に於いて、景観や自然、そして守るものと変えていかなければならないもの、さらにこの地域こその文化とは?
そんな話をゆっくりしてみたい。今さらよそ者のお節介といわれることはわかっているが、どうもボクはここに忘れ物をしてきたようでいつも気になってしょうがないのだ。
そんなわけで、自然景観系では某東大景観研究室中井さんを取り込み、「魚野川から見た南魚沼とデザイン」という視点でこの地域を再考してみたいと思い、「魚野川デザイン倶楽部」の立ち上げを企画しているが、今のところなかなか進んでいない。そしてスギダラ魚沼支部も設立の準備も頭では考えていたが、なかなかきっかけがつかめなかった。
そんな折、一通のメールが届いた。ICSカレッジオブアーツというデザインの専門学校の教え子で藤田満くんだ。彼は新潟の十日町市出身と聞いていたが、このたび実家が経営する工務店(下記参照)で働くことになったという。十日町市は南魚沼市の西側、昔は中魚沼郡十日町で同じ魚沼だ。最近では越後妻有トリエンナーレで知られている。一山越えなければ行けないが、背に腹は代えられない。
早速藤田くんに指令を出した。「スギダラ魚沼支部設立準備室を立ち上げ、会員勧誘を開始すること。」
指令の出しっぱなしだが、おそらくぼちぼち会員が数人は集まったのではないか。今年中に準備室を支部に変え、支部長と広報宣伝部長を任命したい。いずれスギダラ魚沼ツアーも企画したいと思っているのででその時はどうぞ参加してください。秋元の飯干さんその節はよろしく。
それでは最後に藤田君に思いを語ってもらいます。
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